敵はまっくろくろすけ
二日目の夜。
ナチはアリシアの部屋で彼女とおしゃべりをしながら魔銃の点検をしていた。
貴族と冒険者。だがアリシアによくある奢った貴族の傲慢さが見当たらずナチはすぐに仲良くなった。元々の性格と言うものもあるのだろう。ナチの様な勝ち気な女はアリシアの様な守ってあげたくなるようなタイプは割と得意だと言うのもあるのだろう。
ファラクは主に館の警護を、ナチがメインでアリシアの警護を行う事となった。多少むっつりとしたアリシアを宥めるのに苦労はしたが仕事仲間全員がそっちの方が良いというのだからファラクとしては従う他なかった。
話に華も開き、二人は笑顔で話をしていたその時だった。
「お嬢ちゃん、いつの間に窓開けた?」
「え? 私窓なんて開けてないですよ?」
ふと目を向けた先。バルコニーに出る窓が開いている。隙間風がを感じナチも気がついたのだがいつから開いていたのか。
――まさか?
ナチはさっと立ち上がる。
「嬢ちゃんは部屋の隅にいて」
魔銃を構え、ナチは気配を凝らす。アリシアが部屋の隅に言ったことを確認する。
部屋の中の魔光装置がガラスを砕いた様に音がなり破裂したのはそれと同時だった。
「きゃっ!」
「落ち着いて!」
部屋は暗くなる。一瞬にして視界が暗くなれば慣れが必要だ。ナチは目を瞑り、辺りの気配に気を配りながらも視界を馴れさすのに注力する。
――攻撃? 暗殺者? お嬢ちゃんを狙ってきているとすれば……まず邪魔になるのは……私!
咄嗟に思いつき後ろへ振り返り銃を突きつける。
ゆらり。
急に暗くなった視界は未だ闇になれていない。だが僅かな風の動きを感じる。
ぞくりと首筋に冷たいものを感じ、ナチは咄嗟に身を屈めた刹那しゅんと空気を切り裂く音が耳元に届く。
自らの首があったそこに、身が氷るような音を立てて見えない刃が過ぎ去ったのだ。はらりと短めの髪の毛が数本切り裂かれ、落ちる。躱さなければ今頃……考えるとぞっとする。
咄嗟にナチは出所へ向けて魔銃を構えると引き金き絞った。
ばちっと4発立て続けに魔銃に装填してある魔弾を撃ち込む。 雷光が迸り、壁に衝突する。
――避けら――
頭の中での思考すら許さないのか。ナチの視界が一瞬で横を向く。足を払われ。気がつけば横倒しになっていた。
再び悪寒が走った。
「ナチ!」
アリシアが声を荒げる。目の前ではナチが一人で急に倒れたように見えたのだ。
アリシアに呼びかける余裕も無く、ナチは咄嗟に銃を握らぬ左手を目の前に向ける。
「っいった!」
見ればナチの手には黒いナイフが刺さっている。ご丁寧な事に夜に見えにくくする為に黒塗りが施されているのだろう。
ナイフからは真っ赤な血が刃を伝い切っ先から雫となって滴り落ちる。
――だけど。
ナチだって負けてはいない、貴族に呼ばれるだけの実力者なのだから。ナチはにやりと痛みを堪えながらも罠にかかった獲物を見るような目で笑う。
「掴まえた」
恐らくのし掛かっているであろう相手に銃を向ける。
「女の肌に傷をつけたんだ、ただじゃ済まさないよ」
引き金を絞り、魔弾が発射される。銃口からは稲光が走る。
「ぐっ」
放たれた雷光が敵を貫く。呻き声と共にナチを抑え付けていた重みが無くなる。
ばちばちと虚空で稲光が包み。光が収まると何もいなかったそこにうっすらと人型が現れた。
ナチはその人型を見て内心舌打ちをする羽目になる。
「やっぱりカースの暗殺者って訳だ」
「ナチさん!」
「大丈夫、待ってて、すぐに倒すから」
立ち上り魔銃を構えるナチは左手にナイフが刺さっているのにお構いなしにアリシアに声を掛けると男へと向き直る。
手を抜いて良い相手ではない、カースの暗殺者。その姿には特長がある。
闇に乗じる為の真っ黒な衣裳、フードをかぶり、顔には白く不気味な仮面。仮面の左目からは赤い涙の印が描かれている。暗闇に白い仮面だけが明らかに浮いている。
「その赤い涙の仮面。カースの暗殺部の連中が付ける事を義務付けられた仮面だろ?」
「…………」
「へぇ、しゃべる気もないって訳?」
「…………」
無言で黒塗りのダガーを引き抜き、仮面を被った暗殺者は片手半身に構える。
問答無用といったその態度にナチは眉間にしわを寄せると魔銃を構える。
――それにしても異変があったのに誰もこない。魔法か何かで邪魔されているっと見るべきね。
一人で対処するしかないと見てナチは眼前の男を見張る。
だが思考の僅かな間が拙かったのか、男の背後から目映い光りが生まれた。
――まずい。魔法陣の光! 何してるんだあたいは!
内心毒突きナチは魔銃に込めた渾身の雷光を解き放つ。
耳をつんざく雷鳴が部屋に響き渡り部屋一面を光りが塗り潰した。
光で視界を奪われたアリシアは咄嗟に目を瞑っていた。
ナチに言われた通り隅にいたが、アリシア自身に戦いの経験も知識もない。だがナチが負傷すればすぐに治す気でいた。
光が収まった事を感じ、アリシアは薄く目を開く。徐々に視界が戻ってきたアリシアは絶句する。
暗い視界の中、立っているのは一人。
アリシアの身を恐怖が包む。
黒に包まれたその衣服、フード。仮面。
ナチではない。
「ナチ……は?」
「逃げて!」
声がする方……男の足下へと視線を落とす。
ナチは仰向けに倒れ臥し。必死にこちらを見ている。暗殺者の後ろにいた。背中には切り裂かれたように縦一文字に怪我をしよく見れば両足にも。
一歩。暗殺者が踏み出す。
はっとナチの言葉を思い出したアリシアは隅から飛び出ると扉へと近づきドアを捻ろうとする。
「触れない!?」
ドアノブを掴もうとする。何度も何度も。だが触れないのだ。まるで見えない何かに邪魔されてドアノブに触れる事ができない。
じゃりっと足音がする。
アリシアは振り返る。
ただゆっくりと、暗殺者は一歩歩く。
「こ……こないで!」
「…………」
後ろに下がろうとするアリシアだがドアに阻まれてそれ以上下がれない。冒険者のナチに勝てなかった相手だ、自分に出来る事は戦うことではない。
近づいてくる男は無機質に距離を縮めてくる。右手に持った夜の闇に溶け込むようなダガーから滴る血がすぐ先の未来自分に突き刺さっている姿を想像させる。
アリシアの制止など聞くはずもなく暗殺者はまた一歩。
「ま……まって……それ以上くるなら……」
アリシアの言葉に暗殺者は足を止める。言葉は無いが何をする気なのか気になったのだろう。アリシアは捕縛対象だとすれば致命的な怪我をさせられる筈はない。無い筈。そう信じるしかなかった。
アリシアはゴクリと喉を鳴らすと、きっと暗殺者を睨む。
「ファラクを……ファラクを呼ぶからね……」
「…………」
ナチは歯を食いしばった。ふがいない自分は役に立たず、その自分よりも弱い男に助けを求める。部屋の中で魔銃を使ったのにも拘わらずその音に誰もやってこない。つまり魔法で既に細工がされた後なのだ。それにも関わらず呼んだ所で……
呼んでも聞こえない。来ても勝てない。
二つの意味でアリシアは滑稽に映った。
当然暗殺者は歩みを止める筈もなく、
「良いんだね? 呼ぶよ? 呼んじゃうんだからね!?」
味方であるはずのナチでさえ、その言葉に希望を失ったかのような悲壮な顔となる。無駄だ、無駄なんだと。
暗殺者が一歩踏み込んだその時。
「ふぁ……ファラク! ファラク……助けて……助けてえぇ!」
その小さな体の何処にあるというのだろう。屋敷中に轟くかと思う程の大声。
暗殺者はあまりの大声にぴたりと足を止める。
アリシアは緊張と大声で肩を息をしている。端正なその顔は恐怖の色を映すが、震えを止めるかのように自分の体をぎゅっと抱き、暗殺者を睨んでいる。
だが無情にも人が来る様子はない。足音すら。その場で聞えるのはアリシアの荒い息遣いだけであった。
ナチは無念に目を閉じ。暗殺者は誰も来ないのを確認すると踏みだしアリシアを捉えようと手を伸す。
(ファラク……ファラク……ファラクファラクファラク)
ぎゅっと目をつむりアリシアは身構えた。
来て欲しい。だけど来る可能性は低い。それは分かってる。
だから。
アリシアは目を開いて。
男へと。
「分かった」
不意に。そんな声が聞えた気がした。
けたたましい音が鳴り響く。
あまりの音にアリシアは身を竦めた。ナチは目を見開き。暗殺者は。
吹き飛んだ。
アリシアは何がなんだか分からず。床に倒れたナチが目を見開いているのに気付き、視線を追う。それは自分のすぐ隣だった。
何か丸い肌色が先端についた黒い棒状の何か。
アリシアは目をごしごしとこするともう一度ちゃんと見た。
ドアから手がにょきりと生えていた。
ぬっとその扉から生えた腕はひょこっと引っ込むと、その穴から最も聞きたかった声が聞えてきた。
「おいアリシア? 呼んだか?」
扉に開いた穴から。
この緊迫した場面でまったく場違いな暢気な声。だがアリシアの強ばっていた身がその一言で解れていくのが分かる。その声はこの非常時にある今、何よりも頼り甲斐のある声に聞えた。
緊張からの脱力が、瞳が潤んでくる。アリシアは泣きそうになるのを懸命に堪えながら声の持ち主に答えた。
「ファ……ファラク! うん! 呼んだよファラク! 助けて欲しいの!」
「そうか、ちょっと待ってろ。扉が開かなくてな。ちょっとそこを退いていてくれ」
「うん!」
「ほい!」
間の抜けた声が聞えたと思ったら。
無音。
アリシアの目にも、ナチの目にも見えなかった。
扉がぐらりと倒れてくる。
わっわ! なんて慌てた声を上げながら、アリシアは扉から更に離れる。
それを行った男は一歩、部屋へと踏み入れた。アリシアもナチもそれでようやく扉を切ったのだと気がついた。
黒目黒髪、男にしては長いその髪が揺れる。
右手には彼の新しい愛剣となった大剣レーメを携え。
「はっ?」
ナチが何で? と声を上げ。
「ふぁ……ファラク……」
アリシアからは若干の呆れ声、少し非難の目を向ける。
その視線を集める男――ファラクの左手には……肉串。
先程まで囓っていたのだろう……口元を見てみればもしゃもしゃと咀嚼しながらそのおいしさ故かほっぺたが緩んでいる。
その弛緩した顔はおよそ戦いの場に身を置いている者ではない。
「んぐ……それでどうしたんだ? なんでか扉も開かなかったし。う~む、これは弁償しなければいけないのだろうか?」
食べながらしゃべるといった暴挙まではしなかったが随分とみみっちい事をいいながらまた肉を頬張る。
ナチは何にも言うことができなかった。暗殺者もいつの間にか立ち上がってはいるが心なしか呆れている気がする。
ナチは思う。
――こんな男じゃ暗殺者には……
だがアリシアは万感の思いで口を開いた。
「ファラク!」
ぎゅっとファラクの胸元に飛び込むと、
「ナチさんを助けて!」
迷いの無い目で最弱と言われた男を頼った。
もぐもぐと咀嚼し、最後の肉を口の放り込むファラクは串を捨てる。
「うむ、分かった」
ただ散歩でもするかのように気軽に答えが返ってきた。
ファラクは最後の肉を食べ終えると僅かに肩を落とす。
――あぁなんで肉串は肉が五切れしかついてないのだ。せめて十切れはついていて欲しい。あれ、でもすそうすると結構な長さになるな。正面から食べると刺さるだろうか? だが一串に沢山刺さっている方が魅力が……
等と割と本当にどうでも良いことを考えていたファラクは、
――いかんいかん切り替えよう。それと後で捨てた串を拾っておく事を忘れないようにしよう。うむ。
マリーに何時でも気を抜くなと言われているのを思い出し表情を引き締めると辺りを見た。
アリシア。
特に外傷は見当たらない。
ファラクの裾を握る彼女の手は震えている。そっと彼女の手にを握り。裾から外すと、彼女に頬笑んだ。恐怖は抜けたように見えるが恐い目にあったのだろう。
次いでみる倒れ臥した女。ナチ。
背中を切られているのか立ち上がる事も出来ずにこちらを見ている。流れ出る血が床を塗らし徐々に広げている。
その姿にファラクは眉間に皴を寄せた。僅かにつり上がった目はファラクの顔付きを変える。
最後に見る、窓際で佇む人物。
手に持った黒塗りのダガーから滴る血。
ナイフは切っ先を伝い、ぽたり、ぽたりと床に赤い染みを作る。
「……女が血を流すのは好きじゃない」
声に増した重みに誰もが気付いた。強者の雰囲気はない。
だが、
それでも。
「お前がやったのか……?」
ナチとアリシアが等しく異変を感じ取る。ちりちりと頭の奥が痺れるような。一瞬だけ心臓を握り込まるように。
ぞわりと粟だつ肌が、それら全てがファラクから目が離せなくさせる。
アリシアが僅かに身動ぎ、ナチは訳が分からず下唇を咬む。黒衣の男も何か感じているのか、臨戦態勢を取っている。
「……………………どうしてはいって来れた?」
男の声。話さないだろうと思っていたアリシアとナチは驚き見る。
「? 言ってる意味が分からん開かなかったから切っただけだぞ?」
「…………そうか……魔法が効かなかったか……」
ぽつりとそれだけ零すと男は何事も無かったように腰を低くし警戒する。
「アリシア、あいつから守ればいいのか?」
間違いは無いだろうと思うが、念の為に確認しておいた。違ってやっちゃったごめんなさい、なんて言うのは恥ずかしい。
「うん、ファラク。彼の人がナチさんに怪我をさせて私をさらおうとしたみたいなの」
ファラクは大剣レーメをくるりと刃を返すと、峰を前に向ける。
「……そうか」
ファラクがそうつぶやき、暗殺者が低い姿勢のまま踏み込こもうとしたその時。
一迅の風がナチの頬を打った気がした。
そして男は仮面の奥に控えるその瞳を驚愕で染める。
「……女が血を流すのは好きじゃない」
ぽつりと再び告げた言葉。
いつの間にか目の前にいるファラクは横薙ぎに構え、
「吹き飛べ」
大剣とは思えない速度で、剣を薙ぐ。タイラントにして切り倒したファラクの剣戟はどうにか暗殺者が手に持ったダガーで防いだ。にも関わらずその身を軽軽と吹き飛ばす。
窓硝子が割れ、バルコニーの柱を突き破り、仮面を被った暗殺者は彼方へと吹き飛ぶ。
ファラクは剣を肩にとんとつけ、ぽかんとした顔を向けるナチと安心した目を向けるアリシアを一瞥する。
「これでいいか? これでこの辺りは安全だし物を壊さずに済む。俺はちょっと追いかけて捕えてくるな。アリシアはナチの怪我を治してやってくれ、できるな?」
「うん」
ファラクの問いにアリシアが元気よく答え、未だ放心したままのナチを置いてファラクは自ら吹き飛ばした相手を追った。
ファラクが立ち去った後、アリシアはナチに近寄ると回復魔法の陣を描きナチの体を治していく。
未だ口を開きっぱなしとなっていたナチは若干馬鹿そうに見える。
アリシアが背中と両足の怪我を治した後ようやく思考を取り戻したかのように尋ねてきた。
「……ねぇ、お嬢ちゃん?」
「なんでしょうか?」
ナチは振り返り窓を一瞥する、先程暗殺者が吹き飛ばされ、ファラクが後追うために出て行った窓。
「あれ……なに?」
暴風の去ったその窓からは涼やかな風が吹いていた。




