マイアーレのポッロ炒め定食
「……昆布だ」
時生は子供の手の平よりも小さい乾燥昆布もどきが大量に入った袋を覗き、それを1枚摘むと齧った。彼はしばらく目を閉じ、それをよくよく噛みしめた。
これで和食が作れる。
時生はぽつりと呟くと嗚咽した。
「え。泣くくらい不味かった!? ごめんなトキ、吐き出してくれていいから!」
この店の常連である若い兵士ファビオは、彼のその様子に戸惑った。故郷の母から送られてきた好物のラミナーリアを時生にお裾分けしたのだが、異世界の住人だった彼の口には合わなかったのかもしれない。
「違う、違う。ファビオありがとう。俺、この世界で昆布が食えるとは思わなかったから。これ本当に貰ってもいいのか? 後で返せって言われても絶対に返さないよ? 本当に返さないよ?」
時生は袋を抱きしめると、しつこいくらいに尋ねた。それに対しファビオはそんなこと言わないよと返答したが、時生のその必死な様子に引くと同時に不思議に思った。
ファビオの故郷では、ラミナーリアなんてそこら辺に生えているただの海藻に過ぎない。それの用途なんて乾燥させたものを粉末にして地元の年寄が滋養強壮の薬として飲むか、子供がおやつとして食べるくらいであり、王都や他の町の人間なんて見向きもしない物だ。そうだというのに何故時生は、こんなものを必死になって欲しがるのだろうか。
「別にそんなもの。田舎からいっぱい送られてくるからいいよ」
「ありがとう、ファビオは俺の恩人だ!」
そんな大袈裟なとファビオは苦笑した。そうして彼は粗末な物をあげたことを、こんなに大喜びされるなんてと逆に申し訳ない気持ちになった。次第にファビオは居た堪れなくなり、じゃあこれでと言いそそくさと立ち去った。その彼の背に向かい時生は、今晩は絶対に店に来てくれよなとご機嫌で声を掛けた。
「アッレグリーニ将軍、来てないといいなあ」
日が暮れるとすぐにファビオはオステリア・ウォーモへと向かったが、なかなか足は進まなかった。彼が所属する王国軍の最高指揮官であるカルロが、そこにいるかもしれないと思うと躊躇してしまうのだ。自分でも男のくせに情けないとは思うのだが、何かの弾みで不興を買ってしまうかもしれないと考えるだけで震え上がってしまう。特に時生はカルロが実の息子の様に可愛がっているのだから、なおさらその危険が増すというものだ。
とぼとぼと歩いては立ち止まりを繰り返していたファビオだが、とうとう店に到着すると仕方なく扉の取っ手を握った。そうして大きな息を吐くと意を決し、それを開いて入店した。
「やあ、ファビオ。いらっしゃい。もう用意してあるよ」
「うん、こんばんはトキ」
ファビオは時生にそう挨拶したものの、目線は客席を彷徨っていた。それからカルロがいないのを確認すると、今度は安堵の息を大きく吐いた。
ああ、よかった。
彼は思わずそう小さな声で言葉を漏らした。それを聞いた時生は笑いを堪えながら、カルロには今日は遅い時間に来るよう伝えてあるとファビオにそう言った。時生に見抜かれたファビオは恥ずかしさのあまり体がかっと熱くなったが、誤魔化すように笑みを浮かべた後にありがとうと礼を述べた。
「はい、マイアーレのポッロ炒め定食。お待たせ」
もう用意が出来てあるというだけあって、すぐに料理がファビオの前に運ばれた。何皿も彼の前には料理が置かれたが、そのどれもがいつもとは違う匂いがしていた。時生が作る料理はどちらかと言えば、この世界の料理に似た味や香りのものが多い。けれども今回の料理は香りはおろか、ご飯以外のものは見た事すらなかった。
「へえ、いつもの料理と違う。これは何料理だい?」
「俺がいた地球の日本って言う国の家庭料理だよ。故郷の味なんだ」
時生が何処か遠い目をしてそう言ったのを、ファビオはそうかとだけ言って答えた。他に掛けてやれる言葉が見つからなかった。何か適当な言葉を探し励ましてやったところで、故郷も家族も失ったことのないファビオがやると白々しいだけだろう。
「トキの作る料理は何でも美味そうだ。ようし、いただきます!」
ファビオは湿っぽい空気を変えようと大きな声を出し、フォークを取って食事を始めた。けれども彼はすぐに手を止めると小さく唸った。
参ったな、どれから手を付けたものか。
彼の前には炒め物の他に合計4品もの料理が並んでいたが、見た事のない料理ばかりが並んでいるせいか彼は珍しく悩んでしまった。
「今日はマイアーレの豚バラを使ったポッロの炒め物をメインに、ポッロの味噌汁とカヴォロの浅漬け、オルベジーネの揚げ浸し。それにチッポラと青ペペローネの酢の物を作ってみたんだ。迷ってるならまずは味噌汁からいってみてよ。それラミナーリアから出汁を取ったんだ」
「へえ、そうなんだ。ええと味噌汁って、この茶色いスープのこと?」
時生が頷くのを確認するとファビオは、味噌汁が入っている木製のスープ皿を手に取った。すると嗅いだ事のない香り高いものが彼の鼻をくすぐった。ファビオはそれにごくりと唾を飲み、スープを一口すすった。すると彼の口には芳醇な味わいが広がった。塩気があるがしょっぱいだけではないコクがあり、またポッロを蕩けるまで一緒に煮込んだことによって旨味がぐっと増していた。そうして後口には今まで食べていたものとは段違いのラミナーリアの奥深い味わいが残った。
スープの出汁に使っただけで、ラミナーリアはこんなにも美味くなるものなのか。
ファビオは目を見開いてスープをまじまじと見た。
「ポッロの味噌汁は美味いだろ? 味噌はソイアのペースト、鰹節は鰹に似たトンネットの荒節を自作して代用出来たんだけどさあ。やっぱ荒節じゃ香りは良いけど旨味がなくってね。ファビオが昆布に似たラミナーリアを持ってきてくれたから、ようやく和食が作れたんだ。俺ずっと食べたかったんだよ、本当にありがとう」
時生が良い笑顔でそうファビオに説明してくれたが、彼には美味い以外のことはちっとも理解が出来なかった。けれどもそれだけ分かれば十分だ。食べる側に理屈なんていらない。本能で味わえばいいのだ。
ファビオは味噌汁を置くと、今度はメインの炒め物を口に運んだ。脂っこい豚バラ肉にしゃきりとした歯ごたえのあるポッロが加わることで、くどくならずに食が進むようになっている。それに甘辛い味付けがご飯にとてもよく合った。
ちょっと休憩にと食べたカヴォロの浅漬けは、ほんのりとした塩気がさっぱりとした味だった。カヴォロはしんなりとしているが歯ごたえがあり、更に味噌汁の出汁とはまた違ったラミナーリアの旨味があった。
ここにもラミナーリアが使われているなんて、とファビオは再び驚いた。
「その漬物にもラミナーリアを使ったんだ。出汁を取ったあとのやつが勿体ないからさ、塩昆布を作ったんだよ。本当は乾燥させた方が浅漬けには良く合うんだけど、今日はこれで勘弁してくれな」
時生のその言葉にファビオは黙って首を振った。こんなに美味いのだから謝らないで欲しい。
それから彼は、まだ食べていないオルベジーネの揚げ浸しを口に入れるとううんと唸った。油で揚げることで淡白な味わいのオルベジーネが、濃厚なものへと変化していた。またそれによってオルベジーネの水分が飛び、蕩けるようになった食感が堪らない。それから酸味と塩気のあるソースがその濃厚な味にぴったりだった。なによりもオルベジーネに振りかけられている木屑のようなものが凄かった。噛めば噛むほど旨味が出てくるのだ。
「トキ、この木屑みたいなの何だい?」
「ああ。それはトンネットの荒節をナイフで削ったものだよ。手で削ってるからちょっと分厚いけど、その方が旨味が出るからまあいいかなと思って」
「うん。俺もこの噛みごたえがある感じが良いと思う」
そう言った後にファビオは、最後に残してあったチッポラと青ペペローネの酢の物を食べた。チッポラは彼のもう一つの好物なので取って置いたのだ。
薄切りにされたチッポラのしゃくしゃくとした食感とほのかな辛み、細切りにされたペペローネのパリッとした歯ごたえと苦みに甘酢がとてもよく合う。また同じ酸味でも、オルベジーネの揚げ浸しとは違った感じで喉に絡む酸味が心地良い。
ファビオは黙々と手を休めることなく、次々と料理を口に運んで行った。
「ああ、美味かった! なあトキ。これからもラミナーリアお裾分けするからさ、またワショクだっけか。これ作ってくれないかな?」
「ありがとうファビオ! 定期的にくれるなら、ここの食事代ただでいいよ!」
時生は昆布もどきを安定して手に入れることが出来ると確信し、歓声を上げて飛び上がる程に喜んだ。彼の頭の中には昆布締めや寿司、水炊きといった料理が次々と浮かんでいた。夢にまで見たそれらの料理を味わうことが出来る感動に、彼の顔は緩むばかりだった。
小説に出てきた食材は、地球では以下の食べ物と同じです。
ポッロ=ポロねぎ
オルベジーネ=なす
カヴォロ=キャベツ
チッポラ=玉ねぎ
青ペペローネ=ピーマン
ソイア=醤油のような味の果物




