28頁『赤いガウンの女』
「――翻訳、終わったぁぁぁあああ!」
『星の館』に響き渡る大声。昨日の夜からぶっつけで翻訳作業をしていた俺は、翌日の日中に仕事を終わらせた。
徹夜明けの俺にはもはや気力なんてものはなく、ぐだぁと脱力しながら椅子から前に滑り落ちた。
「お疲れ様、お兄さん。早速だけど、朝ご飯作って」
「自認護衛のニート娘め……体力ミリ残しの目も虚な家主に対する言葉がそれか……」
「それは家から出ないお兄さんが悪いでしょ。そんなことよりご飯作って」
「ちくしょう……パンにジャムでも塗って食っとけ」
シパシパする目を擦りながら、バケットに入った黒パンを投げ渡す。
しかしユリアは不服だったのか、む、と頬を膨らませて不満を露わにする。
「ねぇ、お兄さん。もう黒パンは飽きたんだけど。美味しいご飯が食べたいんだけど」
「自分で作れよ、そんくらい……」
「私の料理スキルは、昨日のアレで知ってるわよね。またマッシュを喉に詰め込むわよ」
昨日、テーブルの上に出された、炭化したマッシュポテトのことだろうか。
あれ本当にわかんないんだけど、なんで潰すするだけの料理を焼いたのこの子? しかも焼き時間ミスって焦がしてるし。
下手とかそういうレベルじゃない。調理という概念を知らない人が出す料理だったぞ。
「芋ってのは、マッシュするだけで食卓に出せるもんなんだよ。焼く必要なんてないだろ」
「お兄さんって芋の芽も一緒に食べるの? 鉄の胃袋でも持ってるのかしら?」
「ユリィの中での芋って、いつも潰れて出されるの?」
「ふかし芋って美味しいわよね」
「なんで感覚が庶民的なんだよお前……」
……。……まぁ、滅亡した国の王族なんてそんなんか。言っちゃえば落ちぶれてるわけだからな。
「なんか失礼なこと考えたりしてないわよね?」
「してないぞ。落ちぶれ貴族は大変だな、って思っただけだ」
「お兄さん、なんか私に対して遠慮なくなってない? いい加減、痛い目に合わせたっていいのよ?」
「暴力反対」
かなり鋭い目で見てくるユリアに対し、俺は両腕を上げて降参の意を示す。暴力行為に出られたら俺の負けだ。弱いってつらい。
「まぁ首筋から手を離して、一旦落ち着こう。そんで話し合いをしようか、ユリィ」
「お腹を空かせてるから口が開かないわ」
「じゃあ俺は今誰と話してんだよ。腹の音か?」
「ぐー」
「待った待った待って。頰に触るな、背後に回るな、首に腕を回そうとするな。わかった。すぐに朝飯作るから待っててくれ」
やはり暴力……暴力がすべてを解決する……!
魔法を使えない俺にとって、この世界は生きにくすぎる。やはり一回、滅びるべきなんじゃなかろうか。魔法なんて根絶しようぜ。
「……ふぁ、ふ……」
「なによ、そんなに眠いの?」
「そうだよ、一睡もしてないからな。生活のためにずっと仕事してたんだよ」
「そうなの。まぁ、そんなことはどうでもいいから、早く作りなさい」
「コイツ……!」
ピキリと青筋が立つ音がしたが、暴力行為では勝機がないので、諦観の孕んだ息を吐いて溜飲を下げる。
冷蔵庫――と呼んでるだけの魔道具――を開き、中の様子を確認する。うん、何もない。買い出し係のアスティがいないから、家の物資が枯渇している。
「そういえば食糧庫にはほとんどなかったわよ。元々だから、これは私のせいじゃないからね」
「わかってるわ。……仕方ない、街まで買い出しに行くか」
「ついでにお菓子買ってもいい?」
「子供か」
なんかもう護衛を雇ってるっていうか、ワガママな子供を躾けてる感覚に近い。
コイツ、本当にアスティを圧倒したのだろうか。俺からしたら背伸びをした子供にしか見えないぞ。
「……クソガキ」
「なにか言ったかしら?」
「なんも言ってねーよ」
◆◇◆◇
一通りの買い出しを終えて、お馴染みの公園で休憩中。
お天道さんの温かな陽射しを浴びて、うつらうつらと船を漕いでいる俺の服の袖を、隣に座ったユリィが強く握った。
「――お兄さん、寝てる?」
「……ん」
「寝てるなら、起きないでね」
なんだ、5本くらいケバブ串を買ってやったのに、まだ足りなかったのか。
呑気に目を開こうとした俺の鼓膜を叩いたのは、神妙に呟くようなユリアの小さな声だった。
「護衛として、ちょっとお話をするかもしれないから」
護衛として、話?
やけに含みのある言い方だな、と言われた通り目を開かずにいると、少し遠くから声が聞こえてきた。
「何が目的ですか、ユリア・オキデニシウス」
「……目的って? そもそもアンタは誰?」
聞き覚えのある声だ。この声は……アワユキか?
「いや、思い出した。この前、この公園で私を睨んでた女ね。覚えてるわ、いやに殺気が孕んでいたもの。アンタこそ、目的は何? どこの勢力なの? もしかして教皇領?」
「そこの佐藤啓ならともかく、アンタに明かすことはないわ」
「ああ、そう。そんなにお兄さんと親密なのね。妬いちゃうわ」
「……その人を兄と呼ぶな、殺すぞ」
「あら怖い」
……なんか、バチバチすぎない?
聞いてるだけなのに、すごい寒気がするんだけど。
「ここで戦うなら受けて立つわよ? お兄さんの安眠を妨害しちゃうかもしれないけれどね」
「……しないですよ。その人のしたいことを邪魔するのは、私の本意ではないので」
「じゃあ、何がしたいのかしら? 事と場合によっては、このお兄さんを巻き込んでアンタを殺さなきゃいけないんだけれど?」
「……護衛対象を人質にする護衛がいますか」
「私は生き残るためなら、なんだってするわよ? それがオキデニシウスなの」
「……さっきから黙って聞いてりゃ、言いたい放題だなユリィ」
我慢できずに口を出す俺に、さして驚いた様子もなく、ユリィが視線をこちらに向けた。
「もう、寝ててって言ったのに……」
「護衛の自覚があるなら、俺を戦いに巻き込むな。それが最低限の仕事だろ」
「言葉の綾だよ。ほら、私も全力を出せるってアピールして抑止しないと、本当に戦わなきゃいけないでしょう?」
「アワユキも、だ。売り言葉に買い言葉なんかしてたら、命がいくつあっても足りないぞ」
「……すいません」
反省した様子のアワユキとは対照的に、一切反省の色を見せないユリィ。
うーん問題児。やっぱもっと躾が必要か?
「まぁ、喧嘩の売買って意味なら、ユリィが半分悪いからあんま気にすんな。それよりも、なんか用か? 俺に話があって来たんだろ?」
「はい。至急、貴方に伝えなければならないことがあります」
「待ちなさい。お兄さんの言葉を信じるなら、確か貴女はアワユキ、という名前らしいわね? ……何かを語る前に、所属を明かしなさい。それが最低限の礼儀ではなくて?」
厳しいユリィの声。言ってることは尤もなのだが、それは俺が前に問いただしたことだ。
教えてくれるとは思えないのだが、まぁ俺としても聞いておきたい気持ちはある。
視線をユリィからアワユキに戻し、黙って回答を待つ。
「……至急と申したはずですが、今、必要ですか?」
「当たり前じゃない。確証のない情報ほど、信じられない物もないわ。ねぇ、お兄さん?」
「……まぁ、そうだな。情報は鮮度も大事だが、それと同時に安全性も重要な要素だ。違った情報は毒にもなる。それがどんなに些細な間違いだったとしてもな」
それが大事であれ、些事であれ。間違った情報は、身を滅ぼす毒になりかねない。
モラルやマナーが求められるのは、世界が変わっても変わらない事実なのだ。
「……そうですか。少なくとも、私は貴方の味方なのですが」
「それを信じるかは俺次第だ。頼りになるだろうとは思っているけど、信頼はしていない。そういうことだよ」
「信を勝ち得ていない、ということですね。……わかりました。では、元、ではありますが。所属を教えましょう」
覚悟を決めたように話す赤いガウンの女は、ゆっくりと一度、深呼吸をしてから口を開いた。
「――アナザー・ノイホーフ」
……なに?
「私は、そこで育ちました」




