【第398話:夜陰に潜む痕跡】
夕暮れが過ぎた頃、グリムファング王国の広間には再び幹部たちが集まっていた。
ティナが持ち帰った情報は想像以上に重要だったため、クロナは早急に対応を決める必要があると判断していた。
机の上には各地の地図が広げられていた。
赤い印がいくつも書き込まれており、誘拐事件に関係する可能性のある地点が示されている。
クロナは腕を組みながら地図を眺めた。
情報の断片は増えていたが、組織そのものの姿はまだ見えてこない。
拠点を一つ潰しただけで終わる相手には思えなかった。
「拠点を一つ潰した程度で終わる連中には見えねえな」
ティナは地図の端へ指先を添えた。
彼女も同じ結論へ辿り着いていた。
「村人をさらう手際が良すぎました。あの仮面の男だけで動いていたとは思えません」
イエガンが腕を組みながら唸る。
大柄な身体が椅子を軋ませた。
「まだ仲間がいるってことか」
「その可能性は高いと思います」
短い沈黙が広間を包んだ。
誰もが次の一手を考えていた。
その時だった。
広間の扉が勢いよく開かれる。
駆け込んできたのは牙部隊の若い隊員だった。
灰色の毛並みを持つ狼族の青年で、短く刈り込んだ髪と鋭い目付きが印象的だった。
肩で息をしながら敬礼する。
「クロナ様。国境付近の見回り部隊から報告です」
クロナは顔を上げた。
隊員の様子から緊急性を察する。
「何があった」
「昨夜、山岳地帯で不審な集団が目撃されました。人数は十数名ほどです」
広間の空気が変わった。
ティナも静かに視線を向ける。
「商隊ではないのか」
「違うようです。荷馬車を引いていましたが、積み荷を徹底して隠していたそうです」
隊員はさらに報告を続けた。
見張りを避けるような移動だったことも付け加える。
クロナはゆっくり立ち上がった。
偶然では済まされない話だった。
「ティナ、どう思う」
ティナは少し考え込んだ。
そして静かに答える。
「断定はできません。ですが、放置する理由もありません」
クロナは小さく頷いた。
その言葉で十分だった。
「調べる価値はあるな」
イエガンも立ち上がる。
戦いの気配を感じ取ったようだった。
「クロナ様。俺が行きましょうか」
「いや、今回は俺も動く」
イエガンの眉がわずかに上がった。
ティナもクロナを見つめる。
「珍しいですね」
「最近は城にいる時間が長かったからな。たまには自分の目で確かめたい」
クロナはそう言って笑った。
王となった今でも、その本質は変わっていなかった。
準備はすぐに整った。
同行するのはクロナ、イエガン、ティナの三人である。
夜が更ける頃には出発していた。
冷たい風が森の枝葉を揺らしている。
三人は山岳地帯へ向かって進んだ。
月明かりだけが周囲を照らしていた。
数時間後。
報告のあった場所へ到着する。
岩肌が連なる険しい谷だった。
人目につきにくく、密かに移動するには都合の良い地形である。
ティナは地面へしゃがみ込んだ。
足跡がいくつも残されている。
「新しいですね」
指先で土をなぞりながら呟く。
完全には消されていない痕跡だった。
イエガンも周囲を見回した。
戦士としての勘が何かを捉えている。
「クロナ様。妙ですね。気配が残っています」
「俺も感じる」
クロナは谷の奥へ視線を向けた。
暗闇の中にかすかな灯りが見えた気がした。
三人は慎重に進む。
足音を殺しながら岩陰を移動していった。
やがて谷の奥に開けた空間が現れる。
そこで三人は足を止めた。
焚き火の周囲に十数人の人影が集まっていた。
全員が黒い外套を身にまとっている。
さらにその奥には大きな荷馬車が置かれていた。
分厚い布で覆われているため中身は見えない。
ティナの表情がわずかに険しくなる。
視線の先に見覚えのある紋章があった。
「間違いありません」
クロナも気付いていた。
仮面の男が所持していた資料と同じ印だった。
組織は終わっていなかった。
むしろここからが本番だったのである。
クロナは静かに息を吐いた。
その瞳には獲物を見つけた捕食者の光が宿る。
「ようやく尻尾を掴んだな」
闇の中で三人は視線を交わした。
そして新たな戦いの幕が静かに上がろうとしていた。




