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赤い死神の物語

 


「それでご主人様が一日外出を貰って此処に来たのはどういう理由なんです?」


 隣を歩くリーゼロッテが不思議そうに尋ねてきた。

 ファラクは調査したい事があると一日外出許可を貰い、この場所にいる。

 犯罪特区にある、孤児院。

 塗装は剥げ、屋根は所々崩れたこの建物は先日ファラクが訪れた孤児院。

 因みに一度家に戻ったファラクはリーゼロッテに捕まり、依頼とは別で行くところがあると言えば頑として着いてきた。可能な限り一緒に居たいらしい。

 ファラクはリーゼロッテの言葉を聞きながら建物を見上げ答える。 


「まだ分からないんだがな、ひょっとしてと思ってな」


 ファラクとしては複雑な思いがあり、確証もないので濁す事にした。 

 ファラク達はそのまま孤児院の敷地内へと入る。

 子供達が「このあいだのおじちゃん!」と見付けるやいなや腕や足やらに飛びついてくる。リーゼロッテは不思議と飛びつかれなかった。ただ遠目でほぇ~と子供達がきらきらとした目で見見られている。この扱いの差はなんだ、なんて思わない訳でもなかったが子供達に院長を呼んできて貰えるように頼んだ。


 ――気のせいならいいんだが……いや。そうで会って欲しいと俺は思っているのか。

 

 色々と考えているうちにこの孤児院の院長――ガトーが表にでてくる。

 ドアを開き、微笑を浮かべる院長が出てくると、ファラクが何と言おうか考えている内にガトーが先に口を開いた。

 

「少し、散歩でもしませんか?」


 声に緊張はない、普段通りではあるが、ファラクはやはり、その表情と言葉から感じる。

 リーゼロッテにその場に残って貰えるように頼み。ファラクは院長と並んで歩く。

 ただただ無言で歩く二人。

 ファラクもガトーも犯罪特区のボロボロになったレンガや時折見える木々を、あるいは空やそこで舞う鳥たちを見ながら無言で歩いて行く。

 

 ファラクが急に足を止めた。

 そこは奇しくもファラクが壊した倉庫の前であった。

 ガトーは何歩かファラクの先を歩き、ぴたりと止ると振り返った。


「ファラクさん、あなたには何よりも大切なものはありますか?」


 唐突の言葉にファラクは迷うように首を捻る。大事に思っているであろうものはいくつか、また何人かいる。だが何よりもと言われると困るものがある。

 その様子を見たガトーは。一つコクリと頷くと、


「少し、私の話しをしてもいいでしょうか?」


 やさしげな笑顔で微笑みながら、ゆっくりと目を閉じガトーは言う。

 ファラクも大事な話なのだろうと、僅かに相づちを打った。


「そうですね、私は両親がおらず、この犯罪特区で盗みを働きながら生きてきました――」



 ◇◆◇


 

 これは赤い死神と呼ばれた男の物語。

 だれもが彼を恐れた。

 だれもが彼を忌避(きひ )した。

 だけど、

 彼等だけは……。


 

 ――24年前


 ばりんっとグラスが壁にぶち当たり、 

「ざけた事いってんじゃねぇ!」

 どなり声が響く。

 

 息を荒げ、睨みを効かせる男を見た周りの者は、誰もがゴクリと言葉を呑み込んだ。

 

「なぁお前! もういっぺん言ってみろよ?」


 ドスの聞いた声と共に血のような赤いダガーを抜き放つと男は瞬時に近づき振るったダガーをぴたりと首で止めた。


「い……いえ」

「い、え、じゃないだろうがぼけ」


 震える男の首からは僅かに血がしたたる。


「そ、それがぁ!」

「あぁ!?」

「ひぃっ!」


 あまりの剣幕に怯える様が男をよけいにイライラさせた。

 そんな中、男の背後、人垣の中から体格の良い男が顔を出し、口を開いた。


「おい、ガトー、その辺にしとけよ」

「うるせぇよ。お前はそれでいいのかよヴォルキン」

「あ? 仕方無いだろうが、負けちまったんだからよ」


 ヴォルキン、ガトーの所属するギルド、タナトスの副ギルド長。対する赤いダガーを手で玩びながらイライラした顔で返すガトー。

 

「勇者アカネとかいうよく分からないのに邪魔されたあげく返り討ちになったんだぞ?」


 ヴォルキンは歪んだ笑みを浮かべるとさもなんともないように答える。


「しょうがねぇだろうがよ、あいつらの方が強かったんだからよ」

「うちのギルドがコケにされたんだぞ? この借りは返す、絶対にな」


 怒りを双眸(そうぼう )に宿し、怒りを辺り構わずぶつけるガトー。

 

 語部(かたりべ)は言う。

 当時、まだアルクール国が公国ではなく皇国だったころ。

 戦争の真っ直中にあったこの国は未曾有の危機に瀕していた。

 クリド大陸にあるアヴァロスとの戦争で疲弊していたこの国にどこからともなく魔物の大軍が押し寄せた。

 それを率いていたのはたった独りの男。

 

 魔王ゼノア。


 数年後そう呼ばれるようになる男はアルクール皇国を襲う。

 戦争で疲弊していた皇国に抗う術はなく、瞬く間に領土を奪われていた。

 各地に点在する街や村は滅ぼされ、その魔の手はこのプロメシアまで手が掛かる寸前突如現れたのが勇者アカネだ。

 勇者の活躍により一先ず魔王を退ける事に成功したこの国は、その疲弊した国力が治安を悪くし、犯罪はそれこそ息をするのと同じくらい当り前に行われていた。

 そこで頭角を現してきたのがガトーの所属する犯罪者ギルド、カースであった。

 国も勇者も魔王に釘付けになり、荒んだ人の心はカースを育てた。幹部であるガトーは自らの得意である暗殺者ギルドタナトスをカースの下部組織として設立、ギルドマスターとして君臨していた。

 ガトーがギルドの運営を軌道に乗せた頃、勇者アカネは強力な味方を連れ、魔王と戦う一方、この国の治安にまで顔を出すようになる。


 そんな中でギルドの依頼にきた要人暗殺の任務であった。

 魔王ゼノアとの戦いの為にアヴァロスとの和平を唱え皇帝ハイデルを唆すハト派、その中で実質的な扇動者となる貴族、エヴォ=アルスレイの殺害。過激派からの大口の依頼だったのだが、勇者アカネはハト派につき、ガトーの放った暗殺者達は一蹴された。

 大きな仕事であった為、皆ガトーが直々に育てた腕の立つ者達を使ったのだ。“それなのに”だ。ガトーの怒りは燃えさかっていた。

 

 ガトーは踵(きびす )を返し、バーのカウンターへと荒荒しくも座ると、グラスに酒を入れ一息に呷った。

 

「んで? 報告しろ、被害は?」


 ガトーの言葉に指示を受けた者が慌てて近寄ると直立して答える。


「は、はい。軽症16名です」

「死亡は?」

「いません」

「はぁ?」

「で、ですので死亡者は0です」


 ガトーはテーブルへとその怒りをぶつける。

 死亡者がいない、それは取るに足りない存在だった、そう告げられた気がしたのだ。手加減する余裕のある程度の相手でしかなかった。当時命を奪い奪われ、そういった場に身を置いてきたガトーにとって、それは強者の傲慢にしか映らなかった。

 

 腸が煮えくり返る程の憤りに、ガトーは自ら乗り込む事を決める。

 ガトーはそこから情報を集める。

 勇者達の戦い方。アルスレイ邸の防備やエヴォの行動のタイムテーブルまで、ガトー自身の隠密の技術を駆使し、集めに集めた。

 

 


「あの時は躍起になっていました、最底辺から出発してカースを作り上げ、タナトスを作って。世の中の全てを恨みながら、くそったれ、なんて良く言っていたものです」


 何処か遠い所を見ながら、少しずつ話していくガトーをただ黙ってファラクは見つめ、無言で聞いていた。

 

「思えば、あの勇者との出会いが無ければ、私は今こんな事はしていなかったかもしれません、恐らくは今も人を殺し続けていたか、それともいつか誰かに殺されていたでしょうね」


 涼しい顔でファラクの顔を見つめるガトーは、微笑を浮かべる。

 

「そうして私は情報を集め、エヴォを暗殺する手筈を整えました。彼は週に一度、必ず護衛も付けずに赴く場所がありました。私はそこで彼を暗殺するつもりでした」



 

 

「一皮剥けば同じ穴のむじなだなぁおい」

 口元を歪め、嘲(あざけ)るようにガトーは呟いた。標的がやがてくるその館の屋根。そこでただ独り闇に紛れながら時を待つ。

 たった独りで身を伏せるガトーに仲間は居ない。腕の立つ者は他にもいるが、単独で行動する辺り、当時のガトーは誰も信用していない事が覗えた。

 

「どんな聖人面してようが、裏ではこんなもんだ」


 くそったれめ、ガトーは吐き捨てる。

 エヴォが週に一度必ず訪れる館。

 いつからか欲望の館と呼ばれるここは奴隷館の一つだ。その特異な点から秘匿はされているが貴族ご用達の店は、女を抱くだけの場所ではない。

 その身の内に潜む特殊な性癖を満たす為の店。

 中で待機する“商品達”は使い捨てだ。

 戦災で行き場を失った溢れかえった女が、孤児が捕まりこの館で最後の時を迎える。

 

 ハト派で民草からの信頼の厚いエヴォがここに通うのはそんな”商品達”を助ける――訳では勿論ない。欲望をただはき出すために惜しげも無く通っているだけだ。

 

 そんな頭の狂った者など何処にでもいるし、ここで最後を迎える事になったのは力が足りなかったからだ。身に掛かる火の粉を払えなかった者達が嬲り者にされる。それは何処の世界でも同じだ。

 だからと言ってガトーに忌避(きひ)するつもりはない――いや、この場合は全てを忌避していると言った方が正しいか。

 

 やがて潜めて待っているとガトーの標的が館を訪れる。

 ガトーは標的の乗る馬車が見え次第隠蔽(いんぺい)魔法を使い姿を消すと、屋根から館へと侵入した。

 

 防音に優れている為か、館に入っても、聞えるであろう悲鳴は聞えない。

 だが、廊下に人知れず立つガトーが標的を探し歩いている間、その規則正しく設置されている各々の扉からは肉の焼ける匂いや血の臭い、腐臭や蔵物の匂い等、様々な匂いが入り交じり胸に不快感が込み上げる。

 

 ガトーは足音を立てずエヴォを探す。未だ店にはいったばかり彼は一階の受付で話しをしてい筈。彼らが楽しむ為の部屋は二階からだ。だからガトーは二階の階段付近で息を潜めて彼等を待つ。

 だが、ガトーは二階から上がってきた者を見て内心舌打ちを零す羽目になった。階段から上がってきたのは5人。

 先頭を歩くのはここの受付だろう、鍵をもっている。その後ろを歩くのは標的であるエヴォ、他二人は子供だった。エヴォに手を引かれる子供達はボロボロの格好だがその顔は綻んでいた。これから何が起るのか理解していないのだろう。それは良いのだが、問題は残る一人だ。フードを深く被って顔を見えず、背恰好から小柄な者だとは思う、だが腰に剣を差しており、用心棒であることが分かる。 

 

 ――いつもここに独りで着ていた筈だ、だが今日に限ってなんで……くそったれ、だがこのチャンスは捨て置けねぇ、不安要素はあるが、独り位ならなんとかなるだろう。エヴォを殺せさえすればいいんだからな。

 

 ガトーは一抹の不安を残しつつも、足音を消し気配を消し、5人の後を追う。隠蔽(いんぺい)魔法を見破るのはコツがいる、それにガトーの気配を断つ術は完璧に近い、未だ見破られた事は無いことからガトーは作戦の続行を判断した。

 

 がちゃがちゃと受付の男が鍵を回し扉を開け、エヴォ達を招き入れる。

 ガトーは受付の男が開けると同時に音も無いまま部屋へと入ると部屋の角へと陣取った。

 

 すぐに行動は起こさない。隠蔽(いんぺい)魔法の時間制限はまだ先だ。最もエヴォが油断した隙、子供達を甚振って楽しんでる時、それまで待とうとガトーは気配を消したままエヴォ達の様子を静観する事にした。

 

 部屋の中は一見すると普通の部屋だ。だが部屋には窓しか無く壁は一般の部屋とは比べ物にならない程厚い。

 備え付けのベッド一つの簡素な部屋ではある。

 

 部屋へはいったエヴォ達は子供達をベッドに案内すると和やかに告げた。用心棒は部屋へはいってこなかった。外で待機する手筈になっていたのだろう。ガトーに取っては有利に働いた事に計画を上向きに修正する。


「ありがとうございます。公爵様、こんな話が来るなんて夢のようです」

 部屋に招き入れられた子供の二人、10代前半くらいであろうか、少女の方が深々とエヴォに頭を下げる。

 

「いやいや、いいんだよ、これから奉公して返してくれればいいんだから」

「本当に、弟共々雇って頂けるなんて……」

 表を上げた少女の目には涙が浮いている。隣にいた子供。弟なのだろう。10代にまだ届かないであろう弟は姉の着るボロ布をきゅっと掴み不安そうにしている。

 姉が弟やさしげに見ると頭を撫でる。


「一生懸命奉公しようね。住む家も無くなった私達を公爵様が雇ってくださるって。沢山働いてこの御恩をお返ししましょう」

「うん」


 ガトーはエヴォを見る。一見するとエヴォの善行。


 姉弟は自分の身に振りかかった幸運を喜んでいる。姉弟のこれからの身は明るい。公爵家に仕えるメイドと執事見習。戦時の真っ直中にある今、貴族の館は最も安全な場所の一つだ、公爵家、とりわけエヴォのような文官であれば戦にも出ず、皇帝に意見できる程の立場から考えても国が滅びでもしない限り安全は確保されたようなものである。

 姉にもそれが分かっているのだろう。ボロの衣裳を纏ってはいるが教養とある種の気品を感じた。そしてその瞳からは素直さが現れている。だからこそ目を付けられたのだろうが。


 ――まぁ、無いわな。

 

「さぁ、君達。少し汚れているから綺麗にしようか、服を脱ぎなさい」

 エヴォはその笑顔を絶やさず姉弟達に告げる。姉弟達は目は少しだけ怯えを見せるが、


「大丈夫だよ。明日向かう家では身を綺麗にしておかないと入れないからね」

「そ、そうですよね。こんなに汚い格好じゃご迷惑をお掛けしてしまいますよね」

 ほら、と姉がふっきるように弟へと告げると姉弟は服を脱ぎ始める。

 エヴォはクローゼットから桶と布と様々な道具を姉弟が服を脱いでいる間に用意する。桶には用意周到な事に既に水が張られていた。

 ガトーはエヴォの取り出した道具に目を見張った。

 

 ――そういう事か。

 

 姉弟達はその道具がなんなのか分かっていないのだろう。これから起るであろう事にも気がつかず裸身になった羞恥で頬を染めている。


「さぁ、じゃあ綺麗にしようか」

「あ……あの自分で」

「拭かせてくれるよね?」

「あ……は、はい」

 

 少しずつ化けの皮が剥がれているが、姉が戸惑いながらも肯定を返す。


「まずは君からだ」


 エヴォが姉弟達を綺麗にしていく。大方これから行う行為の為に姉弟達を検分でもしているのだろうか。二人ともぎゅっと目を瞑り、恥ずかしいのを堪え忍んでいる。

 やがてエヴォは満足するかのように姉弟の体を綺麗にし終わると姉と弟を備え付けの椅子へ座らせようとする。 

 姉弟は不安そうな顔をちらりとするが、雇い主に逆らうのは駄目だと思ったのか、素直に椅子へと座る。


 うん、とエヴォは笑顔で二人の座った椅子へと触れると、かしゃんっと椅子から音を立てて枷が飛び出す。

 

「え? 公爵様? これは」


 手と脚に付けられた枷を見て姉が驚いたように告げる。弟は立ち上がろうとするが手足を拘束されて立ち上がる事ができない。

 

 ――馬鹿な姉弟だ。本当に。

 

「うん、馬鹿な姉弟ですね、本当に」


 奇しくもガトーが思った言葉をエヴォが代弁するかのように告げた。


「こ、公爵様?」 


 言われた事を理解できなかったのか、きょとんとした顔で姉がエヴォへと尋ねた。


「それにしても良い素材が手にはいりました。難民支援所から人が回ってくるすようにしたのは当たりでしたね。ここがどこだか気がつきもしないで未だに信じているのですから」

 くくくっと笑いが堪えられない様子で椅子に拘束される二人を見るエヴォ。その眼差しも顔も興奮したように歪んでいる。

 

「お姉ちゃん!」


 がたがたと椅子を揺らし、叫ぶ弟。


「おや、弟君は姉よりは賢いようですねまぁ、もう遅いのですけどね、さて、そんな何が起っているか分からない君に質問です、これはなんでしょうか?」

 金属でできた手袋、一見するとそんな器具を持ちながらエヴォは愉快げに尋ねる。


 ――この世にそんな美味い話があるわけはないだろうが……

 

「え……えっと……分かりません」

「これはですねぇ、君の手に付けるとですね……クク……君の爪と肉の間に針が飛び出す仕組みなんですよ? ね、楽しそうな道具でしょう?」

 

「は、針? え?」

「痛そうですよねぇ? 私は子供が痛み悶える姿が大好きなのですよ」

「で、でも公爵様は私達を雇ってくださって」


 エヴォはその言葉に歪んだ笑みを濃くすると言いたいことを我慢ていた子供のように目をきらきらさせて答える。


「う、そ。ですよ勿論。そんな訳じゃないですか」

「う、嘘?」


 パニックになった様に顔をきょろきゅろさせる姉、弟を見ると視線をエヴォに移す。


「だ、騙してたんですか?」


 ――そうだ。お前は騙されていたんだよ。 


「そうですよ、あなたは今からこの器具を付けられて拷問されるんです」

「ど、どうしてそんな事を」

「楽しいからですよ。いいですよ、いいですよその表情。純真無垢な子が騙されて驚きに染める顔はたまりません」 


 うっとりするように少女を見つめながら興奮するエヴォは、弟へと近づくと手に持った拷問器具を弟へと取り付けようとする。

 

「ま、ま、待ってください」

「うん? どうしましたか? 君の番は後にしようと思っていたのですけど、もっと絶望する顔が見たいので」

「お、弟は助けてください。拷問するなら私だけに」

「う~ん? どうしましょうか?」


 エヴォが身を屈ませると姉の顔を覗き込む。懇願するかのような姉の顔をひとしきり眺め尽くすと、


「いやです」


 その笑顔とは真逆の残酷な答えを返す。

 すっと踵を返すと、弟の手をとりかちゃかちゃと器具を取り付けようとする。

  

「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」 


 弟は椅子を揺らし泣き叫も、エヴォは笑うだけで手を止めようともしない。弟に拷問器具を取り付けると。満足そうな顔で姉を見る。


「それじゃあ、よく見て、良く聞いてくださいね? 弟君の泣き叫ぶ様を、その声を」

「やめて、やめてください、誰か、誰か助けて。弟を! 誰かぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 姉の叫びが部屋中に木霊する。この場に姉弟を助けようとするもの等居ない。姉の叫びは誰の耳にも届かない。


 だけど、

 

 この部屋には一匹の獣がいた。

 

 姉の叫び声は物音をかき消し、うっとりと享楽にふけるエヴォは隙だらけ。

 

 その僅かな隙間。

 

 血のように赤く染まったダガーがエヴォの首筋で光った。

 部屋には血飛沫が舞い。


「あがっ」


 エヴォが目を見開いてその獣を見る。

 仮面を被った顔からは表情は見えない。


「お゛、お゛ま゛え゛」


 首元を抑えながらエヴォがガトーを見る。

 チっとガトーは舌打ちを零す。一撃で殺すつもりが、僅かに気配でも感じたのか、エヴォが避けたのだ。お陰で致命傷とは言いがたい。

 ガトーは止めをさそうとエヴォへと近づく。


「あ……あなたは?」


 咄嗟に声を掛けられ、一瞬そちらに意識が集中した刹那であった。

 エヴォが突如走りだすとドアを開く。思った以上の身体能力と早技にガトーは舌打ちを零す。首を切ったとはいえ、回復魔法を掛ければまだ助かる傷だ。

 

 ガトーはエヴォに止めを刺そうと飛びかかったその時、開いたドアから一瞬にしてフードを被った用心棒が目前に現れると長剣を一線、ガトーは咄嗟にダガーで防ぎながら、もう一本のダガーを投擲。受け流し切れずに長剣の一線はガトーの鼻筋を取らえると、仮面が真っ二つに割れて地へと落ちた。

 バックステップで距離をとり、ガトーは投擲した先を見る。

 そこには倒れ臥すエヴォがいた。狙い通り後ろ首にダガーが刺さり絶命させたようだ。

 

 ――後は逃げるだけだな。

 

 仮面を割られてしまい顔が割れてはしまったが、今は逃げる事が先刻だとガトーは算段を立てていく。

 先程の一撃、未だに腕が痺れている。受け流すつもりだったのだが思っていた以上に重くするどいその一撃を見るに戦いを継続させる気持ちは起きない。目的を達した今戦う意味はないのだから。

 

 幸い用心棒からはすぐに動く気配は無い。

 かと思いきや。

 僅かに首をかしげる。

 

「後ろの者、あなたがあれを?」 

 

 僅かに背後に意識を向ける。

 

 ――こいつは何を言っている? 動揺を誘う気か? それにしては動く気配はない。エヴォが何にをしに此処に来たか分かってない? ありえるか? そんな事が?

 

「…………」


 押し黙るガトーの事を見る用心棒は長剣をさやに納めるとそのままガトーの脇を脱け姉弟の元へと向かうと目線を合わせるかのように跪く。

 その行動の意味は分からなかったがガトーはチャンスだと思い、逃げようと動こうとすると。


「待ちなさい、まだ話は終わっていません」

 ぴたりと足が止る。

 自分でも何故か分からない。だがその綺麗な女の声を聞いていると、そうしなければならない。そんな風に感じた。

 

 見れば姉弟は二人とも状況に追いつけていないように戸惑いながら視線を右往左往させている。

 フードの女は手の平を弟へと伸す。

 

「や、やめて、弟に触らないで!」


 ガタっと椅子を揺らし姉が叫ぶ。

 ぴくりと伸した手をひっこめると、フードの女は自らのフードを下ろす。

 フードから零れた黒髪は長く、艶やかだった。 


「安心して、私はアカネ、勇者なんて呼ばれてる女よ。あなた達に危害は加えない」

 

 ガトーは驚愕に目を開き、姉弟は困惑していた。

 

 ――こいつがアカネ? 本当だとすれば先の力も納得だがエヴォの様なクズとどうしてこんなところで……いやいや、何を信じようとしてんだ俺は。嘘に決まっているだろう。

 警戒を深めるガトーを余所に、姉弟とアカネと名乗る女は話しを続ける。


「ゆ……勇者様? え……でも?」

「ごめんなさいね。あなた達をここに縛り付けたのはそこに居る男? それとも公爵?」


 ガトーが足を止めた事といい。何故かその声は耳に残る。彼女の声に耳を傾けたくなるのだ。この姉弟もそうなのだろう。パニックに陥っていたのが嘘のように、姉が首を振って答えた。

 

「い、いいえ……公爵様は私達を拷問しようと。そこに居る人はどこから現れたのか分からないですけど……助けてくれました」

 

 ――助けてなんてねぇよ。

 そう毒突きながらも、ガトーはだまって成り行きを見守る事にした。流れから、自分にとって都合の良い風に転ぶ可能性があったからだ。

 

「そう、公爵はそんな事をしようとしていたのね。ごめんなさいね。私ったら公爵が難民の子供経ちの話を聞きにいくなんて言葉を信じて……」

 

 言いながら、勇者を名乗る女は二人を拘束から解き放つ。

 解き放つ姉弟は何か女と囁いて話すと、ガトーの元へとたたっと走り寄ってくる。

 

 ――なんだ、何が起っている。

 状況が読めず困惑するガトーに姉弟がよる。女は立ち上り、ガトーへ向き直ると告げた。

 

「さて、あなたは公爵を狙った暗殺者、って事でいいのかしら?」

「…………」

「あら? 喋ってくれないの? でも事実はどうでもいいのよね、あなたの顔は覚えたから、私が言えばあなたはお尋ね者よ?」

「あぁ!?」


 つい言葉に出てしまった。

 

 悪戯を思いついた子供のような顔を向けてくる女、振り向きガトーの方を向いたことでガトーは初めて女の顔をはっきりと見る。

 

 ――間違いなく勇者だな。

 その顔は知っている、情報収集で顔を拝んだこともある。まさかこんな所で相見えるとは思っていなかったが、その間近で見る顔は幾分幼く見える。20には届かないであろうか。

 

「あら、暗殺者ってもっとスマートなイメージだと思ってた。あぁ、なんて粗暴な言い方しなくてもいいのに」

「るせぇな。人の勝手だろうが」

 

 ――うっとうしい。

 してやったりの顔をしたアカネに、纏わり付いてくる姉弟。

 アカネはちらりとガトーに纏わり付く姉弟を一瞥した後ガトーを再び見る。


「まぁ私って表面上の粗暴さよりも中身が大事だと思うタイプなのよね」

「はっ! 公爵の中身を気づきもしなかった女が良く言う」 

 

 本音はどうあれ、アカネがここまで公爵を護衛して外で待機していたのは事実だ。

 

「まぁその辺りは何も言えないけど、取りあえずあなたにはやって欲しい事があるのよね」

「ほう? 依頼か」

「ええ、依頼料はあなたがお尋ね者になるのを防いであげる事」

 

 ――脅しかよ。まぁいい。簡単な依頼なら殺っちまえばいいし、無理難題なら逃げればいいだけだ。

 実力の伯仲した者と戦うリスクを冒すよりも、後で逃げる方がまだいい。魔人であるガトーはいざとなればギルドを捨てて他国へ逃げても生きては行ける。

 

 内心ほくそ笑みながらガトーは答えた。


「それで内容は?誰を殺ってほしいんだよ」

「その姉弟の面倒を見る事」

「……なんだと?」 


 思いがけない言葉にガトーは耳を疑った。


「だからその姉弟の面倒を見て、それが依頼」

「馬鹿かてめぇは。俺は――」

「だって、あなたに懐いてるもの、その二人」


 見れば姉弟は両端からガトーを挟むようにしてすぐ傍にいる。不安そうにガトーの顔を見ている。

 ――鬱陶しい、なんで纏はりついてやがる。

 そうガトーは思うがだが、振り解く事はしなかった。

 勇者をみるとにやにやとガトーを見ている。

 なんだか勇者に見透かされているような気がして、苛立たしげにガトーは答えた。


「は、すぐ見捨てるに決まってるだろう」

「それは無いわね」

「なんでだ?」

「ん~勘? それに……その子達の命を拾ったのなら捨てるのもあなた次第」

「助けたつもりはない」

「だとしても、よ少なくともその結果助かったことには変わりないんだし、私はどっちでも良いわよ? 私はただあなたをお尋ね者にするかしないかでしかないし」

 

 ガトーはダガーをしまうと腕を組む。

 ――話が本当なら不利な事はねぇ、暗殺者に育てればいいし、才能が無ければさっさとのたれ死ぬだけだ。それはあいつらとも変らねぇ。こいつが約束を破れば俺はとんずらするだけでいい。

 

 ガトーは打算を働かせ思案すると。

 

「分かった」

 

 勇者から妙な依頼を請けるのであった。


 

 


「あの時は、しめたものだと思っていましたよ。私は子供二人を暗殺者にしたてあげるだけで危険を回避できたと」

 

 懐かしそうに話すガトーの声は弾んでいた。未だ話は見えないがファラクにはその思いでを語るガトーにとって良い記憶だったのだろうと感じる。

 

「私は彼姉弟を連れ帰り、二人を扱きました。何度も何度も、暗殺者に仕立てる為に。最初はすぐに挫折して死ぬだろうと思っていました。如何にも弱そうでしたし、ですが姉弟は辛い訓練にぼやきもせず、歯を食いしばって訓練に耐えていました。いつからでしょうか。私も少しずつ変っていたようです」

  

 もしかしてそれが勇者の策略だったのかもしれないですね、なんて笑いながらガトーは話を続けた。


 


 ――22年前

 

 姉弟を家に住まわせ、毎日訓練を行っていたガトーは。二年ほどもすれば今の生活が当り前になっていた。

 

 姉弟は姉をノーラ、弟をノルドと言った。

 この辺りでは珍しい褐色の肌は元々は他国の者だったと分かる。

 姉のノーラが物心着く前にアルクール国へと流れ着いていたらしいが両親は戦役で命を落とし路頭に迷っていたらしい。


 ガトーは暗殺者ギルドから戻ると家へと戻る。

 国の外れにある一軒家。戦争の爪痕が強く残りこの辺り一帯は焼け野原となっている。がらりと家の扉を開けると昔では考えられなかった光景だった。


「あ、おじさん! お帰りなさい」


 ノルドがガトーに気がつくと、走り寄ってくる。

 未だ10代前半であろうノルドは幼さが目立つが、初めて見たときに比べると訓練の甲斐もあって随分逞しくなっている。


「おじ様。お帰りなさい、もうすぐ夕飯ができます」


 ついでノーラはエプロンのまま台所から出てくると眩しい位の笑顔で出迎える姉、ノーラ。10代の半ば程になった彼女は異国風の容貌だが美人と言える育ち方をしている。

 

「あぁ」


 端的に応えると家の中を見渡すガトー。

 2年前まで家にはベッドが一つあるだけだった。それ以外は何にもない。それが今は子供が喜びそうな玩具が幾つか転がり、テーブルや台所の設備。生活感のある家に変っている。

 

 

「おじ様? どうかしましたか?」


 首をこてっと倒し。ノーラが尋ねてくる。


「なんでもねぇ、ノーラ。飯だ」

「はい!」

 

 素っ気ないガトーの言葉でも、嬉しそうに頬笑むと、ノーラは食卓に料理を並べていく。

 ガトーはどかっと椅子に座るとフォークを手に料理を食べ始める。

 食べ始める姿を見て、ノーラとノルドが笑顔になると。手を胸の前で組む。


「豊穣の神フィルナリア様。あなたの導きに感謝します。今日も私と弟はあなたの恩恵を受け。こうして食事をする事ができます」


 祈りを終えると姉弟達は食べ始める。最初は神に祈るなど無駄な事だと何度も言ったのだが。結局二人は辞めずにこうして毎日祈っている。昔と違い、今は神も神人も降りてくる事は滅多にない。ガトーにとって神の導きなどよりも稼いでくる俺に感謝しろと言いたいところではある。


「おじさん! 美味しい?」

「ん? あ、あぁ美味いな」

「ほんと? お姉ちゃんやったね!」


 満面の笑みを浮かべるノルド。

 顔を赤くして頬笑むノーラ。

 

 よかったです。とノーラは頬笑む。


「でもおじさんももっと美味しそうな顔すればいいのに」

「るせぇぞ。 黙って喰え」

 

 ――調子に乗りやがってこいつら。

 

「む~ お姉ちゃんいつも言ってるんだよ? おじさんが笑顔になるような料理を作りたいって」

「ノ……ノルド」


 しーっと指を口元に立てて弟を窘めようとするノーラ。


「あぁ? なんだそりゃ?」

「だってね、おじさんっていっつも無愛想な顔してるでしょ? だから笑った顔を見てみたいなって」

 

 そういうとじっとノルドはガトーの顔を見る、視線を移すと、ノーラも同じように。


「…………」


 ガトーは目の前にあるパンを手に取ると何にも言わずただ囓った。


「あ! おじさん今笑おうかどうか考えたでしょ!?」

「ノルド!」

「だから黙って喰えつってんだろ!」

 

 だがガトーが言ってもノルドは言葉は止らない。ノーラも窘めはするが完全に止めはしない。

 それはこの二人はガトー自身が本気で言っていないと分かっているのだろう。


 一度仮面を付ければ、ガトーは赤い死神とまで呼ばれる冷酷無比な男だ。

 暗殺者ギルドタナトスのトップに君臨し、カースの幹部として対峙する敵のみならず、味方にも恐れられている。

 ギルド内でも何人かの暗殺者は育てたが、ガトーにこのような軽口を叩けるものはいない。

 ガトーは全てを憎んでいた。

 物心ついた時は既に両親はなく。悪ガキ共と連(つる)んで。強盗、恐喝、食べる為には何でもやった。そうしなければ生きていけなかった。法は彼を守らず、やがて開かれた戦端による国力の低下彼の憎しみに拍車を掛けた。


 だが。


 ――こういうのも………………悪くねぇのかもな……

 

 胸に渦巻くしこりが、ずっとつっかえていた胸の奥にある憎しみが徐々に薄くなっているような気がする。

 

 ――けっ。 生きるために何でもやってきた俺が何を今更。

 

 ガトーは心に残る憎しみをかき集めるようにして表情を変えると二人を見て言い放つ。

 

「楽しむのも結構だがな、来週にはお前らを暗殺者ギルドに入れる。下っ端当たりの実力程度にはついたからな。ギルドにはいった後はお前らの面倒などみない。精々死なないように足掻くんだな」

 

 歪んだその笑みは、子供達が見たかったものではないだろう。

 だがガトーはそれでも、そうせざるを得なかった。

 依頼に失敗すれば呆気なく死ぬ世界、そんな世界が間近に迫っているというのに、姉弟は「はい!」と元気よく答えるばかりだった。

 

  

 翌日ガトーはギルドへと顔を出すと、酒を片手に報告書を読んでいた。

  

「それで、今度は魔王か」


 普段は隣にいるヴォルキンがいない。

 そしておよそ半数ものメンバーが最早帰らないものとなっている。 この二年、ガトーは何もしていなかっただけではない。 

 姉弟を引き取り丸くなった、等と揶揄(やゆ)された事はあるが、ギルドの規模自体は向上した。

 姉弟達が取り持った縁とでも言えるだろう。

 ガトーの上客となった勇者達。

 勇者達は魔王を倒すには、また政治に関わればその裏が出てくる事を理解していた。


「毒をもって毒を制するのよ」


 その様な事を言っていたか。勇者など呼ばれ民の信頼も厚いが。


 ――ありゃ、牝狐だろう。性質が悪すぎる。


 ある意味では正しいと言える。 

 勇ましき者。勇者。

 女だてらに戦に政治に、裏でも表でも活躍する彼女は未だ10代の娘でしかない。そんな若さでどうやってその知識を身につけたのか、一説に寄れば神人が招いた世界の理を知るものだとか。勿論噂でしかないが、彼女のもつ知識は深すぎる。

 

 それはともかく、彼女が大口の雇い主となり、タナトスは依頼をこなし続ける事で規模を大きくしていた。

 だが今回の依頼は結果が思わしくなかったようだ。

 大規模な魔物掃討戦、タナトスから派遣された多くの者が魔王が構える居城へと偵察、ヴォルキンを含む全ての者が戻らない。

 恐らくは殺されたと見るのが良いだろう。

 魔王にやられたか、魔物にやられたか。

 勇者でさえ個人の戦力では敵わず、何度か勇者を要するチームも撤退を余儀なくされている。

 ガトー自身勇者の依頼で勇者チームの前衛兼偵察を行う事もある。勇者とガトーの実力はその戦闘の向き不向きにもよるが大方同程度といった所だろう。だが魔王には勝てる気がしない。

 

 ――ちっ。俺が行くしかねぇか。

 ヴォルキンまでもが失敗した今。ガトー自身が行くしか無い。依頼を取りやめるというのは考えない。このくそったれな世界で生きる中、だからこそ矜恃(きょうじ)が必要だ。ガトーは受けた依頼は必ず果たす。それがガトー唯一のルールである。


だが今度ばかりはリスクが高い。トップ2であるヴォルキンすら戻らず、魔物がひしめく魔城に単独で足を踏み入れる事になるのだ。勇者達にすら気がつかれない隠蔽(いんぺい)魔法や技術も、魔物相手には効果が薄い。見付かれば命は無いだろう。

 

 だからと言ってやらないと言う選択肢はない、ガトーは覚悟を付ける、ふと脳裏には姉弟が頭に浮かんだが、ガトーは頭を振る。

 

 決行は明日。ガトーはギルドで準備を終えると、家へと戻った。

 

 家ではいつものように姉弟が出迎え、ノーラが料理を作り待っていた。仏頂面で飯を食べるガトーを余所に二人はにこにことガトーに纏わり付くように傍にいる。

 こいつらの顔を見るのも今日が最後かもしれない、そう思うと、姉弟の顔を見ずには居られなかった。

 

「何に? おじさん? 私の顔に何かついてますか?」


 ノーラはガトーを見ると不思議そうに首を倒しながら尋ねてくる。


「いや、なんでもねぇ」


「きっとお姉ちゃんが美人だから見とれてたんだよ」


 まぁ、なんて言いながらノーラは顔を赤くする。


「ちげーよ」

「そうなの? でもおじさん今日は少し様子が変だよね」


 きゅっと先程までのからかうような笑みを引っ込めると、ノルドは急に真面目な顔となる。

 机に頬杖をつきながら、ガトーは二人をじろりと見るとおもむろに告げた。


「お前ら俺が一週間、いや、五日戻ってこなければこの家を出ろ」

「あの、それはどうしてでしょうか?」


 ノーラは不安そうにガトーの顔を覗き込む。


「それだけ経って戻ってこなければ、俺はもう死んでいる。お前らならもう細細とでも食っていけるだけの力は付けただろう。だから戻らなければこの家をでてどこへでもいけ」

「いやだ!」


 ノルドはテーブルにだんと手を突き立ち上がる。


「いいから言うことを聞け、どの道俺が死ねば此処にいてもしょうがねぇだろうが」

「だって!」

「ノルド!」


 ノーラが凜と部屋に響き渡るような声でノルドを抑える。


「でも、姉ちゃん」

「どうしても、出なければいけないのでしょうか?」

「少なくとも俺が知る場所には近寄るな」

「魔王の洗脳ですか?」

「ああ」


 魔王が恐れられる理由の一つに洗脳魔法がある。前回アルクール皇国を襲った際、戦っている最中に味方が洗脳を受け、後ろから斬りかかられる。その混乱で多くの者が亡くなった。勇者と共にいるヒーラーのお陰で幸いそこまでの被害はなかったが、単独で動くガトーが洗脳されれば、最早解く術はないだろう。


 渋い顔をする二人は納得はしなかったが、ガトーが強く言うと首を縦に振った。

 


 

 

「ふむ、それでガトーは魔王の城へと向かったのか?」

 話を一区切り終えたガトーに、ファラクは口を開いた。

 ガトーは僅かに視線を落とし、首をゆっくりと横へ。


「はい、と言いたい所ですが違います」

「うん? しかし依頼で偵察に向かったのだろう?」

「ええ、偵察に向かう予定でした。ですがその前にギルドは何度も偵察に言っていたのです。そして誰も帰ってこなかった」

「うむ」

「通常偵察が捕まれば逆にこちらの情報が漏洩する事に繋がります。特に魔王は洗脳魔法を使う。こちらの情報は既に筒抜けとなっていた。そう言えるでしょう。私が偵察に行く前に、魔王達がせめてきたんですよ、そして私は偵察に行く前に勇者達に呼ばれた」

 

 眼を瞑るガトー、よく見れば拳を握っている。

 

「大口の依頼人です、無下にはできません、ですが非常時のあの時ばかりは断っておくべきでした」

 

 


「あなたの力で、各地で飛び回っている暗殺者達を倒して欲しいのよ」


 勇者に呼び出され、出合って開口一番。ガトーに告げられた声。 勇者アカネは白銀の甲冑を見に纏い、その長い黒髪をわしゃわしゃと掻き毟り、部屋の中で落ち着き無く歩き回っている。

 目の下に隈があることから、無理をしているのだろう。


「身内の不始末だからな、異論はねぇよ」

「そう、助かるわ」


 閉じた都門の外には魔物がひしめいている。攻城戦であれば多くの物資が残っている今、まだ手があると言える。だがそこに不安要素があった。

 暗殺者が入り込み、都門を開けようと画策、幸い居合わせた勇者の仲間が撃退して事なきを得たが、まだまだ暗殺者が飛び交っていると思われた。

 

「民には家に籠もっているように触れを出したわ、今外にいるのは騎士団や戦いに参加する冒険者と、門を狙う暗殺者ね」

「そうか、まぁやってやれねぇ事はねぇだろう」

「数はどれくらいか分かる?」

「多くて15と行った所だろうな、偵察に言った全員が洗脳されていればな」

「そう……ごめんなさい。あなたの所の人達だって、依頼をこなそうとしただけなのに……」

「あぁ? 馬鹿かおまぇは。失敗すれば死ぬのは当り前なんだよ。さっさと死なずに洗脳なんてされるあいつらが悪い」

「そう……」

「ああ、じゃあ俺はいくぜ、都門が開かれて負ければ俺らだって死ぬんだからな」

 

 そういって、ガトーはその場を立ち去る。

 勇者達がどのような作戦を立てるかなんてしらない。

 だが、ギルドの不始末は自らの不始末だ。

 

 ガトーは仮面を被ると、音もなく家から家へと飛び移り、僅かに漂う暗殺者の気配を探り当て、瞬く間に命を刈り取っていく。

 洗脳から解く方法は勇者の仲間が知っている。だが、そんな事をする暇はないと、ガトーは自ら育てたギルドのメンバーの命を奪い去っていった。

 

 八人ほどの命を奪ったとき、暗殺者達の動きに変化がある事に気がついた。

 

「ほぉ、俺を誘い込むつもりか」


 ガトーは単独で動くことが多いが、暗殺者は連携を主戦力にする事も多い。

 騎士の誇る一対一など暗殺者には無縁。負けるリスクを極力へらし事にあたるべきだ。ガトーは少なくともそう教えてきた。普段のガトーなら誘い込みなど乗るはずもない。



 自らが育てたギルドの者達。それがガトーに普段とは違う選択をさせたのか。


「ふん、最後にお前らがどこまで育ったのか見てやるよ」


 仮面の下で歪んだ笑みを浮かべたガトーは、罠を承知で飛び込んでいく。

 

 ガトーが足を踏み入れた場は、倉庫の中であった。

 中は広々としてゆうに100人は入れるであろうか。

 戦略としては間違っていないだろう。

 数に頼んだ戦法。そして倉庫の中は身を隠せるのに打って付け。

 障害物の多いここで、設置魔法や罠を仕掛けるのにも向いている。

 ガトーが倉庫の中央で足を止めると、足下が青く光る。

 

 設置魔法に隠蔽の紋を刻んだ魔法陣がガトーの足を止めた。

 その隙にと、一斉に7人の暗殺者が飛び出ると、四方八方からガトーの首を、腕を指を切りつけ、投擲ナイフや、魔法が襲いかかる。 


 ガトーの首が落ちる。

 床にどんっと転がるガトーの首。

 暗殺者達は臨戦態勢を解くように棒立ちになったその時。


 ――馬鹿が。

 

 転がったガトーの顔が不意に歪んだ笑みを浮かべる。

 それと同時、ガトーの体が発光し、周囲にいた暗殺者達を巻き込み大爆発を起こす。


「お前ら、相手を見てものを考えろ」


 不意に遠くから見守っていた暗殺者の背後から声が聞える。

 びくりと暗殺者が振り向こうとした刹那。赤いダガーが煌めく。 先程ガトーの首がそうであったように。その背後に立たれた暗殺者は二つに別けられた。

 

「自分が得意な場なら数を揃えてえ勝てると思ったのか? 自分達よりも得意としてる相手に」


 ガトーにすれば全くの下策だ。ガトーが教え込んだ魔法や戦術でガトーを出し抜こうとする阿呆共。さらに言えばガトーが彼等の実力が足らず教えていない魔法や技術もある。

 一瞬にして7人を斬り伏せたガトーは面白くも成さそうに呟くと当たりの気配を探る。


「ちげぇねぇな」


 不意に。倉庫の二階から声が届く。


「はぁ、お前まで洗脳されてるとはな、ヴォルキン」


 二階から見下ろすギルドのナンバー2の男を見る。

 ヴォルキンは跳躍するとそのままガトーの目の前に降り立つ。

 

 ――なんだ?

 ガトーはその行動に仮面の奥で怪訝そうに眼を細める。

 ヴォルキンという男は、ガトー以上に姑息な手段が好きな男だ、搦め手を好み、ガトーとは違い単独の作戦よりも集団で知恵を働かせて自分は動かない、そういうタイプだ。気配からすれば残るはヴォルキン独り。常のヴォルキンであればさっさと逃げている場面である。

 

「洗脳されると性格まで変るものか、くそくだらねぇ」


 もういい、さっさと止めを刺して戻ろうと、ガトーは二本の赤いダガーを構える。


「俺は洗脳なんてされてないぞ?」

「あぁ?」


 急なヴォルキンの言葉に反射的にガトーは声を漏した。

 くくくく、と笑うヴォルキンは仮面も付けず、ガトーをただ嘲(あざけ)るように笑う。

 

「何笑ってんだてめぇ」

「いや、おかしくてよ。赤い死神ともあろうものが腑抜けたと思ってよ」

「喧嘩うってんのか?」

「あぁ、売ってるよ。勇者の犬に成り下がって、ガキを育てて、なんだ? ガキを育ててる内に情でも沸いたか?」

「てめぇ」


 ガトーは眼を見開く。

 勇者の事はヴォルキンは知っているが、姉弟の事は知らない筈。ガトーの家を知る者はカースでもタナトスでも居ない、騙し騙されが当り前の世界に身を置くガトーは今まで姉弟の事も家の所在もあきらかにしたことはない。

 その筈がヴォルキンは知っている。

 

「俺に手を出せばガキ共はどうなるんだろうなぁ?」

「……好きにすればいいだろうが、ガキ共がどうなろうが知ったことじゃねぇ」

「へぇ、今間があったなぁ。味方にも敵にも恐れられる赤い死神がなぁ、へえー」


 歪んだ笑みを向けるその顔はガトーがいつも浮かべるその笑みと同じだ。くそったれなクズ共が浮かべるその表情。

 ヴォルキンは先を続けた。

 

「まぁ、いいんだぜ。どっちでもよ。お前と真っ向勝負、してみたかったんだよなぁ。最近腑抜けたお前にギルドを任せておけねぇからよ」

「お前が俺に勝てるとでも思ってるのか?」


 ガトーの知る限りヴォルキンの実力はガトーに及ばない。それは運が左右する所の話ではない。単独行動で依頼を遂行するガトーはその地位だけでなく実力も他に抜きんでていた。

 

「あぁ、勝てるね。勝てる。お前これがなんだか知ってるか?」

 懐からヴォルキンは針のついた容器を取り出す。容器の中には赤い液体のようなもので満たされている。

 

 ガトーがその液体を不審に思い、声を上げるよりも早く。

 

「魔王様がよ、俺にくれたのよ」


 ヴォルキンは自らの首にその先端についた針を刺す。

 プシュ、っと空気が抜けるような音を放ち、中の液体が針を通り、ヴォルキンの中へとはいっていく。

 

「ぐうぉおおおおおおおおおおおおお」


 突如ヴォルキンが呻き、苦しみだす。

 構う事はない、今は隙だらけだ、何にがしたいのか分からないが、隙だらけの今、ダガーで心臓か頭を一突きすればそれで終わりだ。

 ガトーはそう判断し、踏み込もうとしたその時。

 ぴたり、とガトーは足を止める。

 

 ――なんだ?

 

 自ら足を止めたつもりはない。

 ガトーはごくりと喉を鳴らすと自らの足を見る。

 見ればガトーの足が震えている。

 自らの意志に反し、踏み込もうと、前へ進もうとするガトーの足はしかし、震えるばかりで一向に動こうとしなかった。

 

「ぐるぁああああああああああああ!」


 獣じみた叫びが倉庫の中で響き、ガトーはその叫びでヴォルキンに視線を向けた。

 目の前でゆっくりと立ち上がったヴォルキンにガトーは目を見張る。


「て、てめぇ、その目は」

 

 先程までと大きく違うものが二つ。

 一つはその瞳。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 今目の前に経つヴォルキンの瞳は。人のそれではなかった。

 真っ赤に染まったその瞳。

 その双眸は魔王を彷彿とさせる。

 

 そしてヴォルキンの身から渦巻く強大な重圧。

 魔人のそれとは違う。得も知れぬ巨大な圧迫感がガトーの身を襲う。

 その重圧がガトーの足を震えさせている。

 ヴォルキンは息荒く。背筋をまげ精気を感じさせない振る舞いでガトーの目の前に立つ。

 ガトーを見ると、ヴォルキンは声を上げて笑い出した。


「みろガトー! とんでもねぇ力だ。てめぇなんかじゃ到底負ける気がしねぇ。すげぇ、すげぇぞ! はは、は、はははははははははは!」


 まるで力に酔い痴れるかのように恍惚な表情を浮かべると、

 ぴたりと笑い声を止める。

 そして口を開き。


「さて、殺すか、次はお前のガキ共だ」

 

 ガトーはその言葉聞いた直後、意識を失った。

 

 

「あ、がは」


 ぼんやりとした思考でガトーは自らの吐血する苦しみで目を覚ました事に気がついた。

 仰向けに倒れていたのか、ぼうっと当たりを見渡すと、最後の記憶にある倉庫だった。

 僅かに動くと、左腕や肋骨は折れ、全身に切り傷を負い右足の健が切れている。吐血した所を見ると折れた骨が肺にささっているかもしれない。

 

「なんで……いきてる?」

 確か殺すと。そう最後に目の前の男は言った筈だった。

 だが自らの体を見てみると、それも分かったような気がする。

 嬲るように付けられた傷。

 止めはさせたのに刺さなかった。

 

 ――殺す価値もないということかこの野郎……

 

 ふつふつと怒りが込み上げてくる。今のヴォルキンにとってガトーは蚊ほどにも取るに取らない存在だった。そう言われている気がした。

 喉から込み上がってくる血を必死に飲み下しながら、やがて立ち上がると、はっとヴォルキンの言葉を思いだした。

 

 『次はお前のガキ共だ』


 ぎりぎりと歯を食いしばるガトー。

 何故? 少なくともガトーの知るヴォルキンはそこまで残虐さをもった男ではない。あくまでその手腕も速やかに暗殺を行う為のもの。暗殺者に残虐さは必要なく、対象に対しても瞬時に死を告げる。それがタナトスでの流儀であり、ヴォルキンもそれを守ってきた。 

 

 痛む体を必死に抑え、足を引きずりながらもガトーは倉庫から出る。

 立ち上る火の手。

 所処で喧噪に人の声があがり、獣の唸り声があがっている。

 だが、ガトーはそれらに目もくれず、ただただ体を引き摺り、家へと向かう。

 

 ――頼む……頼む。

 

 間に合ってくれ。今の自分に何が出来るはずもないのに、ガトーは家へと向かった。

 幸い魔物に襲われる事はなく、ガトーは家を見付ける事ができた。

 だが。

 

「おぉっおぉおおおお」


 目の前にあったその質素ながらもしっかりとした作りの家から煙が上がっている。

 けむりに気がついたガトーは、痛みを忘れたかのように片足を引き釣りながらも全力で掛ける。

 家のドアに体当たりするかのようにへばり突き、ドアを開ける。

 

「ノルド!? ノーラ!? どこだ?」


 火の粉が肩にかかるのも構わず、家へ入るなりガトーは叫ぶ。


「ノルド! ノーラ! どこにいる!」


 部屋へ入り。テーブルによりかかるとガトーは見た。

 重なるようにして倒れた人影。

 

「ノル……ド? ノ……ラ?」


 最早自分の口から何にを言ってるのかも分からず、体を引き摺りその人影へと寄り添ったガトーはゆっくりと手を伸し、その人影の体を起こす。

 

 抱き起こし、ガトーは自らの手の平を見つめる。

 血に染まったその手は。ガトーの血だけではない。

 

「おぃ、ノルド」


 上に被さるように倒れていた少年に声を掛ける。

 

「なぁ! おい! おい!」


 必死に揺すってみても、声を掛けてみても、声は返ってこない。

 だらりと垂れ下がった手が、既に遅かった事を告げていた。

 

「……じ様」


 耳に掠れた声が届く。はっとガトーは下になっていた彼女を抱き起こす。


「ノーラ! 生きて……」


 彼女の体を見て、ガトーは言葉を止めた。腹が裂け、今にも零れ落ちそうになっている。

 

「ノーラ、すぐ、すぐヒーラーを呼んでくるからな? 待ってろ」


 すぐさま行動に移そうとしたガトーを、ノーラはゆっくりと首を振り振る柄ながら手をガトーの頬へと添える。

 

「もう……助かりません……」

「いうんじゃねぇ! 助かる、必ず助ける!」


 ぼろぼろと、ガトーの体からへ血以外の液体が流れ出す。

 

「ノルドを……褒めてあげてくだ……さい。あの子……私を守ってくれたんです」

「あぁ、褒める、褒めるともさ、良くやったさ」

「あの子……ガトーさんの事……お父さんって、呼びたかったって……守ってくれてる時も……お父さんが来てくれるって……」

 

 ――知っていた。知っていたさ。

 寝言で何度もお父さんと呼んでいた。間違えて訓練中にお父さんと呼びそうになった事もある。


「わたし……も……になりたかった」

「あぁ、何にでもなれるさ。お前らはこれからだ。お前らは……お前らは……」

「おじ……様……笑って……笑ってください……最後に」


 ――最後なんていうな。お前らはこれからだ。俺みたいなクズになりきったやつらとは違うんだ。

 目を瞑り。止めどなく頬を流れる涙を拭うと、ガトーは

 

「これでいいかよ?」

 

 口角を上げる。真っ直ぐに笑うなど忘れ去ってしまう程昔の事。

 上手く笑えたつもりはない、ぎこちないだろう、それでもノーラはその顔をみて、笑った。

 

「嬉しい……です。おじ様……笑っていてください……ずっと。幸せに……」


「できねぇよ。笑うなんて、お前らが俺を笑わせろ、そうだ。お前らが毎日馬鹿やって俺を笑わせるんだ。それがお前らの仕事だ、俺からの依頼だ」

 

 ガトーの頬に添えられた手が、だらりと垂れ下がった。


「なぁ、おい。お前らが笑わせるんだよ。ノーラ。ノルド。俺を笑わせたかったんだろ? ほら、笑わせてみろよ。おい、なぁおい! おい!」


 その場にもう答えを返すものはいない。


「ふざけんじゃねぇぞ! お前が、お前らが笑わせねぇと俺が笑えねぇだろうが! ほら、起きろ、起きろよ! 行くぞ! 訓練だ!」

 

 ただその声は燃えさかる炎にかき消される。


「起きろっつってんだろうが……くそ……くそがぁ……くそったれ……くそ……」


 ぎゅっと、二人の体を掻き頂くと。ガトーはぎりぎりと歯を食いしばる。

 

「くっそぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


  

 誰にも届かぬガトーの声はただ夕闇に木霊した。

 

 

 ◇◆◇

 

 ぽつぽつと、語り終えたガトーの顔には笑顔が浮かんでいた。

 優しく、そして悲しそうに。

 

「私は彼女達の腸を、この手でかき集めました」


 自らの両手をみながら、ガトーは言う。


「不思議なもので彼女達が私に笑う事を願い。私はその願いからか復讐するよりも自らが行うべき事を決めたんです」

「それが孤児院か?」

「ええ、そうです、私にとって……何よりも大切なものです」


 それがどれほどの重みがあるものなのか、ファラクには分からなかった。ただ、それは自分が思う大切なもの、よりもはるかに重みがある気がする。


「そうか、俺にはそこまで大切に思うものはないかもしれない」


 あるいは自らが守ったリーゼロッテや手助けしてくれたアリシアやマリー、ギルドの仲間達。大剣レーメ。だけどガトーの言う大切なものと何かが違う気がする。


 うんうん、唸るファラクやはりガトーは何故か頷く。

 

「真面目に考えてくれているんですね。あなたは純粋な人なんでしょう」

「そうなのか?」

「私はそう思います」


 そこまで言うとガトーは表情を引き締める。


「私は訳あって孤児院を守る為に、あの屋敷を襲いました」


 その宣言にファラクは頷く。それを確かめる為に来たのだから。だが腑に落ちないものを何処かで感じる。


「お前は本当に屋敷を襲ったのか?」

「ええ、そうです。私が襲いました、あなたも私の顔を見たでしょう?」

「それはそうだが……」

「その通りなのですから。申し訳ないですが私は私の守るものがあります。そのためにあなたとは敵対しなければいけない」

「しかし――」

「恐らくあなたは、一方の知人となった私と戦う事を望んでいないのでしょう。だから納得できない――ではないですか?」


 果たしてそうなのだろうか、そうなのかもしれない。


「今ここで決着を付けますか?」

 

 だが、

 何かが違う。

 

「いや……今は戦わない」


 ファラクはゆっくりと首を振るとそう告げた。もどかしく感じる。頭の片隅でファラクに訴えかける何かがある。

 

「そうですか、ええ。そうしますか」


 自らを敵だと断じたガトーはそれでも頬笑む。


「さて、それじゃあ戻りましょう。結構な時間が経っていますからね」


 ファラクの横を通り過ぎ、ガトーは孤児院へと向かう。

 しばしファラクはそこで立ちすくむ。

 ガトーの話。

 ファラクは大切だった者を失った。

 そしてそれは形を変え、今は自らの背中に収まっている。

 だが当時感じた悲痛は胸に焼き付いている。


 彼もそうなのだろうか。

 

 ガトーと戦いたくない理由。

 それは共感と言うものだろう。

 そして頭の隅にある違和感。

 彼にあって、ファラクに無いもの。

 

 ファラクは空を見上げる。既に日は傾き始め黄昏れの時にはいっている。

 空がその顔を変えるその時はファラクに哀愁を与える。感傷的な想いゆえかファラクは空に魅入られ、それゆえに、 


 「あなたに会えて、よかったですよ」


 ぼそりと漏れたガトーのつぶやきは、ファラクの耳に届かなかった。






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