32頁『蝶が舞えば風は吹く』
王子付きの側近が乗ってきた馬車、ということで、中はさぞかし豪奢な装飾が施されているんだろうな、と思ってた。
実際のところ、そんなことはなく。想像していた黄金の馬車は、一目で茶色の簡素な馬車へと印象を変貌させた。
「……」
「……」
俺とセバスの間に会話はなく、ただ淡々と進む馬車内のソファに座っていた。
馬車は体感3メートル強の大きさを持ち、2頭立ての馬が引っ張っているものだ。
こんな大きい馬車なのに、蹄の音も聞こえなければ揺れた時の車体の軋み音も聞こえない。
いわゆる静寂を司る魔法の馬車……馬車の魔道具とでもいうのだろうか。そんな現実逃避めいた観察をしながらも、俺の頭から先程の急襲の光景は離れなかった。
けど、もっと早く気付いていれば、もっと他にやりようがあったはずだ、と。
しかし終わってしまえば後の祭り。俺は敗北感を味わいながらも、粛々と現状を把握し、次の行動に繋げるくらいしか打つ手がない。
「……もしや、自分のせいでラグナル騎士団長が捕まった、などと考えてはいないだろうな」
そんな俺の心中を知ってか知らずか、セバスはそう問いかけてきた。
顔はこちらに向いているが、視線は俺には向いておらず。窓外の風景を楽しんでいるような素振りをしている。
外の景色を楽しむ余裕なんてない俺にとっては嫌味でしかない。
しかし、そんな嫌味や皮肉に構っていられるほど、今の俺の神経には余裕がない。
俯きがちに項垂れながら、ため息まじりに言葉を吐きだした。
「俺がもっと早く、罠に気付いていれば、ラグナルさんは無事だった、とは思ってる」
「思い違いは、今のうちにやめておけ。別に、貴様だけのせいでラグナル・ヌーベルが捕まったというわけではない」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。ラグナル・ヌーベルは遠からず、こうなる運命だった」
言ってる意味がわからない、と天を仰いで目を逸らす。
何を言っているのかはもちろん、自分が次にするべきであろうことも、また。
”何かをやるべきなんだろう”と、うっすら僅かに考えてはいるのだ。しかし何をするべきか、がわからない。
だから今は、悔しさから握り拳に篭もる力に耐えて、目の前のセバスの話を聞く体勢を作る。
一連の行動を見て、「賢明なことだ」と少し驚いた様子で、何故か、何かに納得した様子のセバスは首肯して話し出す。
「仮に貴様が、フォルケ様の真意に気付いたとて、今度は別の方法でラグナル・ヌーベルは拘束されていた、ということだ。今回に限って言えば、貴様が利用されての騒動だったのだろうがな」
「……やっぱり。あれ、未翻訳だったんだな。それで情報漏洩、か」
「加えて職権乱用……まぁ、これについては完全に槍玉に挙げただけだがな。捏造、と非難されても間違いではない」
やっぱり冤罪工作じゃねえか。と、唇を突いて出そうになった言葉を堪える。
ギリ、と食いしばった歯の音が、馬車の中に響いた後、俺は軽く息を吸って気持ちを落ち着かせる。
「それと一つ、訂正しておくが。フォルケ様がラグナル・ヌーベルに見せた魔導書は、別に未翻訳というわけではない、と伝えておく」
「……誰が翻訳者だ?」
「それを伝える権利は、今の私にはない。それは貴様が直々、フォルケ様に聞くべきだろう」
「はぁ? じゃあなんで今それを言った? 理由を言え」
「……知っていることを伝えたまでだ。私から貴様への貸し一つ、と思ってもらおう」
身勝手にも作られた『借り』に辟易しつつも、一切の油断は許さず姿勢は崩さない。
「絶対に返す、なんて断言はしないぞ」
「……生意気な答えだな」
「まだ俺は18のガキだからな。生意気なのはガキの特権だろ?」
「3つしか変わらないではないか」
「悪いな。俺の知ってる世界じゃ、20になるまではガキなんだよ」
最近、18歳成人とか言われてたけど。異世界に来てしまったからには、そんなことも関係なくなってしまった。
「そうか、ガキか」
「そうだ。ガキだ」
「こんなガキが、この世にいられても困るのだがな」
「どんなガキだ。俺だって好きでこの世界にいるんじゃねえんだぞ」
反復するような言葉を紡ぎながら、俺は溜息を吐き出した。
そう、俺は拉致同然でこの世界に連れてこられたのだ。旅行でも移住でもない。
帰れるなら帰りたい。
「……」
「……」
気まずい沈黙が流れる。声には出さず、胸の内で静かに覚悟を決めていると、、俺の膝に小さな手が置かれる感触がした。
そうか。そこにいるんだな。
――よし。なら、これ以上気弱になる必要はないな。
と、決意を新たに、独りで覚悟を決めていると、不意に前方から視線を感じた。
セバスが何か言いたげな目を向けていた。
俺が口を開くよりも先に、セバスが不満そうに喉を震わせた。
「アストリッド・ヌーベルを置いてでも、貴様は元の世界に帰りたいのか?」
「……? 何が言いたい?」
「気にするな、独り言だ」
「へぇ。ずいぶんデケェ独り言だな」
態と俺に聞こえるように言ったんだと思ったよ。
続けざまにそう言おうとした俺の口は、キッ、とキツく細められた視線に遮られる。
「あの子は基本、1人でも生きていられる性格をしているが、それは人間として危ない」
「さっきからなんの話だ? つか、アスティのことを『あの子』って……」
「さてな」
一言だけ発して、完全に口を閉ざしてしまったセバス。話は終わりだ、とでも言いたいのだろうか。
こちらから聞きたいことは山ほどあるのだが、今聞くことは叶わないだろうと察し、俺も馬車に背中を重く預ける。
窓外に映し出される景色は、『星の館』から見える郊外の田舎風景から、街の景色へと移り変わっていた。
「いつの間に」なんて言う間もない。それこそ「あっ」と言う程度の間に感じた。
あくまでも体感時間の話だ。実際はもっと長い時間をかけて、『星の館』からこの街へとやって来たのだろう。
そんな単純なことが分からなくなる程度には、俺は思考の海の深層へと潜水を始めていたようだ。
急浮上した頃には、クレスコーグにあるグドームリ宮殿前。砂利道のガタガタした感覚を全身で味わいながら、俺の意識は現実へと帰還した。
「王宮内の構造は覚えているか?」
鋭い視線と対峙しながら俺が首を横に振ると、セバスは『さもありなん』と言いたげに頷いた。
「そもそも俺は、自分に用意された部屋から出ることがなかった」
「そうか。だが、玉座の間に入ったことはあるだろう」
「ああ。けど、それが――?」
「目的地はそこだ」
そう言われ、目を剥いた。
玉座の定員は原則1人。王冠を被ることが許されたたった一人だけが、その椅子に座することができるのだ。
ならば座しているのはヨハン3世――になるはずなのだが……何かおかしい。
フォルケ王子の姿が見えない。ラグナルさんが捕まった。その直後に、同じ場にいた俺は玉座の間へと連れてこられた。
そもそも、この男は一言も、フォルケ王子を『殿下』と呼んでいない。
……なぁアワユキ。期日は1週間じゃなかったのか。
――まだ、あと2日、猶予は残ってるはずだぞ。
「カール王国第15代国王であるフォルケ陛下が、そこでお待ちであらせられる。急ぐぞ」
俺の表情に浮かぶ不安と不満に気付いたのか否か。セバスはさっさと馬車から降りて行ってしまった。




