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星を欲する者


 翔貴は最後まで、星華の願いを聞いてくれた。一人になりたいと言った星華を麗禾殿の庭に残していった。


星華だけになった中庭に、桃蘭(とうらん)は暗闇を歩くようにして現れた。


 今日も髪を下ろしているが、儀式を行う時の正装の巫女装束に身を包んでいる。約束通り、星華(せいか)を迎えに来てくれたのだ。


「なんて顔してるの」


 そう言って、桃蘭は眉を下げて困ったように笑った。彼女には全てお見通しなのだろう。


 星華はわざと燈惺を王宮から遠ざけた。


 そのため、燈惺(とうせい)と王宮を出る前に、苑志(えんし)に陵家の燈惺の父である泰惺へ文を渡すように頼んでいた。


 今日の夜、燈惺を(りょう)家から出さないでほしいと、したためたものだった。苑志なら確実に、届けてくれるだろう。


 泰惺(たいせい)はただ星華を嫌っているから結婚を反対したわけではない。燈惺と星華が共にいることで、燈惺に危険が及ぶからあそこまで反対したのだと今ならわかる。


 きっと星華の願いを聞き入れてくれたはずだ。


 星華の(たくら)みを知ったら、燈惺は怒るだろうか、それとも受けいれるだろうか。どうか、あの人の魔の手が燈惺に届かないことを願いたい。


 時間がないため、星華たちは素早く動いた。桃蘭が連れて来た星華の背丈に似せた巫女に、星華の身代わり役を頼んだ。


 夜の暗闇のため遠目からだとわからないが、話しかけられたら終わりだ。これでいいのかと不安ではあったが、桃蘭は時間稼ぎになればそれで十分だと言った。


 二人は固く手を結び、王宮の深い闇の中に飛び出した。


 その日の王宮は、息を呑むほどの静けさだった。明かりを手にした見回りの兵たちの足音が嫌なほど響くが、兵たちが立ち去ればすぐに闇が広がる。


 兵たちに見つからぬように息を潜め王宮の中を進んでいたが、星華はふと立ち止まった。


「…桃蘭、貴方には全て見えているの?」


 振り返った桃蘭に、真っ直ぐそう問うた。


「見えてる」


 冷たく、でもどこか力強い声。そう淡々と答えた表情は、彼女が真の巫女であることを表わしている。


 星華は、そっかと呟き、泣きそうな顔になりながらも笑った。桃蘭が見ている未来を想像する。覚悟はしていても、やはり悲しく怖い。


 そんな星華を励ますように、桃蘭はいつも顔でくしゃりと微笑み、繋いでいた手にもう片方の手を重ね優しく揺らした。


「人の強い思いで何か変わることもある。それを貴方達が教えてくれた」


 星華は大きく頷いて、夜空を見上げる。襲いかかる恐怖に顔を上げることを忘れていた。


 見上げたら、輝く小さな光たちが目に入る。今日は星がとても綺麗な夜だった。










 目的の場所には、驚くほど容易(ようい)に入れた。


 王宮の中でも特に厳重な警備が行われている場所だが、見覚えのある侍女が星華たちを迎え入れた。彼女は、小燕(しょうえん)と名乗った。


 緊張した面持ちの星華たちと違い、彼女は拍子(ひょうし)抜けるほど淡々としている。星華達を上客かのように丁重に扱い案内する。彼らが星華を待っていたのは間違いなかった。


 小燕(しょうえん)に連れられ広く華やかな庭を通り、細部にまで(こだわ)りを感じる立派な宮殿の中へと入る。


 いくつもの部屋を通り過ぎ奥へ進んで行くと、一番広い部屋へとたどり着いた。


 彼の身分にふさわしい豪華な調度品に、天蓋(てんがい)のついた高級そうな寝台。民達が憧れを抱くであろう部屋だが、誰もおらず寂しさだけが流れている。


 星華と桃蘭は目を合わせて、相手の動きを待つ。小燕(しょうえん)は迷わず、寝台のそばにある調度品を並べた棚の前に立った。


 華やかな花瓶(かびん)を始めとして、高そうな置物がずらりと並んでいる宮殿にふさわしい棚だ。誰もがその棚の前で魅入ってしまうだろうが、小燕(しょうえん)翡翠(ひすい)の置物に触れた途端、歯車が回るような音が響いた。その棚が音をたてながら動いたのだ。


 棚があったはずのその奥には、空間が広がっていた。


「隠し扉ね」


 桃蘭は納得したように呟いた。隠し扉は珍しくないが、目の前の扉は見抜けないほど上等な造りだ。二人は強く手を握りしめ、伏魔殿(ふくまでん)であろう場所へ足を進めた。


 そこは仄暗(ほのぐら)いただの書庫部屋だった。


 古そうな書物がぎっしりと並んでいる。掃除は良くされているようだが、使われている形跡がない。


 星華達が見回していると、小燕(しょうえん)は端にある書架の前に立ち、一冊の本を取り出す。また何かが動く音が聞こえ、書架が動いた。


「…二重になっていたのね」


 書庫の奥に現れたのは、神殿を思わせる広い部屋だ。


 それぞれの端には、龍の彫刻が施された太い柱があり、奥に階段まであり、数段昇ったところには同じく龍の彫刻が施された大きな寝台がある。


 まるで寝台が、王が腰かける王座を表わしているようで、王殿のような部屋だった。


 入った途端に鼻を掠めた香りに、星華は拳を強く握った。あの日から、決して忘れないと誓った香りだ。


 両親の無残な亡骸(なきがら)のそばで残っていた香り。あんな残酷な光景に、不釣り合いだった高貴な香りがこの部屋に流れている。


「この香りは、錯乱状態にある者の精神状態を落ち着かせる香よ。錯乱状態でなければ、いくら吸ってもただの強い香よ。あの方に吸わせていたのね」


 嫌な臭いだと桃蘭は星華に説明しながら、鼻を手で抑えた。


 この匂いのは、寝台のそばにある(はす)の形をした銅の香炉(こうろ)が香っていた。寝台のそばには、見たことがある男がいる。無口で存在を隠すように、いつもあの方の元にいた。


 両親を殺したのは、貴方なのかと星華は男を凝視しながらゆっくりと寝台へと近づいた。


 男は無表情のまま、天蓋(てんがい)を開いた。


 寝台の上に横たわっていたのは、この国の第三王子である清心(せいしん)だった。


 そばの男は、いつも清心の少し離れた場所に仕えていた従者(じゅうしゃ)の男だった。確か、清心に沈覚(しんかく)と呼ばれていた男だ。


 眠っている清心の顔は、驚くほど青白く血の気がない。本当に眠っているのかと疑ってしまうほど、力を感じ取れない。


「…清心は、貴女を待っていたのよ」


 突然、後ろから投げかけられた優しい品のある声。


 やはり貴方だったのかという悲しみで、星華は一瞬瞳を閉じた。もう星華が知っているあの方ではない。覚悟を決めて、桃蘭と共に振り返った。


「…王妃様、全て貴方の仕業なのですね」


 微笑んでいるこの国の王妃である菫麗(とうれい)を目が合う。


 絶世の美女ではないが、親近感がわく童顔は年齢を感じさせない。今日も王妃だけが許される龍の(かんざし)を身につけ、恐ろしいほど清らかな笑みを浮かべている。


 星華たちをここまで連れて来た小燕(しょうえん)は、菫麗(とうれい)の侍女でいつもそばに仕えていた。


 そして、驚くことに菫麗(とうれい)のそばには、大巫女(おおみこ)がいた。


 腰までの長い黒髪は今日も神秘的で、衣の上から見ても痩せていることがわかるが、どこか威厳がある。大巫女は表情がない顔で、真っ直ぐに桃蘭と星華を見ていた。


 桃蘭は彼女がこの大罪に関わっていることに気づいていたようで、驚きというより事実であったことへの悲しみの表情を浮かべていた。


「大巫女様。貴方が…師匠(ししょう)を死に追いやったのですね」


「彼女を責めてはいけないわ。前大巫女は、恐ろしい予言をしてしまった。神殿を守るためには…仕方なかったのよ」


 菫麗(とうれい)は慈しみを込めた顔で(さと)すようにそう言った。


 今なら菫麗のやり口が良く分かる。相手に寄り添っているかのように振る舞いながら、その心は相手のことなど考えていない。星華に見せていたあの優しい顔も気遣いも、全て嘘だったのだ。


「師匠は王妃と王弟夫人が同時に身籠った時、ある龍夢を見てしまった。立派な龍が一匹だけ高らかに、美しい夜空を翔けていたと。それは、あの年に王族は一人しか健康に育たないことを表わしていた」


 桃蘭の言葉に、菫麗はふっと笑みを零す。可笑しくて止まらない笑みを隠すようかのに上品な手で口元隠した。


「そうよ。その通り、あの時王族として無事に生まれたのは清心だけだったわ」


「それは違う。師匠は、私にも清心様への予言を託していた。龍は池から夜空を眺めると」


 桃蘭は高らかにそう口にした。この龍詠(りゅうえい)国では、王族が生まれる時、神殿の巫女たちから予言を受ける。


「どういう意味か、王妃様ならおわかりでしょう。龍は命の終わりを感じた時、水辺に身を寄せると言われている」


 その場に緊張感が走った。桃蘭の説明に、菫麗の表情が動いた。優しさを含んでいた瞳は、もう苛立(いらだ)ちを隠せていなかった。


 予言の中身は、親たち以外に告げられることはなく神殿で管理されると聞いていたが、将来を左右する大事な儀式だとは星華も聞いたことはある。


「我が子への予言に打ちひしがれた貴方は、同時に王弟夫人の子への予言が気になったはずです。王弟夫人の子が受けた予言は、清心様に告げられたものとは全く違うものだった」


 王弟夫人の子、それが誰をしているのか星華にはもうわかっていた。


 桃蘭は途中で言葉を止め、星華へと視線を向けた。その目は星華を捉えているが、どこか焦点が合っていない。桃蘭の目には、今も皆が見えない何かが見えているのだろう。


「龍は夜空を舞い星々から光を受ける」


 本人さえも知らない予言の中身に、星華はただ眉を寄せた。星華にとって予言などどうでいい。そんな予言一つで、大切な人達の命が奪われたと思うとやり切れない。


「とても珍しい予言だと、師匠は言っていた。王族は民に何かを与えるというような内容が多い。受けるという内容は、特別な力を授かるということだと。師匠には、王弟の子は特別な力を持ち生まれることがわかっていた。しかし、特別な子が生まれるのは王弟の子。龍夢と予言の内容が知られると王宮に混乱が生じてしまうと師匠は、口にしたものは死に値すると禁句令まで出した。それなのに…その予言が漏れてしまったことに気づいた。子が生きてさえくれたらと願った王弟夫人の願いを聞き入れ、師匠はある策を練った」


 星華は言葉を発することもできなかった。あまり重い事実に眩暈(めまい)がして倒れそうになったが、桃蘭がその体をしっかり支えてくれた。


 次に桃蘭は、大巫女を激しく(にら)んだ。


「神殿の鉄の掟まで破って、大巫女様…貴方が王妃に全て告げたのですか?」


 大巫女は静かに頷いた。


 彼女はもともと菫麗(とうれい)に取り込まれていたのかもしれないが、その本性をわかっていて決まりを破った。


 菫麗(とうれい)がその予言を知ったら、王弟達の子を生かしておかない。そうわかっていながら、有益な情報を与えることで、王妃という絶対的な権力を味方にした。


「桃蘭、私達は神殿の巫女だけれど、国のための巫女なのよ。私達は神に仕えているのではない、人に仕えている。どうしたら生き残れるか、誰に仕えるべきか自分で考えて動くしかないの。あの人は神力も強く素晴らしい人だったけれど、正しく清すぎた。あの人の抱える正義のせいで、神殿は潰れる所ったのよ。王宮という場には向かない人だった」


 だから、前大巫女を死に追いやったなど信じられない。

 

 咄嗟(とっさ)に大巫女へ飛びかかろうとした桃蘭を次は星華が抱きしめて止める。桃蘭がこんなに怒りを(あら)わにしているのは初めて見た。


 そんな桃蘭を見て大巫女は一瞬だけ表情を歪めたが、すぐに冷徹な瞳へと戻る。


 星華も前大巫女を罵倒(ばとう)する言葉は許せないが、彼女達にはまだ聞かなければいけないことがある。必死に桃蘭を抑え、彼女らの恐ろしい言葉の続きを待つ。


「そうでもないわ。前大巫女には、してやられたのも。前大巫女と王弟夫婦は手を組み、私達王族を騙したのよ。二人の演技は素晴らしいものだったわ。王弟の子が亡くなったから、高らかに夜空を舞うのは清心だと安心したけれど、我が子を亡くしたと嘆く星奏を見て同情していたのに。本当に亡くなっていたのは、星奏の姉の子だった」


 心から悲しんでいるように眉を寄せた後、菫麗はにやりと微笑んだ。


 その言葉が、星華の心に打撃を与えることをわかって口にしている。星華は震えながら唇を噛みしめ、菫麗を睨んだ。目頭が熱くなるが、この人に涙は見せたくない。


 星華は記憶を失くす以前から、一度も両親が実の両親だと思って疑わなかった。王弟夫人である星奏が可愛がってくれるのは、母の妹だから。


 実の子のように愛してくれるのは、生まれたばかりの我が子を失ってしまったからだと、幼き星華も妙に納得していた。


 しかし、星奏が亡くなる前の記憶が戻り、悲しい真実を思い出してしまった。


『星華…貴方は、私の大切な…星』


 星奏が命がけで星華を守ったのは、あんなに慈しんでくれたのは、星華は彼女が生んだ子だったからだ。受け入れるのには、時間がかかった。


 前大巫女から全ての事情を託されていた桃蘭から、両親の実の子は早産で亡くなってしまったと聞いた。ちょうど恐ろしい予言が分かった後だった。


 両親は悲しみに暮れ、子の死を(おおやけ)にせず、隠し続けていた。そんな両親の元へ、星奏たちは星華を預けた。それから両親たちは星華を実の子として、誰もが(うらや)むほどの愛を注いだ。


「なぜ、そこまでして師匠たちが星華を守ったか、王妃ならわかるはず。天命を無視した龍は国を破滅へと導いてしまう。その破滅を止めれるのは、同じ時に生まれた龍である星華しかいないからよ」


「…だまりなさい!」


 そこで初めて菫麗が怒りを見せたが、すぐにその表情は戻る。小さく息をつくと、また余裕の笑みを張り付けた。菫の威圧にも、桃蘭はやめなかった。


「予言を知り、貴方は我が子の命が長くないということ、高らかに夜空を翔けるのは王弟の子だと悟ったはず。無事に王弟夫人の子が生まれていたら、貴方は確実に王宮の中で殺めていた。だから、王弟夫人たちは、愛する我が子を手放すしかなかった。その証拠に貴方は、運命に逆らい清心様の寿命を延ばし続けた」


 清心が表舞台にあまり出てこないのは、読書家で王座に関心がないためだと言われていた。清心が大人しい性格で書物を読むのが好きだったのは間違いないが、部屋に籠ってばかりだったのは病に侵され体が弱かったためだ。


 菫麗(とうれい)はそれを王にさえ隠し続けて来た。


 陽惺(ようせい)が皇守衛として調べていた行方不明者の事件の黒幕は、菫麗(とうれい)だったのだ。


 行方不明者に接点がないこと、失踪は各地で不定期におこことなどが理由で、捜査はすぐに打ち切られたと聞いた。行方不明者が龍涙の力を持っていたなど知られることもなかった。


 おそらく菫麗が手を回していたからだろうが、陽惺だけが諦めずに捜査を続けていた。


 そして、同じく王弟夫人である星奏も菫麗(とうれい)の悪事に気づき始めた。


 星奏は、病で突然亡くなった翔貴の母である禾妃(かひ)の死を怪しみ密かに調べていた。その中で、菫麗にたどり着き、同じく彼女を調べていた陽惺と手を組んでいたのだ。星奏は陽惺をただ利用するのではなく心から信頼し、星華の秘密も打ち明けていた。

 

「陽惺お兄ちゃんと、王弟夫人は、貴方が禾妃を死に追いやり、息子のために多くの人を死に追いやっていることを知った。だから、貴方は二人を…」


「星奏は大人しい顔をして大胆なことをするから驚いたわ。まあ、そのおかげで貴方に特別な力があることを知った。まさかこんなに近くに龍涙の力を持つものがいるとは驚いたわ。でも、あまりにできすぎた話でしょう。貴方のことを調べるうちに、貴方が星奏の実の子だとたどり着いた。星奏が貴方を可愛がるのは姉の子だからだと思っていたけれど、調べるうちに全てが繋がったわ。まさか…死んだことにして、姉の子として生かしていたとは…」


 菫麗は恨めしそうに、星華を見て目を細めた。


 目の前の恐ろしい女性が、あの優しかった王妃と同一人物だとは思いたくないが、もう彼女は戻れない所まで自ら堕ちたのだ。


「清心様の寿命はとっくに終えていた。なのに貴方は清心様が発作を起こすたびに、各地から龍涙の力を持つ者を誘拐し、息子の犠牲にしていた。命なくなるまで、清心様に力を注がせてね。貴方のことだから、家族を人質にでもとって脅していたのでしょう」


 恐ろしい事実だった。桃蘭は、獣を見るような目で菫麗を見ながら言葉を続けた。


「それでも、逃れることができない本当の死に直面したはず。その度に、王妃は星華を攫おうとした。星華の正体を陛下たちに告げず、星華を殺さなかったのは、特別な力が龍涙の力だとわかったから。星華の力を息子に使わせるために生かすことにした。王弟夫人と陽惺が亡くなった日も、清心様に発作が起き、貴方達は星華を奪うことにした。それに気づいた王弟夫人と陽惺が星華を連れて逃げ、二人の命がけの行動で失敗に終わった。貴方達はその代り、自分達の悪事に気づいた二人を死に追いやった。そして、あの流星祭りの日も…」


 耳を塞ぎたくなるような話に、星華は必死に耐える。


 王弟夫人を亡くしてから、両親はより過保護になった。


 特別な時でなければ外出できず、必ず母か父がそばにいた。愛されていたため苦痛など思ったことがなかったが、まるで鳥籠の中の小さな鳥だった。


 今思えば、両親たちも真の黒幕に気づいていたのだろう。


 屋敷には隠し扉が準備され、父はいつだって戦えるよう剣を片時も離さずそばにおいていた。そこまでして、星華を守ろうとしてくれていたのだ。


「えぇ、あの日の流星祭りの日も、清心の容態が悪くなった。清心を失うかもしれないと心から恐ろしかったから、あの日のことは忘れないわ。しかし、星華が連れらてくることはなかったから…大巫女に責任をとってもらったのよ」


「酷すぎるわ…!」


 叫ぶ桃蘭を見て、菫麗は嬉しそうにふっと微笑んだ。星華はもはや失望した目を彼女に向けることしかできなかった。


「親は我が子のためなら、何だってできるものよ。星華だってよくわかるでしょう。貴方の両親は実の子でもない貴方のために命を落とした」


「やめて…」


「血の繋がりのない子のために、夫婦共々命を落とすなんて本当に感心するわ」


 これが菫麗のやり口だ。彼女はわかっていて、相手が最も傷つく言葉を浴びせている。そうやって多くの人の心を追い込み、命まで奪ってきた。


 だから、泣いてなどいけない。そう理解はしていても心は傷つき、込み上げてくる涙を止めることができなかった。両親のことを思うと、胸が詰まって息をするのも苦しくなる。


「この話は知らないだろうから、教えてあげる。両親を亡くし貴女をどうするべきか、私は陛下に進言した。王弟は貴女が実の子と気づかれないように、距離をとっていたから、貴方を手のうちに入れる言い機会だと思ったわ。私が後見人になると申し出たけど、王弟が貴方を藍家に戻した。でも、そのせいで貴方は藍家で(ののし)られ、使用人以下の生活を送ることになった。実の親からの仕打ちはどうだった?」


 菫麗は笑いながら、可笑しそうに肩を(すく)めた。


「貴方に、両親と王弟を馬鹿にする資格などないわ」


 星奏が生きていた頃は優しい眼差しを向けてくれていた王弟が、なぜあんなにも冷たくなってしまったのか。


 藍家で酷い扱いをうける星華に目もくれなかった。本当は助けてほしくて堪らなかった。


 凛鳴や叔父たちは星華をとことんいじめていたが、その事実が知られぬように星華を閉じ込めることも多かった。


 そのため、藍家の情報を外に漏らさぬよう使用人たちも徹底していた。ある意味、藍家は良い隠れ(みの)になっていたのかもしれない。


 なぜ王弟が引き取ってくれなかったのが悲しんだこともあつたが、藍家に預けることが、魔の手から逃れさせるための方法だったのだ。今の今まで気づくこともなかった。


 燈惺との結婚もただの政略ではなく、星華を守るためだったのだと、王弟の想いをようやく理解した。王弟なりに、星華を守ろうとしてくれていたのだ。


 星華は右手で荒々しく涙をぬぐった。態度を変えた星華を見て、菫麗も異変を感じ取ったようだ。


「私に大口を叩く余裕があると?」


「えぇ。貴方には、私が必要なのでしょう。龍涙(りゅうるい)の者達をかき集めても、良くなるのは一瞬で、清心様の容態は悪くなる一方。今も…死の間近にいる。いや、もはや死にかけている。今までの悪事を隠し続けて来た慎重な貴方が、危険を冒してまで私が自らやって来るように仕向けた。卑怯な手を使いたくさんの人を傷つけてまで」


 菫麗は、春搖(しゅんよう)の燈惺への想いを利用していた。


 星華が王宮で、第一王子である薛飛(せつひ)に襲われたのは春搖の差し金だと思っていたが、それを提案したのはおそらく菫麗だ。その時に、星華の腕輪を確認させた。


 前大巫女の腕輪により、星華が龍涙の力を抑えていることに気づいた。その腕輪を外させるために、次は礼風を使い腕輪を壊して、星華の記憶を戻すように仕向けた。


 礼風が陽惺の死の真相を探っていることを知り、星華のせいで陽惺が亡くなったと告げ、彼女まで手の内にいれていた。


 相手を想う人の心を利用して、自分では手をくださない。


 王宮の中で、星華達の疑いの目が自分へ向かないように、星華を救ってくれたのもおそらく菫麗の策略だ。


 彼女はその人が何を求めているが、何に苦しんでいるのか、それを察知するのが上手い。何を言えば、どう動くのかもわかっている。


 その優しい言葉は、自分のためのものだと思って皆疑わない。彼女の言葉で踊らされ、操り人形にされていることにさえ気づかない。彼女はとても狡猾(こうかつ)だ。


「だからなに?貴方こそ、その力を使って陵燈惺の傷を治してきたでしょう。好きな人だけ救って、清心のことは救わないの?その力を平等に使うべきだと思わない?」


 菫麗の囁くような声が、心を(むしばん)んでいく。星華は目を閉じて、心を強く持つため大きく息を吐き出す。


 彼女の言葉に耳を貸してはだめだと、桃蘭から言い聞かせられてきた。


 星華は董麗を真っ直ぐ見据えた。


「貴方は、私を殺す機会なんら何度もあったはず。清心様に必要だから多くの命を犠牲にして、私を生かしておいたのでしょう」


 ならば、もうこの道しかない。


 星華は衣に隠しておいた短剣を出した。両手で持ち、切っ先を自分の左胸へ向ける。震える手を思い切り胸で突き刺そうとした時だった。


「させないわ!沈覚(しんかく)!」


 清心の従者である沈覚が風のような速さで、桃蘭の手を引いた。


「…桃蘭!」


 桃蘭は沈覚に捉えられ、細い首に短剣を向けられた。空気が一変する。


 沈覚は体格がとてもいい、どんなに桃蘭が暴れてもその太い腕から逃れることができない。


「貴方が自害したらこの娘の命はないわ。そして、私の言うことを聞き入れなかった時も。大丈夫。清心を救ってくれるだけでいいの。そしたら、貴方の愛しい陵燈惺にも手を出さないわ。周りを巻き込まれたくないから、こうして来たのでしょう」


 ゆっくりと菫麗は近づくと、震える星華の手から短剣を取り出し投げ捨てた。星華の耳元で諭すように言葉をつらつらと紡いでいく。


「っ……桃蘭…動いてはだめよ!」


 やめて、離して、と桃蘭は沈覚の腕の中で暴れるため、沈覚に向けられた短剣で桃蘭の細い首が赤く傷ついていく。


 今は沈覚が致命的な傷にならないよう調整しているようだが、菫麗からの命があれば彼は迷わず桃蘭の首を引きさくだろう。


「早くしないと、親友の首が血だらけよ」


 こんな状況でも、善人顔を崩さない菫麗に怒りだけが湧くが、星華に残された道はない。


 歯を食いしばり清心の方へ体を向ける。


 それを肯定と受け止めたのか、侍女の小燕(しょうえん)が星華の体を抑え込み清心の元へと連れていく。小柄な女性とは思えない強い力だった。


 寝台の前に来ると、小燕により次は腕を掴まれる。


「何かおかしか行動を起こしたら、桃蘭の命はないわ。その後、陵家も潰しに行く」


 背中に浴びせられる董麗からの非道な言葉に唇を噛みしめながら、星華は寝台に眠っている清心の顔を覗き込んだ。


 良く見ると、腕は絹紐(きぬひも)で寝台に括りつけられている。おそらく桃蘭の話していたことが正しいようだ。


「…ん…星華」


 このような状況でも、清心の顔は無邪気だった。それがとてつもなく胸を苦しくさせた。


「…清心様」


 苦し気に目覚めた清心に、星華は泣きはらした顔で微笑んだ。


 清心は顔を上げ、なぜここにいるのかと不思議そうに星華を見つめる。星華の姿に一瞬とても嬉しそうに頬を緩めたが、状況を把握したようで、今にも泣きそうな顔へと変わった。


 そのまま懇願(こんがん)するような視線を菫麗へ送った。


「母上…お願いです。もうやめてください。お願いです。もう嫌なのです」


 幼子のように清心はただただ泣きながら体を揺らしている。その姿はあまりにも(あわ)れで痛々しかった。

 

「清心、もう少しで楽になるから待ってね」


 我が子の願いも聞かず、菫麗は寝台のそばまで来ると清心の頭を優しく撫でる。清心が求めているのは、そんなものではないのに、息子の心を無視している。


「嫌なのです。特に…星華だけは…彼女だけは…」 


 その先を遮るように、菫麗が声を上げた。


「もう貴方を救えるのは、彼女しかないのよ。小燕お願い」


 主の言葉のまま、小燕(しょうえん)は星華の体を抑えた。掴んでいた星華の右手を清心へと近づけていく。


 星華は力を込めて抵抗するが、同じ女性だというのに全く力が敵わない。


 近づく星華の華奢(きゃしゃ)な手に、清心は今にも泣き出しそうな顔で首を横に振り続ける。


 もう少しで、清心の頬に手が触れそうな時だった。涙で濡れていた清心の目が変わった。


「うっ…うっ…!」


「清心…!」


 菫麗が駆け寄り触れようとした途端、清心はいびつな動きを起こし、ものすごい力で立ち上がった。寝台と結ばれていたはず絹紐(きぬひも)は、無残に引きちぎられる。


 もう目の輝きが違った。獣かのような鋭い光に、目つきは恐ろしいほど吊り上がっている。


 初めて見る清心の獣のような表情に、菫麗まで怯えていた。


 清心は、もはや人ではない声を上げて暴れ始めた。


 勢いよく桃蘭を放した沈覚が、暴れる清心を抑え込む。


 何度が絡み合った後、ようやく沈覚が清心を抑えこんだが、清心はその腕の中で暴れ続けている。大の大男である沈覚でも、今の清心を抑えるのはぎりぎりのようだ。


「…桃蘭、ごめんね…ごめんね…」

 

 同じく小燕から解放された星華は、すぐに桃蘭に駆け寄った。細い首には痛々しい赤い傷が無数に刻まれている。両手を取り立ち上がらせ、清心から離れた所に身を寄せた。


「私は平気よ。貴方もこんなに傷つけられて」


 星華の細い腕は、蚯蚓腫れのように赤く腫れあがっていたが、こんな傷大したことがない。


 桃蘭の傷をみて涙を流す星華を桃蘭は嬉しそうに抱きしめた。お互いの無事を確かめ合ったのも束の間で、清心の(うめ)き声はまだ響いている。


「王妃様、ここまで何人もの命を使ったのですか?清心様はもう人の道をそれてしまっている。本人の意思ではなく、貴方のせいで」


 さすがの菫麗も、息子の姿に茫然(ぼうぜん)としていた。桃蘭だけは、こうなる未来が見えていたのか冷静だった。


 星華と桃蘭は二人とも特別な力を持っているが、決して神ではない。使う人の気持ちで、その力は善にも悪にもなる。


 それは桃蘭から何度も言われていた言葉だ。それは受ける方も同じである。例え龍涙の力に救われたとしても相手は人だ。


 清心は本位でなくとも龍涙の力をむりやり吸い取り命を奪うことで、天命に逆らえない寿命を延ばして来た。たとえ体がもったとしても、そろそろ精神が限界のはずだと桃蘭は読んでいた。


「王妃様、もう全てが限界なのです」


「駄目よ。清心は王になるために生まれてきたの…。陛下に認められるために王座につかなければいけないの…」


 獣のような目で呻く息子を見ても、菫麗は呪文のようにそう呟き続けている。焦点が合っていなかった菫麗の目が、星華で止まった。彼女はまだ諦めていない。

 

 尻込みしながら後ろへ下がっていると、隠し扉が壊れる音が響いた。


 あまりに大きな音に振り向いたとき、強い力に手を引かれた。


 強引だが、どこが優しい。絶対離さないとばかりに腕を強く掴まれる。それは忘れる事のない愛しい感覚だった。


「貴方の所業は皇守衛に報告しました。皇守衛が陛下の所へ報告している頃でしょう。王妃様」


 彼は揺るぎない力で星華は抱き寄せ、怯むことなく王妃様と見据えてた。


 一見華奢(きゃしゃ)に見えるくせに、触れると筋肉質な胸の感覚に涙腺が壊れていく。


「燈惺なぜ…ここに?」


 もう会えないと覚悟して別れたはずの燈惺がここにいた。




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