3頁『失敗/【マテリアス・コンバート】』
不意にアスティが右手を上げる。その5本の指から伸びる細い糸のような光が風に揺られ、手のひらの中で球体となって展開される。
「『聖息懸かりし聖なる盾よ、か弱き我らを護りたまえ』――【アマラ】」
アスティが頭上に掲げた球体が、まるで大量の水が滴り落ちるように幕を下ろす。形ある光となって俺たちを包んだ球体に対し、賊のひとりが攻撃を仕掛けて来た。剣を振り上げ襲いかかってくるも、光の球体と押し合うように鬩ぎ合う。
やがて光の球体が押し切ると攻撃を仕掛けてきた賊は驚愕の感情を露わにした。
「なんだこの球体!? 硬ってえぞ!?」
斬り掛かってくる賊たちは、球体に阻まれて攻撃を仕掛けてくることができない。まるで丸い盾に守られているようだ。
「さあ。今のうちに解読を!」
「……っ。俺の命は預けたぞ!」
「預かりました! 防御が切れる前に! 早く!」
アスティから渡された罫線ノートには、シャープペンシルで書いたような極細の文字で表題が書かれていた。
表題は『Liber Dei sive Lex』。
直訳すると『神と法の書』になる。見間違うことはない。100%ラテン語だ。
しかしなぜラテン語表記のノートが異世界にあるのか。いや、そもそも罫線ノートなんていう現代の産物が……
……いや、今はいい。問題はこれの中身だ。試しに真ん中を開いてみる。
(うわ辞書ほしい……)
見た瞬間にクラっと来た。
罫線に沿ってびっしりとラテン語が書き記されている。共に書かれているのはアラビア数字。確定だな。この魔導書とやらを書いたのは、俺と同じ地球から来た人間だ。
「お前らやめろ! 【アマラ】ならじきに効果が切れる! 切れた時に仕掛けるぞ!」
「でもお頭! 翻訳作業が済んだら、今後は俺たちが……」
「構わん! 【アマラ】は頑丈だが魔力を大きく喰らう。騎士程度の魔力量じゃあ、そう長くは保たねえ」
「なるほど。お前ら! 無駄に体力を消耗するなよ!」
重低音の大声が聞こえ、俺はついそちらを向いてしまう。
もみあげから口元を覆うほどの剛髭を生やした中年の男が、ニヤリと嘲笑うように俺を見やる。あれが賊共のお頭か。まるで圧力をかけるように、俺を見て凶暴な笑顔を向けてきた。
心臓が飛び跳ね、鼓動がさらに加速する。
そうか。この天幕も無限じゃないのか。これが切れた瞬間までに解読ができなければ、俺は為す術もなく蹂躙されてしまう。クソ。焦らせてくるじゃねえか。
ツーっと首筋を嫌な汗が伝う。クソッ。なんでこんな思いをしなきゃいけねえんだ。
「翻訳はまだか!?」
「読者舐めんな! 読み始めたばっかだよ!」
急かすな。無茶を言うな。俺は速読なんて出来ねぇぞ。
……だけど読み飛ばし程度なら出来る。
罫線ノートを使っている感じ、俺と同じ時代の人間なのだろうか。何が目的で書いたのかはこれから読み解くとしても、このノートが存在することには意味がある。
「ふぅ……」
焦るな。焦れば賊の思う壺だ。冷静になれ。
パラパラとノートを捲ると最初のページに行き着いた。ここも凄まじいほどびっしりと文字で埋められていたが、羅列の上に見出しと思われる大文字が綺麗な文字で記されているのを見つける。
(『Index』……目次か)
目次があるということは、何かしら形式のある文章が載っていることが考えられる。そして表題の『神または法の書』の意味を踏まえると……
(……なるほど。魔導書、ね)
――結論から述べよう。
この本の正体は取説だ。
具体的にはオカルティズムに関連する本。名前から察するに『法の書』がモチーフだろうか。ならば中身の想像は比較的容易だ。
この世界には魔法がある。魔法とは技術であり先ほど使っていた防御魔法? を見る感じ、起動手段となる詠唱と手順が必要になってくるのだと思う。
魔導書とは言い得て妙だな。
「ここが注意事項で、このページから魔法紹介か。ああくそ! 専門用語と略語が多すぎる! これ書いたの何世紀の何人だよ! ……アスティ! 具体的にどんな魔法を――」
「戦略級があればそれを! 賊を一気に吹き飛ばします!」
「戦略級……?」
俺たちを囲む賊共を殲滅する気か。
なら炎……いや、森の中での戦闘を強いられている以上、森林火災に巻き込まれることだけは避けたいか。なら水に押し流してもらおうか。
その考えに行き着いた時、ふと俺の目に留まる魔法があった。
『Materias converte』素材を変換する戦略級。
素材が何を指して何を変換するのかわからないが、少なくともアスティが求める戦略級魔法であると書かれている。炎属性ではなさそうだしこれにするか。
目的のページを捲る。
「うっわ汚ったねえノート」
やはりというべきかこのページも文字列だらけ。まるで殴り書きしたような字の汚さだ。整理もされていなければ何処となくポエミーな雰囲気さえ感じる。正直言ってあまり読みたい文章じゃない。
「……けど読めないわけじゃない」
あまり時間をかけてはいられない。翻訳を開始する。
「効果は……手からビームを発射して対象を構成する元素の……はい?」
そこで俺の翻訳が止まる。そこに書いてあることがあまりにも荒唐無稽すぎて、翻訳自体が間違っているのかと思ったからだ。
しかし何度黙読しても、書いてあることは変わらない。
「……元素のすべてを、酸素に強制書き換えすることができる……何言ってんのこれ?」
理系に精通していない俺でもなんとなくわかる。少なくとも荒唐無稽かつ夢物語なことが書かれていることは理解できる。
対象の範囲がわからないが、もしかしてビームに当たった物すべてを酸素にする……つまり生態系がぶっ壊れるってことか?
そんなことしたら環境破壊どころの騒ぎじゃないぞ。下手したら国1つが吹き飛びかねない。こんな魔法、誰が使うことを想定して作られたんだ?
……俺が軽く首を傾げていると。何やら嬉しそうな声が聞こえてきた。
「お頭! 光の幕が!」
「ああ。後少しだなぁ、騎士サマよ。今のうちに渡り人を受け取ってもいいんだぜ?」
「アスティ。大丈夫なんだよな!?」
「問題、ありません。それよりも、早く魔法を!」
限界が近そうだ。一刻も早く戦略級魔法を見つけて提供しないと……けど【マテリアス・コンバート】は――
(……あー、くそ……)
――別にもう。いいんじゃないか。
そもそも何で俺がこんな思いをしなければいけないんだ。現状を打開するには十分な威力だ。俺が助かるんならそれでいいだろう。
この魔法が普及して、国が吹き飛ぼうが。異世界の生態系が壊れようが。地球から来たばかりの俺からしたら、愛着のない世界のことなど、どうだっていい。
――そんな青臭い浅慮が、脳裏を支配した。
なら次に探すべきは詠唱行為に該当する言葉。ラテン語の中にもいくつかあるが、このポエミーな文章から察するに、ここで使われている文字であれば――
(――あった。『Carmen』)
文章に宗教的な荘厳さはなく、理論的な重厚さもないなら。ここに書かれている文章は抒情的な古典文章に他ならない。
こういう系統の本を著作する人が好きそうな語彙はこれだと相場が決まっているのだ。
つまり文章体としては黒歴史ノートと同列のものということ……うん。読んでて恥ずかしい。
「……っ」
奥歯を噛み締め、俺は共闘している騎士の名を呼ぶ。
「……アスティ!」
「終わりましたか!?」
「俺の言葉を復唱して詠唱しろ!」
「なんて早い……了解しました!」
「翻訳が終わっただと。バカな。5分も経ってないぞ!? あの渡り人はなんなんだ……?」
「お頭、どうしやす……?」
「……チッ。予定変更だ! 詠唱を開始すりゃ【アマラ】は切れるはず。死んでも詠唱させるな!」
賊共が俺たちを取り囲む中、詠唱を開始する。
俺は詠唱の部分に書かれている文章を、そっくりそのまま音読する。
◆◇◆◇
「この世凡てを見守りし大いなる天よ」
「『この世凡てを見守りし大いなる天よ』」
【アマラ】は……切れない。
「「『慈悲深くも荒れ狂う母なる海よ』」」
詠唱が重なり合う。
2節目……やはり切れない。
「お頭、これは……!?」
「…………嘘だろ」
「なんでですかお頭! なんで【アマラ】が切れねえんですか!?」
意味がわからない。賊頭は、目に映るこの光景に混乱する。
本来、魔法の並行発動は不可能なはず。
1つが発動すれば、もう1つは耐え切れずに自壊する。それが常識だ。
「刮目せよ」
「『刮目せよ』」
「「『刮目せよ』」」
繰り返す。数にして三度。3回目のリフレイン。
ここまで来ても防御魔法は途切れない。
――ここまで条件を提示されれば、嫌でもその可能性を思いつく。
「……まさか多重詠唱か!?」
多重詠唱。世界でも稀な技術を指す言葉。
本来相容れない魔法の同時発動を可能とする魔法技術。
今回の場合、【アマラ】を発動させ続けながら次の魔法の発動準備を進めている。
宮廷魔導士や司祭などにも稀に再現可能な者がいるが、騎士にいるなんて事例は聞いたことがない。
しかも例え多重詠唱ができたとしても、発動中の魔法の効果は減退することが殆どなのに、この女の魔法が揺らぐことがない。これはつまり――
「……まさか。このスラム女の、多重詠唱の精度は――!?」
彼女の多重詠唱は生半可な精度ではない。
詠唱中も【アマラ】の形は一切微動だにしていないのだ。
「戦闘級……いや、戦略級ッッ!?」
賊頭はようやく、自分が相対している敵の正体を知ることになる。
「「『どうか、人の業を目されよ』」」
詠唱、完了。知った時にはもう遅かった。
どうにか防御魔法が切れる前に終わらせることができた。
光の天幕が途切れ、中から白い光線の源が現出する。
すなわちこれは完成を意味し、そして――
「「【マテリアス・コンバート】!」」
――彼らの周囲に対する『死』を意味していた。
◆◇◆◇
魔力が収縮する。空気が爆縮する。
――冬が来た。
木々の間を吹き抜ける冷涼なはずの風が、一瞬で白く染まった。
急激に下がった気温に反応して、身体のそこかしこに鳥肌が立つ。
両腕を擦り、カタカタと鳴る歯を食いしばる。
酸素濃度が異常化し、今にも爆発が起こり得る世界で……
「――【アマラ】!」
光の幕は輝いた。
◆◇◆◇
音が消えた。光が消えた。視界が消えた。
真っ暗な世界の中でただひとり。
「寒っ……」
俺はゆっくりと目を開いた。
霜が付着した瞼を擦りながら、俺は周囲を見まわした。
「あー……マジかー……」
何分。経ったのだろう。
発動が終わり、直射されたビーム光も収まったころ。
俺はようやく口を開いた。
隣には、おそらく魔力が切れでもしたのだろう。
魔法を発動した反動でアスティが横たわっている。
「説明読んで理解した気にはなってたけど。焦ってたとはいえ、短絡的だったな……失敗した」
アスティは今問題ではない。問題は、周囲――
「この魔法は……世界の法則を書き換えるぞ」
俺はこの世界の、社会の仕組みを知らない。
けれど、今目の前に広がる光景を一目見ただけで確信した。
文句は、俺を召喚したやつに言え。
魔法を伝えた時、俺はそう思っていた。
そんな甘い考えは、目の前の惨状を見て凍りついた。
「これはダメだ。……この魔法だけは、普及させちゃダメだ」
円形に森が消えていた。地面は凍っている。
小石も地形も消え、岩盤が剥き出しになっていた。
クレーターの外では、生き残ったはずの木々も燃えている。
俺たちを取り囲んでいた人間すらも。
すべて。すべて、この世界から抉り取られたような。
……俺にはもはや。なんて言えばいいのかわからなかった。
けどひとつだけ確信できるのは。
1つの魔法に破壊され尽くした光景は、世界を変えるのに十分だという事だろう。
「……はぁ。これは俺の責任だな」
息が凍って白くなる。
この魔法だけは、2度と使わせちゃダメだ。
森の消えた極寒の世界で、俺は独りごちた。




