星の帰り
幻華荘とのお別れは寂しいもので、緊張と不安を覚えたまま翔貴に見送られた。
雨衣はここ最近、仕事があると星華のそばを離れることが多く、代わりに迎えに来てくれたのは玄士だった。
嬉しい再会を果たし後、玄士が用意していた輿に乗るよう促され、ある場所へと連れていかれた。
大獄牢と名付けられたその場所は、都で罪を犯した者達が捕らえられている。立派な石造りの塀に囲まれ、多くの兵が見張っているその中を民達は知らない。
門の前で輿から降りると、あの日以来に会う燈惺がいた。
金青色の衣を身に纏い、髪も一つに結い上げている。やはり、魅入ってしまうほどの綺麗な顔だ。
顔が美しいだけではなく、長身でありながら顔は小さく、佇んでいるだけで目を奪われる。しかし、その表情は相変わらず何を考えているわからない。
星華はただ燈惺を見つめる。何を言おうかと考えていたが、ようやく会えた今…何も言葉が出てこない。
燈惺の目は美しすぎて冷たくも見えるが、以前のような棘のある視線ではなく、どう接したらいいかと戸惑っているようにも見えた。
「…彼女に会うか?」
そう問われ、小さく頷いた。玄士から事情は聞いていた。燈惺はゆっくりと星華の隣に立つ。
「…触れていいか?」
と尋ねられたので、答える代わりに燈惺の右腕の衣を少しだけ掴んだ。
燈惺は壊れ物に触れるように、星華の背中に手をおいた。その手に支えられながら、未知の世界である大獄牢の中へ入った。
つんと鼻につく臭いが襲ってくる。罪人を捕えている建物が殺伐と並び、かすかに聞こえて来る罪人の叫びに耳を塞ぎたくなる。
足が竦み立ち止まるたびに、星華を支える燈惺の手にも力が入っていた。
彼女が囚われている場所は地下室だった。
冷たい空気が流れ、異様な雰囲気に寒気を感じる。
凛鳴は牢の中で足を抱える様に座り込んでいたが、星華を見た途端、立ち上がり柵を両手で握った。
獣のような目つきで星華を睨む。
「…良くも私をこんな場所に!何をしにきたのよ!」
いつも着飾っていた姿が嘘のように罪人用の服に身を包み、髪もぼさぼさで痛々しかった。
「心当たりは十分にあるはずだ。陵家の妻と娘を連れだし暴力を奮い、妻は大怪我を負った。そして、陵家に間者まで送り込んで密書まで作らせていた。これが大罪でないと言えるか?」
「…父上が助けてくれるわ!」
「お前の父には話をつけている。愚かな娘だと謝り、十分に罪を償わせてくれとのことだ」
「何ですって…」
どのような手を使ったか知らないが、娘の悪行を揉み隠してきた叔父も、皇守衛の前では罪を認めるしかなかったようだ。
悔しそうに星華を睨み続ける凛鳴を見て、燈惺は涼しい顔を崩さない。
「勘違いしないでほしいが、こたびのことだけで牢に送り込んだわけでない。お前の今までの罪を清算しただけだ。証拠が残っているだけでも、恐ろしい数だったぞ。お前は今まで十ものの店を冤罪で潰し、お前に怪我を負わせられたという者も数多くいた。お前の行いで苦しんでいた民達が教えてくれた」
淡々とした低い声は、確実に凛鳴を追い詰めていく。
凛鳴はさすがに狼狽えていたが、星華も同じく驚きを隠せなかった。彼女は巧妙な手を使いお金と権力で周りの口を黙らせてきた。
星華によるものだと罪を擦り付けられたこともあるが、皇守衛の恐ろしさの前では、凛鳴の口封じは諸刃の剣だったようだ。
この短い時間の中で、今までの凛鳴の罪が露わになるなど誰が予想していただろう。
「皆…私に逆らったから悪いのよ!」
「あまりの救いようのなさは滑稽だな。どんなに騒ごうと罪を償わなければ、ここから出れない」
凛鳴にとっては最後の機会のはずだが、
「私は悪くない!星華が悪いのよ!私から全て奪おうとするから。星華さえいなければ…」
やはり凛鳴にとって、全ては星華なのだ。
どんな仕打ちを受けても、凛鳴を完全に憎みきれなかった。諦めと怒りを持ちながら、心の奥で小さな希望を頂いていた。
凛鳴は心の奥から、星華を嫌い憎み疎んでいるのに、あまりに馬鹿馬鹿しい願いだったと思い知らされる。
全ての罪の根源が自分のせいだと言われ、星華は苦しくなる息をゆっくり吐きだすことしかできなかった。すると、手に冷たさを感じて隣を見上げる。
燈惺が星華の手を握っていた。
「お前は星華から、何を奪ってきた?お前の卑劣なやり方に皆騙されたが、それでも星華は哀れなお前を案じている。星華はお前から全て奪われても大事なものを失くさなかった。それに比べ、お前は星華から奪うたびに良心を失くしていったようだな」
星華から燈惺の顔が見えないが、冷たかった燈惺の手が熱を持ったように感じた。
「おねがい…助けて…お願い」
その冷たい言葉に、凛鳴は眉を下げ大粒の涙を零し始めたが、燈惺は笑っていない目で口角を上げる。
「その見事な演技で何人騙してきた?」
その途端、凛鳴は涙がどこに行ったのか思うほど、柵がなければ星華に掴みかかっているだろう勢いで叫び始めた。
「…星華、黙っていないで何か言いなさいよ!言いたいことがあるのでしょう!あんたのそいういう所が嫌いなのよ!この偽善者!」
「……私は何度も言ったはずよ。私を傷つけるのは良い、でも他の人たちを傷つけたら許さないと」
心から泣きたくなったが、そんな姿を見せたくなかった。
無表情でそう告げた星華に、凛鳴は余計狂い始めたが、燈惺から手を引かれ地下牢の入口へ向かう。
「一生恨んでやる!…仕返ししてやる!」
と後ろから投げかけられる罵倒に、燈惺だけが振り返った。
「星華に手を出したら、私が許さない。今回が最後の機会だと、覚えていろ」
その言葉に凛鳴がどう反応したかは知らないが、暴言はもう投げられなかった。
大獄牢を出た途端に、張り詰めていた糸が切れ、足の力が抜ける。燈惺が力強く抱きとめて、支えてくれた。
「無理をさせて、すまない」
「ううん」
凛鳴の今まで悪行は幽閉にはならないものの、杖刑という過酷な刑罰が与えられるということだった。一度も叩かれたことがないお嬢様には耐えがたいだろう。
「お前が今まで受けて来た苦しみや痛みに対して、軽すぎる刑だ。すまない」
「いいえ。あの子には十分よ」
「星華様!」
「…雨衣、ここにいたのね」
大獄牢の入口で、雨衣が待ってくれていた。
「凛鳴の今までの罪を調べるために、雨衣に協力してもらった。彼女が今まで証拠を集めてくれていたから助かった」
そのため、雨衣はずっと外に出ていたのだと知った。凛鳴の未来に不安はあるが、民の声もある以上、真っ当な方法で罪を償わせてくれて良かったと思う。
星華は二人に、ありがとうと感謝を述べた。
すると、雨衣はそのまま星華の手を引いて燈惺から距離をとる。
「後で私からも説明します。ただこれは私が言うことではないと思うのですが…。燈惺様は、星華様に会いに行かなかったわけではないのです。翔貴様との約束で会えなかったのです」
そう言って、遠くで星華を待つ燈惺を見た。
「ここは?」
目的地に着いた頃には、当たりは真っ暗になっていた。燈惺は連れていきたい場所があると輿に乗せようとしたが、星華は馬に乗りたいと言い張った。
まだ完治していない体では駄目だ渋られた結果、相乗りなら良いと星華の我儘が通してくれた。
そこは都を出た所にある湖だった。林を抜けると山に囲まれた美しい湖がゆらゆらと広がっている。
先に馬から降りた燈惺が、星華の手をとり降ろしてくれる。今日の燈惺はとても優しくてまだ慣れない。
「…蛍だ!綺麗!」
暗闇の中で輝く光達に、星華は感嘆の声を上げた。
たくさんの蛍達が輝きながら、星華達を照らしてくれる。そばに来た一匹を両手でそっと捕まえた。
両手の中を開いてみると、蛍は星華の手から夜空へと消えていく。決して掴むことのできない星の光に触れれたようだった。嬉しくて子供のように蛍と戯れる。
「よく星を見ていただろう。任務の帰りに見つけた場所だ」
肌寒いのが難点だがと言って、燈惺は自分の上衣を星華の肩にかけてくれた。
気になって燈惺の顔を見る。自分に関心を持っていないと思っていたが、星が好きだといつ気づいたのだろうか。
すると、燈惺は珍しく眉を寄せて、星華の頭をじっと見つめた。
「…白幻花の方が好きか?」
「…白幻花?もちろんあの花は大好きだけど…。…もしかして、昨日の夜見てたの?幻華荘に来てたの?」
燈惺は黙り込んで何も言わなくなったが、星華はそれを肯定と受け取った。会いに来てくれていたと思うと、自然に頬が緩む。
そんな星華を大木のそばにあった岩の上に座らせると、燈惺は向き合う形でその前にかがんだ。
許しを乞うように星華を見上げる。
「…本当にすまなかった」
相変わらず表情がわかりにくいが、十分に誠意が伝わった。小さく頷いてみせると、燈惺は言葉を続ける。
「睡月からも、真実を全て聞いた。そして、お前があの家族によりどんな苦しい生活を強いられてきたのかも。お前の話を何一つ信じず、傷つけた。謝って許されるとは思ってはいない。その変わり、もう絶対に…傷つけないと誓う」
その美しい目からは、後悔が見えた。燈惺は自分が斬りつけた星華の右肩に触れる。
辛そうに眉を顰めている姿は痛々しく、星華はその手に自分の手を重ねた。やはり燈惺の手は冷たかったが、触れた部分は温かくなる。
睡月が誤解を解いてくれたと聞いていたが、あれほど絡まって解けなかった糸が驚くほど綺麗に解けていた。
「私も幻華荘にいる間考えたの。私も仕方ないと…噂を否定することを諦めてた。そして、わざとでなくても私の行動は貴方を傷つけていたのでしょう?もっと貴方に信じてもらうために…向き合うべきだった」
彼ばかり責めることはできない。星華にも悪いところがあったのだ。
燈惺は無表情のまま、首を横に振る。
「…お前を信じなかった私が悪い。公主ももう屋敷には出入りさせない。そして、雨衣のことだが…」
「貴方が謝ってくれたと雨衣から聞いたわ。そして、なぜ雨衣を疎んだのか、その理由も」
雨衣に向けられた止められないほどの憎悪の理由に、星華はとても心を痛めた。
燈惺は突然黙り込むと、視線を下げた。言おうか言うまいか悩んだ様子で顔を上げると、静かに口を開く。
「…黒龍の者に殺されたのは母だった」
耳を澄まさなければ聞こえないほどの声だった。それほど、燈惺にとって重く辛い出来事だと思い知る。
母を失う苦しみは星華も身を持って知っている。
きっとこの人は、もっと多くの悲しみをその背中に背負っているのだろう。星華にその過去や痛みを見せることはなかった。
これからも、そうやって星華に隠し続けるのだろう。そう思うと寂しさに襲われるのは、星華の勝手なのかもしれない。
燈惺にとって、その程度の存在である自分が何を言おうと彼を慰めることができない。
「…私と雨衣が戻ることを許してくれてありがとう」
星華に言えるのはそれだけだ。燈惺は静かな視線で黙って星華を見つめる。
「ねえ、一つだけ聞いていい?」
そう尋ねると、燈惺は頷いて立ちあがり星華の隣に腰掛けた。
「貴方の本心を知りたい。妻として、私に戻ってきてほしいと思った?」
勇気を出して燈惺を見つめた。いつもは無表情で何を考えてるかわからない顔が、明らかに困っていた。
「待って…!やっぱりいい。言わないで」
燈惺が口を開く前に、その美しい形をした唇の上に片手を被せる。
求めている答えなど返ってくるわけがない。調子にのり過ぎたと恥ずかしくなり、穴があったら入りたくなった。
「今回は、私が陵家に戻りたいと自分で決めた。今はそれでいい…」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、
「…私の妻でいてほしい」
燈惺はそう返した。その顔は無表情で、何を考えているのか読み取るのが難しい。
「貴方には…私と結婚した理由があって、その理由はまだ私には言えないのでしょう?」
今自分がどんな表情をしているのかわからなかったが、燈惺は目を見開いてまた黙り込んだ。
母の過去に耐えてまで星華に謝罪し、戻ることを許したが、そうさせる何かがあるはずだ。
真の妻ではなく、きっと今も求められているのは形だけの妻だ。その理由のため、燈惺は仕方なく星華を受け入れるしかないと分かっている。
燈惺は何か言おうとしたが諦めたように口を閉じ、困ったように星華を見つめるだけだ。
星華は優しく目を細め、燈惺の唇に人差し指を置いた。
「…無理に話さなくていい。私も貴方にまだ話していないことがあるもの。お互い様にしましょう」
自分が燈惺を苦しめている存在かもしれないと思っても、そばにいたい。形だけでも妻でいたい。
「私は貴方を信じたい。貴方の事をもっと知りたいと思うから陵家へ帰る」
そして、いつか本当の意味で信じてもらいたい。
燈惺からの言葉を待つが、彼は固まってしまったように星華をただ見つめるだけだ。
星華は自分ばかり話していることにまた恥ずかしくなったが、無言の空気に耐えれなかった。
「だからその、…離縁書なんだけど。貴方に返してもいい?私の押印はすんでいるから、貴方が出したい時に出したらいいわ」
こんな形で返すなど卑怯なのかもしれないが、星華は彼と離縁したくない。
いつか離縁する日が来るかもしれないが、その判断は全て彼に任せる。そう決めていた。
燈惺はかすかに瞳を揺らした後、何も言わずに頷いた。
なんだか自分ばかり話していることが可笑しくなって、星華は笑みを浮かべながら、行きましょうと立ち上がった。
また相乗りする形で馬に乗る。燈惺は後ろから、星華をしっかり包み込んだ。男性にしては華奢に見えていたが、背中越しに感じる燈惺は武人らしく逞しかった。
しかし、燈惺は馬を動かさない。どうしたのかと、星華が振り返った時、
「私にはお前が必要だ。帰ってきてくれ」
そう耳元で囁かれた。相変わらず低いが、どこか甘さを含んだ声に、星華の胸の鼓動が驚くほど速くなり頬が熱を持つ。
どういう意味か聞きた返したかったが、馬を動かされたため、それは叶わなかった。
でも、それで良かったかもしれない、と星華は一人微笑む。
燈惺の言葉に止まらなくなった笑みを見られなくてすんだ。たとえ形だけの妻として必要だという意味でも、たまらなく嬉しかったのだ。




