エルフと歩く道中
イリスは目の前の男が魔物を討ち滅ぼす様を呆気にとられて見ていた。
ひょんな事から行動を共にする事になったこの男は、一度は自分達を殺しに掛かってきた男だ。そんな相手と今は一緒にいるのだから不思議なものである。
今更ながらにあの時止めてくれる人が居てよかったと思う。
イリスは目の前の光景をみながら背筋が氷る想いであった。
なにせ彼の正面に立った魔物は全て一刀の元に斬り伏せられている、それも両手大剣を片手で持ち、もう片方の手は荷物を持ったまま。
そんな状態でこんな光景を涼しい顔で作り出しているのだからたまらない。イリスはつがえた弓をただ構えるだけでまだ一本の矢も放っていない。
盗賊退治のおりに一緒にいたアレスやエルダも強かったが、これは別格なのだと差を感じさせられて自分のふがいなさが少し嫌になってくる。アレスやエルダに敵わないイリスからすれば、ファラクの強さは本当に同じ人なのかと疑う程だ。
――なんでこんな男が無名なの?
そう思わずにはいられない。
アポロンの世界的に有名な冒険者バランやかつて昔、大戦で活躍した姫勇者アカネ、他にも音に聞えてくるような英雄達。勿論彼等を見た事なんてないし、そんな者達の実力などしらないけどそれに類する気がしてくる。
少なくとも彼は、同じギルドのアレスやエルダ、将来有望な者達と歳も変らないであろうこの男が化け物じみた力を持っている事は理解できた。
「途切れたか、イリス。先に進もう」
背中に剣を納めると留金をとめ、振り向くと共にファラクが話し掛けてきた。
「え? 魔石と素材の回収は?」
「時間がない、大分時間も食ったしな、荷物は増やしたくない」
「もったいなくない?」
倒した魔物達の素材を回収すればそれなりに高価な値で売れるだろうし、あれだけの量の魔石は魅力的だ。
「ほしいなら案内が終わった帰りにでも回収してくれ、それを報酬にしてくれてもいい」
「あ、それ良いかも、此処にある分だけでも結構な額になりそうだし」
「それでいいなら構わない。それで、後どれくらいだ?」
詳しくは知らないが四日と言う制限があるらしい、既に一日が経過しているので残るは三日だ。
「急げば今日中には死の森に到着するよ。四日って行ってたけど帰りの事も考えると時間的に本当にぎりぎりになるかも?」
「帰りは転移があるから問題ない――少し先で休むか」
さらりと飛んでもない事を言う。転移など燃費の悪い魔法を使えるなんて、相当な魔力を持った者だと分かる。明らかに戦士型に見えるこの男が使えるなんてどんなステータスを持っているのか……それにしては相変わらず一見強そうな雰囲気はないのだが。
けれども提案は嬉しかった。ばれていたのだろうか。
「いいの? 急ぎなんでしょう?」
「言い忘れていた、俺は体力が他の者と違う、気がつかない事もある、疲れたらいってくれ。マリーもそうしてる」
「ああ、じゃあ、うん、ありがとう」
ほっとイリスは一人安堵の息をついた。実際ほぼ強行軍のように歩き通しだったのだ。このまま休憩なく歩く事を半ば覚悟していた。
荒野を歩き、森へと入ると川を見付けた。その川辺で休息を取ることになった。
倒れた大木に腰を下ろすともう立ち上がる気力さえなくなっていたことに気がつく。
目の前の男はそんな疲れ等微塵も見せず、皮袋に水を組み入れ。枯れ木を集めて火を熾すと鍋を手に料理を始めた。
「あの、私も何か手伝おうか?」
一人何もしてないとなると気まずいものがある。
鍋を火に掛け、ファラクは、イリスの方を見ると穏やかな顔で首を振ってくる。
「いや、いい。寧ろ体力の回復に勤めてくれ、今日中にもう少し先に進んでおきたいからな」
「――ごめん」
「何故あやまるかしらんが、道を知ってる者がついてきてくれて助かった。この辺りはもう地図もないみたいだしな」
「ああ、うん。それはね。死の森に続く道に足を踏み入れよう何て人あんまりいないし、その辺りまで行くと森の魔法も使えないらしいしね」
森の魔法、とはエルフが扱う魔法だ。森の中に集落を持つエルフ達は森で有用な魔法を主に子供の頃から覚えさせられる。とは言っても、イリスは森の魔法を使っていたわけではないが。
「十分だ。暴君と言うくらいだ、近づけば匂うだろう」
「匂い?」
「ああ、強い奴は匂いがあるだろう?」
――いや、そんな当り前だよね? みたいな顔をされても困るんですけど……
「そ、そうだねー」
乾いた笑みでイリスは返す。
もうそういう事にしておこうと思っているとファラクが手際よくスープを作りイリスに差し出してきた。
「ありがとう」
「ああ」
フーと熱すぎるスープを冷ましちびちびとスープを呑んでいるとろファラクがじっとイリスを見ている事に気がつく。
「何? どうしたの? 何か私の顔についてる?」
「いや、そういう訳じゃないんだが……」
だが視線を逸らさず凝視され、少し気まずいものを感じる。
どうにも熱が籠もったその視線。
イリスははっと思い出した。
そうだ、それは私が子供の頃……などと長い回想をすっとばし結論を出せば。
人族の男はエルフ族の女性に目がない……
――まま、まさか……ね。
そういえばアレスの時はエルダが居たからよかったけれども、男とこんな誰も近寄らない所で二人っきりは拙かったかもしれない。しかも目の前の男はイリスよりも圧倒的に強い。
――お、お、襲われたらどうしよう。
今更ながらにその危険性に気がついた。
そうだ、もしかするとこの男は自分を人気の無いところへと連れてくる為にこんな所まで連れてきたのかも知れないのだ。
確かに顔は悪くないし、背も高い。実力は見た通りだし、少しずれてるような所もイリスからすれば嫌いではない。
――だだだ、だからってそんな急展開な……
などと考えているとファラクが立ち上りやけに熱い視線を送ったまま近づいくる。
「なな……なに?」
上擦った声。不審に思われてしまったかもしれない。
「なぁ……いいか?」
「な……何を?」
「ずっと気になったってたんだ」
妙に熱っぽい声にイリスはあわてふためく。
「えぇ……いや、うん……あぁ……うぅ……まって……気持ちは嬉しいけど私、初めてで……」
最早避けられないのか。
これからされるであろう行為を頭の中に思い描き、イリスの頭の中でぐるぐると捉えて放さない。心臓がばくばくと鳴り、彼ののほほんとしていた筈の顔はやけに美化されて見えてくる。
先程の応えを是としたのか、ファラクはそっと右手を顔に近付けてくる。
頭の中がぐるぐるとして何も考えられなくなり、イリスは咄嗟にぎゅっと目を瞑った。
体に振れられ、ぴくりと反応してしまう。
「……んん……ん?」
――あれ?
予想と違う感覚に、イリスは声と共に目を開いた。
目の前の男はふむ、と何やら神妙な顔でむにむにと手を動かしている。
「あの……何してるの?」
「うん、耳が尖っていると言っても人族のそれと違わないんだな」
さわさわとくすぐるように耳に触れ、興味深そうにファラクが応えた。
「耳……?」
「ああ、耳だ」
「ふ……ふふ……そう、耳ね」
先程の迄の緊張はどこへやら。だけどどうにも悪いのはこの男だと思う。勘違いしても仕方が無いだろうと、ひとしきり触って満足したのかふ~むと満足そうに頷く男をイリスは睨み付けた。
けれども全く反省する様子のない男にイリスは何だか苛立ちを感じ、立ち上がると臑を思いっきり蹴ってやった。
「なんだ、痛いぞ?」
全く痛くなさそうに言われた。
現に言いながらスープをずずずっと啜っている。
ますます面白くない、イリスは口を尖らせてファラクをまたまた睥睨する。
「お前、前に見た時となんだか雰囲気が変ったな」
「え? 何それ?」
突然そんな事を言われて少し驚いた。
「前に見た時はなんだか――そうだな、思い詰めた顔と言うんじゃないかああいうの。そんな顔をしていた気がする」
思っていたよりも鋭いらしい。
イリスは少し上を見て青空を見ながら答えた。
「……まぁ、色々ね。それよりあなたも前と少し違う感じがするよ。前はもっと馬鹿みたいにのんびりした顔してたけどね」
「うむ、良く言われる」
「言われるの!? しかもなんで嬉しそう!?」
「うん? 誉め言葉じゃないのか?」
「いや、違う、え? いやどうなんだろう?」
「褒め合う方がいいだろう、お前は耳が長いな」
「それ褒めてないから! 事実だから」
「そうか? 長い方が良いと思ったんだが……」
「なんで!?」
「良く聞こえそうだ」
「普通だから!」
「そ、そうか」
しゅんと項垂られてもこまる。
なんだかペースを乱される。この男。そういえば一緒にいたマリーといった彼女は彼を不思議ちゃんと言っていたか。なんだか世間ずれしたこの男は、でも一緒に居て嫌な相手ではなかった。
少ししんみりしかけてしまったのだが、長身の彼がしゅんと縮こまる姿を見ると元気がでた。
2時間ほどの休憩を挟み。イリスはファラクを先導しながら森を歩いて行く。一応念の為とイリスは弓を番えながら警戒しているつもりだが、魔物を見付ければ後ろに控えているファラクがいつの間にか前に出て斬り伏せていくのだから余り意味は無いのかも知れない、だんだんとイリスはそう思うようになっていた。
矢だって消耗品で無料ではないのだから、使う必要性のない状況でなんだか一人警戒するのが段々と馬鹿らしくなってくる。
そもそも森の中での探知能力でエルフ族や、人狼族と言った、森での生活に長けた種族がそもそも人族に負ける筈などないのに、この男は簡単に覆してくる。
だけど気を緩めた時にこそ危険は訪れる。そういう物だと、イリスは思い出す事になる。
歩き疲れたというのもあるのだろう、前で戦うファラクを見ながら、ほうっと、気を緩めた隙。
「痛!」
太腿に激痛を感じ、イリスは呻いた。
「どうした?」
斬と、魔物を切り伏せたファラクがイリスの方を向くと、のほほんとした顔は形を潜め真面目な顔になるとイリスの傍まで駆けつけ、ナイフを引き抜き振るった。
その一撃でイリスの太腿へと噛みついていた蛇は首を断たれ、ファラクはイリスの太腿から残った蛇の頭を引き剥がす。
変化はすぐに起った。
体に混入したのであろう毒がすぐに周り始めたのか意識が朦朧としてくる。
ナジャと呼ばれる蛇。毒性は強くないが、噛まれば、急激な麻痺を引き起こし捕食する蛇だ。放っておけば高熱を発症し、毒量によれば痙攣や呼吸困難も起る。
イリスはファラクに治療法を伝えなければと声を出そうとするが、既に舌が痺れ、まともに声が出せない。
靄が掛かったように、音が遅れて耳に届くような奇妙な感覚になる。
ファラクをじっと見ると、イリスの足下で何かしている。だが最早イリスの思考は纏まらず何をしているのか分からない。
ふと、ファラクは立ち上がり、イリスに何か話し掛けてくる。
「――!」
何も頭にはいってこない。
そのままファラクは背中を向けて立ち去る。
僅かに残る思考が頭を巡る。意識が混濁しぼやけた視界の中『彼』の背中を見て思う。
――あ……れ? 私置いて行かれる? ああ、そうか。だって私はこんなだから『彼』に捨てられるのは仕方がない。
でも。
でも。
思考の纏まらない意識の中、ただ自らの願望だけが頭の中で響いていた。イリスは『彼』の姿を定まらない視界で追う。
――お願い……行かない……で。
けれどもそれは言葉にならず、男の背中を見ながら、イリスはそのまま意識を失った。
◇◆◇
「どうした?」
ファラクは剣を納め、振り向くと眉を顰めた。
ガイド役をお願いしたイリスの足下。太腿か。蛇が噛みついている。
咄嗟にファラクはイリスまで近づくと一刀の下ナイフで蛇を排除すると即座にイリスを見る。
「おい! 大丈夫か?」
頬を叩き、こちらを見るように促す。
「――っ」
声にならない声を発し、イリスは虚ろな目を向ける。
そっとイリスを横に寝かせる。
状況はあまり良くないようだ、とファラクは以前読んだ本の知識を思い出しながら処置に移った。
ウェストの鞄から紐を取り出すとイリスのむき出しになった太腿へと縛り付ける。新しいナイフを取り出し、ファラクは灯火の魔法を使いナイフを火で炙った。
「切るぞ、我慢しろよ?」
そっとイリスの顔を見るが麻痺しているのか、何をされているのか分かっていないようにぼんやりとファラクの顔を見ている。
ファラクは咬傷を広げるようにイリスの肌を切り付け傷を広げると、血がどくどくと流れ出て、イリスの白い肌に赤い筋が伝う。
傷口へと口を付け、吸引する。
「……あぁ……んん……」
吸った血を吐きだす。荒い息を吐きながら虚ろな目でぼうっと顔を見てくるイリスの様子を見ながら、ファラクは何度も血を吸っては吐いた。血が出なくなってくるのを確認すると、スキットルを出し、口にウィスキーを含み、咬傷へと吹き掛けると包帯を巻く。
概ねの応急処置は終わった。だが既に回ってしまった分の毒はどうしようもない。
ファラクは腕を組むと考える。
「蛇毒と言えば血清か、近くの村を探すか――」
だが問題がある。
書物によれば、体を動かすべきではないという。
――血清もすぐに効果が出る訳ではないだろうし、成るべく早く血清を投与する必要があるか……
その上、ファラクには時間が有るわけではない。村まで戻っている間にイリスの負担も増え、彼女の完治も遅れるだろう。
――さて……どうする。
やがて答えを出したファラクは地面に防御用の魔方陣を設置し、その中央にイリスを横に寝かせる。
「待っていろ」
返答はなかったが、虚ろな目でぼやっと見るイリスへと答え、ファラクは森の奥へと足を踏み入れた。
◇◆◇
イリスは薄く目を開いた。
酷く、気怠い。
イリスの視界には朧気に森が映る。
そして身を包む穏やかで暖かな温もりを感じる。
「あれ――私どうして――」
鈍い思考の中、自らが何かに包み込まれているのに気付く。
毛布が掛けられ、その下には後ろから抱きかかえられるように男の腕が伸びている。
後ろを振り返る。
すぐ目の前には男の顔が映る。
イリスと共に毛布にくるまり、木に持たれながら眠っている。
ぼうっと彼の顔を見ているとやがて徐々に頭が冴えてきた。
はっと目を開けると今度はぱちぱちと目を瞬く。
「――え?」
――どうしてファラクが私を抱きしめて眠ってるの? だめだ、分からない、あれ?
一体自分は何をしているのか、思わず声に出た驚きで、ファラクの瞼がぴくっと動くと目を開いた。
視線が合う。
「え……? あ、あの? なんで――?」
「おきたか、立ってくれるか?」
そういうと、抱きしめた手を解き、ファラクは首をこきこきと鳴らす。イリスは慌てて立ち上がると、ファラクも立ち上りうんと伸びをする。
「そ――それでなんで私は抱かれてた訳?」
顔が火照ってるのが自分でも分かる。
「うん? 毒が回ったせいか体が寒そうに震えていたからな」
「毒?」
「ああ、覚えてないのか?」
――毒……?
そういえば……
ファラクがイリスの太腿を指さし、イリスは自らの包帯を巻かれた太腿を見る。
「あ!」
――そうか、私毒蛇に咬まれて。
包帯の下には琥珀色に染まった薬が押し当てられているのが僅かに見える。
「良く見付けたね」
「そうだ、探すのに苦労したぞ」
琥珀色に染まった花、血溜り草と呼ばれる薬草の一種だ。
医術に詳しい者は血清草とも呼び、その名の通り血溜まりに咲く花だ。
草の根を血に付けておけば、血清の成分のみを吸い上げ蕾を開かせる。その花を煎じて傷口に当てれば血清を投与するのと同様の効果を得られる。
「良く知ってたね」
エルフの様な森に慣れ親しんでいるものなら知っているが、人族であるファラクが知っているのは珍しい。
「あぁ、前に読んだ本に書いてあったからな」
「うん、お陰で助かった訳だよね、ありがとう」
「大丈夫だ。だが少し時間を食ってしまったからな、そろそろ動けるか?」
そういえばと、イリスは周りを見る。
森の中。
よく見れば露が葉に突き、視界には薄く霧がかっている。
「ファラク――あの、もしかして」
「大丈夫だ、まだ間に合う」
だが、じっと先を見つめるファラクは少しだけ焦ってる様にも見える。
「あの、どれくらい――経った?」
「……二日だ」
「あ……ごめんなさい」
二日もここで立ち往生していたのなら、明日には期限が差し迫っていると言うことだ。
申し訳ない気持ちになり頭を下げようとするイリスをファラクが押し止めた。
「だから気にするな。それよりもまだ体力が戻ってないだろう。だが少し急ぎたいのもある、背負って行きたいのだがいいか?」
「大丈夫? 体力的に……」
「ああ、背負うのは慣れてるしな、そっちの方が早いと思うし、そうしてくれた方が俺としては助かる」
恥ずかしい気持ちはあるが、迷惑を掛けた上、期限まで残り少ないとなれば、イリスは断れない。
ファラクがしゃがみ、おずおずと背中におぶさる。
「そういえば、眠ってる時……」
イリスを背負い前を向くファラクが口を開き、
「いや、やはりいい」
彼には珍しく歯切れの悪いもの言いだった。
もしかして、そうイリスは思ったが、彼が何も言わないのはありがたかった。
ふと、彼の胸元で交錯させた手に力が入る。
今顔を見られなくて、良かった。そうイリスは思った。




