護衛依頼
――なぜ、お前は我慢をする?
自由ではないのか?
その手に繋がれた鎖を解き放てば、お前は自由になれるのだろうか?
俺には分からない。
お前が何故そうも歯を食いしばるのか。
何故そうも泣きそうな顔をするのか。
何故そうも……自分を縛るのか。
手ではない、心を縛っているそれはなんだ?
言葉にはない、その気持ちはなんだ?
状況が、お前にそうさせるのか。
お前に望みを与えれば。
お前の叫びを叶えれば。
お前は自由になれるのだろうか。
ならば、やってみよう。
そうすれば、俺は人に近付けるだろうか。
そうすれば、人を理解できるだろうか。
名も無き少女よ。
囚われの少女よ。
自らを縛る……少女よ。
お前の望みを、俺は聞いたぞ。
お前の叫びを、俺は聞いたぞ。
◇◆◇
曇一つ無く晴れ渡る空の中、時折見える鳥たちに交じり、空には一艇の人工の船が飛ぶ。
遠目で見えるそれは豆粒の様に小さいが、船のそこかしこに揚力を得る為のプロペラや、風を掴み、或いは流す為の可変装置が見える。
飛空挺の胴体部には、アルクール公国を示す二本の剣が交叉しその両側に対峙し合う荒獅子が描かれていた。
公室が所有する魔石技術の粋を集めた船だ。
そんな船は首都プロメシアの中心地、貴族街の更に中央、公城へと近づいている。
巷では海を渡った先、クリド大陸のジンガリア国との戦争があるのではないかと危惧する声や、ナジア大陸にある技術大国、セドナ共和国との貿易の為の出向だろう、なんて声もある。
このオークレア大陸では人族が圧倒的な数を占める、クリド大陸では逆に獣人族が多くを占めている、遥か昔では獣人族を征服しようと当時のアルクール゛皇国゛はクリド大陸に攻め入ったらしい。今でこそ種族間の差別も少なくなり、個人間では互いの国へと流れたりはするのだが、未だ国同士には軋轢があり、互いの種を奴隷にする事や人族が他種を『亜人』と侮蔑を込めて話す事はままある。主に戦争時代を生き残る古い者達に見られる傾向ではあるが、それと同時に他の獣人族や、妖精族、鉱人族が人間族を嫌う世代もいる。
そんな背景の中、アルクール公国では滅多に見ることのない公国所有の飛空挺何てものを見掛ければ噂の種としては十分なものであった。
辺りの人々は皆、飛空挺を見てざわざわと会話を弾ませている。
「あれが飛空挺か、一度は乗ってみたいもんだな」
そんな中、そんな噂とは全く素知らぬと、のほほんとした声で呟く男が一人。
プロメシアの東側、海岸沿いの砂浜で上半身裸に長めの髪を後ろに束ね、裸足でロープを掴んだままぼけーっと飛空挺を眺めているのはファラクだ。
「おい! 兄ちゃん、なにぼさっとしてんだ。さぼらずに頼むぞ」
「お? ああ、すまんすまん。今引っ張る」
窘められた。
真面目に仕事をするか、と気を取り直す。
むん、とロープを肩に背負い、ずるずると岸に向かって引っ張る。
きしきしとロープが悲鳴を上げるかのように鳴り、素足でぐっと柔らかい土を踏みしめ、ロープを引く。
海岸のあちこちで他の者も一列になって岸からロープを掴み、皆でロープを引っ張っていた。
だがファラクの引くロープは彼一人である。
些か異様な光景ではある、周りでは男十人が一組となり、歯を食いしばりながらロープを引いているのに、たった一人でずるずるとロープを引いているのだから。
ロープから繋がった網が徐々に海岸から顔を現し、引っ張りながらもファラクはその光景に昂奮した。
網が沖に上げられ、徐々に沢山の魚たちが海から顔を出す。
潮の満ち引きに、海から顔を出した魚たちは打ち上げられぴちぴちと砂浜で踊る。
その光景がなんだか楽しく、網を上げきるとすぐにでも近づいてみた。
海岸を覆い尽くす程の大漁であった。
「なんだ、そんな珍しそうに」
「ああ、凄いもんだな、人の知恵というもんだろう」
「まぁ、お前さんの力も凄いもんだけどな、そんな細い体しやがって」
ばんばん、と背中を叩き豪快に笑う男は筋骨隆々といった表現が似合う。
ファラクの様に依頼で漁の手伝いを行っているわけではない彼等。
長年漁師を続けるこの男や周りの外の者達は日に焼けて浅黒く、身に持つ魔石色に限らず、こなしてきた力仕事の影響か力強さを感じる。
とはいっても、生まれつき破格のステータスを誇るファラクは彼等より細い体にも拘わらず彼等が束になっても筋力で負ける事はない。
「おい! 兄ちゃん、魔物だ! 頼む」
「おう、分かった」
遠くから呼びかけられ、ファラクは脇に置いたツヴァイハンダーを掴むと走る。
近づけばびたんびたんと、体をのたうち回らせる、魔物が一匹。
鮫が魔物となったのだろう。鰭が鋭利な刃物の様に鋭い。
かといって水棲の魔物が陸に上げられていればそれほど危険はなく、ファラクは魔物化した鮫を一息に両断する。
これくらいなら漁師達にもできるであろうが危険があることに変わりはない、本来であれば漁師の中で名乗り出た者が戦う事もあるそうだが、日頃戦いに身を置く冒険者がいるのだからと、ファラクに一任する事となり、順次魔物が見付かる度にファラクは止めを刺して回る。
全て倒した頃には魚たちはおおよそ選り分けられ、女達が魚を捌いて小さな魔石を取り出している。
漁業組合で得た魚から採れる魔石は魚の大きさからしても吸収しても殆ど成長に繋がらない事もあり、一纏めにして国が買い取るそうだ。それは魔物から得られた魔石も同じだ。
漁業の生活に触れながら、ファラクも手伝おうと申し出るとナイフを渡され、見様見真似で魚を捌いていく。
「楽しそうですね」
不意に、声が掛けられた。
「ん? ああ、こんな事をするなんて初めてだからな」
隣で魚を捌いていた少女へとファラクは応える、だが不意に彼女の左手に甲にファラクは意識を注ぐ。
「どうした冒険者の兄ちゃん、奴隷紋なんて珍しいもんでもないだろう?」
ロープを引いていた時に声を掛けてきた男であった。
「奴隷?」
「ああ、シリカは家の奴隷だ。といっても今じゃ娘みたいなものだがな」
「そうか、それが奴隷紋というものなのか」
「はい、私は家や仕事の手伝いの為に買われたので幸運でした」
僅かにそばかすの残る顔を笑顔で満たし奴隷の少女は答える。
幸運、それが何を差すのか分からないファラクは少し考えた後に尋ねた。
「幸運というのは?」
少々聞く場を間違えていたファラクであった。男が少し苦笑を浮かべ、ファラクの耳元まで顔を寄せ、ぼそぼそと他の者には聞えないように囁く。
「そりゃあれだ、戦奴や……性奴にならずに済んでって事だ」
「扱いが良いと言うことか」
「本当に知らないのか? 俺らみたいなのだと労働力として奴隷を手に入れるからな、仕事が長く続けられるように食事にも病気にも気を遣うが貴族や冒険者が求めるような場合だと扱いも酷いもんらしい」
苛立たしげに男は語調を強める。『酷い扱い』と言うものに縁が無く、ぴんとこないファラクは「酷いというのは?」と尋ねるしかなかった。
「奴隷は安くない、だから俺ら一般の者だと長く働いてくれるように皆配慮するが、貴族や稼ぎの良い冒険者なんかだと駄目だな、代えが聞くからと盾に使ったり、散々遊んで捨てたりとかなんて話も聴く」
男はあえて言及しないが、特に人族にとっての『亜人』であれば尚更であった。
「まぁ、魚を捌くのに参加したいなんて兄ちゃんだからそんな事をする奴だとは思わないが、そういう反吐がでるような事をする者もいるものなんだよ」
「私お父さんに買って貰えて幸せです」
隣で話を聞いていた奴隷の少女は笑みをたたえて話に割り込んできた。
「ば……馬鹿いうな」
男は恥ずかしいのか顔を背ける。周りの女や男が男に声をかけて茶化し、笑い合いながら皆で魚を捌いていった。
犯罪特区の一角、一際大きな館。
朝、漁の依頼をこなしたファラクがギルドに戻った後、次に選んだ依頼が護衛依頼だ。
マリー達が早めに経験しておいた方がいいと言うのが押し手となり、ファラクは再び犯罪特区へと足を踏み入れる。
依頼を請けてきたと告げると館の中へと通され、一室へと案内される。
先ず第一に思ったのは、
陰湿。
そう表現するのが良いか、部屋が暗い訳ではない。まるでこの館自体が後ろ暗い気配を発してるかのように感じられる。
――あまり良いものではないな。
そう結論づけた。
今まで感じた事のない雰囲気にファラクは眉を顰めるも。ソファーに座り、待った。
男がはいってきた。肥えた男だ、羽振りが良いのだろう。犯罪特区にあって太れる程なのだから。身につける衣服もどことなしに良いもの様に思える。貴族を模倣でもしているのか。
「あなたが依頼を請けてこられた方ですね」
にたりと笑うその笑顔。その笑顔に陰湿な者を感じてやはりあまり良い気分にはなれない。だが、依頼なのだからと黙って話を聞くことにした。
「ああ、ギルドオルフェウスのファラクだ」
「知っていますよ。あなたが来てくれると思って手配しましたから」
「何故俺のことを知っている?」
「秘密です」
先日の犯罪特区での大暴れが起因している事をファラクは知らない。大破壊の末に調査が入り、一部の者はファラクの存在を知る事となった。最も、ギルドオルフェウスに所属する強力な力をもった冒険者、程度の認識でしか今はない。
そんな事を知りもしないファラクは依頼を受ける為に続きを促す。
「……まぁいい。それで依頼内容は?」
「奴隷の護衛ですよ」
「奴隷?」
ピクリとファラクがその言葉に反応する。知識は既に持っていた。
「何故奴隷に護衛が必要だ?」
「とても珍しい種族の奴隷が手には入りましてね。その奴隷をフィレンツェまで護送して欲しいのですよ」
「珍しい奴隷?」
「ええ、どんな者かは秘密です」
「護衛依頼には守秘義務が発生することもある。依頼に必要な事以外は教えて貰えなくても仕方が無い」
あまり良い感情は持てないが、選り好み出来る現状でもない、護衛依頼は総じて有名ギルドへと依頼が行くことが多い、難しい依頼も多く、それゆえに報酬も多い。今回の依頼も討伐依頼と比べても桁が違う。ギルドの現状を考えれば断る事は考えられない。
「そうか、人数は?」
「一人で、あまり多くは雇いたく有りません。こんな仕事ですからね。護送は明日の朝から、こちらの館で馬車を用意します」
「分かった、では明日また訪れる」
話を聞いて立ち上がると、ファラクはそそくさと外へと出た。
翌日、再び館を訪れたファラクは馬車へと案内された。
中に奴隷と、食料一式。それにフィレンツェで売りさばく為の物資がはいっているらしい。あまり興味が持てず、食料だけ確認しようと馬車の様子を見る。
馬車の幕を開け、中にはいると。
ちゃり、と奥から音がなる。
(鎖……か)
両腕を拘束するための枷。その枷から鎖が伸び、馬車の柱へと括り付けられている。
女だ。
水のように透き徹る髪を揺らしこちらを見てくる。
鍛えられた健康的な体に、女性らしさを失わぬ体。女性にしては長身なのだろう。白い肌は魔性とも思える程きめ細かく。ファラクにして触れてみたいと思わずにはいられなかった。
両耳の後ろ程から角、獣人なのだろう。勝ち気そうなつり目はファラクを見て揺れている。
少女は自らの体を抱き、身を守るかのように体を硬直させ、こちらを見ている。
眼が、気になった。
怒ってるのか、泣きそうなのか。
ファラクが一歩前にでると少女に緊張が走ったのか、肩を揺らし一層体を強ばらせる。
――酷い扱いを受ける。だったか。
相手を刺激しないようにファラクはそっと彼女のから一歩下がる
「名前は?」
しゃがみ込み少女と視線の高さを合わせる。自然とファラクはそういう体勢を取っていた。彼の勘が目線を合わせた方が相手を威圧しないと感じさせていたからだろう。
だがそれでも少女はファラクを睨み付け、威嚇する。応える様子はなく、体が小刻みに震えている。よほど恐い目にあったのだろうか。
――気丈な娘だ。
それ以上彼女を刺激するのはよくないだろうと、ファラクは彼女と話す事を諦めた。
フィレンツェには行った事がないが三日ほど掛かるらしい。その為の十分な食料がつまれている事を確認し、ファラクは彼女を一瞥すると外へとでた。
馬車を動かす御者を紹介される。喉に傷痕がある。言葉がしゃべれないのだろう。ファラクへ一礼するのみで瞳にはファラクに対する感情はなんら見えなかった。
御者が馬車へ乗り込み手綱を握る。出発すると言うことだろうと、ファラクは馬車の後方へと乗り込むと、出発の合図もなく馬車が動き出した。
背のツヴァイハンダーを下ろす。
その動きが恐かったのか、水色の髪の少女が警戒するのが分かる。身を引き、ファラクへと怯えを伝える。警戒するのは仕方が無いのだろう、安心しろと言葉だけ告げ。床にツヴァイハンダーを置き、座ると壁にもたれ彼女に視線を向けないようにする。ジロジロ見るのは失礼とのマリーの言葉を思い出した為だ。
がたごとと馬車は揺れ、何事もなく進んでいく。
ふん、とファラクが伸びをすると、ちゃりっと鎖がなった。
ファラクは少女を見た。
一瞬視線が合うと少女が眼を逸らす。
どうにも気まずいものを感じる。
空気が重たいのか、相手が居るのに会話が生まれないと言う物淋しい気持ちに自然とため息がでた。
昼時になると御者が馬を止め、食料を取り出すとファラクと彼女に手渡してきた。
――これは……
手渡されたものをしげしげと見詰める。
硬いパンに乾燥させた肉。
待てども待てども他に食料が出てくる様子はない。
――いやいやいやいや、おかしいおかしい。
食料の備蓄には根菜などの野菜も含まれている。
きちんと食料に使って良いと聞いてもいるし、使って良いものだ。なのに一向に食事を作り出す気配はない。
じっと見ていると御者はもくもくと咀嚼しだす、少女も無表情に小さな口で必死に囓りついている。
じーっと周りを見るのだが何か変る訳ではなかった。
ファラクは日々の食事を思い出した。
漁で貰った魚。
香ばしい脂の匂いを放つ魚はぷりぷりで、時折舌に訪れる苦みが適度にアクセントになっていた。レモンを搾れば上品であっさりと食べられる。
屋台の肉屋。
濃いめの甘辛いタレに独特の炭火と言う特殊な調理法で焼いた肉は一噛みすれば口の中に濃厚な肉汁が広がり、山椒と呼ばれるハーブがぴりりと舌を楽しませてくれた。屋台の近くで食べれば、その炭火特有の薫りが食欲をさらに誘う。
涎が出てきた。
だが目の前にあるパンは如何にも硬い。どれだけファラクが切望しても変らないものは変らないのだ。
仕方なしにファラクは泣く泣くパンと乾肉を囓る。
二人に見られていたが気にしない、悲しいのだから仕方が無い。
実に味気のない食事であった。
(いかんいかん、これは仕事だからな)
しかしファラクはそれに耐えられるような男ではなかった。
沸々と野望に燃えたファラクは次の夕食時までまった。
日が暮れ、再び馬車が止る。御者が夜営の準備をし始めたのを見て頃合だと思いファラクは立ち上がる。
二人はファラクの異容な雰囲気を察し、見上げている。
ファラクは実に雄弁に語り出した。
「近くに魔物や獣の気配はない、安全が確認されたので俺はここで一つ言っておく――」
力強い。
「――食事がつまらん! 食事とは楽しく皆で笑いながら食うものだ! よって俺は今から食料を確保してくる。御者! お前は夜営の準備が終われば火を炊いて置くように。食事は俺が作る」
眼が煌煌と激しくファラクの意思を伝える。
ここで首を横に振ろうものなら殺られる。
そう思わせる何かがあった。
「いいな!」
告げられた二人は思わず眼をぱちくりするとこくこくと頷く。
はっと少女は気付くと気まずそうな顔をするとぷい、と視線を逸らした。だが今のファラクにはどうでも良いことであった。
彼の脳内は今食で埋め尽くされていた。
言うのだ。
叫ぶのだ。
彼の胃袋に住まう食魔神が。
美味いものを喰えと!
外へと出る。
ファラクの血走った目が森を捉える。
瞬間ファラクは駆け出した。
それはもう全力だった。
討伐依頼でもここまで全力を出したことはない。
彼の全力はマリーの思惑から外れ、実にどうでも良いところで発揮された。
実際にはファラクは逃避したのかもしれない。
一人ではないのに会話がない、敵意とも脅えともとれる目線を浴び続け、食事は最悪。
重たい空気に耐えかね、沈黙に耐えかね。どうすればいいか分からずため込んだファラクは食へと逃げた……のかもしれない。
体すら動かしていないファラクはその全てをぶつけるように森の中を飛び回り。ナイフベルトからナイフを引き抜き投擲し、猪を狩った。通常なら投げナイフ一本程度で猪を狩る事などできないが、ファラクの腕力がそれをなした。
食料を手に入れたファラクは実に良い笑顔だ。
猪を担ぎ、ファラクが戻る。
よしよし、準備ができているな。
焚かれた火に満足しファラクは二人を見る。少女は壁から鎖を外され。御者の隣に座っている。取ってきた猪に二人は目を丸くしている。やはり気にしない。
食欲の化身となったファラクは肉を捌く、肉屋で働いたファラクにとっては簡単な作業だ、血抜きを終わらせると肉屋がスカウトするで有ろう程の速度で肉を下ろし、解体していく。
「お前達! ぼさっとするな、ジャガ芋を剥くんだ!」
使える者は使うとその間に御者と少女にジャガ芋を剥くように命じる。
二人がびくりと、おたおたしながらジャガ芋を手にとると皮をむき始めた。
御者は手付きが怪しいが少女の方はスムーズに皮を剥いている。どうやら少女に言葉は通じてもいるし、料理も経験があるようだ。
解体した肉とジャガ芋で鍋を作る。ついでに新鮮なレバーが手にはいったとそちらは猪の皮からとった油を使って焼く。
肉の焼ける香ばしい匂いと鍋から漂う芳香で少女のお腹が鳴った。
ファラクが見るとそっぽを向かれる。いまだ警戒は緩めていないのだろうか。
「安心しろ、もうすぐ出来る」
と彼女のお腹の虫へ答えてやる。少し顔が赤い気がするが返答はなかった。
できあがった料理を三人で食べた。食えと、二人に促しながらファラクががつがつと食事をしていく。余り良い物を食べていなかったのか、新鮮なレバーや鍋を少女は少し口に含むと口元を緩ませていた。美味しいの言葉がなかったのは残念であったが、無言で差し出された椀にまた鍋をよそい、お替わりしてもらえたことを喜んだ。
皆が寝静まった頃になるとファラクは一人たき火の番をする。するとぱちぱちと爆ぜる薪の音に交ざって女性の声がする。啜り泣いているのか。周りに音が漏れないようにしているが静かな夜にその声は耳の良いファラクにはずっと聞えていた。
ファラクは一人、そのすすり泣きを聞きながら考えていた。
夜明けと共にファラクは朝食の準備をする、猪を仕留めた事で食事は豪華になった。スープを作り、パンは火と猪の脂で炙り、肉と野菜、チーズを挟む。
できた朝食を皿に盛ると、ファラクは馬車の中に入る。彼女が起きていることは気付いている。
昨日そうした様に、ファラクは膝をつき少女と目線の高さを合わせる。
「食べろ、元気がないときはな、美味い飯を食うに限る」
眼の周りが腫れ、赤い眼をこちらへと向ける少女。
一瞬迷うように少女が視線を泳がせると、やがて口を開いた。
「人族の施しなんてうけません」
初めて聞いた声。綺麗だが言葉もその音色も拒絶を示していた。
昨日とは打って変わり、食事すら拒絶するその態度。
だがファラクは内心喜ぶ、ようやく口を開かせられたのだから。
「ようやく喋ったな、それにしても人族の――とはなんでだ?」
ファラクの無神経な言葉に苛立ちを感じたのか、少女はきっとファラクの瞳を突き刺すかのように睨み付ける。
「あなた達人族は私達を滅ぼそうとしたからです! あなたも人族でしょう!」
ぐっと歯を食いしばり。手がぶるぶると震えている。
「確かにそうだがまだまだ知らない事が多くてな。お前達を滅ぼすとは? 事情を知らんからな、なんともいえん」
「あなたに言っても仕方が無いことでしたね、どうせ私はもう終わりです。このまま人族の奴隷となって。一生辱められて過ごすだけなのですから」
「嫌なら逃げればいいだろう?」
「ふん、奴隷好きな人族なくせにしらないの? この紋章がある限り一生逃げられないのよ。どこにも」
左手に甲に刻まれた紋章を少女は鬱陶しそうに見せてくる。忌忌しそうな表情で刻印を見つめるとファラクへと視線を移す。
奴隷の紋章を刻まれたものは主となった者の命令を断ることができなくなる。紋章に主の魔力を記憶させ、主の意思で想像を絶する痛みを引き起こすことができる。それこそ我慢し続ければショック死するような痛みすら引き起こせる。
今の少女に主はおらず、痛みを与える事はないのだが、そんな事は少女もファラクも知らない。
「そうか、逃げられないのか」
ファラクが背に負う巨大な剣を下ろすと右手一本で剣を構える。少女は次に起こりうる自体を想像をしたのか急に顔を青ざめさせた。
「な……何するきなの!?」
一瞬恐怖を映したが、すぐにきっと睨んでくる。だけど脅えは隠しようもないのか体が震えている。
ファラクは剣を振りかぶり。少女は咄嗟に目を閉じた。
二度、ファラクが剣を振り、甲高い音がを鳴らし背中に剣を納めた。
少女が恐る恐るといった様子で瞳を僅かに開く。
ファラクは左手に皿を持ったまま。彼女をみている。
少女は自分の体がなんともないことを理解しキョロキョロと視線を這わせるとやがて自らを縛っていた鎖がなくなっている事に気がつく。
一瞬ほっとした表情をしたが、すぐに表情を引き締めファラクを睨め付ける。
「なんのつもりですか?」
「逃げられないのなら鎖なんて意味が無いだろう、動き辛いだけだろうしな」
「ありがとうなんて言いません」
「構わん。それより食え、生きてりゃ楽しい事もあるさ、飯を食えば楽しくなるだろう、それに奴隷になったからといって何の楽しみもないわけじゃないだろう、人生は笑っていた方がいい」
ファラクが食事を差し出すと、少女はかっと眼を見開き、ファラクの手を撥ね除ける。
皿が地面へと打ち付けられ、床に料理が散乱した。
「楽しい事? 楽しい事なんてあるわけないでしょ! こんな腐った世界で! 楽しい事なんてあるわけ無い! だったらあなたが私を買って逃がしてくれるとでもいうの!? そうすれば楽しくなるわよ。声高々に笑ってやるわよ、できないでしょ? ふざけないでよ」
ファラクの言葉を引き金に少女は思いの丈をぶちまけるとばつが悪そうに視線を落とす。
ファラクは顎に手をやり、考えをまとめると少女へ向けた口を開く。
「分かった。なら俺が買ってやろう」
「……な!」
更に怒らせてしまったのだろうか、だがファラクは彼女が何か言う前に言葉を続けた。
それは、ファラクの中で既に決定事項であった。彼女がどう思おうともファラクはそれを成す。
「俺がお前を買って自由にする、お前はその後好きに生きろ」
まっすぐに少女を貫く瞳は真剣だった。ただただ真っ直ぐにその視線は少女の瞳を見詰める。
不意に、耐えられなくなったのか、はたまた逡巡したのか、少女は視線を泳がせる。
何事か考えたのか、顔をくしゃっと泣きそうに歪めると首を振った。
「……あなたなんかに買える訳がないわ。私は竜人なのよ、冒険者のあなたが買えるような値段な訳がない」
竜人。竜神が人を模して生んだとされる種族。生まれながらにして強靱な力を持ち、その力は他種族を圧倒する。だがそれゆえか、多くの子を成せず、竜人は数が少ない。そんな竜人が奴隷として売り出されるのだ、奴隷としての価値は計り知れず、さらに彼女の美貌がその価値に拍車を掛ける。その値段はファラクの様な貧乏冒険者等に手がでるものではない。
それを聞いたファラクは笑みを深める。慈しむように。
――これも縁という物なのかも知れないな。
「そうか、お前の名は? 俺はファラクだ」
優しい声であった。
「な……名前は……もう無い」
戸惑うように少女は返す。
事実彼女は自分の名前を思い出せないでいる、過去の記憶も場合によれば消される。手に刻まれた魔方陣の影響だ。奴隷に呼びやすいように名前を付ける習わしがあり、記憶の操作すら行われる。過去の記憶はその者の性格や能力にも関わってくる為、消される事は少ないのだが、人形のような奴隷を好む主もおり、相手次第では消される事もある。
「分かった。じゃあ一先ずリーゼロッテと呼ぶぞ」
「え?」
「名前がないと不便だろう、それに一時的に買えば主になるんだろう? なら問題ないだろうしな」
「リーゼロッテ……リーゼロッテ……」
呼ばれた名を噛みしめたのか、少女が何度か反芻するとはっとした表情となる。
「……す……好きにしたらどうせあなたが買える事なんてない……ですから……」
瞳が潤んでいるのはファラクの気のせいではないだろう。
「なんだ? 信用してないのか? なら――」
ごそごそとファラクは胸のポケットから一つの結晶を取り出す。
白魔石、白というより銀に近い色合いだ。
「――俺の最も大事な物だ。お前に預ける」
「え……?」
戸惑いながら半ば無理矢理渡した魔石を少女は見つめる。
「いいな、絶対に無くすな。お前を買った時、返して貰う」
少女は自らの手の平に転がる魔石と、ファラクを交互に見て、何事か口を開きそうになっては閉じる。
「分かったら飯を食え。新しいのを持ってきてやる」
ファラクが戻り、新たに作った料理を手渡すと、自らも腰を下ろし調理したパンをとスープを食べ始める。
少女も少しずつ食事を取り始めた。何度もこちらを伺うように視線を向け背ける。
やはりファラクが少女の方を向くと慌てたように顔を背ける。
最初と同じ行動ではあるが、敵意や脅えはもう感じなかった。
その後、護衛の仕事は順調であった。時折魔物が襲っては来たが、ファラクに取って然したる問題がある相手はおらず、魔法を使い始末していく。念の為馬車に近づかせないように遠距離から攻撃することにした為だ。
出発して三日後、無事フィレンツェへと到着し、馬車はフィレンツェにある奴隷商館にはいっていく。
少女を引き渡し、彼女は先導されて館へとはいっていく。
何度もこちらを気にするような気配があったが、新たに付けられた鎖に引かれ、つっかえながら館へと連れて行かれていった。
鎖を切ったことに特に咎めはなかった、無事連れてこればそれでよかったのだから。手を出して入れば御者が報国する手筈だったのだが勿論手など出しはいない為何か起りようもなかった。
依頼の完了を告げてくる奴隷商人にファラクは尋ねた。リーゼロッテの事を聞いておかねばなるまいと。
「ところで、彼女を買いたいんだがどれくらい必要だ?」
「あなたがですか?」
「ああ、そうだ」
「そうですね、彼女は逸材ですからね、オークションに出す予定ですが、過去最高値が予想されます。100万ルシカ程用意すれば落札できるかもしれませんね、オークションは4日後を予定しております。どうぞ落札なさる気ならおいで下さい」
用意など出来るはずがないだろうと侮蔑の色を交えながら奴隷商は言う。名も知らぬ一冒険者等に買える値段ではない。冒険者で買えるとすればごく一部、それこそ試練の塔のハイランカー程か、それ位の者であれば確かにそれくらいならぽんと出せる。
事実オークションに参加する者で冒険者も参加する予定である。だが何れも名の知られた者達だ。彼等は塔に登る為、腕の良い奴隷を探している。竜人であるリーゼロッテはそういった層も狙える事から競争は必死である。
ファラクは何食わぬ顔で会場を教えて貰うと最も近いギルドを教えて貰う。
転移で一度戻る事は考えなかった。今回の件はギルドとは関係ない、ファラクは金額を聞いた時即座に思いついたことがあるのだが、言えばエヴァンやマリーに止められると分かっていた。だから一人で動くことにした。
最も近いギルドを訪れ、ファラクは受付へと向かう。オルフェウスとは違い大きなギルドであった。活気があり、二階がギルドの所属するもの待機所になってるようで笑い声が響いている。 一階受付は受付嬢や依頼を頼みに来るものがちらほら見える。
「どのようなご用件でしょうか?」
「魔物の賞金首リストを見せて欲しい」
オルフェウスの者だ、とファラクがカードを見せると、二階で閲覧できると聞き出すと、一人上がっていく。
注目を浴びたように視線が集まるが気にしない、賞金首が張られた掲示板を探し、ファラクが歩む。
やはりあった。
ファラクは一枚の、文字すら掠れ古びた紙切れを剥ぎ取る。
日数はあまりない、すぐに準備して向かおうとした時、声を掛けられた。
「あなた? 確かオルフェウスの?」
振り返り顔を見た。
「たしか……イリスだったか? そうか、プロメテウスとは聞いた名だと思ったが、ここがお前のギルドか」
「ええ、見たことある顔だと思ってね。どうしたの?」
「賞金を手に入れようと思ってな。急ぎなもので賞金首のリストを手に入れようと思って寄らせて貰った」
「ふ……んん?」
ひらひらとイリスに向ける紙切れを見て眼を疑うイリス。
「あなた一人? 本当に行くの……?」
イリスが驚くのも無理はない。
「ああ、急遽金がいる」
「あなた……お金ばっかりだね。でも間違いなく死ぬわよ?」
ファラクの持った賞金首はここ数十年ずっと張り出されてある。
タイラント。
暴君と名付けられたその魔物は元は高位の竜種であったらしい。
赤魔石を吸収してしまったのだろうか、魔物と化したその竜は強大な力を振るい厄災をまき散らす。魔物と化した今でも若干の理性は残っているらしく、全てを破壊することはないが、滅ぼされた国さえある。
ここ数十年、何度も討伐隊が組まれ食い止めようとしたが、未だここに張り出されてるのが結果を物語っていた。
そんな魔物をファラクは退治しようとしていた。掛かった賞金は120万ルシカ。静かに暮らせば一生暮らす言が出切るほどの賞金、もしその魔物を狩れば手には入る魔石やその鱗。角や牙。賞金以上の価格となることも間違いない。
「まぁ、そういうな。それにちょっとこいつは俺が狩らないといけないのもあってな」
ファラクには珍しく複雑な顔をする。ファラクも元は竜種。それも世界を支えるために生み出された最古の竜と言ってもいい。そんなファラクからすれば、タイラントは自分の子が世界で悪さをしてるようにも感じられる。魔物と化せばもう戻る事はないという。ならファラクが引導を渡してやるべきかもしれないと。
「そうだ、お前この辺りに詳しいか? 良ければ案内してもらえないか?」
「絶対無理ですから! 近づいたら死ぬし」
「近くまででいい、4日以内に金を作る必要があってな、急ぎなんだ、頼めないか?」
以前に見た時と性格が変ってないかと、イリスは訝かしげに思う。それだけ真剣なのだろう。以前よりも鋭くなった瞳がじっとイリスを刺す、イリスは観念したように口を開いた。
「まぁ近くまでなら……いいけど……」
「ありがとう、狩ったら分け前をやる」
「あはは、期待せずにまってます」
今まで誰も狩れなかった魔物を一人で狩れる訳がない。死に行く前に少しだけやさしくしてやろうと、イリスの配慮であった。




