8頁『疲れは恋煩いの元なりや?』
――というわけで王宮での生活。もとい魔導書翻訳の缶詰めが始まったわけなのだが……
「サトウ殿。今日は我が家でパーティーがあるのだが」
「翻訳作業が残ってるのですいません」
「あら、サトウ様。今夜は月が綺麗だそうですよ。本日はサトウ様のお部屋で月見をしても」
「今夜は書庫の方にいる予定なので、残念ながら月見に参加は出来なさそうです」
「おやケイ殿。娘との縁談は考えてくれたかな?」
「以前にも言いましたが縁談は断っていますんで。あ、あちらの公爵閣下が正室となってくれる方をお探しのようですよ」
まぁそんなフォローも入れつつ。
どこに行っても貴族からのアプローチが絶えないのである。俺が渡り人という特殊な出自を持っているからなのだろうが、ちょっと……いやすっごい喧しい。
この前、貴族たちからの猛アタックにブチ切れてアドルフ宰相に猛抗議した結果、騎士から護衛がひとり付けられることになったのだが。
「失礼します」
「アスティか」
「はい。本日よりケイの護衛任務を承りました。アストリッド候補騎士です。よろしくお願いします」
「……あの。その格好はなに?」
そこにはいつもの甲冑を着ていない、メイド服姿のアスティがいた。
「し、仕方ないでしょう。王宮に入るのは貴族の特権。貴族ではないわたしがここにいるには、こ、これを着るしか体裁を保てないのですから……」
おおかた親バカのラグナル騎士団長が娘の背中を押してんだろーな、なんて思いつつ。高潔なアスティはそんな気はサラサラないんだろーな、と安堵の息を漏らす。
周囲を貞操目当ての貴族共が固めてくるよりは万倍マシだ。アイツら、自分の利益のためなら家族を道具として扱ってくるからな。まぢこわい。
俺の客観的な立ち位置は、国王ヨハン3世が直々に任務を与える渡り人だ。
誰もが王からの信任が厚いと思うことだろう。そりゃ囲って取り込みたいと考える貴族だって続出するはず。傍迷惑な話だ。
「ま、入って入って。今後の話をしよう」
「……はぁ」
その点、アスティは俺が何をしてるのか知ってるし、俺の隠している秘密も握っている。
……あの謁見だけでは、あの魔法のことを話しているのか判断が付かなかったが。これから先のことを考えたら、アスティがそばにいてくれる方が何かと楽だ。
「ん。どうした。入らないのか?」
「いえ。その……男が女を自分の部屋に誘うと言うのは……あの、その……」
「……? ……あっ」
もじもじと言いにくそうにするアスティに言われて気付いた。
自分の貞操のことを何よりも警戒してるのに、自ら片足突っ込んでしまっている。
誰かにこの現場を見られていたら、身持ちの固い俺がアスティを部屋に誘っているようにしか見えない。
その事実に気づいた俺は、膝から力が抜けて脱力感に身を任せて崩れ落ちた。
「ケ、ケイ!?」
「あ゛〜〜〜も゛〜〜〜」
「と、とてもお疲れのようですね」
「めちゃめちゃお疲れだよホントにもぉ。あー、もうダメだ。頭と体と心がボロッボロだよ。こんな小さなミスをするなんて。やっぱり庶民の俺には王宮暮らしなんて無理だったんだよ。もーやだ。もーむり」
「き、今日はもう休みましょう? 明日また出直してきますから。その時に今後の話をしましょう」
アスティに背中を撫でられ、少し漏れ出そうになった涙と鼻水をスンと呑み込む。
「……いや。まだ終わってない作業があるから寝れない」
「寝れないって……ケイ、貴方いったい何日寝ていないのですか。目元の隈がすごいことになってますよ」
「…………3徹」
「さん……!? それは精神を壊してもおかしくないですよ! なんで自分の身を大事にしないのです!」
「してっからこうなってんだよ。……中身は見せられないけど、魔導書の翻訳って簡単じゃないんだぞ。辞書もなにもないのに、知ってる単語と文法から推測しなきゃいけないんだ。……普通、出来るわけがねーんだよ」
本来、そのための道具が入っていた鞄もどこかに行ってしまった。お陰で頼れるのは頭の中に入ってる知識だけ。一般的な高校生に何を期待してるんだ。
「ですが、あの時は数分も経たずに翻訳してみせたではないですか」
「あん時は知ってる単語を引き抜いただけ。どこか適当に一部だけ翻訳出来るところをしろって言われんなら簡単だ。けど今回の依頼は魔導書の中身全部。量も質も前とはワケがちげーんだよ」
「そうなのですか……」
「……というか、そもそも異世界人って、他国との会話はどーしてんだ? 文字が読めないのに交易とか出来んのか?」
まさか交易の仕事も俺に回ってくるなんてことはないよな。
そうなりゃ俺は過労で死ぬことを覚悟するぞ。
過労大国ジパングを舐めるなよ。侍には死ぬことを仕事にする切腹文化があるんだぞ。普通に死んじゃうって。
「普通は読めませんよ。ですが、わたし達は常に【翻訳魔法】を使っていますからね。言うのも聞くのも問題はないんですよ」
ずーん、と気持ちを沈めていると、アスティはなんでもないことかのように言ってきた。
正直身体的にも精神的にも疲れてそれどころではない俺は、魔法とかいう超常現象語彙が出てきたせいでさらにやる気を無くし、気のない返事で応答してしまう。
「へー。あ、それ長くなる? なら中に入れ」
「えっ。いやだから中に入るのは、ケイの活動に支障が出るのでは?」
「もーいい。別にアスティとの仲を噂されよーが別にどーでもいい。そもそもよく考えたらアスティは騎士だし護衛だしな。護衛が近くにいなくてどーすんだって話だし。そもそも噂が立ってくれた方が都合がいいことに気がついた」
「え。あ、そ、そうですか」
なにやら顔を赤くして照れているアスティを中に引き入れて扉を閉める。どーせメイドやら何やらが見て噂を立てるんだろーが、もー気にしない。
それよりもアスティの話が聞きたい。俺は異世界の事情に疎いんだ。一時の恥を偲ぶより一生を左右する知識が欲しいんだ。
◆◇◆◇
「う……本当に、その。……忙しい、のですね」
アスティが顔を顰めて俺の部屋を見回した。そこらじゅうに紙やらゴミやらが散乱しており、まぁ部屋主である俺からしても人が住んでる部屋には見えなかった。
おかしいな。俺ってこんなに片付けが下手な性格してたっけ。極度の綺麗好きってわけではないけど、ここまで酷くなるほど放置してたのか。
……そう思うと、軽率に女子を入れたのが恥ずかしくなってきたな。
「……悪い。すぐに片付けるから一回出てってくれないか」
「いえ。片付けはわたしがやります。ケイは休んでいてください」
「いや。俺の部屋だし俺が片付ける」
「いえいえ。お疲れのケイを働かせるわけにはいかないでしょう」
「いやいや。仮にも客人に部屋を片付けさせるわけにはいかないだろ」
「いえいえ」「いやいや」と何度も続く応酬の果てに、ついにアスティが痺れを切らしたのか、俺の腕をむんずと掴んだ。
「いいから休んでいてください! 護衛対象に倒れられたら候補騎士の名が泣くのです!」
「うわっ、と……えっ」
どすん、とベッドの上へと放り投げられる。しかし足がもつれ合い、共にベッドの上に倒れ込む。……俺が下、アスティが上の順番で。
「……す、すいません。わたしも、気が動転しているよう、です」
「そーか。じゃー退いてくれ」
片付けを終わらせてから翻訳作業に戻るとしよう。やることは山積みなのだ。こんなところで寝てはいられない。
「ふむ。……退いたら働き始めるでしょう?」
「あたりめーだろ」
「ならちょうどいいですね。退きませんよ。大人しく寝ていてください」
「寝てらんねーから言ってんだろーが」
「体調管理が出来ない護衛対象を見張るのも、騎士の役割であるとラグナル団長から聞きました」
あの団長……余計なことを言いやがって。圧を掛けるように「チッ」と舌を鳴らすと、アスティは慣れてますとばかりに「ふふん」と鼻を鳴らした。
「……わーった。降参だ降参。寝るから退いてくれ。騎士に力比べで勝てねーしな。腕を押さえつけられながら寝れるやつはいねーよ」
「そうですね。おやすみなさい」
押さえられた腕から力が消えると、ドッと睡魔が押し寄せてきた。
あれ。目を閉じるだけで、寝ようとは思って……まさか。
「アス、ティ……おま、え……」
「はい。本当に貴方は頭が回りますね。【睡眠魔法】です」
くそ、狸寝入りも出来ないのか……
瞼がだんだんと自然に閉じていき、やがて俺の視界はブラックアウトして――
◆◇◆◇
「――魔法を行使したとはいえ、すぐに寝ましたね。相当、疲れていたのでしょう」
啓が寝た後の部屋の中で、アスティは小さな寝息を立てながら寝る男の子のボサボサの髪を撫でた。
「すごいフケ……肌の荒れも、汗の臭いもひどいですね。そうか。部屋用の浴槽が無くて、テルマエに行く時間も無かったから入浴もままならなかったのですね」
おまけに貴族に絡まれ、貞操を狙われ、それを躱しながら命令のような形で依頼された魔導書の翻訳を、参考にできる資料も乏しい中で続ける。
凄まじい胆力だ。こんな環境の中で働いて、今日まで泣き言のひとつもなく続け切るなんて、この人の精神力は大した物なのだろう。
「……やはり貴方は貴族ではなく民衆の一人なのですね」
貴族ならわがままを言って、バルネウムを用意させたことだろうが。この人はやはり何処までも庶民なのだ。
伸びた前髪を掻き上げ、覗いた相貌は無防備にも安らかに眠ってしまっている。貴族社会で生きている者なら、きっとこの据え膳を平らげていたことだろう。
だが生憎と浮浪児出身のアスティにそんな勇気も常識もないし、浮浪児出身だからこそ護衛に選ばれたのだろうと勘繰る。じゃないとケイは安心出来ないのではないか、と。
「ふふっ」
――ならば食ってやろうか。
これだけ王からの信任厚いと噂される渡り人である彼は、非常に責任感の強い性格をしている。
子を一人でも成せばいい。そうすれば金も生活基盤も手に入れ、将来の安泰が確約している彼と共に生きる権利――責務を、孕んだ子を通して手に入れられる。
彼に嫌われようと、怖がられようと。この責務とは、彼に疎まれることを差し引いても価値のあるものである。
安易に女性を部屋へあげたのが運の尽きだ。
……幸い、目の前のケイは【睡眠魔法】で寝てしまっている。今のうちに既成事実を作るのも悪くはない。
「……唇が紫がかっていますね」
だが。そんなことは出来ない。
これだけ弱っている彼を襲うのはダメだ。アスティの心の何処かで何かが語りかけてきた。
護衛……サトウ・ケイを護ることがアストリッド候補騎士に与えられた任務であり、騎士としての責務だ。
「明日、色々と動かなければいけませんね」
この人を護るためには何が出来るのか。
そんなもの――色々と出来る。
アスティが覚悟を決めたところで……
コンコン、コンコン。
ドアが4回叩かれた。
誰かが啓に用事があるのだろう。しかし部屋の主は就寝中だ。誰かが出るしかないのだが……この部屋にはアスティしかいない。
「はい。いま行きます」
今すぐ出られるのは自分しかいない。
言い訳がましくなるだろうが、ケイも「噂が立ってくれた方が都合がいい」と言っていた。
ならば今出ても問題はないだろう。
「……む。アストリッド候補騎士? なぜサトウ・ケイの部屋から……ぬっ」
部屋の外にいたのは、アドルフ宰相だった。
いつも通り眉間に皺を寄せてアスティを見てくる。
「すみません。ケイは寝ていまして……何か御用でしょうか?」
「……ふむ。いやなに、翻訳を頼む魔導書の追加と、ついでに興味がないだろう見合い話を持ってきたのだが……必要はなさそうだな」
「え?」
ケイに見合い話……それはそうか。彼は類い稀な知識と能力を持つ独身の渡り人だ。貴族の家に取り込めるなら取り込みたいだろう。
そんな人の部屋から、騎士とはいえ女が出てきたらどう見えるか……
「あ。いえ。わたしは護衛としてケイの部屋を訪ねただけで」
「渡り人と女騎士のラブロマンスは、別の国から伝わってきた流行りの劇だという。なに、そう怯えるものでもない。そうか、そうか……」
「は。いえですから。わたしは……」
濁った口調で否定をしようとするアスティに対し、アドルフ宰相は普段通りの仏頂面のまま顎を撫でて考え込む。
「……これは色々と計画を修正せねばなるまいな。疲労は万病の元という。サトウ・ケイは疲弊していたと聞くが、恋の病すらをも引き起こしたか。これは良いことを聞いた」
「あの。アドルフ宰相?」
「うむ。アストリッド候補騎士。君には後日、陛下から話があると思われる。それまでに心の準備を整えておくと良い」
「は、はぁ……?」
なんのことやらさっぱりなアスティは、魔導書を大量に渡して去っていくアドルフ宰相の背中を見送りながらも、頭上に大量の疑問符を浮かべることになった。
◆◇◆◇
――翌日。
「サトウ・ケイよ。貴様をこの王宮から追放する――!」
「……なんで?」
俺は王宮からの追放を言い渡され。俺と、その場に同席しているアスティは、目を点にして呆然とするのだった。




