竜を導いた歌姫
ギルドにおける依頼の量はそのギルドの名声と評価に由来する。
現在のギルドオルフェウスは弱小も良いところ。それをファラクとマリーの二人で立て直すには二つのアプローチが必要だった。借金を返すと共に、エヴァンがこの先に少しでも依頼量を増やす為にとった行動。
一つはギルドを有名にすること。
一つは依頼を高評価でこなすこと。
言うまでも無くマリーとファラクのこなしてきた仕事だ。
マリーは多くの賞金首を狙い。ギルドとマリーの名を広めた。
ファラクも幾つもの依頼をこなし、全て高評価を得てきた。
この二つの要素から、ギルドの依頼は徐々に増え始めている。
だがギルドの現状から次に取れる手は自ずと決まってくる。
難易度の高い依頼をこなして行くことだ。
二人依頼を請ければ不足する、といった依頼供給の細さは解決できた。
だがこれ以上増えれば今度は二人で追いつかない量になってしまう。
供給過多となってしまえば、どこか別のギルドに応援を頼む必要がでてくる。そうなれば今度は依頼を捌くだけの力が無いと。評価に関わってくる。
そうなる前に雑務系の依頼を減らし、今度は大物狩りに乗り出す。
そうすることで効率よくギルドの名前を売ることが出来る予定だ。
「なぁマリー?」
「何よ!」
けたたましく魔物が咆吼し、辺りにいる冒険者達がその声に身を縮こまらせる。
その場に漂う緊張感をまるで無視し、のほほんと尋ねてくる男に叫び声で返した。
巨大な魔物はファラク達の前に対峙し、身の回りを害する人を蹴散らそうと腕を振り回している。
そんな光景が繰り広げられる中、ファラクから告げられるその言葉はまるでこの場にそぐわないものだった。
「目を治す魔法をしらないか?」
「!」
隣同士に立つファラクとマリーに巨大な腕が割って入り、地面を抉った。
土砂が舞い散り、粉塵が視界を遮る。
とっさの事で腕で顔を覆い、マリーは間から除く視界に目を凝らす。
やがて晴れゆく視界に、緊張を滲ませながらマリーは辺りを見た。
「ファラク? どこ?」
やられた?
まさか、と思わずにはいられない。
周りではなぎ倒され、倒れ臥す冒険者達がそこかしこに見える。 先程の一撃も魔人であるマリー所か、ファラクでさえ受け止める事はできないであろう一撃。
地面を穿った穴がそれは事実であろうと容易に想像させた。
周囲一帯へと目を凝らすが、ファラクはいない。
「レーメの目がどうしたら治せるか考えているんだが……」
不意に、空から声が届く。
神様からの声、なんて事は勿論ない。
聞き覚えのありすぎる声。
ああ、最早心配するだけ無駄なのであろう。
周囲の状況にまるでそぐわないその男の言動に頭を痛めながらマリーはきっと睨む。
最早これは呆れてもいいだろう。この男何処まで……
振り上げた魔物の腕に乗り、それでものほほんと別の事を考える男に叫んだ。
「ファラク、その話はいいからそいつをなんとかして!」
「そうだな。ゆっくり話ができない」
ファラクがたツヴァイハンダーを手に持つと、走りだした。
魔物の腕を伝って肩まで走り抜ける。
魔物が気付き、体を揺らし振り落とそうとした時には既に遅かった。
魔物と比べ、矮小な存在でしかないその男は腕から一足で飛び上がり、魔物の顔へと到達していたからだ。
ファラクは躊躇無く、その手にもった巨大な大剣を横一線。
首を跳ね飛ばされた巨大な魔物ジャイアントオーガは意思を失ったかのように両手をだらりとさげ、そのまま前のめりに倒れ臥した。
マリーは引きつった笑顔を浮かべ、目の前の光景を呆然と見ていた。
既に事切れているような気はするのだが、宙にあるファラクはさらに魔方陣を編み上げ魔法を放つ。
マリーが教えた魔法。ライトニング。
一条の光がジャイアントオーガの胸を貫き、暗くなった荒野で一瞬の静寂が訪れた。
この場にいるのはマリーだけではない、
歓喜の波がその場の者に伝わり、誰かが武器を掲げた。
「勝ったぞ!」
「生きてる!」
皆が思い思いに喜びを分かち合うなか、マリーは白けた目で目の前にいる男を見てため息をつくのだった。
複数のギルドで参加する討伐依頼がある。
今回のようなジャイアントオーガ。生物が赤魔石を吸収し、暴走した状態が魔物である。人型種であろうとも赤魔石を呑み込み暴走すれば魔物と呼ばれる。
赤魔石は生物が死せる時強い恨みや怒り。悪感情を持った場合白から黒に当てはまらない赤魔石になると言われている。その為、死した魔物であっても通常の魔石が採れる訳なのだがまれに生きたまま赤魔石を内包するものがいる。そんな自ら魔物と化した者がさらに赤魔石を摂取すれば変異型となる。
ただでさえ暴走し強力な力を得た魔物がさらに変貌を遂げる。
場合によれば災害レベルとなるそんな変異型魔物が確認されれば複数のギルドでの討伐が希望される。今回ファラク達が参加したのはそんな依頼だ。
さほど強力な種ではなかったのが幸いだがそれで肝が冷えるような一撃を繰り出される事もある。
それを目の前にいる男、ファラクが先程葬り去った訳なのだが、
「ファラク、もう少し危機感を持ってもらわないと」
酒のはいった樽が用意され、皆で生存を分かち合い宴となったその場で、マリーは堪えきれず隣のぼーっとした男に告げた。
この男は止めを刺した事で周りの冒険者からしきりに声を懸けられていたのだが、心此処にあらずとぼーっと気のない返事を返していた。
さすがにマリーの真剣味籠もった言葉には意識を傾けてくれたが、
「なんだ? 拙かったか?」
申し訳なさそうに頭を下げてくる。その姿にまたため息がでた。
もう知ってはいる。ジャイアントオーガはファラクに危機感を持たせられなかったのだ。アレスの時や、他の強力種の時は感じたらしいのだが胸を締め付けらるような、肌がひりつくような、あるいは冷たい汗をかくような。経験の少ないファラクはそうした感覚で相手の力量を判断しているらしく。ジャイアントオーガには感じなかったらしい。
危機感を感じた時は口数も減り、真面目に戦うのだが……
素直だからって許されるものではないと思う。死者が出ていなかったのが唯一の幸いか。
「何かあってからでは遅いのよ、どんな時でも油断しちゃ駄目」
「そうか、貴族はメイドを落とすのにも全力を、というやつだな」
「獅子は、うさぎよ。それに落とすじゃなく狩る、何一つあってないじゃない」
「そうか、違ったのかそう教わったと思うんだがな」
誰だ!うちのファラクに変な性癖を植え付けようとしているのは!
思わず叫びそうになるのを懸命に堪えた。
恐らくあの眼鏡に違いないと考え、あとで焼きを入れる事を決意した。
それはそうと、
「まぁ、良いわ。とにかく幾ら実力差があっても油断はしないこと、いいわね」
これだけ言い含めれば今後は大丈夫だろう。真剣な表情で頷くファラクにマリーは先程の答えを返す。
「それで、さっきの質問だけど、目を治す魔法はしらないわ」
話し始めた内容に、ファラクが一転して真剣な表情となる、お願いだから討伐の時もその顔でいてくれと、真っ直ぐに見つめてくるファラクを見る。
(まぁ、ファラクがここ数日書物を漁っているのはしっているけどね)
レーメの目を治す為に、魔法書を見つけては読みあさっている。それだけ一人の者に真剣になれるのは良い傾向だとは思うものの、もう少しその範囲を増やして欲しい、
そう、例えば目の前の女性とか、頼れる魔法に長けた相棒だとか、年上で藍色の髪をした美女だとか。
つまりマリー自身だ。
そこまで考えて、空しくなった。
遠い目で、達観したような目で虚空を見詰める。
ひとしきり満足すると、彼の努力を応援するべく言葉を続けた。
誰も突っ込んではくれないから。
「魔法書を読みあさってた様だけどあまり意味はないわ。魔法書は既に認知されて、かつ広めても良いと魔法制作者が許可した場合にしか載ることはないわ」
有用な魔法を開発する事は一財産当てるに同義だ。
必要魔力を抜きにしても、世界に数少ない魔法を所有する人を放って置くことはない。一般的には開発した魔法を書物で公開し、財産を得るよりも、その魔法を所有するただ一人の者、として存在する方がメリットが大きいのだ。特に治療魔法や攻撃魔法ではその傾向は顕著だ。
「だから、基本的に自分の開発した魔法を公開する人は滅多にいないわ。私だって、自分で作った魔法はファラクにも教えてないしね、魔道を志すものは自分のオリジナル魔法を作り上げて初めて一流になれるのよ」
「そういうものか。なら知ってるものから教えて貰うしかないか」
「そうね、教えてくれる者はいないと思うけどね」
「では自分で作り上げるしかないか?」
「もっと簡単な方法があるでしょ?」
心底分からなさそうにファラクが唸る。この男もしや真剣に悩みすぎて視界が狭まっているのだろうか、それとも自分の事はわかりにくいものなのか。先日魔法を教えた時の記憶力はいったいどこへいったのか。呆れながらファラクに方法を提示した。
「ファラクなら魔方陣を一目でも見れば使えるようになるでしょ」
◇◆◇
ファラクが用心棒を辞めた後、レーメは一人で酒場まで向かっている。
目が見えないから酒場まで行くことができない、と言うことはない。
そもそもファラクと合うまで彼女は杖一本でずっと広場まで歩いていたのだから。勿論初めての道であれば困るが、幸いにしてファラクと共に歩いた日々が彼女に道筋を記憶させてくれた。
酒場までの道中は彼女にとってもっとも集中力を要する時間だ。
別の事に気を取られて歩いた道のりを忘れてしまえば、迷うしかない。目の見えないレーメにとって最も油断してはいけないものだ。
こつこつと人にぶつからないように石畳を杖で突きながら一歩一歩歩く。時折声を駆けられるのが厄介である。酒場で働き出してから、そうして声をかけられる事も多くなったから、尚更注意が必要になった。
道案内をしようか。
そう申し出てくれるのはありがたい、だがレーメはその声から嘘をおおよそ見分けてしまう。大半の者はその声音が嘘だと告げるものばかり。ついていけば何をされるか分からない。
丁重に断りながら、不安になれば左手の薬指に手を添える。
左手にはめたリングが。レーメの不安な気持ちを消してくれる。
自分の事を心底、心配してくれる者がいる。
手に覚えさせた、彼の肌の温もりと形がレーメを強くしてくれる。
――私にはこれがあるから大丈夫。
頬に感じる西日がある程度の時間を伝えてくる。
やや足早にレーメは酒場へと向かった。
酒場で歌う事にも慣れてきた。
幸運な事にファラクがいなくなっても手を出してくるお客さんはいなかった。どうもファラクが初日に取り押さえた時の様子を恐れているようだ。
ポーラが噂も広げたのもあるのだろう。レーメに手を出すとあれが来ると。
お陰で安心して歌う事ができる。新しい用心棒も決まり、酒場も、レーメの仕事も今の所問題はない。
壇上で歌うレーメを歓迎してくれる雰囲気を感じる。
広場で歌っていた時とは違う、受け入れて貰えるている。そう感じる。
何度も歌い。部屋へと戻る。
この後はレーメの楽しみの時間だ。左手の指輪を贈ってくれた主と少しの間だけでも一緒にいられるのだから。
いつものように従業員の部屋で待っていると、ドアが開く。
――あれ? いつもより足音が静か?
音の方へと顔を向けると話し掛けられる、女性の声だ。
「あなたがレーメさん?」
成人した女性の声。敵意はなさそう。優しい声だ。
「はい、あなたは?」
「初めまして、マリーよ。今日はファラクの代わりにきたの」
「ファラクさんに何かあったんですか!?」
「ああ、いやいや、違うのよ、ちょっと彼やることがあってね。多分今日は間に合いそうにないからって私が代わりにきたの」
「そうですか」
まさかと思ったがほっと息を吐く。
「で、私は彼とペアを組んでるの、同じオルフェウスのメンバーよ」
先に情報を出して信頼できるようにしてくれたのだろう、気を遣ってくれるのだと分かる。
「じゃあ、私と帰りましょうか」
「はい」
そっと手を引かれ、マリーに連れられて歩いて行く。
女同士少し話さない?と訪ねられ。肯定を返すとまだ空いている料理屋へと連れて行かれた。
料理を注文し、マリーはブドウ酒を、レーメは果実を搾った飲み物を頼むとマリーが話し出す。
「今日は私がきたけど、もしかしたら二三日は私が迎えに行くことになるかもしれないのよ」
「どこか遠くへ行っているのですか?」
「あー違うのよ。ちょっとファラクが個人的にやりたいことがあるって、少し離れているのよ」
「そうですか……」
「そんな不安そうな顔をしないでもちゃんと帰ってくるわよ」
「い、いえ、心配してるわけでは」
嘘だ。色々な事を考えてしまう。ファラク自身の心配もそうだし、人に言えない醜い事も。
「大丈夫よ、寝ても覚めてもレーメさんの事ばっかり考えてるから」
言葉に顔が赤くなる。何やら恥ずかしいものを感じる。
「それでね、ちょっと本題なんだけどね」
真面目な表情になるマリーが続けた。
「あいつを導いてやって欲しいのよ」
「導く……ですか?」
「あいつが何処まで話してるか分からないけど……あいつもの知らないでしょ?」
彼の言葉に不思議な言葉が混じることがある。それを言っているのだろう。
「私、あの人のこと何も知らないですけど、それでも……あの人が普通じゃないのは分かります。人になって一ヶ月も経ってないって言ってましたし……あれって本当の事ですよね?」
嘘だとは思っていない、また冗談だとも。彼のあの言葉にそんな色は含まれて無かったし、彼の子供のようにも見える雰囲気はそのせいだろうと察しがついていた。
「そう、話していたのね、彼は普通の人じゃないからね。今色々と人について学んでいる最中なのよ、だから彼女のあなたが彼を間違った方向に行かないようにしてほしいのよ」
「あの……私は彼女と言うわけじゃ……」
彼がどういう育ち方をしたのかは知らないが、彼はあの時分からないといったのだ。自分の感情に戸惑いながら。
「私は……ファラクさんに相応しいとは思えません……」
自分で発した言葉に顔をしかめた。心が求める言葉は違う。だがそうするべきだと。レーメの中で二つの気持ちが揺れ動いていた。
指輪に触れる。これだけで十分なのだ。彼には十分良くして貰った。その先を求めるなんて。
考えを読まれるように、先回りしたように。声が届いた。
「目の見えない私じゃ、なんて?」
思わず身動ぎしてマリーの方を向く。
「身を引こう、なんて考えなくていいわよ。そもそもそんなことファラクが望んでるなんて思わないし。自分の気持ちに気がついてるかすら怪しい所はあるけどね。でもあなたの事を大切に思ってるわ。少なくとも誰よりも」
「でも――」
「じゃあこう言おうかな。ファラクみたいなとんでも人間はあなた位が丁度いいのよ、彼は一種の、化け物よ。魔法を、武器の扱いを。文字をたった数日で覚える。彼の歩く速度は人の何倍もの速さ。でも――彼はあなたの歩みに合わせようとしている。そう見える。ファラクには幾つもの枷があって丁度良いくらいなのよきっと」
マリーに遮られ、レーメは閉口した。
「いい、そんな事で決して自分の気持ちを曲げてはだめ」
彼女の言葉。そこにはただのお節介、では片付けられない何かがあった。
凄み?
いいや、口調こそ軽いが、マリーのその言葉には必死さが乗る。そちらを選んではいけないと。慮るように。
だが勇気づけられたのは確か。諦めないでもう少しだけでも頑張ってみようとレーメは指輪の感触を確かめながらマリーと語らうのであった。
◇◆◇
未だ太陽は昇らず、辺りにはうっすらっと黒色から青み掛かる頃。
ファラクは久々のギルドへと足を踏み入れると欠伸をかみ殺した。
目的の為に二日ほど眠っていない。能力と睡眠はまた別のようだ。体力的にまだまだ余力はあるが、眠気は別だ。まともな徹夜など初めて経験したが、日の光で目が痛くなり少々驚きもした。
今日は依頼をこなすのをやめておこう。そう決める。
思えば三日ほど見ていない。
「ん?」
脳裏に浮かんだ少女の顔。
まただ、彼女の事ばかり考えている。
一度頭に思い浮かぶとそれに囚われると。そうなれば決まって調子のたがが外れる、一度依頼中にそうなりマリーに窘められもした。
決まって心の動きを追おうとするのだが、ファラクは二日寝ていなかった。頭ははぼんやりと思考が纏まらず。雲散する。
駄目だ、眠ろう。
幾ら考えどもうまくいかず、ギルドの医務室のベッドに倒れ臥すように昏睡した。
次に目を覚ませば早晩であった。
ホールへと出るとエヴァンとシンディがいた。待機している二人へと外出の旨を伝えるとそのまま外へ。
睡眠のお陰で靄がかった頭がしゃっきりとし、ファラクはすぐさま酒場へと足を向ける。
久しぶりに彼女の歌が聴きたい。
酒を傾けながら彼女の歌を聴く。
今のファラクにとって最も楽しい一時だ。
空いた期間ゆえか。我知らず速足となり、人の行き交う大通りを突っ切っていく。
気持ちが体を囃し立て、店にはまだつかないのか、いっそ転移していくか、なんて思ってしまう、楽しみは後で取っておくもの、この時間すらも楽しもうとファラクはただ歩いて行く。
到着する頃には丁度店が開く時間、ファラクは店に入る。
店に入り、周りを一瞥。
何か変だ。
「ファラク!」
慌てた様子のポーラがファラクへ走り寄る。狼狽しながらもしっかりと、確認するようにファラクへと尋ねた。
「あなた、レーメを見てない?」
「いや、暫く所用で街にはいなくてな、レーメとはここ最近会ってなかったんだ」
「そう……今日出勤の筈なのに来ていないのよ」
目の見えないレーメの事、何かあったのか。そうファラクが考える。
胸をじくりと、針で穿たれたの如く胸を苛んだ。
「さがしてくる」
先ずは彼女の家だ。時間が惜しく、ファラクは魔方陣を描くとすぐに彼女の家まで転移する。
逸る気持ちを抑え、ドアをノックする。
結果。ファラクの胸に痛みがひろがる。じくり、と胸中には裂傷を作るかのようにさらに抉られ、心がファラクを囃し立てる。
レーメが居なかったのだ。
中にはいってすぐ目の前にいるペドロへと尋ねた。
ペドロは「レーメは酒場へと向かった」と。
ペドロの制止する声すら聞こえず、ファラクは走りだした。
我知らず、拳を握り締め。全力で走った。
走る、走る、ただひたすら走る。
彼女と歩いた道沿いを。
頭の中が焼けるように熱い。冷静さを欠いていることを自覚した。
自然と深い呼気を発し。
ふと思いつくとカードを取り出す。
自分の知らない事を尋ねるなら彼女だ。
彼女の顔を思い出し、ファラクが魔力を通すと、相手と繋がる。
「何? どうしたのファラク?」
ファラクの常にない焦りように怪訝そうに尋ねてくる。
「レーメが酒場にいない、家にも居ない」
それだけで察したのか、マリーは真剣な声を伝えてくる。
「いい、何かあったとすれば犯罪特区の方面が強いわ、ファラクは犯罪特区の方に向かって。私は彼女の行方を知る方法に心当たりがあるから、分かったら連絡する」
「頼む」
「ファラク」
「なんだ!」
「いい、落ち着いて行動するのよ」
心臓の鼓動がファラクを囃し立てる、今にも飛び出しそうな気持ちをマリーの言葉で止められ。ファラクは大通りからそれ、犯罪特区へと足を運ぶ。だが手がかりは未だ無いまま。マリーを信じ、犯罪特区の奥深くへとはいっていく。辺りは既に薄暗く曇天の天気は小雨を滴らせる。自らに刺さるような視線を浴びせてくる男達を無視しながらファラクは歩く。
暫く進んで行く内、マリーから通話がきた。
三番区にある一番大きな倉庫。そこにレーメがいる。そう聞いた。マリーの声は震えていた。逸るファラクはそのマリーの声に含まれる意味に気がつかず。未だ何か話そうとするマリーとの通話を切ると一目散に走りだした。
途中何度か人とぶつかり、彼に文句を言おうと顔を見るが、皆怯んだように後退る。
マリーの言っていた倉庫はすぐに見付かった。推測でしかないが、他とは一線を化す程大きな倉庫、ここ以外にはありえないだろうとファラクは扉へと手を触れる。
開かない。
鍵が掛かっている。
横開きするその扉は硬く閉ざされ、ファラクの侵入を拒むかのようにそびえる。
ファラクは拳に力を込める。
ここにレーメがいるのだ。
「ぬううう」
ドンっと明らかに殴打の音ではない音が響き渡り、ドアがひしゃげる。
まだだ、まだ。
二度、三度と扉を殴り続ける。数を重ねる度ドアが形を変え、みしみしと音を立てていたドアはついには吹き飛んだ。
中に入ると人の気配は感じない。
誰もいないその倉庫へと立ち入り。ファラクはレーメを探す。
歩き回っている内、小さな部屋を見付けた。
もうここしか探す場所はないと、ファラクはドアを開けた。ここに鍵は掛かっておらず。ドアはすんなりと開いた。
目の前の光景にファラクは言葉を失った。
その部屋の真ん中、ぽつんと落ちた人影。そこから染み渡る赤い液体。
自らの見た光景が真実なのか。
自身の想像を超えた視覚情報がファラクの思考を真っ白に染め上げる。気がつけば、ファラクはふらふらとその血溜まりの中央……レーメへと近づいてた。
その白い肌は今や血を失い。青くなっている。
彼女の着る白いドレスは赤く染め上がり、そしてところどころ破れている。
すっと、ファラクが彼女の顔に触れると、僅かに身じろいだ。
まだ息がある。
咄嗟にファラクはアリシアから習った魔法を発動する。
ファラクの知る最も強力な治癒魔法を掛ける。
彼女の体にあった傷が見る間に消えていき、流れ出る血が止った。
「ファラク……さん?」
「あぁ……俺だ。レーメ、分かるか!」
伸ばされた手を取り、ファラクは彼女に呼びかける。
「私……もう駄目みたいです」
傷は治った。だがその手は、顔は青い。失った血が、体力が彼女の体に宿る命を保たせる事ができないのだと。
「駄目なものか」
ファラクは死について知らない。自らが死するような存在ではなかったのだから。その概念は知らない。だが、彼女から刻一刻と何かが漏れ出て行くのを理解した。
そしてそれは良くないものだとも。本能なのか、神が入れた予備知識の一つなのか。分からない。もう間に合わないのだと、ファラクに告げてくる。
「そうだ、レーメ」
ファラクがレーメの目へと向けて魔方陣を描く。ファラクが私用で出掛けていた三日間。彼はこの魔法を取得しにいっていたのだから。魔方陣に注ぎ込まれたファラクの魔力が、周囲に漂うマナに形と指向性を持たせ、レーメの閉じた目へと注ぎ込まれる。
浅い呼気で何度も胸を上下させるレーメ。
その開かない瞼が、ぴくりと震え、薄く開いた。
「これ……は?」
驚いているのだろう、だが最早蒼白となり、身動きをとる事さえできないのであろうレーメは、弱弱しくファラクを見つめる。
やがて何が起きたのか、理解したのか。力の無い笑みを向け、レーメがただファラクの顔を見る。そっと手が動き、ファラクの頬に触れた
「思った通り……優しい顔……」
ゆっくりとレーメの指がファラクの顔をなぞる。
「夢が……叶っちゃいました」
「そうか」
「思い残す事なくなっちゃったじゃないですか……」
「すまん」
何を話せばいいのか分からず。ファラクはただ頷き、同意した。
そっとファラクもレーメの頬へと触れると。嬉しそうに笑い。レーメが頬に触れたファラクの手を握る。
「大好き……大好きです……大好き……でした」
それはレーメ自身がこれが最後だからと漏れ出た言葉。
好き、その言葉を聞いて。ファラクもようやく気付いた。
これが好きだと、愛情なのだと。
彼女の歌に惹かれ。彼女を眩しいと、彼女に対して感じる柔らかな気持ち。
気付いた心が、そのまま形となった。
「俺もだ、レーメ、お前が好きだ」
「えへへ……嬉しい……な」
ぎゅっと彼女の手を握り。その言葉を最後にレーメの開かなかった瞳が再び閉じた。
きゅっとファラクの手を握り。そして次には力が抜けた。
レーメの中から何かが失われ、ファラクはただレーメの名を何度も呼びかけた。
それが死なのだと。ファラクは応えぬ彼女をみながら、暫し呆然した後気付いた。
「ファラク!」
動かなくなったレーメを前に、一人魂が抜けたかのように放心するファラクへとマリーが叫び、そして横になったレーメをみて言葉を失う。
エヴァンの遠見の魔法でレーメの居場所を捜し出し、ファラクへと告げるとすぐにマリーもここへ向かっていたのだ。エヴァンに視て貰った時から、この光景は覚悟していた。
レーメの顔へと視線を落とす。ファラクの瞳は虚ろ。何を考えているのか分からない。狭い部屋の中にはただ走ったマリーの荒い息遣いが響き渡る。血溜まりの中、微動だにしないファラクをただマリーは息を整えながら見ているしかできない。
どれくらい経ったのだろうか。
マリーの息も整い。初めて得た大切な者を失った男をマリーはじっと見ていたがそれも終わる。
背後から人の走る音。そして人の気配。
戻ってきた男達がファラクが壊した扉の惨状を視て急いではいってきたのだろう。この部屋には明らかに盗品と分かる品がそこかしこに置かれている。その確認だろう。
三人。
マリーは立ち上がるとファラクを一瞥した後、部屋の入口を見る。直ここにレーメを攫った男達が来るはずだ。
ファラクは役に立たなそうだ、とちらりと視た際に思った。魂が抜けてしまったかのように、無言でレーメを見つめ続けている。
そして男達がマリーの視界にはいる。男達もだ。マリーは攻撃せず、念の為にと男達が口を開くよりも速く問うた。
「あなたたちが、レーメを、彼女を攫ったのね」
「……」
険しい顔で三人の男達がマリーを見る。
「そう……無言は肯定とっ――」
空気が変わった。
マリーの肌が粟立つ。胸がぎゅっと締め付けられ。吐き気が込み上がってくる。
悪寒?
そんなものではない。
恐怖?
生温い。
断じてそれは人から発せられるような圧ではない。
魔人となったマリーにして意識を根こそぎ狩られ、倒れ臥してしまいそうな程の圧力。
三人の男達は圧力に耐えかね、膝を突いて吐瀉物をはき出している。嘔吐の苦しみが彼等の意識を保っているのだろう。
震える身を気持ちでねじ伏せ。マリーは振り向く。圧をまき散らす人物へと。
ゆらり、とゆっくりとそれが立ち上がる。
彼の長い髪が、俯くその顔をかくし表情が覗えない。
一歩踏み出した。
ゆっくりとした足取りで、男達へと歩を続ける。
長い黒髪を揺らし、こつっとブーツが音を鳴らす。
だらりと手をたらし、マリーを視界に入れないまま擦れ違うと、男達の前に立つ。
首を傾け。それが地に伏せる三人を見下ろしている。
男達の顔は恐怖に染まっている。
周囲に漂う圧がファラクからのものだとその場の者は皆理解していた。
歯の根が合わないのか。かちかちと、歯がぶつかる音が耳に残る。
「――っ」
吼えた。
それは人であって人でないものの慟哭か。
人の形をした別のもの。
そんな存在がそこにいた。
本来の内包された人成らざる魂が叫ぶのか。
人であって人成らざる者が咆吼を上げる。
それはゆっくりと拳を高く掲げる。
かつて世界を支えていた竜は。
世界に生まれ落ち。
その高く掲げた拳を、
振り下ろした。
◇◆◇
「ファラク、はいるわよ」
返答はなかったが、思い切ってはいることにした。
ギルドオルフェウスの医療所。ファラクの部屋である。
部屋へとはいったマリーはファラクをみる。
彼はただぼうっと窓から外を眺めていた。
レーメを失い。暴走した彼は拳を打ち下ろし。倉庫を一撃で破壊した。無論レーメを攫った三人の男達は巻き込まれ。命を落としただろう。
あの時のファラクの力は輪を掛けて異常であった、現在のファラクの評価値でも拳一つであんな事は起こらない。人の身に宿った竜の力だろうか。
色々と思考を巡らせるが、今はそんな事じゃないと首をふりファラクへと歩み出した。
正面に立ち、こちらへと顔を向けぬファラクの視界に無理矢理はいる。
「マリー……」
力の無い声。未だ立ち直っていないのだろう。
「ファラク、これ」
ファラクの手を取り、結晶を手渡した。
「これは……?」
手に乗った結晶へとファラクは視線を落とした。
「レーメの魔石よ」
白魔石、しかしそれは澄んだ純銀の様な色合いを放っている。実の所、明らかに通常の白魔石とは色が違うのだが。ファラクもマリーも気にする様子はない、ファラクは白魔石を見るのは初めてだし、マリーはあまり気にしていなかった。
「ペドロさんがあなたにって」
亡くなった者の魔石は家族や恋人、大切な者が受け取る事になっている。吸収して自分と共に、または大切に保管したり。そういう風習である。
本来であればペドロがそのまま所有すべきであるが、ペドロはファラクに渡してくれとマリーへと頼んだ。
「レーメの……」
「気持ちは分かる、なんて事はいえないわ、ただ、時間は掛かってもいい、立ち直りなさい」
喪失感は感じた者だけのものだ。例え同じように恋人を失った者がいたとしても、その傷の深さを他人が推し量れるものではない。
特にファラクは世界に生まれ落ちて僅か一月程。死の概念すら知らず。愛情の概念すら知らず。初めて愛情を与えた大切な者が、初めての死を教えた。
知り、同時に失った。
軽はずみにいえる事など何もない。
マリーはそれだけ告げ、部屋の外へと歩く。
「……マリー」
声を受け。立ち止る。
「こういうこと……なんだな」
何がかは、聞かなくても分かった。
「ええ、そうよ」
ただ、そう返し。マリーは外へと出る。
振り返ってドアを閉じる時、ファラクはレーメの魔石を見ていた。
「マリー、ファラクさんは?」
扉を閉じ、ため息をつくマリーへとエヴァンが尋ねてきた。彼の表情も明るいものではない。
マリーは首を横に振ると、ギルドのホールへと戻り座った。
シンディもギルド内の空気を感じているのか、表情は芳しくなく、大人しく椅子に座っている。
「レーメさんを攫った相手ですが、やはり。カースの連中の一人のようです」
「そう、まぁ……そうなんでしょうね」
犯罪特区に居を構えるとされる犯罪ギルド、その中でも最も知名度が高い。それだけ有名になれば国やギルドから討伐されようものであるが、不思議と彼等の本拠地が知られた事はない。
「末端が金ほしさに働いた、と言うところでしょうね」
「そうね」
レーメが何かカースに関わりがあったということはないだろう、何か重用なものを見てしまった、等ということも目の見えなかった彼女にはあり得ない事だ。
「どうします? ファラクさんには?」
「内密にしておきましょう。どんな行動を取るか分からないわ」
三日が経ち、マリーはエヴァン達とギルドのホールで過ごしていた。
エヴァンも、シンディもファラクの様子に気付き、そっとしていた。
重い雰囲気が流れているが、三人はそろそろ動き出す必要がある。
ギルド再興はまだ始まったばかり、今後の事を話し合い、また場合によってはファラク抜きで今後の事を考えねばならない。
あまり弾まない会議の中、ガチャリ、と扉が開く音がした。
三日ぶりに開かれた扉。
その音を出した人物を三人が注目する。
「お? どうしたお前ら?」
はにかんだ笑みを浮かべた男がそこにいた。
だがそこに今まで知る彼はいなかった。
目は以前よりも鋭くなっていた。浮ついた気持ちが消えたのだろう。
喜びだけを持ち、自ら背負っていた世界を訪れた竜は、怒りを知り、悲しみを知り、愛情を知った。
ファラクと言う人間は。今日このとき、生まれたのかもしれない。
竜と共にあった歌姫は、彼の心に深く根差し、確かに導いたのだ。




