第六節 末将が顔将軍をお迎えに参りました
「顔将軍は、もう運んだ途中で死ぬような状態ではない。もちろん、傷はまだ重い。だが、少なくとも今の状態なら、軍の医者に引き渡すことはできるはずだ」
俺は顔良の寝台を見た。
彼は目を閉じていたが、俺たちの話が聞こえているのか、眉がかすかに動いた。
「ここに隠し続けても、いつか見つかる。そうなれば、俺たちは無断で将軍を隠していたことになる。ならば、先に軍へ報告して、正式な救出という形にしてしまう」
「だが、誰に報告する?」
「大隊長だ」
老陳はしばらく黙っていた。
黄皮小隊長に報告するつもりはない。あいつに話せば、功績を横取りされるか、俺たちが規則違反をしたと騒ぎ立てられるかのどちらかだろう。
直属の上司に報告しても、ろくな結果にはならない。
だから、その上だ。
俺たち三百人の収尸兵を束ねる大隊長。黄皮にとっても、逆らうことのできない相手である。
「大隊長が顔将軍を連れ戻せば、袁公から大きな褒賞を受けるだろう。俺たちのことなど、後回しになるかもしれない」
「そんなにうまくいくかね」
「うまくいかせるしかない」
老陳は俺の顔をじっと見た後、小さく息を吐いた。
「分かった。俺も一緒に行く。ただし、俺はお前ほど度胸があるわけじゃない。余計なことは言わんぞ」
「それで十分だ」
俺は笑った。
老陳は顔良を救った主役ではない。だが、ここまで一緒に危険をくぐり抜けてきた人間だ。今さら彼を無理に巻き込むつもりもなかった。
それでも、彼は自分からついてくると言った。
それだけで十分だった。
その日の午後。
戦場には、相変わらず血と泥の臭いが立ち込めていた。
烈日の下、俺たち収尸兵は三百人がかりで、泥にまみれた死体を運び続けていた。戦況は思わしくない。袁紹軍の兵士たちにも疲労の色が濃く、誰もが不機嫌そうに怒鳴り声を上げていた。
そんな中、俺たちの大隊長が数名の親兵を従え、馬に乗ってやって来た。
大隊長は眉間に深い皺を寄せていた。
戦局が思うように進まず、目立った手柄も立てられない。今のままでは、袁公からの評価も昇進も期待できない。そんな焦りが、その顔から透けて見えた。
――今だ。
俺は運んでいた重い死体をわざと持ち損ね、泥の中へ転がった。
しかも、そのまま大隊長の馬の前へ倒れ込む。
「この野郎! 何をしている!」
真っ先に飛んできたのは、黄皮の怒声だった。
「馬の前に飛び出すとは、死にたいのか!」
黄皮は大隊長の目の前で、俺の背中に鞭を振り下ろした。
「ぐっ……!」
痛みで身体が跳ねる。
だが、これでいい。
「大人! あなた様には、袁公から封侯拜将に値する大功を授かる機会がございます!」
俺は泥にまみれた顔を上げ、声を張り上げた。
大隊長が馬の手綱を引いた。
「何だと?」
黄皮が慌てて俺の口を塞ごうとしたが、その前に大隊長が片手を上げた。
「黙れ。話を聞こう」
大隊長は馬上から俺を見下ろした。
「下賤な収尸兵が、何を大功などとほざく。もし戯言なら、今ここで首を落とすぞ」
「承知しております」
俺は口元の血を拭い、声を落とした。
「数日前、延津の死体の山で、俺は重傷を負った将軍を見つけました。すでに意識もなく、誰もが死んだと思っていたでしょう。ですが、俺は仲間とともに、その方を密かに救い出しました」
大隊長の目が細くなる。
「続けろ」
「その将軍は、ようやく意識を取り戻しました。傷はまだ重いものの、命はつないでおられます。俺が見た顔と、身につけていた鎧、そして武器……間違いなければ、袁公が最も信頼する大将の一人、顔良将軍です」
その瞬間、大隊長の表情が変わった。
「顔良……だと?」
「はい。今も、この近くの廃れた道観におられます」
大隊長はしばらく俺の顔を見つめていた。
疑っているのだろう。無理もない。収尸兵の一人が、戦場で行方不明になった名将を見つけたと言っているのだ。
だが、俺は目をそらさなかった。
「大人。今すぐ兵を率いて顔将軍を救出なされば、その功績は大きなものになるでしょう。袁公がこのことを知れば、どれほどお喜びになるか……」
俺はそこで言葉を切った。
あとは、大隊長自身に考えさせればいい。
彼は俺の腕をつかみ、泥の中から引き起こした。
「案内しろ。すぐにだ」
「はっ!」
そのとき、老陳が一歩前に出た。
「大人、道は私も存じております。こちらです」
彼はそれ以上、余計なことを言わなかった。
黄皮が何か言いたげにこちらを睨んでいたが、大隊長の前では口を挟めない。俺はその顔を横目で見ながら、心の中で小さく息を吐いた。
少なくとも、今この場では、あいつに俺を殴ることはできない。
大隊長は数名の心腹の親兵だけを連れ、俺と老陳の案内で廃れた道観へ向かった。
道観の中には、相変わらず薬草と古い木材の臭いがこもっていた。
寝台に横たわる男を見た瞬間、大隊長の足が止まった。
顔は青白く、身体には包帯が巻かれている。腿の傷はまだ痛々しく、立ち上がることもできない。
それでも、その顔を見間違えるはずがなかった。
「……顔将軍!」
大隊長は駆け寄り、顔良の顔を確かめた。さらに、傍らに置かれた大刀にも目を向ける。
そして、ようやく本人だと確信したのだろう。
大隊長は、その場に膝をついた。
「顔将軍……ご無事で何よりでございます!」
顔良はゆっくりと目を開けた。
まだ声を出すのも苦しそうだったが、目の前の男を見て、かすかに眉を動かす。
「……誰だ。ここは……」
「私は袁公の配下、大隊長の徐進でございます! 顔将軍をお迎えに参りました!」
大隊長は感激したように頭を下げた。
だが、俺には分かっていた。
彼が今、何を考えているのか。
顔良を発見し、救出した功績。それを袁公に報告すれば、昇進も褒賞も夢ではない。
大隊長にとって、これはまさに天から降ってきた幸運だった。
そして俺にとっても、同じだった。
黄皮の下で、いつ殴られ、いつ死体の山に埋もれるかも分からない毎日。
そこから抜け出すための、たった一度の賭け。
俺は道観の隅で、静かに大隊長と顔良を見つめていた。
――さて。
この賭けで、俺の運命はどこまで変わるだろうか。




