7頁『異なる世界/新たな農場』
テルマエから出てさっぱりした後、俺はさっさと馬車に乗せられて目的地である王宮へと向かうことになった。
ガタガタと小刻みに揺れ、いい加減尻が痛くなるほど硬い椅子に座り、内カーテンが顔にペシペシ当たる中で俺は思案している。
そんなぼーっと腑抜けた俺の顔を見て、馬車の対面席に座るアスティは不思議そうに尋ねてきた。
「ケイ? どうしたのです?」
「……うーん……」
「ケイは今、夢のために尽力中なのだ。そっとしておいてやれ」
「? は、はぁ……」
そう言ってアスティが俺の顔を覗き込んでいた。
視界の大半を遮る前髪の奥に見える、絵画の中から出てきたような端正な相貌は、どこか不安そうな表情で物憂げに俺の目を見ようと姿勢を屈めている。
「……うん? どーしたアスティ?」
「いえ何もないですよ。邪魔して申し訳ありません」
「そーか? 別に遠慮しなくてもいーんだぞ。こー見えても隠し事なんてあんまりないかんな」
「どう此方が貴方を見ていると自負してるのでしょうか?」
そりゃもう清廉潔白な男だろう。
俺個人が隠してることなんて、精々がこの世界を滅亡させかねない知識くらいな物で。むしろ隠すことで世界を護ってるまである。ほら清廉潔白。
「2人とも。仲が良いのは構わんが、そろそろ身だしなみを整えてくれ。着くぞ」
御者席のラグナルがそう言ってくる。なら少しくらい整えておくか。そう思ってネクタイに手をつけようとすると、それよりも先にアスティが俺の首元に手を伸ばして来た。
「ネクタイが曲がってますよ」
「……あー。あんがとな」
何故か気恥ずかしくなって目を逸らす。
目を逸らした馬車の窓に反射した陽光が差し込んでくる。
「っ……。……おー、でっけー宮殿だ」
白と水色を軸にした、全体的に明るい配色の煉瓦造り。正面からは見えるのは、数えるのも面倒なほど無数の窓のある宮殿だ。
門から数百メートルはありそうな石煉瓦造りの道をパカラパカラと蹄音を鳴らしながら、俺たちの乗る馬車は突っ切って行く。
「待たせたな。ここが王国の政府中枢にして、我らが忠誠を尽くすヨハン3世の住まう宮――グドームリ宮殿だ」
◆◇◆◇
「名前の確認を」
「サトウ・ケイです」
「よろしい。陛下が中でお待ちです」
白い扉に金の獅子の装飾がされた扉が開かれると、見えたのは玉座まで続く赤いカーペット。そしてその先にある2段階段の上に鎮座する玉座があった。
玉座に座す金色の王冠を被ったふくよかな男は、柔らかく微笑むような表情で入室前の俺たちを見ている。
マナーを知らず入っていいのか迷って二の足を踏んでいた俺の背中を、背後に立っていたアスティがトンと片手で押した。
「――さぁ。どうぞ」
どうやら入ってもいいらしい。くしゃりとカーペットを踏む。すると、ズンと肩に重石が乗ったかのように膝から力が抜けて身体が崩れ落ちそうになる。
なんだ。これは。魔法で攻撃でも受けているのか。と、そんな現実逃避は息を切らした身体が引き戻してくれた。
(……入っただけで、この重圧感……!?)
怖い。これ以上進みたくない。これより先に進んで、心臓発作でも起きたらどうする。今すぐにでも逃げたい。そんな衝動に駆られてジリ、と足を後退させる。
「……ふぅー……」
一回だけ深呼吸。準備してこなかった俺も悪いが、この空気の重さは来て見なければわからないものだ。俺は心の準備を急ピッチで終わらせる。
一歩、二歩。慎重に歩を進めていき、あと数歩で階段にまで辿り着きそうなところで背後から声が掛かる。
「ケイ」
「……っ」
ここか限界ラインか。左右に並んだアスティとラグナルが視界の端で片膝を突くのを見て、俺も2人の動作を真似て片膝を突いて頭を下げる。
「――面を上げよ」
玉座より数歩引いた場所に立つ場所から声が掛かった。恐らく王の側近なのだろう。小豆のような茶髪をオールバックにした男がこちらを睨みつけている。
……俺、何も粗相はしてないよな? 多分俺のことを警戒してるだけだよな?
アスティは【マテリアス・コンバート】について、どこまで話したのだろうか。そして俺はどこまで聞かれることになるのだろうか。やっぱり根掘り葉掘りなのだろうか。やばい。胃がキリキリする。
「ラグナル騎士団長、そしてアストリッド候補騎士。渡り人護衛の任、大義である。宰相アドルフ・ニコラウス=オーディソンの名において退出を許可する」
えっ。
嘘でしょ。もしかしてここから先は俺一人で対面しなきゃいけないの? 無理無理無理無理。ちょっとかなりすごいお腹が痛いんですけど帰りたい帰して。
「恐れながら陛下。ご請願賜りたく存じます」
「……。口を慎め候補騎士。貴様に発言の権利を与えてはいないぞ」
「――良い。続けよ」
柔らかい声が張り詰めた空気を解きほぐす。
眉間に皺を寄せて俺たちを睨んでいた宰相……アドルフだっけ? が、困ったような表情で玉座を見る。
そしてアスティはアドルフが口を開くよりも先に、王に向けて請願の内容を言う。
「こちらのケイは渡り人なれど民衆の一人。陛下と対面して平常心を保つことはとても……」
「王に対する不遜であるぞアストリッド候補騎士。護衛任務を終えた騎士は玉の間から退席するのが常識というものだ」
アスティ……お前。
アストリッドが本名だったの?
いやまぁ確かにアスティって、本名ってよりは愛称ってイメージが強いか。えっ、俺って本名よりも先に愛称を教えられたの? あー、でも確かに戦闘中の意思疎通なら、可能な限り短く簡潔に伝えられた方がいいか。納得。
「アスティと言ったか? サトウ・ケイよ、この者がいれば汝も通常通り話をできるのであるな?」
「えっ。あ、はい。出来れば居て頂けるとありがたい、です……」
「うむうむ。ならば朕も問題はない」
俺が一人で納得していると、王様が俺に話を振って来た。
実際【マテリアス・コンバート】関連の話をする時に、たらい回しにする先があれば俺の負担も減るはずだ。
うん。いてもらった方が精神衛生上よろしいはずだ。
「宰相、些事はこれで良いな?」
「……はっ。陛下がよろしいのでしたら続けさせていただきます」
不満そうに眉を顰めたが、場を纏めた王の懇意を宰相如きが無碍にできるわけがない。みたいな顔をしている。
うーん苦労人。俺この人と仲良くできそう。
「まずは渡り人サトウ・ケイ。貴殿が間者ではないことを証明するための質問に答えてもらう。よろしいか?」
「はい」
ご丁寧に語尾に疑問符を付けているが、その実これは命令以外の何物でもない。
もちろん俺にはやましいことはないため即答で了承した。
「――では、これより尋問を開始する」
ギン、とアドルフの青い双眸で睨まれた身体が萎縮する。……何か巨大な瞳が俺を睥睨しているような。そんな威圧感を肌で感じる。
「まずは貴様の名前と出生を答えてもらおうか」
「日本で学生をしていました。佐藤啓です」
自然と言葉が出てくる。異様だ。考えるよりも先に言葉が紡がれる。これは……
「貴殿は渡り人であるにも関わらず、通常通りの召喚が為されなかった。これに心当たりはあるか?」
「ありません。友達との待ち合わせ場所に入ろうとしたら、この世界に召喚されていました」
俺の言葉じゃない。
いや。俺の声だし俺の考えていることを率直なものにした言葉ではある。けど、これは、俺の言葉ではない。
正確には俺が言おうと思って話している言葉ではない。言葉が自然発生して、勝手に喋ってるというのが近いだろうか。
「貴殿らの世界には魔術、と呼ばれる力を扱う者がいるという。貴殿にその心得はあるか?」
「いえ魔術はありません」
「……魔術“は”?」
――それ以上はまずい。
俺は魔術も魔法もてんで知らない。仮に俺の世界に魔術がどうたらな人たちがいたとしても、俺はそんな世界に関わっていないのだ。
だがこの世界の魔法は、ひとつだけ知っている。絶対に知られたくない、他国を滅ぼしかねない魔法をひとつ。
「……ぁ、ぐぁ……」
開きかける口を気合いで閉じようとする。自然とカチカチ歯が鳴り、さも俺が何かを必死に隠そうとしているように見えることだろう。
……事実だからタチが悪い。だがこの魔法の存在だけは政治の舞台に出してはいけない。
そんなことをすれば、その先に待つのは人類の絶滅戦争だ。その引き金にだけはなりたくない。
「どうした。さっさと言うがいい」
「いや。アドルフ宰相、そこまでだ」
ガチン。と勢いよく俺の口が閉まる。何かの魔法が解けたような……やっぱり魔法だったか。けど詠唱もなしにどうやって……?
強く歯を噛み締めたことで痛んだ口を労わりながら、俺は王へ怪訝な視線を向けるアドルフに警戒の念を送る。やっぱりコイツとは仲良く出来なさそうかもしれない。
「いつまで朕を待たせるつもりだ。間者ではないことの証明は、召喚された場所の質問で確認が取れているであろう。これ以上の魔法行使は私的なものとして扱うぞ」
「……御意。以降は控えます」
「うむ。待たせたな、サトウ・ケイ。これでようやく話せるだろう」
和やかな雰囲気で話しかけて来た王様は、しかし一切笑みの込もっていない瞳で俺を見貫いた。
「我はヨハン・マティアス=オーディソン。我が座す玉座を継ぎしオーディソン家の末裔たるヨハン3世である」
一息で自分の出自を言い切ったヨハン3世は、玉座から立ち上がって声をさらに張り上げた。
「渡り人とは! この世界を想う何者かによって我らの住むこの世界よりも、遥かに高い発展を遂げた異世界――地球から召喚された者である!」
「……。」
「渡り人を保護するのは国益に寄与するであろうと考えておるわけだ! ……そう、国益。我らは渡り人たるサトウ・ケイを保護する代わりに国益を要求する!」
……まぁ。予想は出来ていた。
アスティやラグナルの言葉からも、渡り人に対する異常なまでの信頼感……崇拝にも近い矢印は、いずれ国家から向いてくるのだろうと。
国王からの出頭命令と聞いた時も、きっと何かしらのアプローチがあるのではと思っていた。
まさか。大声を張り上げて、俺を脅すように言ってくるなんて思っていなかったが。拒否権は無さそうだな。
けど。
『ならば問おう。きみはこの世界で何をする――?』
『そうですね。じゃあ、俺は――』
答えはもう、あの模造品の中で決めている。
『「自立可能な文明を作ります」』
テルマエでの言葉を繰り返すように。
やることは漠然と決まっている。けど細かいところは一切合切決まっていない。けど俺にも出来ること、したいことならある。
……そうとも。俺に出来ることは――
「そのために学校を作りましょうか。専門知識だけではない、基礎的な知識を後世に継承できる場所は絶対に必要です。技術や文化なんかは、その後でも大丈夫でしょう」
「ほほう。魔法大学や騎士学校とは違う教育か。仮称するなら一般教育といったところであるな。それはまた面白い」
国王陛下も乗り気なようだ。
良かった。軍事改革とか、産業革命とかを求められていたら、俺の持つ知識では対抗しようが無かった。
ほっと胸を撫で下ろしていると、何やら興味津々な様子で陛下が問いかけてくる。
「まだ決まっていないだろうが聞いておこう。学校の名前はどうする? 名前が決まっていなければ、それが理由でやる気も削がれてしまうであろう?」
「名前ですか。そうですね……」
今決めるなら仮称ってところだろうか。
難しく考えなくてもいいだろうが、やはり陛下が言った通りやる気の原動力にもなる。
少し難しく考えた方が良さそうか。こういう時は先人の知恵を借りるのが常道だろう。
「ノイホーフ」
スイスの教育者・ペスタロッチによって1771年に創設された、貧民でも入学ができる『民衆のための学校』。
近代教育の父と呼ばれ、フランスやドイツなどの近隣で起こる革命の波に押されて飢えた貧困層の子供たちの受け皿となった『新しい農場』。
「俺が尊敬する、俺の世界にいた教育者が建てた学校の名前です」
「そうか。そのままお借りするのか?」
「まさか。流石にそこまでする勇気はないですね。ですから、そうですね――」
陛下の揶揄うような言葉に、俺は苦笑しながら答えた。
この封建社会みたいな王国でも、貧民層の子供や浮浪児が逞しく、そして善良に生きていけるように受け入れる。
……俺の目指す学校がそうであるために。
「さしずめアナザー・ノイホーフってところでしょうか」
俺は未だこの世にない校舎の名を、その名にすると決めた。
「ふぅむ」と顎に蓄えた逞しい髭を撫でながら、陛下は玉座に腰を下ろし直す。そして二、三度頷いたかと思えば、近くのアドルフに視線を向けた。
「良かろう。渡り人は技術を渡すことはあったが、政治に干渉する者は少なく、文化の発展を成した国は少ないと聞く。幸運だな、アドルフ宰相。我らは良き渡り人を保護したようだ!」
「ええ。ですな」
どうやらアドルフ宰相も納得してくれたようだ。
俺の知識を狙っていそうなところ以外は、かなり好感が持てる人なんだがな。
正直あまり関わりたいと思える人じゃない。会うのはこれっきりにして欲しいものだと切に願う。
しかし陛下はもちろん宰相も俺を放逐するわけがなく、意味ありげな視線を俺に向けて来た。もういいって……
「だが、如何なる大業を為す者であろうと、そのために下働きの功績が必要だ。貴様はアナザー・ノイホーフを作る前に、いくらか働いてもらうぞ」
「えぇ……」
「……ケイ。思うだけにしておきなさい」
「……はい」
ここまで黙っていたアスティから小声でお叱りが入る。もう放ってくれればいいのに。そしたらこっちは勝手にやんのにさ。
陛下が宰相に視線を向けると、それに連動するように宰相は手に持った巻物を広げて音読し始める。
「渡り人サトウ・ケイ! 貴様には魔導書の翻訳を命じる! 尚、魔導書は王宮にある貴重な物であり、従って国家の機密情報に該当する! 万が一にも情報が外部に漏れた場合、即刻逮捕・死刑が執行される故、ゆめゆめ変な気は起こさぬように求める!」
「……え」
愕然とした。陛下の「出来るであろう?」とでも言うかのような目で、玉座の上から俺を見下ろしてくる。
けど。俺は、その言葉に返すことが出来ず。ただ茫然としていることしかできなかった。




