朝のまかない
「さあて。朝ご飯にしようかな」
時生は焼きあがった出汁巻き卵を切り分け皿に盛りつけた。それから熱々の味噌汁を深めのスープ皿に入れると厨房からカウンターへと回り席に腰かけた。
テーブルの上には三種類のおにぎり、牛乳豆腐の塩昆布掛け、味噌汁と卵焼き、それから浅漬けといった料理が並んでいた。その献立は朝食としてほぼ完ぺきなのだが、我儘を言えば牛乳豆腐ではなく豆腐だとなお好ましい。
元日本人の時生だって本当はその方がいいが、如何せん豆腐を作るのは時間と手間が掛り過ぎる為にもう諦めてしまっている。豆腐を作ろうと思えば、この世界ではにがりから手作りしなければならず、それが物凄い手間だった。なにせ海水を長時間煮詰め、出来上がった塩を布で濾した後、更に残りの水分を煮詰めなければならないのだから。もっと言えばアペッティの王都から海までは馬車で片道二日も掛かり、海水を運ぶことにも一苦労だ。そんな思いまでして豆腐を作ろうと時生はどうしても思えなかった。
そういった理由から、彼は生乳から作った牛乳豆腐を豆腐に見立て代用品にしている。まあ白い色が似ているし、味もなんとなく似ている気がしないでもない。それに自家製の醤油とも塩昆布とも相性抜群なので、彼はもう気にしないようにしていた。
「トキ、今日の朝食はなんだ? 僕はこの間のオムレツサンドが食べたいぞ」
「うん、うん。あれも美味かったですよねえ。でも前日に残ったカレーも捨てがたいものがありますよ」
時生が正に朝食を食べようと箸を持った途端に店の扉を開け、十にもならない年齢の少年と三十そこらの軍服を着た青年が入ってきた。少年は空のように青い目をきらきらと輝かせ、カウンター席に腰かける時生へおねだりをした。その少年のすぐ後ろを歩く青年は少年のおねだりした料理を肯定しつつも、しっかりと自分の食べたいものを時生に伝えていた。
「やあダヴィド殿下、アルドさん。おはようございます。今日は残念ながら、おにぎり定食なんですよ。それでもよければ食べますか?」
時生はそれに苦笑すると、カウンターに並べられている料理を彼らに見せた。少年ダヴィドは時生の隣の席によじ登って座り、その料理の匂いを嗅ぐと更に目を輝かせた。
彼はこの王国の第五王子なのだが、こうして朝の賄い飯を目当てに御側付きの騎士であるアルドと一緒に毎日やって来る。
時生は常々それに疑問を感じており、いくら王城内とはいえ王子がこんな所に気軽に来ても大丈夫なのかと思っていた。そう将軍であるカルロに言えば、第五王子は母の身分が平民なばかりか既に故人であるし、王位継承権を持つとはいえども限りなくその可能性は低いものなので気にしなくていいとのことだった。
そういえばダヴィド王子はいつもアルドしか連れて来ず、店の外で会った時も彼しか付いていない。多分彼付きの騎士はアルドしかいないのかもしれない。きっと王室にとって王子はどうでもいい存在なのだろう。父である王ですらそう思っているのかもしれない。
ただアルド一人がずっと王子に寄り添い、彼は優秀な騎士だというのに頑としてダヴィド王子の側を離れないと言うのだ。おそらくアルドは、この広い王城で彼のたった一人の味方だろう。
それを知った時から、時生はこの二人を出来るだけもてなしてやろう。それから王子を目一杯に可愛がってやろうとそう決めた。それは偽善かもしれないが、これから成長するにつれ王子にはきっと辛いことが多く訪れるだろう。その時に時生と彼を慕ってやまない騎士と過ごしたこの食堂での日々を思い出し、少しでも彼の慰みになればいい。時生はそう考えていた。
「トキ、トキ。この料理はなんだ? 僕は今までこんなの見た事ないぞ」
「それはね殿下。おにぎりと味噌汁。それから漬物と牛乳豆腐の塩昆布掛け。それと焼きたての卵焼きですよ」
時生は自身の左腕に抱きついてじゃれる王子の頭を撫でてやりながら、朝食の献立を彼に説明した。すると彼は聞いたことがない料理ばかりだったからか、ますます目を輝かせごくりと唾を飲み込んだ。
「ふむ。これは殿下が仰る通り、確かに見た事がありませんね。トキ、これはどこの料理だ?」
アルドは王子の隣に腰かけながら、料理を興味深そうに眺めた。
「俺の故郷の料理ですよ。庶民の伝統的な朝食に近いかなあ。二人とも食べるでしょう?」
時生がそう尋ねると彼らは同じタイミングで頷いた。二人の息はぴったりで血は繋がっていないというのに、なんだか時生は彼らが本当の親子のように思えた。それが可笑しくて時生はふっと笑いを漏らした。
「ちょっと待ってて下さいね。すぐに二人の分も作りますから」
そう言うと時生は厨房に戻り、特注で作った卵焼き用のフライパンを火にかけた。彼はボールに卵を溶くと、先にアルドの出汁巻き卵を焼き始めた。ダヴィド王子に出すものは、騎士のアルドよりも状態がよくなければならない。アルドのものより、冷めているだなんてあってはならないのだ。
手早くアルドのものを焼き上げると時生は再びボールに卵を溶き、そこに出汁と醤油それから砂糖を入れた。子供のダヴィド王子には、同じ出汁巻でも甘めのものが良いだろう。王子の好みを考えた時生は少しだけ手を加えた。彼はそれも手早く焼き上げ、それを食べやすいように切り分けると皿に盛った。
おにぎりは予め握っているし、味噌汁は既に温まっているのでスープ皿に注いだ。後はボールに入った牛乳豆腐をすくって皿に盛り、そこに自家製の塩昆布を乗せた。最後にカヴォロの浅漬けを小皿に盛れば、追加の賄い定食の完成だ。
「はい、おまちどうさま。味噌汁も卵焼きも熱いから気を付けて下さいよ」
時生は料理の乗った皿を彼らの前に置くとそう言った。空腹の王子が勢いよく食べ、火傷をしてしまったら可哀そうだ。
「アルド、食べてもいいか? 僕はもうお腹がペコペコだ」
「構いませんよ。ですが殿下、くれぐれも火傷にはご注意下さい。急いで召し上がれば、口の中が大変なことになりますよ」
王子はアルドを見上げ、食事を取ってもいいのかを確認した。アルドはそれを許可したが、王子によくよく火傷しないよう言い聞かせるその様子が、本当に親子のようで時生には微笑ましく見えた。
「じゃあ、いただきます」
時生は厨房からカウンター席に戻り、自分の分の料理がこれ以上冷めないうちにと食べ始めた。まずはやはり米からだろうと、彼はおにぎりに手を伸ばした。
「トキ。それは手で食べるのか?」
時生が手でおにぎりを持ったのを見た王子は、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をして彼にそう尋ねた。そんなに珍しいものでもないと思うのだが、初めて見る料理に王子は軽いカルチャーショックを受けたようだ。
確かにこちらの世界では米を握り固めて食べる文化はなく、スープに入れるかリゾットにする食べ方しかない。だから手で米を持つという発想がなかったのだろう。
「そうですよ。殿下いいですか。おにぎりは手で持って食べなきゃ美味くないんです。この間のサンドイッチもそうだったでしょう? ほら、手を拭いて」
王子の両手を持つと時生は、おしぼりで綺麗に拭いてやった。それから王子の分のおにぎりを一つ取り、彼の手の平に乗せて食べるよう促した。
ダヴィド王子はしばらく時生とアルド、それからおにぎりを繰り返し見ていたが、アルドが頷いたのを見るとようやくそれを口に運んだ。
「美味しい! トキこのリーゾに混ざっているのはなんだ?」
「殿下が食べているのは、ラミナーリアで作った塩昆布を刻んで混ぜたものです。アルドさんが食べているのは、トンネットから作ったおかかをソイアの醤油に和えたものを混ぜました。あともう一つの茶色いのは鳥五目ごはんって言って、リーゾを出汁とソイアの醤油、それからポロ鳥の肉とカロータ、あとバルダーナを入れて炊きこむんです。これがまた美味いんですよ」
ダヴィド王子は時生のその説明を聞くと我慢できず、他のおにぎりも一口ずつ噛り付いた。
最初に食べたおにぎりは、乾燥したラミナーリアが炊きたてご飯の水分を吸うことで柔らかくなり、更にご飯に混ぜ込むことでその旨味がおにぎり全体に行き渡っていた。
それから、おかかを混ぜたおにぎりも醤油の香りが良い。またその中にクレモーソが入っており、これがおかかごはんと合わさることで、淡白な味わいから濃厚な物へと変化しそれが堪らなかった。
最後に食べた鳥五目は他のものと違い、具材と共に炊きこまれたご飯の香りが腹をこれでもかと刺激した。ほんの少しだけ甘めの醤油味のご飯に、ぷりっとした鳥肉と柔らかいカロータ。そこにバルダーナのシャキッとした食感が最高に美味かった。
「トンネットが、こんなに小さなものになるのか。これもいいが、オルベジーネが入ったスープが美味いな」
アルドは手の中のおにぎりに入っているおかかに感嘆を漏らし、それから味噌汁を褒めた。
「美味いでしょう? 揚げたオルベジーネと焼いたポッロの味噌汁は、俺の大好物なんですよ」
味噌汁には素揚げしたオルベジーネと焼いたポッロが入っている。オルベジーネは一度揚げることによって、水っぽくならずに味が濃くなっている。またポッロは焼いたことで香ばしくなり芯まで柔らかい。それを煮込んだことで、オルベジーネの濃厚さとポッロの甘味が出汁によく染み出ていた。
アルドは時生のその言葉にうんうんと頷いた。ふと時生がダヴィド王子を見れば、彼は口いっぱいにおにぎりを頬張りながら、アルドと同じようにうんうんと頷いていた。本当にこの二人は息がぴったりで面白い。
「この卵も甘くて美味しい。カヴォロのサラダも」
王子は急いで口の中のものを咀嚼し、飲み込むと時生の左袖を引っ張った。
「はい。殿下のは甘めに仕上げました。ふわふわで美味いでしょう? カヴォロのは浅漬けっていって、おにぎりと一緒に食べるともっと美味いですよ」
カヴォロの浅漬けは塩昆布の旨味が溶け出し、噛めば噛むほど味わいが深くなるものだった。
それと卵焼きは、トンネットの荒節とラミナーリアでとった出汁がじゅわっと口に広がり、それに柔かい卵の食感が堪らなかった。
「牛乳豆腐だったか。これも悪くないが、これは酒が飲みたくなる味だ」
そう言うとアルドは少しばかり難しい顔をした。おそらく酒が飲みたいのを我慢して、そういう顔になってしまったのだろう。
「ああ、それ。俺にとっては、本来酒の肴なんですよ。本当は豆腐っていう、豆で作られた故郷の食べ物が食べたいんですけどね。作ろうと思ったら一週間は店を閉めなきゃならないんで、同じ様な感じの牛乳豆腐で我慢してるんです。塩昆布もめちゃくちゃ良く合いますしね。それにセサモ油を少し垂らしてリーゾ酒を飲むと最高ですよ」
時生が作る牛乳豆腐は生乳を蒸すだけの簡単なものだが、酢を加えて作るものよりも絹ごし豆腐のような滑らかな食感とほんのりとした甘味が特徴だ。プルンとした牛乳の旨味が凝縮されたそれに、塩昆布とごま油を垂らせば不思議と日本酒に最適のつまみとなる。この世界では米で作られたリーゾ酒の相性が抜群だ。
「それを聞いたら、ますます酒が飲みたくなってきたな。そうだ殿下。今夜は夕食をここで取りましょうか?」
「え、いいのか!?」
アルドの提案に王子は、再び目を輝かせ喜びの声を上げた。
「ええ。たまには夕食だって美味いものを召し上がっても罰は当たりませんよ。とか言って、まあ俺が酒を飲みたいだけなんですがね」
「じゃあ今夜は店を閉めて俺も飲もう。つまみは牛乳豆腐の塩昆布掛け。それにチェトリオーロとプリュネの梅干しの和え物。それからポロ鳥のささみのポン酢和え、ポッロを白髪ねぎにしてペペロと酢の物にしよう。あと焼き鳥も作ろう」
滅多にない機会に時生は、どうせならば自分も楽しもうと考えた。それに夜は客足が少ないとはいえ、他の客がいては王子もアルドも落ち着かないだろうと彼なりの気遣いもあった。
「おお、なんだか美味そうだ。じゃあ俺は最高のリーゾ酒を持って来よう」
アルドは無類の酒好きであり、その彼が持ってくる最高のリーゾ酒はさぞかし美味いだろう。これは楽しみになってきた。時生は思わずニンマリと笑いを漏らした。
「トキ、僕のはないのか? 僕は酒のつまみは好きじゃないぞ」
「そうですね。焼き鳥は食べられるでしょうから、それはつまんでもらうとして。殿下の夕ご飯はお子様ランチならぬ、お子様ディナーにしましょうか。うん、いいじゃないですか。特別ですよ。ハンバーグにチキンライス。ふわとろのオムレツに揚げたてのガンベリのフライ。そうなるとハンバーグの種とガンベリが余るから、オルベジーネのはさみ揚げと海老マヨも作ろう。殿下、今夜はご馳走ですよ」
時生にとっても、小さい頃に食べたお子様ランチは特別だ。安いレストランで食べるそれの、なにが美味しいという訳ではないのだけれど。それでもやはり特別だった。
だから王子には最高に美味いお子様ディナーを食べさせてやろう。きっとそれは彼にとっても、大人になった時に特別となるだろうから。
「お子様ディナーは特別なのか?」
特別という言葉に反応した王子は、時生を見上げ首を傾げた。
「はい。俺の故郷では、子供しか食べられない特別メニューです。この世界では殿下しか食べられないので、もっともっと特別ですよ」
「……そうか。僕だけの特別か」
特別か。
王子は満面の笑みを浮かべ、何度も何度もそう呟いた。きっと彼だけの特別ということが嬉しくて堪らないのだろう。こんなに喜んでくれるのならば、もっと特別なものを用意してやりたい。時生はそう思った。
どうせならば、他のどの王子も出来ない経験もさせてやろう。それは本来ならば不敬に当たるだろうが、この王子ならばそれもきっと喜んでくれるはずだ。
「そうだ、殿下。さすがにこれだけの料理を一人で作るのは大変なので、よかったら手伝ってもらえませんか? そうしてもらったら、もっと特別なものを殿下にお出しできますよ」
ジェノワーズの生地の要領でフワフワのパンケーキを作ってやろう。三枚焼いたパンケーキのうち二枚には生クリームと果物をたっぷりとサンドし、もう一枚にはバターを一欠け乗せてハチミツをたっぷり掛けてやろう。一枚だけ熱々にしてやれば、溶けるバターの塩気とハチミツの甘味がよく合うだろうし、もう二枚は冷まして生クリームと食べればショートケーキのようになる。甘いものが好きな子供にとっては、夢のようなお菓子となるに違いない。王子にそれを食べてもらい、もっともっと喜んで欲しい。
時生はその様子を想像するだけで楽しくなった。
「もちろん手伝うぞ! アルドいいだろう?」
「そうですね。では今日は朝のお勉強だけで勘弁してあげましょう」
王子はアルドにそうねだると、彼は仕方がないなといった風情で笑った。彼も時生と同じ気持ちでいるのだろう。
「やった楽しみだ!」
ダヴィド王子は破顔し、ご機嫌でおにぎりにかぶりついた。彼の両脇の大人達は、それを優しい目で眺めていた。
オルベジーネ=なす
ポッロ=葱
カロータ=人参
バルダーナ=ごぼう
クレモーソ=クリームチーズ
カヴォロ=キャベツ
トンネット=鰹
チェトリオーロ=きゅうり
プリュネ=プラム
ガンベリ=海老
セサモ=ゴマ
ペペロ=唐辛子




