29頁『風雲、至急を告げる。』
「どこよそれ。聞いたことのない名前ね」
「貴女は知らなくて当然でしょう。ですが、啓ならどうです? なにか、知っているのでは?」
「……」
2人の視線が集まる中、俺はフリーズした頭を必死になって回していた。
正直、意味がわからない。
その名前は、俺を含めて4人しか知らないはず。。ヨハン3世やアドルフ宰相、そしてアスティだけ、のはずだ。
この瞬間、俺からアワユキに対する警戒心が、最大限まで引き上げられた。
「……その単語を知ってるのは、本当にほんの僅かな人だけだ。お前は、なんで知ってる?」
「知ってることを、知ってるだけです。それ以上は言えません」
……。まぁ、そんな簡単に答えないか。
「じゃあ聞き方を変えよう。お前は、どこから嘘をついている?」
「私は、貴方に対して嘘をついたことはありません。これは紛うことなく本当です」
……この言葉を信じるか、否か。信じることはできない。
知っているべき人ではない人から、『アナザー・ノイホーフ』という単語が出て来た恐ろしさは相当なものだ。
何処かから情報が漏れた? いや俺が挙げた人物は全員、情報の取り扱いを厳重にするべき役職の人たちばかりだ。
確かに秘匿するほどの情報ではない。だが俺が、他の人に話していない、という事実を知らないのか。
それとも、俺の夢は、秘匿するほどの価値はないと思われている、とか?
――だとしたら、不快極まりない。
……とはいえ、乗り気だったヨハン3世やアドルフ宰相、そして同じ屋根の下で暮らしたアスティが言いふらすか、と言われたら……
(……勝手に話すとは思えないんだが……)
挙げた3人は役職柄、口が堅い人たちばかりだ。誰かに話すとは思えないし、話す光景が思いつかない。
となると。
このアワユキは本当に、俺が知っている誰を介すわけでもなく、俺のことを知っている、ということになる。
「お前は前に、未来から来たわけじゃない、って言ったよな。……この言葉は真実か?」
「はい。嘘ではありません」
「……」
……あくまでも「真実だ」とは言わないんだな。
叙述トリックにしては少々稚拙だ。
謙虚なのか大胆なのか、よくわからない。
「ねぇ、お兄さん。どういうこと?」
苦悶する俺をユリィが問い詰めてくる。何が起こっているのかわからないのが自分だけだと悟り、悶々としているのだろう。
しかしそれを気遣ってやれるほど、今の俺の精神は余裕に富んでいない。
「……信じられないな」
「あの時の質問に対する回答は本当です。他はともかく、それは信じてください。そこの女が、それを証明することが出来るので、聞いてみたらいかがでしょう?」
挑発するように視線を投げかけるアワユキに、ユリアは少し悪戯めいた稚気のある笑顔を浮かべて言葉を返す。
「私に証明させるなら、なんでお兄さんを通さずに私へ直接頼まないの? 卑しい考えでもあるのかしら?」
「貴女は、私が直接頼んでも素直に首を縦に振らないでしょう」
「あら、よくわかってるじゃない……本当に、どこで情報を仕入れているのかしら?」
ユリアの件は後で問い詰めるとして、今は一旦放置しておくとしよう。
それよりも、アワユキを何処まで信じていいのか、の方が大事だ。現状、集まっている情報から思考を巡らせる。
前提条件を絞るとしよう。
まずアワユキは渡り人だ。そうユリィ……いやユリウスが言っていた。ということは、魔法は使えないはず。
となると外部干渉……主に洗脳する系統の魔法をアワユキに使い、俺に接触を図ってきている輩がいてもおかしくはない。
(……いや待て。『星の館』で初めて話した時、アワユキは魔法を使っていなかったか?)
そういえば、俺の学生鞄を、俺の知らない魔法で虚空から取り出していた。
なんの魔法か知らないが、あれは間違いなく俺の知ってる科学で再現できる現象ではないと思う。
これが違うのであれば、本当に、彼女の正体に見当がつかない。
俺は今、ナニと対峙しているんだ?
「ふぅ……」
落ち着け。焦っても良いことはない。
思考を回せ、結論を急ぐな、僅かな情報から考え続けろ。今、問題なのはアワユキの正体じゃない。
「それで、その元『アナザー・ノイホーフ』の生徒が、俺になんの用だ? 至急の用事なんだろ?」
「はい。話が早くて助かります」
「……いいのかしら、お兄さん? 本当に信じられる?」
「信じるか否かは聞いてから決める。俺に話がしたいってんなら、聞かないのは筋が通らないだろ」
心配そうに囁いてくるユリィ。コイツはコイツなりに俺の心配をしてくれてるんだな。
まぁ、その距離を詰めがちな悪癖のせいで、アワユキからの視線が冷たくなっているのは、ちょっと勘弁したいのだが。
「あら、妬いてるの? 可愛いわね〜」
「……」
「やめろアワユキ。剣に触れるな、俺まで巻き込まれる」
死ぬ。俺が死んじゃう。
「……とにかく、本題です。1週間後、貴方は……いえ、この国は、政争に巻き込まれます」
「せいそう? ……政治の争いか?」
「はい。その政争です。具体的には、この国の王が失踪します」
「……王が失踪?」
ヨハン3世が? なんで? 誘拐か?
……待て。なんでそんな重大な情報をアワユキが……いや、もうそれはいいか。
一旦、驚くのはやめよう。鵜呑みにするわけではないが、判断は聞き終えてからするべきだ。
「ユリィ」
「わかってる。その辺については、貴方が何も言わないなら、私は口を挟まないわよ。国の騒動に巻き込まれるのも面倒なのよね」
余計な口出しをしないよう釘を刺そうと思ったが、どうやらその必要はなかったようだ。
これでもお姫様だからな。話が早くて助かる。
「それで? 空になった玉座を前に、俺は何をしたらいい? 王様を救出したらいいのか?」
「出来るのですか?」
「無理だな。致命的に力が足りない」
「ええ、わかっていますとも」
厄介事や力仕事は俺の得意分野ではない。政変が起こったところで、俺に出来ることはないだろう。
「次の王として、フォルケ・アドルフ=オーディソンが選出され、戴冠します。それと同時に、別の国で動きがあります。貴方に対処して頂きたいのは、そっちです」
「別の国? 俺にこの国を出ろってことか? そりゃ無理な話だ。俺は……」
「動きがある国とは、教皇領です」
「……あー……」
宗教、かぁ……。なるほど、政変が起これば嫌でも国力は弱まり、国内の結束力は緩くなる。
その弛緩が隙となって、新たな勢力が突出してくる可能性もある。地球でもあったことだ。主に中華や欧州で。
そこを狙う宗教勢力もまた然り。
「カノッサの屈辱かぁ……」
裸足で謝るような性格なのかな、あのフォルケ王子。絶対しないだろうなー……。
「まず王の破門、かな。で、宗教という枠組みから追いやられた王国は、四方からタコ殴りにされるか、あるいは内部崩壊を起こす、と」
「正解です。その事件をキッカケに、剣が交わる争いが起こります。……随分と理解が早いですね。想定していたのですか?」
「いや全然。政変から宗教に話が移ったから、想像しやすかっただけだよ」
この世界の宗教……なんて言ったっけ。ペトロス教会だっけ。
そもそもペトロの名前を使ってるあたり、完全にキリスト教のオマージュだしな。渡来させた渡り人が誰かは知らんが、余計なモンを持ち込みやがって。
一神教とか、一番扱いが難しいんだぞ。
「カール王国の叙任権闘争、と言ったところか? 厄介だな……」
「規模が違います。正しくは大乱です」
「……なるほど」
そうなればカール王国は、周囲から滅多打ちにされることだろう。
勝てるか否かは問題じゃない。
誰がその戦争に出陣し、何処で、誰が死ぬことになるかが問題となる。
「止めることは出来ないか?」
「無理です。少なくとも破門計画が発動しており、引き金となるヨハン王失踪の阻止も、今ここにいる者では力不足でしょう」
そうか。なら俺の役割は終戦後にあるのだろう。戦争中とか、間違いなく俺は役立たずだしな。
戦争は戦闘巧者の騎士団や、俺よりも数倍力が強い、他の国民たちに任せた方が良さそうだ。体育評価3には、あまりにも荷が重い。
「……その、質問なのですが」
「ん?」
「アスティさん……のことは、心配ではない、のですか?」
「え?」
不思議なことを聞いてくるアワユキに、俺は首を傾げて質問の意図を考えながら言う。
「……? アスティが死ぬわけないだろ?」
アスティは、そんな簡単に死ぬような玉じゃない。武芸も魔法も超一流のアイツが、戦争如きで命を落とすわけがない。
「ユリィでも殺せないって思ってるぜ、俺は」
「失礼ね。万全の準備が整ってれば瞬殺よ、瞬殺」
「本当にやれんのか〜?」
「ふふん、当然よ。アイツを一回追い詰めているのを忘れたの?」
そういやそうだったっけ。けどアンデッド・ドラゴンの後の連戦だったって言うし、疲労もしていただろう。
万全の準備がどうたらって言うなら、まずは俺を出し抜いてから言って欲しい。殺しになんか行かせない。
と、質問者であるはずのアワユキを蚊帳の外に置いてしまった。
そう思って彼女を見ると――なんと今にも泣きそうな、何かを堪えている顔で突っ立っていた。
(……え。なんで?)
俺の視線に気がついたのか、俯いて顔を振ったかと思うと、いつも通りの真顔になって口を開いた。
「……本題、です。終戦後、この国には難民や浮浪児が増加します。貴方には、その受け皿となって欲しいのです」
「受け皿……アワユキってもしかして、この国で内政官をやってたりする?」
「いえ、やっていませんが……ふふっ、確かにそれっぽいセリフになってしまってますね」
いろんな情報を掴んでいるし、官僚とかだったりするのかと思ったが。
反応が素っぽかったし、さすがに違いそうだ。
「私からの話としては、それでおしまいです。そしてユリア・オキデニシウス。護衛を自称するからには、きちんと彼を守りなさい」
「うるさいわね。お金を貰ってるうちは守るわよ」
「それならいいのです。悪魔は契約を守るものですからね」
「いったい誰が悪魔なのかしら。殺すわよ?」
なんでこんなに仲が悪い……というより、なんでアワユキはユリアを嫌っているのかしら。
俺を巻き込むのだけはやめてほしい。命がいくつあっても足りない。
「ああ、そうそう。戦争中はあまり不用意に外出しないことを推奨します。幸い、『星の館』は郊外にありますので、市街戦になっても巻き込まれずに済みますからね」
「あの館のことも知ってるの? 本当に何者なのよ、アンタ……?」
「そういえば、貴女にはきちんと名乗っていませんでしたね。私はアワユキ。なんとなくわかるかもしれませんが、渡り人と呼ばれる者の1人です」
カーテシーと言ったか。ガウンをつまんで膝を屈し、礼儀正しくお辞儀をする。
やり慣れているのか、動作が滑らかで優雅。
こんな古めかしい挨拶、この中世異世界でも王宮でしか見なかったぞ。相当良いとこの出なんだろうな。
「……渡り人なのに、お兄さんの名前とは随分毛色が違うのね」
「もちろん。偽名ですので。他の渡り人と違うのは当然でしょう」
「ねぇお兄さん。偽名使ってる女なんて、もう放っておきましょう?」
「どの口で言ってんだお前」
ユリウスとして接触してきた女が何を言ってるんだ。何がユリウスだ。男性形に変えただけじゃないか。せめて語感くらい変えろよ。
ムッとするユリアを見て、アワユキは視線を逸らしながら「ふっ」と嘲笑するように笑った。
「もしかしなくても私を見て笑ったわね殺すわ」
「笑っていませんが? 自己肯定感が高いですね。どれだけ自分が可愛いのですか?」
「ねえお兄さん。やっぱりコイツ殺していい?」
「ダメに決まってるでしょ」
俺が許すわけがないでしょ。暴力ダメ、絶対。
「殺される前に退散するとしましょうか。それでは、私はこれで失礼しますね。このクソガキには充分注意して、ご自愛ください」
「あら逃げるのね、臆病者」
「寝首を掻く準備は粛々と進めていますので、どうぞご安心ください」
「もう勝手にやっててくれ……」
これ以上の仲裁は、眠気が肉体を支配する、今の俺の体力じゃ無理だ。
俺が諦めた2人の煽り合いは、アワユキが俺たちの元から離れていくまで続き、その間に俺は目を閉じ、昨晩から続く徹夜の疲労回復に努めるのだった。




