星の追憶
幼いあの頃は両親から一心の愛を受け、王弟夫婦からも可愛がられ、幸せな毎日に自分の特別な力も当たり前のものだと思っていた。
『この力は絶対に使わないと約束して』
そう両親から何度も言い聞かせられてきたが、人を助ける力があるのに、なぜ使ってはいけないのかもわからなかった。
しかし、力を使い倒れる度に悲しむ両親の姿を見て、なぜだめなのか少しずつ理解していった。
それでも、どうしても助けてしまったのが雨衣とあの男の子だ。
星華は良く王弟夫人である伯母の元へ会いに行っていた。
産まれてすぐ我が子を亡くしてしまった星奏は、星華と会える日を心待ちにしてくれていた。あの頃はたまに会う王弟も、星華へ優しい眼差しを向けていた。
本来、新王が決まるとその兄弟たちは王宮の外に住むことになるが、星奏は王宮に住まわされていた。
王弟が謀反を起こさないように、伯母は人質として王宮に住まわされていたのだと、今ならわかる。
そのため王宮で暮らす星奏は、翔貴の母である禾妃ととても親しかった。その縁で、翔貴とも出会った。
そして、星奏の護衛であった陵陽惺も星華のことを妹のように可愛がってくれていた。
陽惺は恐ろしいと言われる皇守衛と思えないほど、海のように心が広く優しい人だった。まだ若いが武術の腕は確かで、整った顔立ちと温和な性格は女官たちの憧れの的だった。
星奏の住まいにも禾妃の麗香殿ほどではないが、人目を避けれる小さな中庭があり、陽惺は良くそこで星華の遊び相手になってくれた。
二人はなぜか気が合い、彼は幼き星華を見下すこともなく、今思えば他の人には言いにくい本心を星華には話していたのだと思う。
陽惺もまた、両親と王弟夫婦と翔貴だけが知る星華の秘密を知った一人だった。
そんな彼には兄妹がいて、中庭の花々に囲われながら弟と妹の話をしてくれた。
特に似ていないという弟のことを時には嬉しそうに、時には心配そうに教えてくれた。
「あいつは武術も俺より才能があり頭も良い。母親似で容姿も良い。両親の良い所を全て受け継いでる」
「貴方の弟は完璧なのね」
目をきらきらさせた星華に、陽惺は腕を組み、違うんだと笑顔を見せる。
「いや、あいつには一番大事な愛嬌がない。とてもいいやつなんだが、全く笑顔を見せない。星華みたいに笑ってくれたらいいのな」
「私みたいに?」
大きく首を傾げると、陽惺はおかしそうに豪快に笑った。そして、ごつごつした大きな手で星華の頭を撫でてくれた。
「あぁ、星華の笑顔は暗闇でも光り続ける星みたいだ。この華やかな王宮はとても華やかで光輝いて見えるが、本当は暗くてとても怖い場所だ。進むのが怖くなった時、君の笑顔を見ると進む勇気をもらえる。きっと星奏様も同じ気持ちだと思うよ」
まただ。このように陽惺は、たまにとても悲しそうな表情をする。
きっとこの人は、とても悲しいことを経験しているのだろうと子どもながらに感じていた。
「陽惺お兄ちゃんの弟に会ってみたい」
「きっといつか会えるよ」
いつも陽惺の話を聞きながら頭の中で、彼の弟がどんな男の子なのか想像してわくわくしては、そんな会話を繰り返していた。
ある日、星奏は調べたいことがあると、お忍びで都に出ていた帰りに藍家まで足を運んでくれた。
せっかくだから星華に髪飾りを選んであげたいと言ってくれて、星奏と共に街に出た。隣にはもちろん護衛で陽惺がついていた。
力のことがあるため、両親は中々街へ出してくれない。久しぶりの街見物に、星華はずっとはしゃいでいた。露店の髪飾りを見ていた時だった。
星華たちの元に、一人の老人が慌てながら陽惺を探しにやってきた。
「陽惺様!…ここにいましたか。泰惺様もおらず…どうしたらいいのか。燈惺様が…」
そうかけよって来たのは、陽惺の屋敷の使用人らしく、長い間探していたのか、息を切らせながら必死に言葉を紡いでいる。
陽惺の弟に何かがあったと、言うことだった。
止める星奏を振りきって、星華は血相を変えて屋敷へ向かう陽惺の後を追いかけた。
陽惺を探しに来た老人の使用人が星華を陵家まで連れて行ってくれた。
陵家はとても広く美しかったが、ゆっくり眺める余裕などなかった。外にでている陽惺の父と妹に、使用人たちが付き添っていると言うことで、老人の使用人が広い屋敷を忙しそうに行き来している。
空きっぱなしになっている部屋を覗くと、最初は美少女かと思うほど、漆黒の髪をした美しい男の子が寝台に横たわっていた。
その左胸には、弓矢が無惨にも刺さっていた。
こんな生々しい傷を直接見たのは初めてで、星華は悲鳴を堪えるために両手で口を抑える。
「鍛錬中に誤って、弓矢が燈惺様に刺さったということですが…」
「奴らの警告かもしれない…」
慌てふためく使用人のそばで、陽惺はそう小さく呟いた。
使用人と陽惺は、男の子の体を抑え弓矢を抜いた。あまりの痛々しさに星華は目を背ける。
使用人は血が止まらず布が足りないと急いで部屋を出ていく。
星華は足音を立てぬように、寝台へと近づいた。
男の子は意識を失っているようだ。近くで見ると見惚れてしまいそうなほど、その容姿は美しいものだったが、明らかに顔から血の気が引いて行っている。意識はないようだが、辛そうに眉を寄せている。
「痛そうね…」
傷だけではなく、険しい寝顔から心が痛そうだと思った。
星華は陽惺に知られないようにそっと腕輪を外す。そして、意識を集中して、傷口にそっと触れた。
「…星華!」
「しっ…起きちゃうわ。怪しまれないように血を止めただけだけれど、もう大丈夫よ」
何が起きたのか。
陽惺はすぐに理解し星華を諫めたが、星華は全く後悔していない。悪戯した子どものように笑うと、陽惺は大きく息を吐いた。
まだ何か言いたげな陽惺に背を向けて、男の子の枕元に立った。
彼は小さな呻き声を上げて、苦しそうに顔を歪めた。目覚めたようだが、まだぼんやりとしているようだ。
それでも、彼の瞳はとても綺麗で氷のように冷たかった。
なぜ、そんなに悲しそうなのか、苦しそうなのか、知りたくなった。
彼の心に触れてみたいと思ったが、龍涙の力を知られてはいけない。男の子が完全に目覚める前に、陵家を去ることにした。
ようやく追いついた星奏が、中央の庭で待っていてくれた。走って星奏の元まで向かったが、先ほどの治した傷の代償で体がよろける。もうすぐ熱も出てしまうだろう。
「…星華、大丈夫?」
「私がついていながら誠に申し訳ありません。どう償えばよいのか…」
陽惺は駆け寄ってくると、星奏に深く頭を下げた。龍涙の力を使わせてしまったことを酷く悔んでいた。
しかし、星華が勝手にやったことだと、星奏は陽惺を咎めることはなかった。
陵家の門を出ながら星奏を見上げた。
「伯母様、とても綺麗な子だった。でもね…すごく寂しそうだったの。いつか、あの子の笑顔を見てみたい」
嬉しそうに笑った星華を見て、星奏はおかしそうに吹き出した。
「あら、もしかしたら運命かもしれないわね」
それが燈惺の知ることがない、星華と燈惺の出会いだった。
それから陽惺の弟に会うことはなく、何かが変わり始めたのは、翔貴の母である禾妃が亡くなってからだ。
星華が王宮へ行く頻度もかなり減った。両親も前のように外出をさせてくれなくなり、翔貴ともあまり会えず藍家で母と過ごす毎日だった。
その日もつまらず、庭の花の面倒を見ていると、突然ずっと会いたかった星奏が現れた。
いつもの華やかな衣装ではなく、街にいても目立たないような衣を身に着けていた。その傍には、官服ではなく黒い衣装の陽惺もいた。
「星華…無事で良かった…」
星華の姿を見た途端に、星奏は大げさなほど安堵し、星華を抱きしめ何かを確認するように肩や背中をさする。
「伯母様…どうしたの?」
「今ここにいたら危ない。行きましょう」
星奏は美しい手巾を取り出して、目から下を隠すように星華の顔に巻いた。そのまま小さな手を掴み、陽惺とともに屋敷を出た。
二人は何も説明せずに、都の人混みの中を早足で進んで行く。二人が焦っていることだけは伝わり、星華の中の不安も膨らんでいく。
幼き星華は人にぶつからないように、二人についていくのに必死だった。
「あの人のところさえへいけば…」
「…追手が来ています」
陽惺は冷静に周りを見渡しながら、星奏に静かに囁く。星奏は辺りを確認し、一軒の茶桜の個室に入った。
そのまま勢いよく星華を抱きしめる。あまりの力の強さに驚いたが、星奏が泣いていることに気づいて星華はその背中に腕を回した。こんな時でも、星奏からは花の美しい香りがする。
「こんな目に合わせて…ごめんなさい。最後に…貴方に会えて良かった」
「伯母様、最後だなんて…何を言っているの…」
咄嗟に離れて星奏を見上げると、星華と良く似た顔で優しく微笑んだ。
「星華…貴方は、私の大切な…」
その先は、涙で言葉になっていなかった。
そして、星奏は立ち上がると、陽惺に星華の手を握らせる。絶対に離さないようにと、念押しをすると入口へと向かった。
「陽惺、この子をお願い…。貴方に、この子も証拠も全て託すわ。今まで…ありがとう」
「…星奏様…、わかりました」
「…伯母様!行かないで」
星奏は一人で部屋を出て行った。
このまま行ってしまったら、もう会えなくなっしまう。追いかけようとした星華の体を陽惺は必死に抑えていた。
離してと暴れたが、陽惺が泣いていることに気づき星華は大人しくなった。
陽惺は大丈夫だと泣き顔で微笑むと、星華との手を強く握り直し、茶桜の裏口から外へと出る。
二人で都の中を進み続けたが、どこに行くにも追手が来ているようで、少し進んでは隠れての繰り返してわ、目的地まで全然辿り着けなかった。もう日が暮れ始めていた。
幼き星華には、体力と気力の限界が来ていた。
そんな星華を見て、陽惺はずっと握り続けていた手を離した。そこは貧民街で、薄暗く無人の家も多く立ち並んでいた。
陽惺は星華を抱えると、人気がない家の古びた広い棚の中に星華を隠した。
「あの方の発作が始まってしまった。あの方も…相当焦っている。今を耐えしのげば、諦めるはずだ。星華、ここで待っていてほしい。何があっても出て来てはだめだ」
このまま陽惺とも離れてしまうのか。星華は陽惺の腕を強く掴んだ。
一人で待つなど怖くてたまらない。恐怖で泣き出しそうだったが、陽惺がどんなに強くとも星華を守りながら戦うのは無理だ。大丈夫だと、震えながら何度も大きく頷く。
「星華は良い子だな。必ず戻るから。待っていてくれ」
陽惺は力強く言葉を残し、敵を巻くために自ら危険の中へ向かっていった。
何刻も震えながらそこで待っていたが、陽惺は迎えに来ず、もう深夜になっていた。
あまりに遅すぎると、星華は棚の中から抜け出した。窓から差し込む月明かりだけが頼りで、あまりの暗さに歩くたびに何かにぶつかる。
そして、用心しながら家の外に出た時、体を引きずるように向かっている陽惺がいた。お腹を辛そうに抱えている。
その衣は血だらけで、星華は大泣きしながら陽惺の体を支えた。
「陽惺お兄ちゃん…!ごめんね…うっ…私のせいで…」
「星華の…せいではないよ。泣かないでくれ」
涙でぐちゃぐちゃの星華の顔を見て、陽惺はこんなときにもふっと笑みを零す。
笑っている場合ではない、星華は陽惺の体を必死に支えながら隠れ家の中へと入った。
「…いっ……」
陽惺は床に勢いよく横たわった途端、大きな呻き声をあげた。笑っていたのが不思議なほど、血が溢れてだしていた。
星華は震える手で衣をはぎ取り傷口に触れるが、両手が恐ろしいほど血で真っ赤に染まる。
「いやぁ…いや…。陽惺、生きて…」
「…大丈夫だから、その力を使ってはだめだ…」
腕輪をとろうとした星華の手を陽惺が止める。
「いや…私が助ける…!」
「だめだ…!」
陽惺も星華も同時に水晶珠の腕輪を引っ張った。
これは王宮の大巫女が力を抑えるために用意してくれた特別なものだが、今はその腕輪を外すしか陽惺を救う道がない。
星華も力の限り腕輪を外そうとしたため、嫌な音が響いた。腕輪の紐が切れ、水晶珠がばらばらになり、あちこちに散らばっていった。
星華は持っている力全てを使い、陽惺の傷を治した。相当の傷を負っていたようで、星華に襲いかかる痛みもいつもと違う。
すぐにその代償がやってきて、意識がなくなった。
重たい瞼を開けると、陽惺の背中の上だった。彼におんぶされていた。
体に全く力が入らず、その大きな背中に全てを預ける。人気がない真っ暗な夜道を陽惺はゆっくりと進んでいた。
「力を使わせてすまない。君の秘密を知った時、絶対に使わせないと誓ったのに…」
「私のせいでこんな傷、おったんだもの…」
陽惺は顔だけ振りかえり、星華と目を合わせる。とても切なげに目を細めると、満天の星空を見上げた。
「星華…どうか君を守ってくる人が現れますように。俺達の姫…」
なんでせっかく傷を治したのに、またそんなことを言うのか。
本当はもっと話したいことがたくさんあるのに、また少しずつ意識が薄くなっていく。
「これだけは覚えていてほしい。あの方たちが狙っているのは君と悪事の証拠だ。もしも俺に何かあったら、俺の大事なものを星華…君に託す。星が手に届く場所だ」
相変わらず胸が震えるほど優しい声だった。それが陽惺との最後の記憶だ。
次に目が覚めた時は、藍家の屋敷にいた。星華は数日眠っていたようで両親が心配そうに傍についてくれていたが、星華は陽惺と伯母のことしか頭になかった。
「星華…どこに行くの…」
「陽惺……陽惺…」
布団をはぎ取り部屋を飛びだした。驚く両親を残して、街の中へ駆け出していく。
女の子が一人で駆けだしている様子に街の者たちは不思議そうに目を向けていたが、決して足を止めなかった。
あの時、陵家に向かった道を必死に思い出して進み続ける。
陵家に近づくと明らかに様子がおかしかった。陵家を囲むように人だかりができており、皆その表情は暗いものだった。
正門から、ずらずらと多くの人が出て来た。皆、喪服の際に着る白の正装を身に着けていた。一番恐れていたことに必死に動かしていた足が止まる。
知ってしまうことが怖い。
まるで足が石になってしまったかのように恐怖で動かなくなる。嘘であってほしいと、心の中で何度も繰り返す。
陵家から出て来た者たちは、泣いているか、辛そうに顔を歪めていた。そして、使用人と思われる人たちが立派な棺桶を抱えている。
「まさか…」
その棺桶のそばには、陽惺の弟と妹がいた。妹はまだ幼く喚くように泣き叫んでいた。
弟だけは涙を零さずに、耐えるようにじっと地面を見つめていた。
悲しいほど冷たい瞳をしていたが、兄の死に必死に耐えているその姿はあまりに痛々しく苦しくて堪らなかった。
笑っている姿を見たかったなのに、星華が彼から大事な人を奪い、こんなにも悲しい顔をさせてしまった。
陽惺が亡くなってしまった。
星華は集まっていた野次馬達の中で、声を漏らしながら涙を零し続けた。泣きすぎて息をするのも苦しくて、自分の胸を何度も叩く。
「ごめん…なさいっ…。うっ…ごめんなさい…」
戻ることができない過去に、体の力が抜ける。立ち崩れるように地面に両膝をついた。
陽惺の太陽のような笑顔が、記憶の中で鮮明に繰り返される。生きてほしかった…守ったつもりだった。
私のせいだ。星奏も、陽惺も、自分のせいで命を亡くした。
どうか陽惺の弟が、いつか心から笑える日が…きますように。
そんなことを想う資格はないが、願わずにはいられなかった。
頭が割れる様な痛みが襲って来て、星華は逃げるように全ての罪を忘れてしまった。
その後、記憶を亡くした星華は、星奏が事故死したと聞き、自分の力のことめた、陽惺の存在さえ全て忘れてしまっていた。




