07-1 Baleine du désert
王国暦六〇二年 ヴィエルジュ十六日
「いらっしゃい」
フローラの花屋には、たくさんの花束が並んでいる。
「なんで、今日はこんなに花束が作ってあるんだ?」
「養成所の発表会だもの。あなただって、誰かに渡したくて、買いに来たんでしょう?」
皆、考えることは同じらしい。
でも、俺が欲しい奴は並んでない。
「ピンクの薔薇で作って」
「あら。赤じゃないの?」
「赤はそんなに好きじゃない」
「告白に使うんじゃないの?」
「使わない」
「そうなの。わかったわ。待っていてね」
フローラがピンクの薔薇やかすみ草を選ぶ。
……そういえば、今日は妖精のおしゃべりが全然聞こえないな。
「妖精は居る?」
『もちろん』
『たくさん居るわねぇ』
気配は感じるし、囁きのようなものが聞こえる気はする。
でも、声が遠い。
近くに居ないのかな。
「はい、出来上がり」
ピンクの薔薇の花束だ。
「長い時間、持ち歩くなら、全体を包んであげるわ」
「お願い」
ユリアのピアノソロは最後の方。
俺と一緒に演奏するちょっと前だから。
※
オルロワール家に行って支度を整えて、馬車で養成所へ。
今日は伯爵夫人も一緒だ。
馬車から降りて、学生証を見せて中に入る。
夫人と付き添いのメイドは、正門でチェックを受けている。学生以外の来客は、全員、チェックを受けなければいけない決まりだ。
「それって、花束よね?」
ばればれだ。
中身が見えないように全体を包んでもらったんだけどな。
「赤薔薇?」
「違う」
「違うの?」
なんで、皆、そう言うんだ。
夫人とメイドが来た。
「お母様」
「あら。待っていてくれたの?」
「当然よ。まだ、いってきますの挨拶をしていないもの」
「そうだったわね。マリー、エルロック。準備は万端かしら?」
「えぇ。問題ないわ。楽しみにしていて、お母様」
「前の演奏とはかなり変えたんだ。聞いたことのないツィガーヌになるから、楽しみにしてて」
夫人が、俺とマリーを抱きしめる。
「可愛い子供たち。頑張ってね。いってらっしゃい」
俺は、オルロワール家の子供じゃないんだけど。
「いってきます。お母様」
「いってきます」
マリーと一緒に、講堂へ行く。
講堂の控室では、ユリアが椅子に座って出番を待っていた。
「やっほぉ」
水色のドレスを着たユリアが手を振る。
「可愛い」
「素敵よ、ユリア」
「ふふふ。ありがとぉ。マリーは、大人っぽいドレスだねぇ」
「わかる?」
「うんっ。似合ってるよぉ。……エルも、素敵だよぉ」
「お母様と一緒に選んで仕立てたから間違いないわ」
着心地は良いけど、着慣れない。
「ピアノの演奏はこれから?」
「次だよぉ」
良かった。間に合った。
「そろそろ、行こっかなぁ」
「手伝うよ」
ユリアの手を引いて、舞台袖に行く。
「緊張してる?」
「ちょっとねぇ。……でも、丁度良い感じ」
ユリアが微笑む。
調子は良さそうだ。
拍手が響く。前の演奏が終わったらしい。
演奏者が舞台の下手に歩いて行くのが見えた。
「いってらっしゃい。ユリア」
「いってきまぁす」
ユリアがドレスの裾を持って、ピアノがある舞台へ向かった。
その様子を一歩下がって見守る。
「緊張してきたわ」
「マリーが?」
「だって、友達の舞台なのよ?」
「心配ないよ。たぶん、今頃、マリーの心配をしてるんじゃないか?」
「え?私の?」
ユリアは、自分のことよりも他人のことを考えてしまうから。
演奏が始まる。
心地好い音色だ。
これは、水をイメージして作られた曲だってユリアが教えてくれた。
静かに揺れ動く繊細な水の調べ。
流れるような音色は、踊るように演奏するユリアにぴったりの曲だ。
まるで、水の精霊がダンスをしているかのように軽やかな音楽。
淡くて優しくて気持ち良い。
……あっという間だったな。
ユリアの演奏が終わる。
「迎えに行ってくる」
ユリアは、もう一度、俺と演奏するから。
「待って。渡すなら、もうカバーは外して良いと思うわ」
良いらしい。
包みを解いた花束を持って、上手の控室を出て下手の控室へ回る。
……と。丁度、出て来たユリアが、待ち構えてた学生たちに囲まれた。
「ユリア様、素敵でした」
「素晴らしい演奏でした」
「ありがとぉ」
抱えきれないほどの花を受け取ったユリアが微笑む。
「ユリア」
「エル」
ようやく近くまで行けた。
「素敵な演奏だった」
ピンク色の薔薇の花束を渡す。
「わぁ……。嬉しい。ありがとぉ、エル」
可愛い。
「控室に行こう」
「うんっ」
ユリアの手を取る。
「ユリア様、花束をお預かりします」
「じゃあ、これだけ貰おっかなぁ」
ユリアがピンクの薔薇を一輪取って、結った頭に飾った。
……ドレスに合わせた色の花にするんだった。
「待って」
薔薇の位置を調整して、かすみ草も飾る。
「えぇ?どんな感じにしたのぉ?」
「ユリア様、鏡です」
「可愛らしいですよ」
「私の花も使って下さい」
「私のも」
ユリアは人気者だな。
「じゃあ、花冠にする?」
「私、得意です」
学生が集まって、花束から抜いた花で花冠を作る。
水色の花も入ってるから、ドレスにも良く合うだろう。
「エルも、お揃いにしよぉ?」
ユリアが、俺の上着のボタンホールにピンクの薔薇を飾る。
フローラにも付けられたっけ。
ここは、花を飾るための場所なのかもしれない。
「ユリア様、出来ました」
ユリアの頭に花冠が飾られる。
「花の妖精のようです」
「愛らしくて素敵です」
「次の演奏も楽しみにしています」
「うんっ。ありがとぉ。皆、聞いてねぇ」
「はいっ!」
名残惜しそうにしているユリアのファンと別れて、マリーが居る上手へ戻る。
「おかえりなさい」
「ただいまぁ」
俺たちを確認したマリーが、舞台に視線を移す。
マリーの出番は次だ。
「マリー、私の頭、見てぇ?」
「え?頭?……花冠?」
「ほらほらぁ」
ユリアがマリーに近づく。
「素敵……。花の香りがするわ。これ、生花で作ったの?」
「うんっ。今、作ってもらったんだぁ。良い香りでしょぉ?」
「えぇ。すごく良い香りだわ」
「深呼吸してぇ?」
マリーが深呼吸する。
「じゃ、もぉ大丈夫だねぇ」
マリーが頷く。
「えぇ。大丈夫……。大丈夫よ」
すごいな。
こんな風に緊張を解すのか。
拍手の音が鳴り響く。
「いってらっしゃぁい」
「いってらっしゃい」
「えぇ。いってきます」
フルートを手にしたマリーが微笑んで、舞台へ向かった。
「エルはぁ、緊張してなさそうだねぇ」
緊張なんかしないけど。
「俺が緊張してたら、どうする?」
「んー」
ユリアが俺を見上げる。
その視線に、何度誘われたかわからない。
ユリアとキスを交わすと、フルートの演奏が始まった。
俺とユリアの演奏は、この次だ。
※
ユリアをピアノまでエスコートして、それから、バイオリンを構える。
フラーダリー、見てるかな。
先生は、俺の演奏を楽しんでくれるかな。
俺とユリアが表現する世界が、皆に届きますように。
視線と呼吸を合わせて。
演奏を始める。
ツィガーヌ。
放浪者。
生まれてからずっと過ごした果てしない砂の世界。
起伏のある砂の丘陵は、風に吹かれてすぐに形を変えていく。
変わりゆくものを頼ろうとするとすぐに方角を見失ってしまうから。
頼れる目印だけを信じて進まなくちゃいけない。
大丈夫。
闇が濃く深まるほどに、空に散りばめられた輝きが自分の立っている位置を教えてくれる。
バイオリンの音色にピアノの音が絡む。
ここからは、もっと楽しく進める。
新しい道。
ユリアが居てくれるから。
手を取っていける。
……これが、今の限界。
描ける世界の果て。
たどり着いた場所。
最後の一音まで気を抜かずに響かせる。
終わった。
バイオリンを下ろして観客に向けて礼をすると、拍手が鳴り響く。
ユリアの方に行くと、ユリアが下手の方を指差した。
その方角を見る。
え?
「先生?」
先生が、花束を持って俺の方に来た。
「皆様に特別なゲストのお知らせです」
司会の先生の声が聞こえる。
「エウリディーチェ家の天才バイオリニスト。ヴュータン・ソーレです」
ユリア、知ってたのか?
ユリアがくすくす笑う。
知ってたらしい。
花束を二つも抱えた先生の方へ行く。
「素晴らしい演奏だったよ」
「ありがとう」
先生と握手を交わして、花束を一つ受け取る。
「皆様に、私の愛弟子の演奏をお聞き頂けて光栄です」
愛弟子って。
先生が俺の頭を撫でる。
「君の演奏は、いつも私の心に響くよ」
「先生……」
……届いた。
先生がユリアの方へ行く。
「素晴らしいピアノでした」
「ありがとうございます」
花束を受け取ったユリアが微笑む。
そして、先生が俺の隣に来た。
「さて。せっかくだから、何か演奏しよう」
「今から?」
本番用の曲なんて、他には何も練習してない。
「クジラもどきはどうだい。今日は、パーカッションを連れて来たんだ」
先生が手招きすると、太鼓やチェロを持った楽団が賑やかな音を立てながら舞台に入って来た。
クジラもどきは、最近、先生と良く遊んでいる曲だ。
でも、この前、音楽院に行った時にチェロの部分を聞いたばかりで、楽団と合わせたことなんて一度もない。
「さぁ。遊ぼう」
……楽しそう。
「良いよ」
ピアノの上に花束を置いて、先生と一緒にバイオリンを構える。
先生が合図を送ると、パーカッションの演奏が始まった。
ほぼ、楽譜でしか見たことがない部分。
チェロの音に聞き覚えがあるだけだ。
いつから計画してたんだよ、これ。
この前、俺と先生が音楽院で会ったのは、この為?
ユリアを見ると、ユリアが笑う。
……あれも、仕組まれてたのか。
先生に視線を戻すと、先生が微笑む。
もう、楽しむしかない。
序盤はリズム楽器がメインだ。
でも、途中からバイオリンが割り込む。
入るタイミングはいまいち解らないから、先生の演奏を良く見ておこう。
この辺から、バイオリンの低音を音楽に重ねていって……。
来た。
先生のバイオリンの音が一気に曲の世界を跳ね上げる。
その音と掛け合いになるように演奏しながら付いて行く。
いつもみたいに。
華やかで楽しい。
パーカッションが刻むリズムに乗る。
先生が見せ場の速弾きを美しく奏でる。
最高。
でも、これはそんなに長い曲じゃない。
あっという間に曲が……。
終わらずに最初のリズム楽器のパートに戻った。
これは……。
先生が俺に向かってウインクする。
え?
あの演奏の後に、俺が第一バイオリンをやるの?
信じられない。
けど、もうやるしかない。
楽団の演奏を見ながら、低音のバイオリンを響かせる。
入るタイミングは、さっき覚えた。
……ここだ。
バイオリンの音で、一気に駆け上がる。
楽しい。
さっき先生が演奏していたパートを俺が、俺がやっていたパートを先生が演奏する。
バイオリンの掛け合いは、どっちのパートでも楽しい。
……この速弾きも好きで、ずっと練習してたっけ。
心が踊る。
バイオリンを弾くのが楽しくてたまらない。
一気に駆け抜けて、今度は楽団と先生と息を合わせながら曲を終える。
……楽しかった。
演奏を終えて皆で礼をすると、会場中に拍手が沸き起こった。
やっぱり、先生はすごいな。
ユリアの方に行って、ユリアが立つのを手伝う。
「待たせてごめん」
「大丈夫だよぉ。特等席で聴けたんだもん。最高だったぁ」
ユリアが微笑む。
「ありがとう。ユリア」
「うん」
ユリアと一緒に下手の方へ行く。
今日の演奏は、これで終わり。
フラーダリーって、来てたのかな。
舞台では観客を確認する余裕はなかった。観客は皆、立っているから、奥の方は良く見えない。
『フラーダリーは来ていたぞ』
「ありがとう」
メラニーが言うなら、間違いない。




