31頁『館への来訪者』
「すいません。朝食を食べていたもので」
「いや。朝から押しかけてしまったのは此方だ。非礼を詫びよう」
「いえいえ。ゆっくりしていってください」
ラグナル騎士団長を席に座らせて、俺は魔導コンロの火を付ける。ポットに水を汲んで、その間に茶葉を手に取る。
「それで、今日はどうしたんですか? アスティがここに帰ってくる日が決まったんですか?」
「ああ、その通りだ」
まさかの返答に、筒から茶葉を掬っていた俺の手が止まる。冗談で言ったつもりだったんだけどな……
サラサラと筒の中へと帰っていく茶葉を、もう一度掬い直して、ティーポットの網の中へと落とした。
「そうですか。それは良かったです」
笑顔を急造して表情に出力する。
さながら体内から不純物を排出するように、俺の表情筋が自然と笑みをこぼしていた。
不自然になり得るわけもなし。意識の外で造られた仮面に違和感を抱けるわけもなく、ラグナル騎士団長は頷いて俺の顔から視線を落とした。
「……少々、意外だな。もう少し、こう、なんというか」
「驚くと思ってました? じゅうぶん驚いてますよ。ただ、それよりも、まぁそうだろうな、って気持ちの方が大きかっただけです」
淡々と答える俺の言葉を聞いて、何処か要領を得ない顔で、俺と視線を交差させる騎士団長だった。
「まぁ、でもあれですね。思っていたよりも、けっこう早かったですね。手続きとかの諸々で、もう少し後になると思ってましたよ」
「移動された経緯が経緯だからな。手続きなど元々行われておらず、近衛騎士という肩書きもまた同じ。ならば後は人身を元の位置に戻すだけでいい」
「ああ……あの王子、そこは怠っていたのか……なるほど」
「……? なんだ、フォルケ王太子のしたことも知っていたのか?」
ラグナル騎士団長は、問い詰めるように俺へと鋭い言葉を飛ばす。
まるで俺がフォルケの一派なのではないか、とでも言いたげな空気だ。
全然まったく違うので否定しておく。
「いいえ。ただ、アスティから俺宛てに書かれた置き手紙の情報が、あまりにも不足しているなと思ってたので。何かしら国の上層部が動いているんじゃ、と思ってただけです」
「そこで何故フォルケ王太子の名が出る?」
「え、だって。俺周りに手を出す理由があるのって、フォルケ王太子ぐらいしか思いつかないので」
至極単純な理由を告げると、ラグナルさんは目を丸くした。
おそらく考慮の枠にすら入ってない理由だったのだろう。まぁそれも当然か。
――王太子の狙いが、俺だなんて誰が思うだろう。
「どういうことだ? キミは王太子の狙いを知っているのか?」
「詳しくは知りませんよ」
「なら何故、王太子個人の思惑を推測できる?」
「状況証拠からして、まぁそうなんだろうなと勝手に思ってるだけです」
アスティを俺の周囲から奪われ、アフターケアも何もしない。これで俺を狙っていないというのは、タチの悪い嘘だ。
そもそも俺にアスティが付けられた理由もまた単純。教皇領……ではなく、その過激派である原理派と呼ばれる連中によって、俺の命が失われることを防ぐことにある。
どこにいるかもわからない、神出鬼没な連中から身を守るために付けられた近衛騎士が、非常時でもないのに外されて、別の護衛も雇われない現状は、間違いなく何某かの手が加わっていると見ていい。
まぁ、それが誰かと聞かれたら、ヨハン3世やアドルフ宰相のような国の最上層には理由がないから違うし、今こうやってラグナルさんが人事が動くことでやって来ていることで、騎士団ではないことは証明された。
じゃあ他に目的ありきで、俺の周辺に手を加えることがあるのは、王位継承を控えている王子くらいしか思いつかない。
それを伝えてみると、ラグナルさんの表情が硬化した。恐らくラグナルさんの中でも見当はついていたのだろう。
しかし確証がなかった。
「他の貴族連中である可能性は?」
「ないですね。仮に適当な貴族がこの館にいきなり来たとして、お前には人事異動の命が下された、って言われたアスティが動くと思います?」
「ないな。あの子が貴族の風に吹かれて飛ぶことはないと、この私が断言しよう」
さすが父親。
そういう教育を施してきた、と自信を持って断言できるのはこの人しかいないな。
すこし尊敬する。
「……そうか。そうなるとケイの中で、人事に関わった者の候補は王太子しかいなくなるのか」
「あくまで消去法なんで、俺の知らない勢力なんかがいたら、話はガラッと変わってきますけどね」
「いや、私の知識でもそれだけだ。……いや、流石の推察力だな、ケイ」
「褒めても粗茶しか出ませんよ」
淹れたてのお茶をカップに注いでお出しする。ちなみに銀貨5枚の価値がある高級茶葉である。全然粗茶ではない。
味は、ほうじ茶。お茶で良く味わうことになる苦味や渋みが少なく、すっきりした味のするお茶だ。
日本人としての味覚からか、ひょっとしてぼったくられたか? なんて、初飲時に考えた俺は悪くないはずだ。
「まぁ、何はともあれ、アスティが帰ってくるなら嬉しいですね。割と行動範囲が狭まってて不便だったんですよ」
「……街での目撃例がある、という報告が上がっているが?」
「食料はいつか尽きるものですからね。買い出しに行かないと飢えて死ぬかもしれないじゃないですか」
「1人で大丈夫なのか?」
「別の護衛を雇ってるんですよ。殺されるかもしれない、ってストレスを抱え続けるのは嫌ですから」
そう言うと、納得したようにラグナルさんは頷いた。
「なるほど。先程から息を潜めているのは、ケイが雇っている護衛ということか」
「――え?」
ラグナルさんの視線が、ユリィ……ユリアのいる部屋へと向いた。
まさか、気づかれてる……?
「なんだ違うのか? ならば追い出さねばな」
「い、いえ! 俺が雇ってる護衛です!」
「そうなのか? では挨拶でもしておくか」
「待って! 待ってください! 雇用契約で、自分の秘密をバラさない代わりに守ってもらえる、って内容が含まれてるので……!」
「む、そうか」
めちゃくちゃな論理で引き止める俺の言葉を信じたのか、ラグナルさんは机に座り直してカップに口を付けた。
あっぶねぇ……! なんだこの人、最初からユリアの存在に気付いてたのか……!? 嘘だろ、別室で息を殺してるはずなんだぞ……!
「……こわ……」
ほろり、と漏れた呟きは、誰に言葉を返されるわけもなく、木製の壁の中へと染み込んでいった。
淹れたばかりで熱々のお茶に、一切苦悶の声を上げることなく飲み干したラグナルさんは、空にしたカップを机に置いて俺に視線を向けた。
「――そうだ。ケイに聞きたいことがあったのだ」
「……? なんですか。護衛については話しませんよ」
「いや別に、特段知りたいというわけではない。実はつい先日、フォルケ王太子の部屋に赴く機会があってな」
「あー……」
件の王子の話か。まぁそれくらいなら――と、自分のために淹れたお茶への興味と半々に、何かを話そうとしているラグナルさんへ耳を傾ける。
「ケイは魔導書の翻訳を行っているのだったな? その中で、この国由来の魔導書を翻訳する機会はあったか?」
「……この国由来、ですか? いつの時代かは知りませんが、この土地で書かれた魔導書なら、翻訳した経験はありますよ」
歴史書とかまさにそう。
サツマ・ハヤトなる渡り人が書いた魔導書や、それよりも前に書かれた魔導書も、俺の元に来たことがある。
この国で使われているが、俺の知識で何とかなる言葉で本当に良かった。要するに中国語とスウェーデン語だもんな。
……いや、本当にどういう文化接合をしたんだよ。中華から北欧って、なかなか距離が離れてるぞ。
「ケイが翻訳した魔導書を、フォルケ王太子が読んでいてな。何かの手掛かりにならないか、と思っているんだ」
「……魔導書なんて、高尚なことが書かれてるモンも少ないですよ。大概が、渡り人の日記とか政治書ですから……」
思い出すだけで目眩がする。論理の破綻した政治思想や、外での破廉恥を見かけた際の恨み節、知らん人間の生活が事細かに書かれている物を、ずっと読み続ける身にもなってほしい。
なんで俺は、あんな黒歴史日誌を、毎夜完徹で読み込まなきゃいけないんだ。地獄かよ。
「フォルケ王太子が読んでいた本なのだがな……ケイ、何か書けるものを貰えないか?」
「え、あぁ……どうぞ」
机の近くに常備している紙とペンを渡す。するとラグナルさんは、迷いなくサラサラと紙の上にペンを走らせた。
「なんですか、これ……? 漢字?」
「古く、この地で使われていた文字らしい。ケイの世界で使われていたものではないのか?」
「いや、貝、歓……なに?」
元の字……というか記号のような物が、ぐちゃぐちゃに書かれていて読みにくいせいか、俺の大脳が文字と認識してくれない。
記号の数としては4つ。つまり4文字の漢字……四字熟語に該当する概念、ないしは物質なんだと思うが……
不幸なことに、貝と歓の2字が連続する熟語は、俺の知識の中にはない。
「……もしかして、貝でも歓でもない?」
「あくまで記憶したカタチを描いているだけだ。ケイの認識と違っている可能性は大いにあるだろう」
「ああ、なるほど……」
ということは、これが件の魔導書本来の題名とは違う可能性がある、ということか。
問題は、このカイカンなんたらを俺が翻訳したのか、ということなのだが……ぜんっぜん記憶にないのである。
「……漢字のパーツが足りないのか? なんだ、何が足りない……偏か、旁か? 員、唄、貢……」
ぶつぶつと呟きながら思考を加速させていく。ほぼ総当たりの漢字ソートになりつつあるが、漢字辞典が手元にない今はこれが一番手取り早い。
貝、と明確に簡単なカタチを書いているのだから、恐らくそんな難しい漢字ではない。と考えれば、画数の少ない漢字を総当たりするだけでいい。そうなると教材範囲としては小学生から中学生の国語範囲が妥当だろうか。
「……あ、見つけた」
貞。並ぶカンとは、観だろう。
恐らく四字熟語で『貞観政要』。
中華が李姓の唐時代。
その2代目皇帝を務めた李世民と、その側近たちの会話を手記した、東洋の帝王学が学べる政治書だ。
この地には元々、中華圏の国があったと言う。遍歴を経て今のカール王国になっているが、この本がこの国に残っている歴史として見るなら矛盾はない。
「…………」
「……ケイ?」
次の問題は、俺はこの政治書を翻訳していないということだ。
(フォルケ王子は、これを俺が翻訳したと言ったんだよな……なんのために?)
目的がわからない。もしかして俺の他に、翻訳作業をしている……あるいは、していた渡り人がいた?
だとして俺が……佐藤啓が翻訳した、ということにした理由はなんだ?
王宮の私物である本の題名を、ラグナルさんが俺に伝えることに、何の意味が……あ。
「――そうか! 王宮の私物!」
「? 確かに魔導書は王宮の私物だが……それがどうした?」
「ラグナルさん、これは罠だ! 早く、テラスから外に――」
言い合える前に、家の扉にガン! と強烈な力が響いた。さながら何某かが、扉を蹴り破ろうとしていると思える力。俺の予想が間違っていないなら……!
「何者だ? この館の扉を破ろうなどと――」
「ダメだ、テラスから逃げろ! アンタはここにいちゃいけない――!」
瞬間、バァン! と扉が蹴り破られる。
「――予想より、辿り着くのが早かったな、佐藤啓」
扉の先にいたのは、複数の黒布を頭から垂らした覆面兵士と、その兵士に囲まれて立つ執事服の青年だった。
名前は、たしかセバスチャンと言ったか。フォルケ王子に仕える執事らしき者が、こちらに冷たい視線を送っている。
「だが予言を与えるには遅すぎた。残念だったな」
ゾロゾロと入ってくる覆面の兵士に囲まれながらも、俺はラグナルさんを背後に隠すように立つ。
すると当然、俺はセバスチャンと対峙することになる。自覚はしている。蛮勇だ。だが、これ以降のことを考えると、俺はどうしても、この行動をせざるを得ない。
「……また、俺の周辺を掻き乱すつもりか?」
「ああ。だが、これが最後だ。次は周辺ではなく、お前自身を狙うことになる」
ふざけるなよ。
そうやって唾を飛ばすことが出来れば、どれほど良かったことだろう。
しかし足が震え、腰は引けて、嫌でも現実が、自身の無力感を肉体に擦り付けてくる。
「――ふむ、なるほど。状況はあまり飲み込めないが……私は、陥れられたということか」
「そういうことだ。
――ラグナル・ヌーベル。貴様を職権乱用、および情報漏洩の容疑で逮捕する」




