インドカレー
ある日の朝。時生は突然に今までに感じた事のない感情に心が支配された。地球にいた時もこの世界に来てからも感じた事のない思いだった。
「何か分かんないけど飽きが来た」
彼は朝食がのった皿を見詰め溜息を吐いた。本日のメニューは、マッシュパタータが入ったとろとろのオムレツに野菜サラダ。外はカリカリ、中はモチモチに焼いたトーストにヴェルテと呼ばれるアペッティでは一般的な柔らかい青カビチーズを塗り、そこに蜂蜜を垂らした洋風なものだ。
昨日の朝食は炊き立てのご飯にバルダーナとセサモの味噌汁。それから自作した納豆もどき。チェトリオーロの漬物。昼食は朝の残りの味噌汁と、甘味が出るまでよくよく炒めたチッポラにマイアーレ豚の切り落としを加え、塩コショウで味を調えたシンプルなスパゲッティ。夕食は奮発して豪勢にカルロやダヴィド殿下達とすき焼きをした。脂ののったエアレ牛をこれでもかと食べ、カルロに怯えながらも肉をがっつくファビオの面白い様子を肴に酒も馬鹿みたいに飲んだ。
他にこの一週間のメニューを遡ってみても特に被ってはおらず、飽きが来た原因はさっぱりと分からない。けれど確実に何かに飽きたのだ。具体的にと言われれば答えられないが、強いて言うなれば変わり映えのしない料理のジャンルに飽きたのかもしれない。和食でも洋食でもない別の料理が食べたい気がする。
中華ではない気がするし、たまに無性に食べたくなるチープな味のファストフードでもない気がする。フレンチでもないしスペインでもない。ブラジルでもメキシコでもない……。あ、メキシコ。スパイシーな料理が良いな。タコスってどうやって作るんだっけ。食べたいけどこれは試行錯誤しなくちゃならないな。ちょっと今すぐは無理だな。どうしようか。
「そうだ。インドカレーにしよう」
スパイシーな料理で材料が揃っていて、尚且つ作り方が分かるもの。これしかない。どちらかと言えば、今はあっさりした味が食べたい気分なので野菜カレーが好ましい。今日のランチメニューはこれで決まりだ。さあそうとなれば、まずはチッポラだ。時生はチッポラを籠から取り出し、にんまりと笑った。
「ねえトキ。何だか今日は嗅いだことのない匂いがするね。店の前の黒板には、カレーって書いてたけどいつもの匂いと違うよ」
昼時になりカレーの匂いに釣られたのか、馴染み客のエリダが店の扉を開いた。彼女はこの城で洗濯係をしている下女だ。一月に一回の割合で昼食を食べに来る。まだまだ十代の少女だというのに彼女は大層な苦労人で、小枝の様な体で四人の弟妹と母を養っている。ここへは実家に仕送りをした後、残りの給金をやり繰りし自分へのご褒美にとやって来るのだ。
「やあエリダ。いらっしゃい。今日はインドカレーなんだ。俺のいた世界では、インドっていう国のカレーなんだよ。あっさりと食べたいから野菜カレーにしたんだけど、スパイシーで美味しいよ」
野菜がゴロゴロと入ったインドカレーは絶品だ。オクラや筍、それにカリフラワーにブロッコリー。アスパラが入っていても美味しいし、マッシュルームを入れると旨味がぐんと増す。
「へえ、楽しみ! じゃあそれを頂戴」
「了解、ちょっと待っててよ。今ナンを焼くから」
流石にナン専用の窯は無いのでオーブンで代用する。時生は器用に伸ばしたナンの生地をオーブンへ入れた。カレーがスパイシーな分、ナンは甘めに仕上げている。それがまたカレーとよく合うのだ。
「それでエリダ。カレーの辛さはどうする? 辛いのが苦手だったらこのままをお勧めするけど」
時生は仕込んでおいたカレーのベースを小鍋に移し、エリダにペペロの粉末が入った小瓶を見せた。ペペロはアペッティで広く普及している唐辛子だ。時生は客の要望に答えられるよう、その場で辛さの調節が出来るようにカレーには唐辛子を入れないようにしていた。
「そんなに辛いの?」
時生の問いにエリダは眉を顰めた。どうやら辛いのは、あまり得意ではないようだ。
「うん。昔インド人のカレー屋で食べたときは、普通って言われた中辛を食べたら舌が痛すぎて食べるのが苦痛だったし。その人に教えてもらったカレーをなるべく忠実に再現してるから、何もしなくてもかなりスパイシーだよ」
唐辛子を入れないと全然辛くないよ。そう言われたので、じゃあと頼んだそのカレーを食べるのは本当に苦痛だった。舌がびりびりと痺れ、それでもと我慢し食べれば悶絶し、辛さを紛らわせようとしているのか体が勝手に動き出し、挙動不審になってしまうようなそんな辛さだった。
「じゃあ、そのままで頂戴」
「了解」
時生は頷くと軽く湯通しをしておいた野菜を小鍋に入れ、カレーと共に煮込み始めた。カレーにはファビオから貰った筍。それからロートとゴンボ、カヴォルフィオーレという野菜を入れた。ロートはレンコン。ゴンボはオクラ、カヴォルフィオーレはカリフラワーによく似ている。
時生はファビオから筍を貰えてよかったと一人で頷いた。ラミナーリアの時と同じように昨晩ファビオが、突然持ってきてくれたのだ。彼の故郷では春の恵みとして食べられているそうだが、一般的にこの国では見向きもされないものらしい。ジェルモッリオディバンブとかいう長ったらしい名前のそれは、まんま筍だった。
筍は煮物にしても天ぷらにしても美味いが、インドカレーに入れても絶品だ。まさかイタリアがベースになったようなこの異世界で、それが食べられるとは夢にも思わなかった。さて今晩は筍尽くしの和食を作ろう。時生が今晩の献立を考えていると、オーブンのタイマーが鳴りナンが焼きあがったことを彼に伝えた。
「はいお待たせ。ナンもカレーも熱いから気を付けて食べなよ」
時生はオーブンから出したナンを皿に乗せ、すっかりと煮込まれたカレーをスープ皿に移しエリダの前に置いた。
「トキ、これはどうやって食べるの?」
エリダは出された料理を前に困惑した。普段この店で食べるカレーは、炊き上げたリーゾと一緒に食べるものだが、こんな皿から大きくはみ出たパンの様な物が付いたカレーを彼女は見た事も無かった。
「ああ、ごめんごめん。初めてだもんな。そのパンの様なナンを手で千切って野菜カレーに付けて食べるんだ」
「手で食べるの?」
「そう手で。野菜はナンで挟んで食べて」
「……うん」
エリダは恐る恐るナンを千切り、熱々のそれを何度か両掌の間で往復させて冷ますとカレーに付け口に含んだ。
「美味しい!」
ナンのふかふかした食感と野菜のシャッキリとした歯ごたえが良く、また甘味のあるナンに香辛料の効いたカレーの相性は抜群だ。それに香辛料がかなり効いているカレーだが、よくよく味わうと旨味も強い。コクがあると言えばいいのだろうか。今まで食べたリーゾのカレーとは、また違った深みのある味わいだ。
「トキ。これどうやって作ったの? すごく美味しいね!」
「ううんとな。チッポラを薄くスライスして、よおく炒めてな。本当はマンゴが良いんだけど無いから、アルビコッカのコンポートを加えて崩しながら炒めて、それが崩れきったらポモドロを加えてまた炒めるんだ。それで水を入れて煮込んだら火を止めてヨーグルトを加えて溶けたら出来上がりかな」
時生は腕を組み、目を閉じて調理工程を思い出した。エリダはそれに興味津々で、時生のいう事を一つも聞き逃すまいとしていた。
「スパイスは? いつ入れるの?」
「あ、忘れてた。チッポラを炒める時に入れるのと、最後にヨーグルトと一緒に入れるよ。最後に入れるのは香りを飛ばさないためだね。肉のカレーの時には、肉をスパイスを混ぜたヨーグルトに付け込んどいて、チッポラの後に炒めるよ」
「この木のような野菜は何? 少しえぐみがあるけど甘味もあって美味しいね」
シャクッとした歯ごたえと少しえぐみがあるが、それが香辛料たっぷりのカレーによく合うし、噛めば噛む程甘味と旨味が出てくる。同じく歯触りの良いロートとはまた違った美味さだった。
「ああ。それは筍っていって、兵士のファビオから貰ったんだ。俺の故郷では広く普及している野菜だよ」
「へえ。美味しいねこれ。あたし好きだな」
「そりゃあよかった。気に入ってくれて嬉しいよ。良かったら下処理した筍持って帰りなよ。沢山貰ったから遠慮しなくていいよ」
ファビオから店の料理に使っても処理しきれないほど筍を貰った時生は嬉しいとはいえ、いささか困っていたところだった。店の周りに根付かないかと何本か土に戻してみるくらいには余っているのだ。なのでエリダが気に入ってくれたのだったら是非とも貰って欲しい。
「本当に? 有難うトキ、明日久しぶりの休みで実家に帰るから、スープにして食べてみるよ!」
「それも美味そうだね。どんな感じになったかまた教えてよ」
「うん、今度来たとき教えるね」
エリダはそう言うと再びカレーを食べ始めた。彼女は中々の料理上手らしいので、メニューの幅が広がるかもしれないなと時生は幸せそうに食べる彼女を見ながらそう思った。




