星の目覚め
朦朧とする意識の中で重たい瞼を開くと、体の上半身に鈍い痛みを感じた。
「星華…!」
力の入らない右手が温かい。誰かが手を強く握ってくれている。体が動かず視線だけ動かすと、その手の主は翔貴だった。
やつれた顔で、星華の手を自分の頬に押し付けて安心したように息をつく。ここは翔貴の幻華荘だ。
昨日どこも行く場所がなく琳を頼るしかなかったが、その後翔貴に助けられたようだ。
この手を離すべきだと思いながら、結局離せなかったのは自分の方だった。昨夜の記憶を走馬灯のように思いだす。
陵家から追い出されたのだ。そう思うと、傷よりも胸の痛みに耐えれなくなりそうだった。
星華の様子を一通り確認した後、翔貴は医者を呼びに部屋を出て行ったが、数秒後に扉が開いた。
「なんだ、目覚めてるじゃない」
荒々しく入ってきた意外な来訪者に言葉を失った。
王宮から抜け出して来たのか、普通の令嬢のような恰好をした春搖がずかずかと入ってくる。
「…公主様。…このような状態のためご挨拶できず申し訳ありません」
「陵家から追い出されたんでしょう。その傷、燈惺からやられたの?」
怪我人を前にして、春搖は嬉しそうに笑っている。不躾な質問に、星華の堪忍袋の尾が切れた。
「私も公主様にお話がありました。燈惺の冷酷な死神の噂は、公主様と睡月が燈惺と結婚する者が現れないように流したものですよね?」
「私の質問には答えず、突然何よ!」
春搖のおかげで悲しみよりも怒りが勝った。陵家を追い出されたのだ。もう怖いものはない。
星華はあくまで冷静に穏やかな表情を保つ。
「最初は恐ろしかったあの噂は、嫁いで偽りだとわかりました。しかし、嫁ごうとした娘二人が亡くなったという噂だけは確かなのかもしれないと、こたび感じたのです。貴方の策略により、私のような目にあった者が二人もいたということでしょうか?」
「その怪我は、私のせいと言いたいの?」
春搖は品を保ったままだが、低く威圧的な声で星華を睨む。さすが公主様と言いたくなる迫力がある。
星華の傷は春搖のせいではないが、きっかけを作ったとは言える。一国の公主に大それたことをしているが、人の怪我を心配する所か、喜んでいる様子を見ると我慢ならなかった。
「怪我を公主様のせいなどしていません。ただ、誤解を生むような行動をやめて頂きたいのです。たとえば、うちの睡月に悪知恵を与えたりとか?」
「…何ですって?」
空気が変わる。春搖の眉がぴくりと動いたのを見逃さなかった。
星華は自分を傷つけられるのはいくらでも耐えられるが、周りを傷つけられると黙っていられない。
「私の部屋に睡月の簪を忍ばせたこと、私が男遊びをしていると見せるため睡月を使い酒楼に連れ出したこと、公主様がそそのかしたのでは?睡月を巻き込み、危険な目に合わせることだけはやめて頂きたいのです」
実行した睡月も悪いが、彼女は反省している。目の前の春搖は反省どころか、今後も何をしでかすかわからない。
しかし、帰ってきたのは耳を塞ぎたくなるような高笑いだ。春搖は星華を馬鹿にしたようにお腹を抱える。
「勘違いしているようね。睡月は貴方と燈惺の離縁を望んでいるのよ。言っておくけど、貴方がどれだけ努力しようと燈惺の心は手に入らない。どうせ、貴方は何も知らないのでしょう。燈惺は…」
「公主様!星華は話せるような状態ではないのです」
続きを遮るように睡月が部屋へ入ってきた。その目は、泣きすぎたのか真っ赤に腫れている。
「睡月、ちょうど良かった。はっきりさせましょう。この女が、睡月を巻き込むなと私に屁理屈を言うのよ。貴方も燈惺とこの女の離縁を望んでいたでしょう?貴方からも説明して」
春搖は自分の勝ちを確信している。美しい笑みを睡月へ向けるが、
「私は自分の行いを…反省しています。どうか、私の義姉を傷つけるのはもうおやめください」
返ってきた言葉は、春搖が求めていたものではなかった。睡月の声には迷いがなく、星華を守るように寝台の前に立つ。
「何よ。私に楯突く気?どうなるかわかっているの?」
春搖は声をあげて、睡月へと詰め寄った。星華はとっさに起きあがろうとしたが、激しい痛みだけが襲ってきて体が動かない。
「どうなるのか、教えてほしいな」
そのかわり、怒りを潜めた静かな声が春搖を制した。
「…兄上」
医者とともに入ってきた翔貴を見た途端、春搖から威勢がなくなる。翔貴は星華にかけより心配そうに頭を撫でたあと、春搖の方へ振り返った。
「勝手に人の屋敷に入って騒ぐとは。どうせ王宮を抜け出して来たのだろう。大体、なぜおまえはこのことを知っている?また、変なことを企んでいるのではないだろうな?父上は、お前と私の話どちらを信じると思う?」
星華からは翔貴の背中しか見えないが、春搖の青ざめていく顔を見て、彼の怒りが十分に伝わった。歯を食いしばり星華をひと睨みすると、春搖は出て行った。
「星華…ごめんなさい」
すぐに睡月が駆け寄ってきて、星華の顔を心配そうに覗きこむ。その姿にまた涙腺が緩んだ。
「無事でよかった。…雨衣は?」
「貴方と雨衣のおかげよ。雨衣はずっと貴方についていたけど用事で出てる。もうすぐ来るわ」
良かったと息をついたが、それだけで体に痛みが走る。
「いっ…。そういえば、なぜ睡月がここに?」
ここは翔貴の屋敷で、あの様子から燈惺が星華と会うことを許したと思えなかった。
「星華が案じていることは解決した。あとで詳しく説明するから、今はゆっくり休め。先生お願いします」
翔貴は心配そうに早口でそれだけ言うと、医者に頭を下げる。まだまだ聞き足りない星華だったが、医者に診てもらい絶対安静が告げられた。
まず、七日間は部屋に籠り寝台の上で過ごすこととなった。用意されていた部屋は、寝台に座ったまま美しい庭を眺めることができ、寝台から絶景を目に焼き付ける日々だった。
それでも退屈で外へ出たい気持ちが湧き上がってきたが、そんな星華を理解した雨衣と翔貴、必ずどちらかが傍にいて見張りを務めてくれた。
その間、燈惺と翔貴が話し合った結果、星華は藍家に戻ることになったことを聞いた。そして、雨衣と戻ることを燈惺が許してくれたことも。
睡月は自ら翔貴の元に出向き、自分の行いを全て謝罪したらしい。翔貴も睡月の誠意を汲み取ったようで、睡月に屋敷の出入りを許し、睡月は人目をさけて何度も会いに来てくれた。
絶対安静の七日間が過ぎ、ようやく外に出ることが許され数日がたった。
明日には陵家へ戻ることとなり、翔貴の屋敷で過ごす最後の夜が来た。まだ体は痛むが、ゆっくりと歩けるようになった。
白幻花の見納めだと、星華は一人東屋で星空を背景に美しい花を眺めていた。白幻花は木々にたくさん花をつける分、少しの風ですぐに散ってしまう。
白い花びらがひらひらと舞い散っていく姿は、美しいと言う言葉だけでは表現できない感情が生まれた。
「また勝手に抜け出して…」
その声の主は見なくてもわかる。書斎から出てきた翔貴は、呆れながらも星華の元へ歩んできた。
「今日が最後の日だもの。目に焼き付けたい」
その手には菜の花色の上衣が握られている。星華の隣に座ると、その上衣をかけて着せてくれた。
「素敵な色の上衣ね。もしかして、私のために作ってくれたの?」
「あぁ、今着ている衣に合うだろう。良く似合ってる」
今着ている白色の衣も翔貴が見繕ってくれたものだ。
毎日大好きな誰かが傍にいて、素敵な衣を着せてもらい、食べきれないほどの食事や珍しいお菓子があり、ぼんやりとしか覚えていない令嬢の日々に戻ったような気分だった。
ふと立ち上がると、翔貴も驚いたように傍に来る。翔貴に支えられながら、白幻花の木の下に立った。
散ってくる白幻花の花びらを掬うように両手を揃えてると、花びらが両手の中に吸い込まれていく。
「ねえ、翔貴。白幻花を見ると、とても懐かしく感じるの」
「…白幻花の花言葉、知ってるか?」
「…貴方を待つ」
はっとして、翔貴を見た。知らないはずなのに自然と口にした花言葉は、きっと消えてしまった記憶のものだ。
翔貴も驚いたように星華を見ていたが、その視線を白幻花へ向ける。今にも泣きだしそうな顔に見えた。
星華は、心の中でその花言葉を呟く。
貴方を待つ。すぐに浮かんだ人物は意外な人だ。
そっと、門の方へ視線を向ける。何度こうして、探してしまっただろうか。
扉が開くたびに、あの人かもしれないと振り向いた自分は哀れで大馬鹿者なのかもしれない。
この十日間、燈惺が会いに来てくれることはなかった。
あの人が何を考えているのか、やっぱりわからない。
気がついたら目頭が熱くなっていた。燈惺に出逢ってから、涙脆くなったようだ。
そんな想いを解き放つように、星華は両手で集めた花びらをそっと空へ放った。
まるで雪のように舞い落ちる花びらを眺めていると無性に余計に泣きたくなった。視線を下げると、地面は散った白幻花の花びらで真っ白だった。
そっと花びらを掬い、また空へ放つ。
何だかすっきりして、翔貴にもそっと花びらを投げかけると、翔貴は目を見開いた後、お返しというように星華の頭に花びらを乗せる。悪戯な笑みを見せた翔貴の後を追いかける。
二人は笑い声をあげながら、まるで子どもの頃に戻ったように花びらを投げ合った。
子どものようにじゃれあうのは楽しく、自分の体がまだ完治していないことを完全に忘れていた。
「こら、調子にのり過ぎだ」
突然に力が抜けた星華の体を翔貴が優しく抱きしめる。傷に触れぬようにという配慮を感じる。
「夢のような時間だった」
あまりに寂しそうなその声に、星華は思わず翔貴の頭を撫でていた。すると、星華を包み込む腕に力が入った。
抱きしめられているため翔貴の顔が見えないが、いつもはお兄さんでいてくれる彼が幼い子供のように感じた。
長らくそうした後、翔貴はゆっくり星華を離したが、その目は真っ直ぐに星華を捉えて離さない。
翔貴は一瞬苦しそうに顔を歪何か言おうとしたが、聞こえてきた足音に二人は振り返った。
「翔貴様、使いの者が来ています」
「苑士か。わかった…星華を頼む」
ばつが悪そうな苑士に、翔貴は機嫌の悪さを隠さない。王宮からの使いが来ているようだ。
星華の頭をひと撫でし渋々戻った翔貴を見送り、苑志と部屋へ戻る。
苑志とは長い間会えていなかったが、この屋敷に来てとても良く世話してくれた。明日お別れのため、ありがとうと頭を下げて感謝を伝える。
「こんな迷惑をかける形だったけど、久々に苑志にも会えて良かった」
普段の冷静な表情が嘘のように、苑志は少し吊り上がった目を下げて、狼狽している。
「迷惑など…。星華様にどのような衣が似合うか、どんなお菓子を用意しようか、翔貴さまは毎日星華様と過ごせることが本当に嬉しそうで、この屋敷に花が咲いたようでした。星華様のおかげで、あんなに楽しそうな主を久しぶりに見ることが出来ました」
こんなに饒舌な苑志は初めてだと驚いていると、「このことは翔貴様には内緒に」と言って、部屋の中へ送り出してくれた。




