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星は王宮へ 二

 

 目の前に広がる幻想的な庭に、星華は声を上げて見惚れてしまった。


 中央には透き通るような美しい池があり、その池の形は雄々(おお)しい龍を表わしている。


 龍池(りゅういけ)の周りには、雲を思わせる白い花々が植えられ、この池は空を(かけ)る龍を表わしている。まさか噂の龍池を見れるとは思っていなかった。


 龍秘庭(りゅうひてい)と呼ばれる王族のための特別な庭園でお茶会は開かれた。


「あんなに小さかった娘がこんなにも美しく成長したとは、星奏(せいそう)も喜ばしいだろう。そして、何より陵家の夫婦仲が良いのが素晴らしい」


 上座に君臨しているこの国の王、龍慧祥(りゅうけいしょう)は、挨拶を終えた星華を見て穏やかに微笑んだ。


 王だけが許される金色の衣と龍の王冠(おうかん)神々(こうごう)しい。その顔の作りは、翔貴(しょうき)と良く似ていた。


 整った容姿と(あふ)れでる品の中に、(かしこ)まりたくなるような王としての威厳(いげん)もある。しかし、衣の上から見てわかるほどその体は()せ細り、顔色も悪かった。


 寵妃(ちょうひ)であった翔貴の母を亡くしてから、王の体調が(かんば)しくないという噂は確からしい。


 その隣で美しい笑みを浮かべているのが、王妃の宗菫麗(しゅうとうれい)だ。


 金の刺繍(ししゅう)が入った美しい衣に、まとめられた黒髪を飾る龍の(かんざし)は王妃の(あかし)だ。(あざ)やかな衣装だが、しっかりと気品がある。


 翔貴の母は絶世の美人だったが、王妃はどちらかというと童顔でとても可愛らしい容姿だった。四十代とは思えない若さと、穏やかな顔つきで(にじ)みでる人の良さがあった。


 そして、ようやく会いたかった人がいた。


 王弟である龍慧秀(りゅうけいしゅう)は、王妃の反対側に座っていた。


 (やなぎ)色の地味な衣だが、その端整な顔立ちと背筋をぴんと伸ばした姿は美しさがあり、不思議な魅力を持っていた。


 王と良く似ているが、色素が薄い髪色のせいか、王とそう歳が離れてはいないはずだが若々しい。凛とした貫禄(かんろく)もある。


 うっすらと残る記憶では、星華の母の妹である愛しい妻へ優しい笑みを浮かべていた気がするが、目の前の王弟は微笑んでいても、どこか冷たさがある。


 まるで星華を視界に入れないようにしているかのように、目が合わない。


 繰り広げられる会話に星華は笑みを張り付けながら、王族と共にお茶を(すす)る。


 高級な(はす)の花びらを浮かべたお茶は、緊張で味がしない。隣で無表情を浮かべている燈惺が(うらや)ましい。


 もちろん翔貴も同席し、不安げな星華に目を合わせると、勇気づけるように頷いてくれる。


 その度に燈惺からの強い視線を感じ隣を見上げるが、燈惺は何事もなかったようにお茶を(すす)っている。


 茶会の内容は簡素なもので、参加者も数人に(しぼ)られていた。


 王族との会話に、星華は気が気ではなかったが、翔貴と燈惺の助けもあり和やかに進んだ。この場に春搖がいなかったというのも大きいだろう。


 ようやく茶会が終わった時、予想外な出来事が起こった。燈惺と翔貴が任務の話で王に呼ばれたのだ。


 二人は星華が一人になることを恐れていた。星華は二人に向かって大丈夫だと頷いてみせる。


 王弟を視線で追い燈惺を見ると、彼に伝わったようだ。燈惺は頷き返し、王の元へ向かった。


 何のために自分を陵家に嫁がせたのか、王弟の考えが聞きたい。燈惺には、王弟と話したいと相談していた。


 龍秘庭(りゅうひてい)を出て、王弟の後をすぐに追ったつもりだが、考えが甘かったようだ。王弟の姿は見当たらなかった。


 血の繋がりがなくとも妻の姪だと言うのに、一言もかけてくれなかった。まして、燈惺と星華を結ばせたのは王弟だ。


 今までも、王弟の屋敷に会いたいと駆け寄っても、何かと理由をつけられ会うことが叶わなかった。


 やはり、王弟に避けられている。


 そう思うと大きな悲しさと不安に襲われるが、不安を(ぬぐ)うように顔を上げる。


 王弟と会えないなら長居は無用だ。燈惺との待ち合わせ場所へと向かう。


「…星華!」


 その途中で親しげに名を呼ばれ、とっさに振り返る。


「…殿下」


 嬉しそうに駆け寄ってくる二人の少年に、深く頭を下げた。


 一人は星華と同じ歳の第三王子である龍清心(りゅうせいしん)


 もう一人はまだ十三歳の第四王子の龍諒貴(りゅうりょうき)


 清心(せいしん)は可愛らしい容姿で母である王妃菫麗(とうれい)に良く似ており中性的で、諒貴(りょうき)は母親が同じである翔貴に良く似ており凛々(りり)しいがまだ幼さが残っていて可愛らしい。 


 二人の後ろに(ひか)えているのは護衛のようで、燈惺達より年上のようだ。


 焼けた肌と(たくま)しい体つきが印象的で、清心たちと距離を保ち見守っているようだった。


 清心(せいしん)とは、翔貴の屋敷で数回会ったことがある。


 初めて出会った時、星華は清心が王子と知らず気さくに会話を交わしてしまい、その後王子と知り驚いた。それから、良く(なつ)いてくれている。


 翔貴はなぜか諒貴(りょうき)と全く会わせてくれなかっため、 諒貴(りょうき)とは、残っている記憶では初めて会う。


 王妃の息子である清心(せいしん)は一番王座に近い存在だが、あまり表舞台に出てこないと有名だ。


 本人は王座に無頓着(むとんちゃく)のようで、書物を読むことが好きな心優しい少年だ。


 王宮の奥に(こも)っていることが多いため、王妃も息子の性格を理解し、政務をこなしている翔貴の方を後押ししているほどだ。


 生まれつき体が弱い諒貴(りょうき)のことも、異母兄弟でありながら良く面倒を見ていると聞いている。


「星華が来ていると聞いて、こっそり会いに来たんだ。諒貴(りょうき)も星華に会ってみたいとうるさくてね」


「私も殿下達にお会いできて嬉しいです」


 翔貴からも、清心が星華のことを良く気にかけていると聞いていた。


「陵燈惺との婚姻のこと、聞いているよ。もう会えないと思っていたから、今日は本当に嬉しいんだ。今までのように清心と呼んでくれ」


「はい、清心様」


 事情を話すと、清心(せいしん)諒貴(りょうき)が燈惺との待ち合わせ場所まで連れて行ってくれることになった。


 王子達といた方が、一人で王宮を彷徨(さまよう)よりも安心だと思いその言葉に甘えることにした。


 途中の有名な(はす)池を共に眺めている時、王子達の顔色が変わった。

 

「殿下達、ずいぶんと楽しそうですね」


 甲高(かんだか)い声が耳に触る。


 たくさんの女官達を連れだってきたのは、おそらく王の側室である(うん)妃だ。


 目を引く美しさではあるが、品というより派手さが目だつ。その隣には、華やかな衣に包まれた春搖(しゅんよう)がいる。


 (うん)妃は、第一王子と春搖(しゅんよう)の母親で、王の臣下(しんか)の中でも絶大な権力を持つ雲家の出で、目に余る行動が多いと聞く。


 雲家は王に圧力をかけ、雲家に有利な人事や政治を行っている。それに比べ、王妃は野望を持つことなく王に忠実で、雲家に悩む王を手助けてしている。


 王宮に無知な星華は、翔貴と燈惺からそう説明を受けて来た。


「陵燈惺の妻が来るというのに私と春搖(しゅんよう)は茶会に呼ばれず、その妻も挨拶に来ないなんて()められたものね。うちの春搖には、挨拶に来る義務があるでしょう?」


 重たそうな装飾品を頭や腕につけ、意地悪そうに微笑む(うん)妃のそばで、春搖はすました顔で母の腕を組んでいる。


「雲妃様、公主様。ご挨拶が遅れ申し訳ありません。ご無礼をお許しください」


 淡々と頭を下げると、(うん)妃は春搖(しゅんよう)を引き連れ目の前まで来た。星華を上から下まで()め回すように眺めた後、ふっと鼻で笑う。


「春搖の夫の座を捨て、こんな女を選ぶなんてね」


 雲妃はそう吐き捨てると、つまらなそうに星華を見た後、その場から離れて行った。


 敵意むき出しの雲妃がいなくなり、ほっと息をつくがまだ春搖が残っている。


 清心(せいしん)諒貴(りょうき)が守るように前に立ってくれた。


「星華に話があるからどけなさい」


「…何でしょうか?」


 気を強く持って一歩前に立つと、春搖は星華の耳元に濃い(べに)が美しい口元を寄せた。


「燈惺は毎日、私といるのよ」


「えっ…」


 春搖は勝ち誇った笑顔を向ける。


「私の護衛に当たっているの。命がけで守って貰えて幸せだわ」


 表情が強張(こわば)り、上手く笑えない。


 ここ最近、燈惺は王宮へ上がっている時間の方が多く、確かにとても忙しそうだったが、春搖の護衛とは初耳だった。


「妻なのに知らないなんて変ね」


「きゃっ…」


 にやりとした笑みに、嫌な予感を感じたが遅かった。


 春搖は蓮池に向かって、星華の体を思い切り突き飛ばした。突然のことに足を食いしばることもできない。


「…星華!」


 大きな音をたて、お尻から池に落ちた。


 鋭い冷たさに襲われる。幸い浅い池だっため(おぼ)れることはなかったが、衣がびしょ濡れだ。


 周りの女官たちは、春搖と一緒になり意地悪にくすくす笑う。


「あら、勝手に(すべ)ってどうしたのかしら?星華が自分から池に落ちたのよ。でしょう?」


 その問いに、女官たちは大きく頷く。


「…お前達、罰を受けたいのか?」


 清心(せいしん)だけが女官たちを鋭い視線で牽制(けんせい)し、自分が濡れるのも構わず星華に手を伸ばしてくれた。


「…殿下まで濡れます」


「私は構わない。君の方が大事だ」


 星華が手をとらないと思ったのか、清心は自ら池の中に入り星華の腕を力強く握る。


 清心の美しい衣も台無しだ。共にびしょ濡れになり、池から上がった。


「…行こう」


 と清心(せいしん)春搖(しゅんよう)から離れようとしたが、女官たちが立ちはだかり進ませてくれない。何か(たくら)みがあるようだ。


清心(せいしん)は早く着替えてきなさい。まさか、同じ場所で着替えるわけは行かないでしょう。星華は私が責任をもって、着替えさせるわ」


「姉上に任せれない!」


「私に逆らう気?」


 清心(せいしん)春搖(しゅんよう)は、激しく睨みあう。


 星華は強く握られている清心(せいしん)の手をそっと離す。何か言いたげに見つめられたが、大丈夫だと目で訴えながら頭を下げた。


「殿下、助けていただき感謝します」


 このまま巻き込むわけにはいかない。狙いは星華だ。


 王子たちを突き放すように背を向け、自ら春搖(しゅんよう)の元へ向かった。


 春搖(しゅんよう)の女官により連れられた部屋は、特に華やかな建物だった。通されたのは客室のようで、豪華な調度品ばかりが置いてある。


 準備されていたのは、令嬢たちが着ているような薄桃色の衣だった。


 燈惺が用意してくれた衣は水浸しで、池の泥でも汚れてしまっている。王宮をそのまま歩くこともできず、仕方なく衣を脱いだ。


 すると、その途中で乱入者がやってきた。


 上だけ下着姿だったため、すぐに胸もとを衣で隠したが、乱入者は春搖(しゅんよう)だった。


「そんなに(おび)えないで。靴を持ってきてあげただけよ」


 その言葉通り、春搖はそばに靴を置いた。その時、左腕に視線を感じた。


 腕輪を見ている?


 星華はさりげなく体を隠す振りをして、腕輪が見えないように左腕を移動した。


 春搖は何事もなかったように扉へ向かったが、ざとらしく振り返った。


「そういえば、どうせ貴方はこの話も知らないのでしょう?」


「何の…ことですか?」


 聞きたくなどなかったが、春搖はその話を聞かせたくて、こんな手の込んだ企みを行ったのだ。


「燈惺には忘れられない女子がいるって話」


 良いことを教えたかのように春搖は微笑み、星華の反応を楽しんでいる。


 燈惺が忘れられない女性。はっきりわかるのは、星華ではないということだけ。


「早く着替えた方が良いわ」


 春搖は星華の反応に満足したようですぐに出て行ったが、嫌な予感に素早く衣を羽織る。


 予感通り外がとても騒がしくなり、また扉が開いたと思うと人が入ってきた。


「お前が、藍星華か?」


 片手には酒、もう片手には妓女(ぎじょ)のような女を連れた青年だった。


 目が痛くなるほど派手な衣を着ているが、全く似合っていない。


 派手な顔ではあるが、吊り上がった(うつ)ろな目とその振る舞いは、王宮の者とは思えない。彼が何者かは予想がついた。


 雲妃の息子で第一王子である龍薛飛(せつひ)だ。


 第一王子でありながら甘やかされ、やりたい放題、毎日女遊びと酒に(おぼ)れ身勝手な性格と聞いていたが、想像以上で星華は(あき)れてしまった。


「陵燈惺の妻、藍星華と申します」


 薛飛は頬を真っ赤に火照らせ、昼間から酔っている。皆が第二王子の翔貴の期待するのも仕方ない醜態(しゅうたい)だ。


 ふらふらと近寄られ、星華は壁に追い詰められる。


 (うつ)ろな目でじっと見つめられ、背中が悪寒(おかん)でぞっとした。


 薛飛はにやりと笑うと、連れていた女を部屋から出した。


 縮こまる星華へと距離を詰めてくる。薛飛が息を吐くたびに酒臭い。


「ほう…、お前美しいな。王宮の女は、私の女と言って過言ではない。味見してやろう」


 そう言いながら、頭に手を置かれた。理不尽(りふじん)な理由と、撫で回すような手つきに怒りが湧いてくる。


「…おやめください」


 強気な態度でその手をすり抜けると、薛飛は豹変(ひょうへん)した。


「逃げるな!」


 雑に星華の手をとると、思い切り壁に押し付けた。左肩が勢いよく壁にあたり、激痛が走る。


「皆、俺のことを馬鹿しやがって!」


「馬鹿になど…」


 薛飛は片手で星華の口を押さえる。抵抗しようと体を動かすが、力が強く逃げ出すことができない。


「美しい首筋だ…」


 顔の近くで(ささや)かれ、酒臭さに具合が悪くなる。近づいてくる薛飛の顔に、恐怖で体が震えた。


「…燈惺」


 そう(むな)しく夫を呼ぶが、口を押えられているため言葉にならない。


 無駄とわかっていても、この人の者になど絶対になりたくない。力の限り抵抗を続けていた時、勢いよく扉が開かれた。


「やめなさい!」


「…王妃様」


 王妃の登場に、薛飛(せつひ)はすぐに星華から離れる。


 穏やかな表情が嘘だったかのような厳しい表情で、王妃は薛飛を見据えている。その隣には、無表情の美しい侍女が仕えていた。


「どうか父上には…」


 薛飛は状況を理解したのか、恥ずかしげもなく(ひざま)ずいて王妃に許しを()うている。


「貴方が許しを請うのは私ではなく、この女子にです。臣下(しんか)の妻に手を出すなど…(おろか)者よ。このことは、陛下に報告します。早く目の前から消えなさい」


「藍星華、私が悪かった…どうか許しくれ」


 陛下と言う言葉に、薛飛は途端に態度を変える。より深く頭を下げると、逃げるように急いで部屋から出て行った。


 また、春搖(しゅんよう)に仕組まれた。おそらく薛飛も上手く()められたのだ。


 力が抜けて倒れそうになった体を菫麗(とうれい)が支えてくれた。


 星華たちがいた部屋は、薛飛に与えられた宮殿だったらしく、医務室へと連れて行かれた。


 来客用の寝台に座らされると、董麗(とうれい)は星華の背中を優しくさすってくれた。


「怖い想いをさせて…ごめんなさい」


「…王妃様」


 薛飛のしようとしていたことを思うとぞっとして、震えが止まらない。早く燈惺に会いたい。


「貴方をこんな目に合わせてしまうなんて…」


 董麗は自分のことのように親身になり、薛飛(せつひ)への怒りを隠さなかった。


「…王妃様はなぜ?」


(うん)妃に怪しい動きがないか、報告するように伝えていたのよ。あの人は、星奏(せいそう)のことも良く思っていなかったから、貴方にちょっかいを出すのではないかと心配だったけれど、こんなことになっているなんて…私の失態だわ」


「そんなこと…。助けていただいて…本当に感謝しています」


 董麗(とうれい)が来なければ、考えるだけでも恐ろしい目にあっていた。


「当たり前よ。実はね、私は貴方の伯母(おば)である星奏と親しかった。私と星奏は同じ時期に出産してね。お互いに支えあっていたのだけれど、星奏は生まれたばかりの男児を失くし、心から悲しみ、このまま命を絶ってしまうのではないかと思うほどだった。けれど、貴方の存在で元気を取り戻したの。だから、星奏の代わりに私に何かできないかとずっと思っていたの」


「…伯母様と親しかったのですね」


「えぇ、貴方はに星奏と良く似てる」


 董麗(とうれい)は懐かしそうに、星華を見つめる。


 伯母の星奏と、母の星鈴(せいれい)は性格が違えど容姿がとても似ていた。そのため、星奏(せいそう)とそっくりだと言われてきた。


 董麗は優しく微笑むと、慈しむように震える体を抱きしめてくれた。


 母が子を包むように、抱きしめられたのはいつぶりだろう。懐かしさと安心感で、涙が込み上げてきた。


「…星華!」


 清心(せいしん)と共に息を荒くして駆けつけたのは、燈惺と翔貴だった。


「…何があった?」


 董麗(とうれい)の腕で、涙ぐむ星華を見て二人ともただ事ではないと察したようだ。


 黙り込んだ星華を察し、董麗(とうれい)が代わりに説明してくれた。燈惺と翔貴の目が怒りで険しくなっていく。


 王妃が話し終わった途端、二人は同時に身を(ひるがえ)した。


「…駄目!」


 星華は駆けだして、二人の腕を掴んだ。今にも薛飛せつひの所へ殴り込みに行きそうだったからだ。


「…殿下でも許せない」


「そうだ…奴は星華を傷つけた!」


 必死に頭を横に振り、行っては駄目だと二人へ訴える。


「王妃様が救ってくれて…私は無事だったから大丈夫」


 必死に掴む星華の手が震えていることに気づき、二人とも勢いを失くしていく。


「二人の気持ちは良く分かるわ。私も薛飛(せつひ)の行動は許せないけれど、ここは冷静になるべきよ。陛下には私から話して、薛飛(せつひ)には罰を与える。それでどうかしら?」


 燈惺と翔貴は目を合わせ少し考えたあと、董麗(とうれい)へ深く頭を下げる。二人とも行きようのない怒りを鎮めるため、拳をぎゅっと握りしめていた。


 清心が二人を呼びに行ってくれたらしい。菫麗と清心にお礼をし、二人が去るのを見送った。


 董麗たちが去ったのを確認すると、燈惺はかがみ込み腰掛けている星華と目を合わせた。


「怖い思いさせてすまない…触れてもいいか?」


「…うん」


 しっかりと握ってほしい。自ら手を伸ばすと、燈惺はその手をしっかりと握り、もう片方の手でこぼれ落ちそうな星華の涙を(すく)う。


 優しい手つきに、もっと触れてほしくなる。


 薛飛に触れられるのはとても怖かったのに、燈惺に触れられると安心して胸が温かくなった。


 三人だけになったのを確認し、星華はおそらく春搖の企みだろうということは話した。


「貴方が選んでくれた衣が…駄目になってしまった。ごめんなさい」


「そんなことどうでもいい。卑怯(ひきょう)なやり方だ」


「あぁ、王妃が救ってくれたからよかったものの。春搖は賢い。兄上はもはや父上に見限られている。たとえ、春搖の企みだと話しても信じないだろう。罪全てを兄上に(なす)り付けるつもりだ」


 王宮がこんなに恐ろしい場所だとは想像以上だ。


「ここは怖い場所なのね…」


「帰ろう」


「きゃ…」


 燈惺は突然、軽々と星華を横抱きに抱き上げた。


「殿下、帰らせて頂きます」


「あぁ。…星華のことを頼む。兄上のことはこちらからも手を回す」


「頼みます」


「星華、今日はすまなかった。また会いに行く」


 翔貴は星華の頭を撫でようと手を伸ばしたが、燈惺はそれさえも許さなかった。さらりと星華を抱えたまま、身を(ひるがえ)し王宮の庭へ出た。


「燈惺…王宮の中で駄目だわ」


「気にするな」


「でも…貴方の立場もあるのに…」


「少しでも早く…ここを出たい」


 ふざけているわけでもなく燈惺は真面目だ。星華を傷つけた者がいる王宮にいたくないと、迷いなく正門へと進んで行く。


 私のために、ここまで怒ってくれている。星華は燈惺の首に手を回し、体を安定させた。自分からくっつき始めた星華を見て、燈惺は優しく目を細めた。


 正門をでて、輿(こし)に乗り込んだ。二人きりになった途端、燈惺は星華をそっと抱きしめる。


「危険な目に…合わせすまなかった。殿下は許せないことをしたのに、私では手出しできない」


「貴方は何も悪くないわ」


「しかし…、お前に他の男が触れたと思うだけで気が狂いそうだ」


 情熱的な目で真っすぐに見つめられる。吐息まじりに(ささ)かれ、星華の胸が熱くなる。この目をされた時、深く愛されている錯覚に(おちい)るが、燈惺は自分自身を強く責めているようだった。


「あ…、一つ怒っていることがあるわ」


 あまりに思い詰めている燈惺を見て、星華は話を変えた。


「何だ?」


「公主様の護衛のこと…私は何も聞いていなかったわ」


 聞いたのか、と燈惺は息を吐いた。燈惺は星華の頭を優しく撫でながら、難しい顔で視線を下げた。


「煩わせたくなかった…」


「それはわかっているけれど…」


 こんなこと問いつめる資格が自分にないことは分かっている。燈惺は任務を行っているだけなのに、やきもちを妬いている星華の方がおかしい。それでも、子供のように口を(ふく)らませた。


「私にとって、公主の護衛は命令されたから従っているだけのことで何も感じていなかった」


 そんな星華を見て、燈惺なりに安心させようとしてくれているようだ。


「しかし、公主がまたお前を傷つけた以上、公主を守らなければいけないのは不本意だ。…任務のため…やるしかないが…」


 そう言うと、燈惺は眉を(しか)め珍しく感情をだした。公主への嫌悪と怒りが見えた。


 この人は冷たいわけではない、真面目すぎて不器用なのだ。そう思うと、星華はふっと笑みが自然に溢れた。


「うん、わかってる。そんな貴方だから、私は好きなの」


 素直な思いだった。


 いつもの会話のように笑いながら、そう口にした。すると、燈惺は固まって切れ長な目を大きく見開いた。


 何か言ってくれるのを待っていたが、燈惺はぎゅっと唇を噛み締め、そのまま星華を強く抱きしめた。


 本当は、もう一つ聞きたかった。


 忘れらない女子がいるというのは本当なのかと。


 今も忘れていないのかと。星華のことはどう思っているのかと。本当は何よりも知りたい。


 でも、この胸から離れたくなくて、聞くことなどできなかった。


 輿(こし)にいる間ぎゅっと抱きしめられ続け、屋敷へと着いた。


 先に燈惺が輿から降りると、星華へと手を伸ばしてくれる。その手を掴むため左手を上げた時、腕に痛みが走った。

 

「いっ…」


「どうした?」


 痛む左腕を抑えると。地に足をついた途端に、燈惺は星華の左腕の(そで)を巻き上げた。


「壁に肩を打っただけよ。大丈夫」


 薛飛(せつひ)に迫られた時に、ぶつけてしまったようだ。


 すぐに(そで)を下ろそうとした時、燈惺が星華の左腕を強く握った。その視線は、両親の形見の腕輪を一点に見つめている。水晶珠か連なった腕輪だ。


「その腕輪は…」


 燈惺の声は、震え(かす)れていた。


「両親の…形見なの」


 普段は腕輪までしっかり隠してくれる袖が閉まる下着を身に着けていたが、王宮で準備されていたのは袖が短い下着のため、衣の袖を上げると簡単に腕輪が見えてしまった。


 燈惺は衣の胸元から小さな袋を取り出し、その中から小さな水晶玉が現れた。


「その水晶珠…、この腕輪と同じ…」


 星華の言葉に燈惺は小さく頷いた。燈惺も驚いているようで、茫然(ぼうぜん)と水晶珠を見つめている。


 水晶玉を胸元に直した燈惺の手は震えていた。


「その水晶珠は?」


 一体何のか?星華には全く分からない。


 燈惺は答える代わりに、勢いよく星華を抱きしめた。星華の肩に顔を(うず)めている。


 今日は何度、燈惺に抱きしめられたのだろうか。そう思うと表情が緩んだが、見上げた燈惺の表情を見て、そんな想いはすぐに消えた。


 彼のこんなに悲しそうな顔を初めて見た。あまりに悲しい表情に、星華はその背中に手を回し優しくさする。


 辛そうに目を(つむ)っている姿は、何かを失ってしまった子どものようだった。



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