顔良と鉄牛、稽古の約束
銅鑼と太鼓による合図の訓練は、最後まで混乱と笑いの絶えないまま、ようやく終了した。
周囲の兵士たちはずいぶん楽しんでいたようだが、俺にとっては、まさに頭と体力を使い果たす消耗戦だった。
最初から何度も合図の意味を説明し、途中では繰り返し訓練を止めては動く方向を修正する。そうこうしているうちに、最後には訓練場全体が収拾のつかない状態になっていた。
おかげで、俺は声が枯れるほど叫び続ける羽目になった。
陣営に戻った頃には、もう一言も喋りたくないほど疲れ切っていた。
とはいえ、毎日欠かせない仕事が一つ残っている。
俺は華陰を連れ、顔良の天幕へ向かった。顔良の体調を確認し、必要な治療や傷病の調整を行うためだ。
このところ、顔良は時折訓練場に顔を出すようになっていた。しかし、全体的に見れば、まだ本調子とは言い難い。
体の傷は少しずつ癒えているものの、心に残った陰りは、いまだ彼を覆ったままだった。
華陰が診察を終え、いくつか注意事項を伝えると、先に天幕を出ていった。
俺はいつものようにその場に残り、顔良としばらく話をした。
もっとも、話をしていると言っても、大半は俺が喋っているだけだ。顔良は時折うなずいたり、短く返事をしたりする程度だった。
今日は俺自身、よほど疲れていたのだろう。何か話そうにも、あまり言葉が出てこない。
すると顔良が酒を持ってこさせ、杯に注いで俺にも差し出してくれた。
一杯飲み干すと、顔良がまた酒を注いでくれる。
二杯ほど飲んだところで、ようやく疲れた体が少しほぐれてきた。
「ふう……この酒、なかなか雑味がなくて美味いな」
俺は杯を置き、長く息を吐いた。
だが、向かいに座る顔良には、相変わらず元気がなかった。
手にした杯を見つめ、ときおり口をつけるものの、その表情にはまだ寂しげなものが残っている。
体の傷は順調に回復している。
しかし、このまま気持ちが沈んだままでは、いずれ武将としての本来の鋭さまで失われてしまうかもしれない。
そんなことを考えていたとき、ふと一つの考えが頭に浮かんだ。
「将軍、穆鉄牛という男をご存じですよね?」
「鉄牛?」
顔良が顔を上げた。
「もちろん知っている。あの牛のように体が大きく、いつも大槌を担いで走り回っている男だろう?」
「そうです。あいつです」
俺は笑いながら話を続けた。
「少し前に、曹軍の猛将と手合わせしたことがありましてね。確か、夏侯惇だったと思いますが、鉄牛は相手と二十合も打ち合い、互角の勝負をしたそうです」
顔良はそれを聞き、軽くうなずいた。
「その話なら、私も聞いている」
「実は、その後が問題なんです」
俺はわざと少し間を置いた。
「あいつ、その一件ですっかり自信をつけてしまったようでしてね。最近では、どうやら顔将軍とも勝負できると思い始めているようなんです」
「ほう?」
顔良の表情に、ようやく少し興味が浮かんだ。
俺はさらに続けた。
「先日など、『顔将軍にも負けるとは限らない。三百合でも戦ってみせる』などと、大口を叩いていましたよ」
「はははは!」
顔良が突然、大きな声で笑った。
その笑い声は決して大きなものではなかったが、今日、訓練場で聞いたどんな声よりも、俺には心強く感じられた。
「あの鉄牛が? 私を相手に三百合も戦えると言ったのか?」
顔良は杯を置き、久しぶりに生気のある表情を見せた。
「なかなか大した度胸ではないか!」
俺は話を続けた。
「あいつはもともと裏表のない、まっすぐな性格です。悪気があって言っているわけではありません。それに、以前は軍の末端にいた普通の兵士ですから、天下の名将がどれほどの腕前なのか、本当のところはよく分かっていないのでしょう」
俺は顔良を見つめ、少し真剣な口調になった。
「ですが、俺は知っています。顔将軍の武勇は並の武将とは比べものになりません。関羽であろうと呂布であろうと、将軍と肩を並べられる者は、天下広しといえども数えるほどしかいないでしょう。鉄牛など、三百合どころか、将軍と本気で手合わせすれば五十合も持ちこたえられるかどうか」
「五十合だと!? はははは!」
今度は顔良が、さらに豪快に笑った。
勢いよく立ち上がると、先ほどまでの疲れた表情はどこへやら、すっかり顔つきが明るくなっていた。
「よし! そこまで自信があるのなら、明日、私が直接相手をしてやろうではないか! あの男に、どれほどの腕があるのか見せてもらおう!」
そう言いながら肩を回す姿には、すでに待ちきれない様子さえうかがえた。
俺は内心、ほっと胸をなで下ろした。
「それなら、明日、訓練場で一度手合わせをしてみてはいかがでしょう。もちろん、あくまで稽古です。お互いに怪我をしないよう、ほどほどにということで。いかがですか?」
「よし! それで決まりだ!」
顔良はほとんど迷うことなく、即座に承諾した。
翌日、俺が鉄牛にその話を伝えると、予想していた以上の反応が返ってきた。
「何っ!? 顔将軍が俺と直接手合わせしてくださるのか!?」
鉄牛は目を見開き、顔いっぱいに興奮を浮かべた。
「やった! 俺も前から一度、勝負してみたいと思っていたんだ!」
胸をどんと叩き、さらに自信満々に言い放つ。
「顔将軍にしっかり稽古をつけてもらうぞ! もしかしたら、俺だって負けないかもしれないからな! いや、ひょっとすると……」
まったく、こいつは少しも謙虚さというものを知らない。
翌日、俺は鉄牛を連れて顔良の天幕へ向かった。
顔良は以前よりずいぶん元気を取り戻しており、天幕の中で俺たちを待っていた。
俺たちが入ってくると、顔良はまず鉄牛に目を向け、それから笑みを浮かべた。
「お前が鉄牛か?」
「はい!」
鉄牛はすぐさま背筋を伸ばし、恭しく礼をした。
「末将、顔将軍にご指南いただきたく存じます!」
「よし! 午後、訓練場に来い」
「承知しました! ありがとうございます!」
鉄牛は威勢よく返事をした。その目は期待に輝いている。
俺はそんな彼の様子を見ながら、少し心配になってきた。
こいつは、自分がこれからどんな相手と手合わせするのか、本当に分かっているのだろうか。
俺たちが挨拶をして退出しようとしたとき、顔良がふいに俺の方を向いた。
「龍」
「はい?」
「もし明日、鉄牛が負けたら、あの男を私の麾下に移して、千夫長を任せてもよいだろうか?」
顔良は鉄牛に目を向けながら、笑みを浮かべた。
「体は頑丈だし、度胸もある。少々無鉄砲なところはあるが、きちんと鍛えれば、なかなかの将になれるかもしれん。私のそばに置いてみたいと思ってな」
俺は思わず困った顔になった。
鉄牛は収屍隊にとって欠かせない存在だ。普段の訓練や警備はもちろん、さまざまな仕事でも頼りにしている。
そんな男を、そう簡単に顔良に引き抜かれては困る。
顔良の天幕を出たあと、俺は鉄牛に本心を尋ねてみた。
すると、鉄牛は首が取れそうなほど激しく横に振った。
「駄目です! 絶対に嫌です!」
きっぱりと言い切った。
「さっきは将軍の前だったから言えませんでしたが、俺は収屍隊を離れるつもりなんてありません! 老陳も、顧墨も、夏も、みんなここにいるんです。俺だけ仲間を置いて、千夫長になりに行くなんてできませんよ!」
そう言うと、鉄牛は拳を強く握りしめた。
「それに、明日は絶対に負けません!」
自信満々に言い切る鉄牛を見て、俺は返す言葉を失った。
相手の本当の実力さえまだ知らないというのに、すでに勝敗が決まったかのような顔をしている。
俺は心の中で、そっとため息をついた。
どうやら明日の手合わせは、俺が思っていた以上に賑やかなものになりそうだ。




