05-2 Ça veut dire quoi?
音楽院の近くにあるきらびやかなレストラン。
こういう店には入ったことがない。
「いらっしゃいませ、ユリアお嬢様」
「甘いのとぉ、コーヒー二つ、お願いねぇ」
「はい。承りました」
今ので注文が終わり?
ユリアと一緒に二階へ行く。
カウンターの脇にある狭い階段は、客向けというよりは、従業員向けのような造りだ。
ユリアの案内で、二階の廊下の奥にある部屋に入る。
なんていうか、可愛い部屋。
ゆったり寛げそうなソファーや椅子に、低めのテーブル。ぬいぐるみをはじめとした可愛い小物がたくさん並んでいて、壁際には可愛いピアノが置いてある。
「ここは、私のお店なんだぁ」
「ユリアが所有してるってこと?」
「そうっ。出資してるお店」
出資……。
経営に関わるお金を出してるのか。もしかしたら、メニューの開発にも関わってるのかもしれない。ユリアはお菓子作りが好きだから。
ユリアが窓辺へ行ってフリルの付いたレースのカーテンを開くと、部屋が一気に明るくなった。
隣に行って、一緒に窓から外を眺める。
「良い眺めでしょぉ?」
「あぁ」
開放的な明るい窓だ。
ここからは音楽堂前の広場が良く見渡せる。あちこちで楽器を演奏している人が居て、立ち止まって聴いている人が居て。
階下のレストランの楽しげなざわつきも聞こえてくる。
賑やかな場所だ。
「私の秘密基地なんだぁ」
秘密基地。
「だから、ユリアっぽいのか」
「わかるぅ?」
「わかるよ。あのピアノもユリアっぽい」
「うんっ。私の大切なピアノなのぉ」
「さっき話してたの?」
「そぉ」
ユリアが微笑む。
ピアノを見せる為に連れてきてくれたのか。
「止めてくれて、ありがとぉ……。私、ピアノ弾いてると、周りが見えなくなっちゃう時があるんだぁ」
周りが見えない、か。
ユリアも悩んでるんだろう。
ユリアが外に向かって両手を伸ばす。
……細い指。
ピアニストの指を撫でる。
「ユリアは、誰かの演奏に感動したことはある?」
「たくさんあるよぉ」
指と指が絡む。
「俺は、先生の演奏にすごく感動したんだ。だから、先生の演奏を目指そうって思ってた。でも、先生から違うって言われたんだ」
「えぇ?どぉしてぇ?」
「感動をもたらす芸術は、単純に技術を真似するだけで辿り着けるようなものじゃない」
ユリアが頷く。
「そうだねぇ」
解ってくれると思った。
「俺は先生の演奏で、心が震えるということを知ったんだ。俺が目指してるのは、あの感動を届けられる演奏。でも、それは先生の真似で出来るものじゃない。俺自身が自分で表現しなきゃいけないんだ」
「うんうんっ。良いと思うよぉ」
「だから、今まで練習してきたものとは違った完成形を目指したい」
「違った完成形?」
「そう。だから……」
すぐ隣に居るユリアと視線を合わせる。
「ユリアらしいピアノが欲しい」
「えっ?」
「俺がやりたい音楽は、いつも一緒に遊んでる時の、あんな感じだから」
あの、楽しくなる感じ。
「ユリアと演奏してると、どんどん世界が広がるんだ。今まで辿り着けなかった場所を目指す為に、ユリアの世界も俺に見せて」
「私の……?」
きっと、それが一番良い演奏だと思うから。
「上手く出来るかなぁ……?」
「出来るよ。俺はユリアの演奏が好きだから」
間違いない。
「私も……。エルの演奏が大好きだよぉ」
ユリアが笑顔になる。
可愛い。
いつものユリアらしい元気が戻ってきたみたいだ。
ノックがあって、皿いっぱいのケーキとコーヒーが運ばれて来た。
「ごゆっくりお過ごし下さい」
それだけ言って、店員が出て行く。
でも、ユリアは席に付くことなく窓から外を眺めたままだ。
指を絡めたまま、ユリアの手を握る。
……ユリア。
「まだ、ユリアの好きな人は変わってない?」
「え?」
―悲恋……。
―好きな人から、見向きもされないお話……。
「前に話してた相手」
あんなに泣いてた相手。
あれは、ユリアが好きな相手だ。
そうじゃなきゃ、あんなに泣いたりなんかしないだろう。
「まだ……。好きだけどぉ……。もう、諦めよっかなぁって」
「なんで?」
「そぉ決めたのぉ」
諦めてるように見えない。
きっと、好きなんだ。
……同じ人が。
手を離したユリアが、振り返って腕を伸ばす。
「んー。お腹すいたぁ」
ユリアがソファーに座って、ケーキを食べ始める。
他の人の相談にはたくさん乗るのに。自分の相談は誰にもしないで無理した答えを出すのか。
手招きで呼ばれて、その隣へ行く。
「エル、口開けてぇ?」
絶対、甘いだろ。それ。
ユリアが俺の口にケーキを放り込む。
……あれ。思ったより甘くない。
上品な甘さだ。
「どぉ?」
「キャラメルより甘くない」
でも、コーヒーは飲もう。
ユリアが笑う。
「思い出したぁ?」
ユリアがキャラメルを手にしてる。
……どこから出したんだ。
「今日も?」
「もっちろん」
約束だから仕方ない。
キャラメルを食べる。
今日のは……。
「当たりだ」
食べられるやつ。
「ふふふ。今日のはぁ、私が作ったんだよぉ」
だと思った。
「何味?」
「林檎だよぉ」
「あぁ、確かに」
食感の良い林檎が混ざってる。
これなら、二個ぐらい食べられそう。
最初の約束通り、キャラメルは毎日のように食べさせられた。しかも、ユリアだけじゃなく、クラスの女子連中、皆で作ってたせいで、甘ったるいハズレばかりだった。
本当に、毎日、酷い目にあった。
「ユリアが毎日作ってくれたら良かったのに」
それなら、毎日、楽しみにできたのに。
ユリアが笑う。
「でもぉ。キャラメルも、もうすぐおしまいだねぇ」
隣でコーヒーをすするユリアの横顔を見る。
「あいつにもやるの?」
「ジュリアーノ君のことぉ?」
「そう」
「何を?」
「甘いのを食べさせるの」
「やらないよぉ」
「なんで?」
ユリアがフォークに刺したケーキをこっちに向ける。
「エル、口開けてぇ?」
キャラメルを食べたばかりなのに?
次のケーキを食べる。
あれ?
「ガレットデリュヌ?」
「当たりー」
新年に家族で食べるパイだ。
ラングリオンの恒例行事で、毎年、フラーダリーと一緒に食べている。
「新年じゃないのに?」
「フェーブ入りは新年だけだけどぉ、ラングリオンでは、いつでも売ってるお菓子だよぉ」
特別なお菓子なわけじゃないらしい。
「どぉ?美味しい?」
「まぁまぁ」
「女の子以外だと、エルにしかやらないよぉ」
「なんで?」
「ここに来た男の子もぉ、エルが初めて」
「……なんで?」
ユリアがケーキを食べて、笑顔になる。
「んー。美味しいっ」
女の人って、なんで、こっちの質問を平気で無視するんだ。
そんな風にはぐらかすから、ジュリアーノにもしつこくされるんだろう。
「ユリアは婚約者、居る?」
「居るけどぉ、解消する予定だねぇ」
あの舞踏会以降、かなりの婚約が解消されたって聞いてる。
もちろん、マリーとロランも。
「じゃあ、俺の婚約者になって」
「えっ?」
「恋人ごっこでも良い」
「んーっとぉ……。ちょっと待ってぇ?」
ユリアが頭を抱えた後、俺を見る。
「どぉいう意味か、聞いても良い?」
「そのままだよ。婚約は、お互いを拘束しない貴族の恋人ごっこだろ?」
「そぉ……。だねぇ」
ロランから聞いた通り。これは貴族の共通認識で間違いないらしい。
本物の恋人が別に居ても良い関係なんだから、その程度のものだろう。
「でも、どぉしてぇ?」
「俺がユリアの婚約者だって言えば、ジュリアーノを追い払えるだろ?」
「んー……。そこまでしなくても、大丈夫だよぉ?」
「大丈夫じゃない」
「だって、また、エルが何か言われたらぁ……」
「俺はあいつに何を言われようと構わないし、気にしない」
「でもぉ……」
「これ以上、ユリアをあいつに触らせたくないんだ」
「えっ?」
急に、ユリアが顔を隠すように手で覆って、そっぽを向いた。
「エルの、ばかぁ」
……ばか?
なんで?
「今日のエル、ちょっと変」
「何が?」
「あんまり、甘やかさないでぇ」
甘やかす?
どこが?
……意味がわからない。
けど、甘やかされてると思うなら。
「甘えて」
顔を覆ったまま、ユリアが首を振る。
「甘えて欲しい」
「もーぉ」
怒ってる?
こっちを見ないまま、ユリアが片手だけこちらに向けてひらひらと振った。
「告白、して?」
愛の告白?
「ユリア。俺の恋人になって」
「そうじゃなくってぇ……。王子様みたいなやつぅ?」
して欲しいことがあるらしい。
ユリアが望んでるのは……。
サンドリヨンとか、眠り姫と七人の小人みたいな奴?
サンドリヨンで王子としたこと。
それから、眠り姫で王子が姫にしたこと。
「ユリア」
ユリアの手を引っぱって、ユリアの顔をこちらに向ける。
「え?」
そして、ユリアの唇にキスをする。
柔らかい感触。
唇を離すと、赤い顔のユリアが俺を見上げた。
合ってる?
「もーぉ」
違ったらしい。
「エルって、いつか誰かに刺されると思う」
「は?」
なんで?
怒ったような顔の後、ユリアがくすくす笑って。
俺に近づいて唇にキスをした。
「お返し」
……可愛い。
俺の胸に顔を付けたユリアを抱きしめる。
……好き。
何が正解か解らない。
自分も他人も納得させられるような言葉が一つもない。
好きな人は他に居るはずなのに。
ずっと、こんな風にユリアを抱きしめたかった。
「音楽祭が終わるまで……。恋人ごっこしよっかぁ」
音楽祭なんて、すぐだ。
「それだけ?」
「うん……。それだけ」
今日を入れても、たった九日間だけの恋人。
「正解を教えて」
「正解ってぇ?」
「告白の」
さっきのは違ったらしいから。
「恋の本を貸してあげよっかぁ?」
「物語は読まない」
「キスの意味ぐらいは知っておいた方が良いと思うなぁ」
「キスの意味?」
「だからぁ……」
顔を上げたユリアが、キスの意味について教えてくれた。キスする場所によって、細かく意味が異なるらしい。
……なんで、そんなに細かい意味があるんだ。ラングリオンは何にでも余計な意味を付け過ぎる。
でも、聞いたところで何をすべきだったかの答えになってない。
「さっきの正解は?」
「内緒ぉ」
教えてくれない。
ユリアが俺を見上げる。
可愛い。
目を閉じて、抱きしめて。
もう一度、キスを交わす。
……キャラメルみたい。
「好きだよ」
とろけるように甘い。
「好きだよ」
今だけは、他の愛を忘れて。
たった一人の人にさせて。




