星の口づけ
彩美花と言う白と黄色の花々に囲まれた詠星苑の中央で、星華は大きく背伸びした。
「…ようやく完成したわ」
庭の中央に設けた石造りの椅子に、睡月と雨衣はぐったりと座り込んでいる。ようやく詠星苑の庭の手入れが終わった。
「蓮承も手伝ってくれたし、感謝しないとね」
星華の蓮承という言葉に、睡月がにやりと笑う。
「雨衣は実際の所、蓮承のことどう思ってるの?」
「どうもなにも、昔助けたひ弱な男の子のことを…ようやく思いだしたくらいです」
「何年も思い続けるなんて一途で素敵だわ。蓮承は優しくて気遣いやさんだから、私も安心よ」
黒龍にいたという過去も含め、蓮承は雨衣の全てを受け入れている。雨衣の気持ちが大事だが、星華はこっそりと蓮承を応援していた。
「私は星華様のそばを離れません!」
「はいはい」
蓮承の初恋を進めるには、まだ早いようだ。星華は本気で嫌がり始めた雨衣を抱きしめ、よしよしと撫でてあげる。睡月は次に、星華へと意味ありげな視線を送る。
「星華こそ、自分はどうなのよ?」
「燈惺は最近…機嫌が悪くて、良く睨まれてる気がするの」
陵家に戻ってきてから、燈惺はとても優しくなった。しかし、出会った時と変わらず表情が読みとりにくく、やはり何を考えているかわからない時が多い。
燈惺の書斎での出来事を思い出して顔が赤く染まるが、すぐに我にかえり考え込んだ。
あの時のように突然近づいたと思ったら、冷たい言葉が返ってきたり、視線を逸らされたりする。でも、気づくと遠くから燈惺からの視線を良く感じるという日々だ。
助けを求め睡月を見ると、盛大にため息をつかれ逃げられた。
「どうかしら?」
その夕方、燈惺達を呼び完成した詠星苑の庭を披露した。
亡霊が出るという噂が嘘だったかのように、花々で明るくなり見違えた庭を見て使用人たちも喜んでくれた。予想以上の反応に星華は嬉しくてたまらなかったが、燈惺の表情だけは皆と違った。
笑顔が咲く庭をただじっと見つめている。
悲しんでいるわけでもなく、怒っているわけでもなく、喜んでもいない。ずっと視線で追っていたため目が合うと、燈惺は一瞬だけ柔らかく目を細めた。
夜になっても、星華はそわそわする気持ちを抑えることができず、一人で詠星苑の居室を出て庭へと降りる。先客がいた。
「眠れないのか?」
「燈惺こそ。なぜここに?」
「ようやく許可が下りたからな」
燈惺はにやりと口角を上げると、星華の元へ来る。夜着のまま出て来た星華を見て、薄着だと不満げに呟くと、自分の上衣を星華の肩にかけてくれた。
「ありがとう。実は貴方に見せたいものがあったの」
不思議そうに頭を傾げた燈惺の手を引いて、庭を回り居室の裏側へ向かう。
詠星苑は屋敷の一番端にあたるため、裏にあるのは塀だけだが、ここ一帯の塀だけには蔦が覆っていた。
良く見ると、塀の色が変わっている部分がある。そこをそっと押すと、扉になっていた。
「隠し扉か…」
「やっぱり貴方も知らなかったのね!」
扉の奥には細い道が続いていた。
灯籠で足元を照らしながら進んで行く。坂道になっており、険しい道の先には小さな庭園が広がっていた。
柵と竹で囲まれ高台になっているため、腰までの柵の下を眺めると街を一望できる。その反対側は竹で覆われ、密会にふさわしい場所となっていた。
その証拠に、真ん中には朱色の東屋が建っている。
「詠星苑はお母様の部屋だったのでしょう?」
「あぁ」
「お母様は、お父様に愛されていたのね」
東屋を眺めながらそう言うと、突然強く腕を掴まれ振り返る。燈惺は眉を寄せて、怒っているのが見てわかった。
「なぜ…そう思う?」
絞り出したような声だった。
星華はよくぞ聞いてくれたと嬉しそうに笑みを浮かべ、燈惺を東屋の椅子に座らせる。
これを教えたくて、彼を連れてきた。
中央に置かれた漆塗りの美しい台は、中央の部分だけ開けれる仕組みになっていた。中央を開くと、丸い玉が入っている。
美しい玉だったが、針で刺したような細かい穴が無数に開いている。燈惺は表情が読めない顔で玉を見つめていた。
星華が玉を取り出すとその中は空洞で、玉を取り出した場所には、蝋立てがある。星華は準備していた蝋燭を置いて火を灯し、玉を元の場所に戻した。
そして、灯りのために持ってきていた灯籠の火をそっと吹き消した。
その途端、東屋の天井には、玉の無数の穴から差し込む蝋燭の灯りで、暗闇の中美しい光景が広がっていた。
それは、満天の星空を表していた。
「見て!お母様は星が好きだったのでしょう。素敵なからくりだわ」
燈惺は言葉を失い、茫然と天井を見上げている。
「掃除をしているときにこの場所を見つけて、このからくりの仕組みもたまたま知ったの。大切な場所だと思って、誰にも話していない。きっと、お母様のために作られたのよ。天井に星空を作るなんて、お父様のお母様への愛がとても伝わるでしょう」
興奮気味に天井を見上げる星華と比べ、燈惺は冷静だった。ふっと鼻で笑うと、また出会った時のように冷たい顔をしていた。
「愛していたなど、ありえない。父は…詠星苑に全く近寄らかった。二人で会話をしているのも見たことないほどだ」
「そんな…」
この庭園を見つけた時、出会ったことのない燈惺の両親の仲睦まじい姿を想像した。今の話を聞いてもなお、星華は腑に落ちなかった。
「でも、椅子を見て!どちらも擦れてる。何度もここに訪れたという証よ」
燈惺を立ち上がらせて、二つの椅子を得意げに見せた。
台を囲むように置かれた四つの椅子のうち、隣合わせの二脚だけ、使い込んだことがわかるほど擦れていた。
黙り込んでしまった燈惺は、椅子にそっと触れて目を閉じた。
何かを思い出しているのか、燈惺は目を開けない。苦しそうな表情に、星華は大きな不安に襲われた。
いつも敵などいないと思わせるほど堂々としている彼が、今にも倒れそうなほど弱々しく見えた。
崩れ落ちそうな燈惺の腕を掴み、椅子に座らせる。すると、座ったままの燈惺から抱きしめられた。星華は立っているため、腰を抱きしめられる形になる。
縋るような仕草に驚きつつも、母を行かせないとする子どものようで愛らしくなり、お腹に寄せられた燈惺の頭を優しく撫でる。
燈惺はいがいにも気に入ったようで、大人しく頭を撫でられていた。
「母は…詠星苑の庭で亡くなった」
そして、一言そう言った。
「えっ…」
突然の事実に、星華は何も言えなかった。
「母は詠星苑にずっと閉じ込められ、父は母をいない者としていた。ある日、兄と私は黒龍のものが母に毒を渡したのを見た。母はその毒を飲んだ。母は殺されたのだと言っても、父は自死として扱い、母は孤独に耐えれず自害した哀れな女性と言われるようになった」
「ごめんなさい…私」
だから、詠星苑は亡霊が出ると誰も立ち寄らず、星華が住み始めた時、燈惺はあれほど怒ったのだ。
嵌められたことだとしても、燈惺の心を酷く傷つけた。今も、星華の憶測で燈惺の傷をえぐっている。
咄嗟に燈惺から離れようとしたが許されなかった。
逆に強く手を引かれ、星華は燈惺の膝の上に座らされる。逃げようとしても、燈惺の力が強く離してくれない。
自分の愚かさに泣きそうになっていると、燈惺は以外にも穏やかな顔で星華を見つめていた。とても優しい手つきで、星華の髪をそっと撫でる。
言うべきかどうか悩んだが、星華はもう一つ見つけた秘密を話すことにした。
「実は…私たちが入った場所だけが入口ではないの。もう一つ竹林にもここに辿り着くために整備された道があった。きっとお父様が使っていたのよ。どこに繋がるかは貴方が確かめてみて、真相がわかるかもしれない。何も知らずに…ごめんなさい」
燈惺は困惑を隠せない様子で、星華を凝視する。
この秘密の庭を見つけた時、愛の証を見つけたようで嬉しかった。だから、燈惺に知らせたかったが、何も知らされていない星華はいつも燈惺を傷つける結果に終わる。
「長い間、愛されなかった母を憐れみ、愛さなかった父を恨んできた」
瞳の奥に見える冷たさの理由がようやくわかった。それだけ、燈惺は母を想っていたのだ。
大きな悲しみと憎しみを抱え、彼は生きてきたのだ。星華にはその傷を大きくすることしかできない。
ごめんなさいと小さく呟いて、身体を離そうとしたが、また強く抱き寄せられた。
「しかし、二人は愛していたか…。お前がそう言うなら…そうかもしれないな」
燈惺は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。不思議と穏やかな声だった。
少しだけ身体を離して、その美しい瞳は真っ直ぐに星華だけを見つめる。
そして、燈惺は何かが吹っ切れたような顔で微笑んだ。
「貴方が心から笑った顔…初めて見た」
泣きたくなるほど嬉しかった。嬉しそうに笑った星華を見て、燈惺の目に熱が帯びる。
こんな目をする人だったのかと、熱い視線に胸の鼓動が速くなる。
まるで、愛する人を見るかのような目だ。
こんな目で見つめられると勘違いしてしまう。そう思うと同時に、自分以外にこの熱い視線を受けた人がいるかもしれないと思うと、胸が苦しくなった。
私はもう…この人を愛してしまった。
冷たい瞳の奥に触れたいと思っていた。
本当は燈惺に信じてほしいと願い始めた時点で、彼に惹かれていたが、ずっと認めるのが怖かった。
きっとまだ、星華が知らない燈惺の過去や悲しみがある。
燈惺が抱えている全てを知った時、星華はもうそばにいられないのだろう。
この人と離れたくない。でも、きっといつか終わりは来る。
蓋をしていた想いを認めた今、無性に泣きたくなった。
記憶に焼き付けるように、美しい顔を見つめる。吸い込まれるような切れ長な美しい瞳、すっと高い鼻、形の整った唇。
ゆっくりと美しい顔が近づいてくる。目を閉じると、口付けが落とされた。触れただけの優しい口づけだった。
閉じていた目を開くと、燈惺の視線と目が合う。
恥ずかしさで離れようとした時、頭に置かれている手に力が入ったのが分かった。すぐにまた口づけが襲って来て、その口づけは気遣うようにゆっくりと深くなっていく。
星華が燈惺の背中に腕を回すと、次第に燈惺の口づけは優しさを忘れていく。ついばむような深い口づけに変わっていた。
息が苦しくなってきた時、ようやく唇が離された。
嬉しさと切なさで、今にも涙が溢れそうな顔を見られたくない。顔を隠すように燈惺の肩に顔を埋めると、燈惺は星華の背中をしっかりと抱きしめてくれた。
その手があまりに優しくて、燈惺に見られないように涙を零した。




