5頁『「やっべえ忘れてた!?」』
【マテリアス・コンバート】発動後、わたしは魔力が不足して地面に倒れ込んでいた。
こんなところを魔獣にでも襲われていたらひとたまりもなかったが、どうやら魔法の影響か周囲に別の生物はいないようだ。
死んだら死んだで、命はその時までのもの。
実際わたしは隊長の指示に背いてケイを助けに行った挙句、教皇領から奪還した魔導書をひとつ持ち出してしまったのだから。
騎士団の規律に照らせば違反どころでは済まない……もしかしたら騎士団から除名……いや最悪、決闘裁判でリンチに遭っていても仕方のないものだからだ。
しかしあの場面で打てる手はこれしかなかった。数冊あったうちの一冊……未だ誰も訳せない魔導書である『神と法の書』を、渡り人を利用して魔導書の翻訳が出来さえすれば会心の一撃を作り出せると考えた。
例え訳せない魔導書を奪い返されても支障は出ない。訳せないからこその魔導書なのだから。その時は潔く諦めて渡り人と心中しよう。だが読めれば儲け物。0か100か。そんな賭けに出るには、自分1人の命はあまりにも安かった。
……だから、この選択こそが最善手だったはずなのだ。
結果としては成功だった。成功の代価としてこの地域の自然は破壊され、わたしと隣で気絶する少年は王国に莫大な利益を齎す英雄となったのだ。
けれどその功績はわたしは受け取れない。どう取り繕ってもわたしは騎士団の規律に違反したからだ。帰っても待っているのは除名の2文字だろう。
生き残っても行く宛はない。ならば死んでしまっても変わらない……。疲弊していた頭に湧いてくるのは、どうしても陰気な思考だけだ。
「寒っ……」
……頭を打って気絶していたケイが目を覚ました。
気絶している最中に回復したのだろう。起きてすぐに立ち上がって周囲を見回した彼は「あー……マジかー……」と言って少し呆然としたあとに。
「説明読んで理解した気にはなってたけど。焦ってたとはいえ、短絡的だったな……失敗した」
そんな言葉を口にした。
失敗? 何が? まさか【マテリアス・コンバート】を放ったことか?
いったい何が失敗だというのだ。目の前の敵を殲滅しきった。
それだけが、この戦いでわたしが成し遂げた大戦果だったではないか。
言葉にしようとしたが、しかしわたしの口は開かない。
どうやら全身の強い疲労で喉の筋肉すら動かないらしい。
ヤキモキしながらケイの話を聞いてると、彼はこんなことを言った。
「この魔法は……世界の法則を書き換えるぞ」
魔法ひとつで変わる世界の法則とは何なのだろう?
そもそも世界の法則とはなんだ?
わたしが不勉強だからか、思いつきもしない。けれどケイは渡り人。
ケイのいた異世界では世界の法則を変える魔法のようなものがあったのだろう。
何かを思い出すように顔を青ざめさせるケイは、過呼吸になる口を必死に押さえていた。まるで得体の知れない恐怖に怯える子供のように身体を痙攣させて、歯をカチカチと鳴らしている。
「これはダメだ。……この魔法だけは、普及させちゃダメだ」
召喚された直後に戦闘に巻き込まれてなおも冷静でいたケイが、ここまで焦りを表情に出す『世界の法則を変える魔法』とはそれほどの物なのか。
ならばその魔法を知ってしまったわたしは何をするべきなのか。騎士団に……国王に伝えていい魔法なのか?
(……そもそも彼は、何者なのだろうか?)
その奇怪な行動から渡り人であることはわかる。魔導書翻訳で期待通り……いや期待以上の戦果を出したその知識で、わたしたちとは別の次元で物事を考えていることもわかっている。
だが人の考えとは最後まで見通せるものではない。
……知りたい。彼が考えてることを。彼が信じているものを。彼が感じている責任を、先の切れ端の一旦でも……!
ろくに教育も受けれていない頭で、わたしは必死に考えることにした。
◆◇◆◇
べろべろ。ぺろぺろ。
何かが舐めるように付着させてくる液体に鼻を塞がれ――ぐ、苦しい……
「ぅ――ん?」
「わん!」
わん?
目を開くと、そこにはドアップの犬の顔面があった。シュッとした細い顔の白い大型犬。
……大型犬?狼じゃなくて? なんかガタイがデカすぎない?
ぶんぶんと巨大な尻尾を振って、俺の顔を舐め回してベチャベチャにしてくる犬と格闘していると、近くの椅子に座って見ていたらしいアスティが犬を離してくれた。
「ケイ。起きたのですね」
「アスティか。……おはよう」
ぽん。と大型の白い犬を掛け布団の上に置いたアスティは、椅子に座り直して恐らく花瓶の花の剪定作業を始めた。
部屋の陽の光が差し込む窓の外を見る。
清潔なベッドに整理された部屋……再び俺の顔を舐め始める白い犬だけが要素として余計だが、恐らく病院に類する施設だろう。そう推測立てながら問う。
「……ここは?」
「騎士屯所です」
「……騎士屯所?」
「はい。騎士が常駐する施設のことです」
この世界の騎士の存在意義はわからないが、一種の交番みたいなものなのだろうか。
寝起きだからか頭があまり回っていない。ふわぁ、と欠伸を噛み殺しながら質問を追加する。
「……どこの?」
「街の名ですか? でしたらここクレスコーグ。ヨハン3世陛下が治めるカール王国の首都です」
カール王国にクレスコーグ……。やはり聞いたことがない名前だ。試しに頰を抓ってみるが痛い。
……やっぱりこれは授業中に見ている夢ではない。本当に異世界に来たんだな。
ゆっくりと体を起こしてかけ布団をどけると、体勢を崩した犬がコテンと布団から床へと転がり落ちた。幸い脂肪が受け止めてくれたのか、怪我はしていなさそうだ。
「んでさっきからいるコイツは何?」
「ダイアウルフのドルフです」
へぇ……ダイアウルフね。
ダイアウルフね……。ふーん。
「ドルフは人に懐くことなど滅多にないのですが。……ケイは犬に好かれるのですね」
「俺、猫派なんだけど……」
そう言うと手首に痛みが奔る。
ガジガジと噛み付いてきたのは、俺に懐いているはずのドルフだった。
おかしいな、人間の言葉が通じているのかしら。
「あー、ドルフ。手首がすっごい痛いんだが……」
「ドルフ。病み上がりの人に甘噛みするのはやめなさい」
「ぼふっ」
「痛い痛い。……名前といい噛む力といい、コイツ本当に犬? 狼の間違いじゃない?」
「家畜化された狼は犬と変わりませんよ。大型犬と似たようなものです」
ほーん、そういうものか。ガジガジと甘噛みをしてくるドルフの頭を撫でてやると、あっさりと噛む力を緩めて大人しくなってくれた。……跡が出来てら。
「まぁ犬の話はいいや。それで? 俺はなんで……いや、いつの間にベッドの上に寝転がされたんだ? つーか、どうやって帰ったんだ?」
「覚えていないのですか?」
「え。なにその冷ややかな視線」
「……はぁ。確かにあの時のケイは余裕がなさそうでしたしね。簡単に伝えましょう――」
◆◇◆◇
それは空気を吸う回数を抑えるために、一言も話さずに歩いていた時のことでした。
「あー……アスティ。一度しか言えないから聞いてくれ」
「ん。どうかされたのか?」
「俺は今から倒れる」
「え」
「その前に質問だが、街まで帰れるか?」
「方向は覚えているから、問題はないと思いますが……」
「じゃあ俺を見捨てないっていうなら代わりにおぶって街まで運んでくれ。その後のことは起きた俺が何とかすると思う。根拠はない。けど気が遠のき始めてるから仕方ない。あ。今日中が無理そうなら火をつけてくれ。体温確保をしたい。ああでもつける時は防御魔法を使ってからにしろよ。酸素に引火して爆発するかもしれないからな。じゃあおやすみ」
「え、え? おいケイ! ケイ!? 倒れるな! 寝るな! 寝たら凍えて死ぬと言ったのはケイだろう! おい、ケイ――ッッ!?」
前傾姿勢で倒れ込んだケイを仕方なく担いだわたしは何とかクレスコーグまで辿り着き、巡回中だった騎士の一団に回収されたのです。
◆◇◆◇
「あの時は本当に驚きました。何の脈絡もなく意識を失うのですからね。死んだのかと思って焦りました」
「ごめんなさい」
にこりと和やかに笑っているはずなのに、何故か背後に仁王像の幻影が見えるアスティに謝罪する。
そういえばそんなこともありましたね。すごくすごく申し訳ない。でも余裕がないというか、体調が悪化したというか……うん、最後まで運び切ろうなんて男のプライドは見せるもんじゃないね。
体力管理なんて久しぶりすぎてな……運動は騎士に任せとけば良かったか。
ニコニコ笑顔で威圧してくるアスティと、萎縮して反省する俺という構図が出来上がった部屋に。コンコンと空気を切り裂く音がした。
扉が叩かれた後、外からコントラバスのように渋めの男の声が聞こえて来た。
「アストリッド、入るぞ」
入室してきたのは隆々に猛る筋骨を一枚の布の下に纏めた、巌のようなガタイを持つ男だった。その男が一歩部屋に入るだけでズンと部屋の密度が一段階上がったような錯覚を受けるほどの筋肉の密度だ。
何この人ボディビルダー?
「団長!」
「お客人は起きていたのか。なら伝えに来なさい、と言っていたよな?」
「俺が今起きたんです。おはようございます」
「ほう、礼儀正しい方ですな。私は騎士団総団長を務めているラグナル。以後、何かと関わりがあると思いますので、よろしく」
と言って右手を差し出してくるラグナル。ハンドシェイクの文化はあるのか。試しに握り返してみると、少し力を込めた後にパッと離された。
この文化自体は地球にあるものと同じっぽいな。
「さて。起きたばかりで申し訳ないが、貴殿にはこれから来てもらわねばならない場所がある。体調の方はよろしいか?」
「……あー、それは絶対に、ってやつ?」
「王からの勅命である、と言っておこう」
王……王と来たか。俺に何の用だ? まさか渡り人は全員、この国に来たら謁見しろとかいう制度があったりするのか? うわ、ありそう……特に俺なんて魔導書を翻や――
「――あっ。」
【マテリアス・コンバート】を翻訳したんだった。そういえば俺、アスティに口止めしてない。え。もしかして伝わったのか? そうだよね伝わらないわけないよね。
まっずい。すっごいまっずい。戦闘と酸素過多と錘を背負って徒歩と連続して疲労が溜まるイベントを駆け足で渡ってきたからとはいえ……疲れて頭が回らなかったとはいえ……。
俺、もしかして世界を滅ぼしちゃう……?
「あー……」
2人から顔を逸らしてビクビク戦々恐々していると、その原因となっているアスティが言葉を紡いだ。
「――大丈夫です、ケイ。……少なくとも、わたしは彼を疑ったまま王の前に立たせるつもりはありませんよ」
何が大丈夫なのだろうか。俺が寝てる間の行い次第で、俺は泡を吹くことになるんですけど。
なんか騎士然とした凛々しい表情で言ってきてますけど、疑ってる矛先はアスティだからね?
「大丈夫か。そうか。ならば王宮までは馬車で送ろう。何、車内は少し揺れるが王の御前で吐くほどではない」
猛獣が前に現れた小動物のようにビクビクと縮こまる俺に、アスティはまたニコリと笑いかけた。
「いえ。その前にやるべきことがあるでしょう」
「やるべきこと?」
「よく考えてみてください。戦場から帰った直後、血も汗も泥も流さないまま王の御前に立つわけにはいかないでしょう」
そういえば俺、学生服でこの世界に来たんだったな。状況判断ができない状態での召喚だったから忘れてたけど、今もワイシャツを着てるから少なくとも寝てる間に着替えさせられた形跡はなさそうだ。
「加えて王の御前に立つならば、その身辺が安全かどうかを見極めなければならない。つまり暗器の有無ですね。これを確かめるには裸になってもらうしかありません」
「アスティ補欠騎士は、彼を信用していないのかね?」
「していません。間者である可能性は捨てきれませんので。ですから、裸の付き合いというのも必要でしょう」
「ふむ。なるほど。ではアスティ補欠騎士がしたい事とは――」
ふっと笑ったアスティは俺の目の前まで近づき、シュルと慣れた手つきでネクタイを解いた。なんで解き方知ってるんですかね……?
「はい。湯浴みです」
その言葉にラグナルは「たしかに」と頷き、反対に俺は口を開けて呆気に取られることになるのであった。
……あれ。そういえば俺の学生鞄は?




