【第389話:記された名】
崩落した実験室に砂煙が漂っていた。
焦げた臭いと薬品臭が混ざり合う。
ティナは黒い帳簿を静かに開く。
古い革表紙には擦れた傷が刻まれていた。
ページには大量の記録が並んでいる。
村の名前、人数、経過観察。
簡潔な文字だった。
感情は一切感じられない。
白衣の女が息を呑む。
震える声で呟いた。
「……まだ残っていたのね。この記録」
彼女の顔色は悪い。
過去を見せつけられているようだった。
ティナはページをめくる。
そこで指先が止まる。
『グリムファング』。
その文字だけが妙に新しい。
周囲には複数の書き込みがあった。
観測対象、急速拡大、危険度再測定。
指揮官の男が横から覗き込む。
眉間に深い皺を寄せていた。
「そいつら、お前の知り合いか」
探るような言い方ではなかった。
確認に近い声だった。
ティナは数秒だけ沈黙する。
視線は帳簿へ向けられたままだ。
「……多少、縁があります」
曖昧な返答だった。
だが否定はしない。
指揮官の男も深く追及しなかった。
代わりに帳簿へ視線を戻す。
「危険度再測定、か。嫌な言葉だな」
低い呟きだった。
ティナは静かにページをめくる。
そこには別の記述も残っていた。
『王の存在を確認』。
さらに下へ続く。
『捕食能力に関する追加観測を推奨』。
ティナの目が細くなる。
空気がわずかに冷えた。
クロナの情報まで掴まれている。
しかも断片ではない。
かなり以前から観測されていた。
そう理解できる内容だった。
白衣の女が苦々しく口を開く。
「連中は昔からそうだった。危険な存在を見つけると、必ず近づいて観察しようとするの」
悔しさの混じる声だった。
ティナは静かに続きを待つ。
女は崩れた壁へ目を向ける。
「人間も魔物も関係ない。ただ、“未知”なら何でも欲しがる」
その言葉に実験室の空気が沈む。
指揮官の男が短く息を吐いた。




