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夕焼けの散花  作者: 智枝 理子
Ⅶ.混ざる嘘と九日間
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06 Jouer mon coeur

王国暦六〇二年 ヴィエルジュ九日


 音楽祭前の追い込み時期だけあって、ピアノ練習室も音楽室もどこも混んでいる。それどころか、中庭も外も、楽器を持って演奏してる学生で溢れてる。

「毎年、こんな感じだったっけ?」

「ふふふ。そぉだよぉ」

 音楽祭に参加する学生がこんなに居るなんて。

「エルは、ずっと実験室に居るからねぇ」

 全然、気づかなかった。

「ユリアは、毎年、どこで練習してるんだ?」

「私は家も音楽院も好きに使えるんだよぉ?」

 音楽家の家なら、練習場所に困らないか。

 でも、ユリアの家にも音楽院にも行く気はない。

「あそこは?」

「良いよぉ」

 ユリアの秘密基地。

 あそこなら、誰にも邪魔されずに、二人だけで演奏が出来る。

「おい!お前」

 来た。

 毎回、毎回、本当に分かりやすい奴だよな。

 ユリアと一緒に、ジュリアーノの方に振り返る。

「何の用だ」

「ユリア様の練習の邪魔をするな。ユリア様は、お前の相手なんかしている暇はないんだぞ」

 ユリアと視線を合わせる。

 追い返そう。

「あるよ」

 ユリアの肩を抱く。

「俺は、自分の練習の為だけにユリアと居るわけじゃない」

「お前っ……、ユリア様から離れろ」

「嫌だよ。ユリアの邪魔をしてるのは、誰だと思ってるんだ」

 ユリアの手を取って、手の甲にキスをする。

「いい加減、俺たちの邪魔をするのはやめろ」

「エルはねぇ、私の恋人なのぉ」

「恋人っ……、て、」

「ユリアがいくら優しいからって、恋人と過ごす時間を奪う権利なんてないからな。もう、ユリアにしつこく付きまとうのはやめろ。迷惑だ」

 ユリアと手を繋ぐ。

「行こう、ユリア」

「うん」

 ユリアと一緒に歩く。

 これで、ジュリアーノが大人しくなったら良いけど。

 隣で、ユリアがため息を吐く。

「あんまり落ち込まないと良いなぁ」

「なんで?」

「音楽祭前に気分が落ち込んだら、演奏に影響しちゃうかもしれないでしょぉ?」

「ユリアは甘過ぎる」

「でもぉ、うちでスカウトした人材だからぁ……」

 隣を歩くユリアのこめかみにキスをする。

「妬くよ」

「もーぉ。そぉいうのって、どこで覚えるのぉ?」

 ユリアは怒ってるつもりなんだろうけど。全然、怒ってるように見えない。

「伯爵夫人から借りた恋の詩集が、嫉妬や悲恋の話ばっかりだったんだ」

「なんて名前の本?」

「オフェリーの花冠」

「あぁ……」

 恋の話を集めた詩集なのに、恋人との幸せを語る詩よりも、届かない愛について語る詩の方が多かった。

「知ってる?」

「うん。冒頭句は有名だからぁ」


オフェリーの花冠、冒頭句。


たんぽぽ

カタバミ

ダイアンサス

シラー

そして、白いネリネ


花冠を作りましょう

どれも手に入りやすく、

手折るのはとても簡単


愛を得られなかった人魚は泡になる

沈んだ水に花が散る



「叶わない恋の方が多いもんねぇ」

 その通りだ。

 

 ※

 

 ユリアの秘密基地で、ツィガーヌの練習をする。

 かなり修整する必要があるけど。ユリアとなら本番に間に合わせられるだろう。

 何より、最初の形よりも断然、楽しいし、自分のイメージを乗せやすい。

「こんなツィガーヌは聞いたことないよぉ」

「珍しいってこと?」

「そぉ。私にとっても、すっごく新しい世界。これが、エルが描きたい世界なんだねぇ」

 でも。

「まだ、足りない」

 先生の演奏から得た、あの感動。

 あの感じ……。

 一音目から一気に引きずり込まれるようなあれ。

「周りの音を聞いてみたらぁ?」

「周りの音?」

「そぉ。周りの空気を感じて、呼吸を整えて。今だ!って時に、音を鳴らすのぉ」

 周りの空気か。

 バイオリンを構えて、呼吸を整えて。

 周囲の音に耳をすませて。

 集中して……。

 奏でる。

 

 冒頭の音が鳴った瞬間には、もう、あの世界に居た。

 見渡す限り一面の砂。

 深呼吸なんか出来ないぐらい渇いていて、口の中の唾を飲み込むのすら一苦労するような息苦しさを感じるのに。

 空気は、どこまでも透明に澄んでいる。

 孤独な世界。

 でも、俺はこの場所を知っている。

 ちゃんと歩ける。

 

 ユリアのピアノが入ってきた。

 あぁ、完璧。

 その音が欲しかった。

 ユリアと視線を合わせる。

 どこまでも透き通った世界が広がる。

 

 ※

 

 夕飯も、そのままユリアのレストランで食べることになった。

 ユリアのおすすめを選んで貰う。

「美味しい」

「でしょぉ?」

「このソースが、白身魚に合ってて、スパイシーで良い」

「うんっ。シェフ自慢の配合のスパイスを使ってるんだってぇ。このパンとも合うよぉ」

 ユリアの真似をして、パンにソースを付けて食べる。

「美味い」

 今度……。

 あ。

「ここって、貴族じゃなくても来れる?」

「もっちろん。ここは、高級レストランじゃないからねぇ」

「なら、今度、フラーダリーと来るよ」

「本当ぉ?」

「あぁ。誘えたら、アレクも誘ってみる」

「えぇっ?アレクシス様、城下にいらっしゃることがあるの?」

「たまに会うよ」

「お忍び?」

「そう」

 城下どころか、あちこち旅に出てるんだけど。

 ユリアが両手を頬に当てる。

「アレクシス様がいらっしゃるなら、特別な料理が必要だよねぇ。どんなのが良いかなぁ」

「特別な料理なんか必要ない。そんなの作っても、アレクは食べないよ」

「えぇ?」

「その店自慢の味があれば十分だ。だいたい、養成所では俺たちと同じもの食べてたんだぞ?」

「そぉだけどぉ……」

「この前も、城の料理は全然選べないから、自由に選べた養成所が懐かしいって言ってたよ」

「ふふふ。そっかぁ」

 屋台の食べ物でも喜んで食べるのがアレクだ。城じゃ食べられないものを望むだろう。

「じゃあ、ショコラのメニューだけしっかり作っておこうかなぁ?」

「あぁ、それは喜びそう」

「うんっ。いついらっしゃっても大丈夫なようにしておくねぇ」

 いつ、行けるかな。

 アレクは養成所の音楽祭には来られないし、今、どこに居るのか解らない。

「もちろん、フラーダリーと二人で来るのも大歓迎だからねぇ?」

「あぁ。手紙に書いておくよ」

「手紙?」

「フラーダリーは忙しいから。いつも、手紙で帰る日を伝えてるんだ」

「自分の家なのにぃ?」

「誰も居ない家に帰っても仕方ないだろ」

 フラーダリーとアレクに会う以外に、あの家に帰る理由がない。

 もう、誰も居ない家になんて……。

 ユリアが俺の顔を覗き込む。

「エルの家はぁ、他にもあるよねぇ?」

「どういう意味?」

「マリーの家に行ってるでしょぉ?」

「本を借りに行ってるだけだ」

「ガスパーロの工房にも行ってるよねぇ?」

「先生と練習する為だよ」

「ほらぁ」

「どっちも俺の家じゃない」

「そっかなぁ。好きな時に出入り出来る場所って、フラーダリーの家よりも、よっぽど家って感じがするなぁ」

 そう言われると……。

 そうかもしれない。

 そもそも、俺が帰る場所として認識してるのは養成所だ。

 フラーダリーの家じゃない。

「どぉしても行く場所が見つからなかったらぁ、ここに来て良いからねぇ?」

「ここに?」

「そぉ。好きな時に使って良いよぉ」

「ユリアが居ない時に来ても仕方ないだろ」

 ユリアが俺の頭を撫でる。

「ここは、いつも賑やかだからぁ。一人でも寂しくないよぉ」

 賑わいが途切れることのない場所。

 こんなに雑音の多い場所をユリアが秘密基地にしてるのは、一人でも居心地が良いからなんだろう。

「そうやって誰でも甘やかすから、好きでもない奴にしつこく付きまとわれるんじゃないか?」

「えぇ?そぉくるー?」

 ユリアが笑う。

 あぁ、本当に可愛い。

 頬に触れて、目を閉じたユリアにキスをして抱き寄せる。

 もっと、近くに来て。

 こういうことは恋人同士だけがすることだって知ってる。

 触れて良いのは好きな人だけだって。

「ん……」

 唇を離すと、ユリアが俺を見上げる。

 その視線に抗えなくて。

 ……やめられない。

 

 

花言葉

・たんぽぽ:恋占い(愛の神託、神託)、真心の愛

・カタバミ:喜び、ハレルヤ(神を称えよ) ※復活祭時期に咲くことから

・ダイアンサス(美女撫子):純粋な愛 ※Dianthus=神の花、神聖な花。

・シラー:哀れ、寂しさ、悲しみ、変わらない愛 ※花も花言葉もヒヤシンスに似てる。

・ネリネ:幸せな思い出 ※水のニンフ・ネーレーイスより。


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