【第378話:崩れた研究室】
砦の中に静寂が戻っていた。
先ほどまで響いていた咆哮は、もう聞こえない。
崩れた石片だけが床に散らばっている。
薄暗い室内に、重い空気が残っていた。
ティナはゆっくりと息を整える。
視線を倒れた男へ向ける。
黒い脈動は消えかけていた。
異形化した腕も、わずかに縮み始めている。
完全には戻らない。
だが暴走だけは止まっていた。
白衣の女はその場に立ち尽くしている。
砕けた薬瓶の破片を見下ろしていた。
その横顔には疲労が滲んでいる。
先ほどまでの執着は薄れていた。
ティナは静かに近づく。
警戒は解かない。
「……終わりました」
短く告げる。
確認するような声音だった。
白衣の女は小さく笑った。
乾いた笑みだった。
「終わったのかしらね。本当に終わったなら、もっと早く気づくべきだったわ」
力の抜けた声だった。
自嘲が混じっている。
ティナは返答しない。
視線だけを向ける。
女はゆっくりと机へ寄りかかった。
細い指先が記録紙へ触れる。
「最初は救うつもりだったのよ。魔力汚染に耐えられる身体を作れれば、もっと多くの人が生き残れると思っていた」
静かな独白だった。
誰かに理解を求める声ではない。
ティナは実験槽を見る。
濁った液体の中で泡が揺れていた。
女は小さく目を閉じる。
疲れ切った呼吸を漏らす。
「でも途中から分からなくなったの。成功例が出るたびに、次を試したくなった。失敗しても、“次はもっと上手くいく”って思ってしまった」
言葉は静かだった。
それが逆に痛々しい。
ティナはしばらく沈黙する。
その後、視線を女へ戻した。
「……あなたは、自分で止まれなくなっていたのですね」
責め立てる口調ではなかった。
事実を確認するような声音だった。
女は小さく笑う。
否定はしなかった。
その時だった。
外から足音が近づいてくる。
砦の入口側から複数の気配。
人間側の兵たちだった。
先頭にいた指揮官の男が室内へ入る。
周囲の惨状を見渡して、眉をひそめた。
「……これはまた、想像以上だな」
低く呟く。
視線が実験槽へ向いた。
後ろの兵たちも言葉を失う。
空気が重く沈んでいた。
ティナは簡潔に状況を伝える。
余計な感情は混ぜない。
「実験施設です。連れ去られた村人も確認しました。生存者はいます」
短い報告だった。
指揮官の男は静かに頷く。
その後、白衣の女へ視線を向けた。
表情は厳しい。
「君が責任者で間違いないな」
落ち着いた声で問う。
威圧だけの言い方ではなかった。
女は抵抗しない。
静かに目を閉じる。
「ええ。逃げるつもりもないわ」
疲れた声だった。
すでに覚悟を決めている。
兵たちが慎重に近づく。
拘束具を用意していた。
その間、ティナは室内を見渡す。
机の上に並ぶ記録紙へ目を向ける。
そこには大量の実験記録。
数値と経過観察が細かく書かれている。
だが、その中に別の紋章があった。
見慣れない印だった。
円形の中に三本線。
研究施設のものとは違う。
ティナの目がわずかに細まる。
直感が警鐘を鳴らしていた。
白衣の女も、その視線に気づく。
わずかに苦い顔をした。
「……それを見つけたなら、もう隠せないわね。この施設、私たちだけで作ったものじゃないの」
静かな声が落ちる。
室内の空気が再び変わった。




