27頁『空中戦・模擬試合』
空を舞う2人の影が、何度も、何度もぶつかり合い、その度に大気を震わす音も、響いては空へと消えていく。
1合、2合、3合……
木剣で打ち合っているとは思えないほど、甲高い打撃音が鼓膜を揺らす。
「……隙がない……」
「当然だ。地上戦と違って、空中戦は人の肉体では不可能な動きも可能となるからな。剣の軌道だけを見ていれば回避は容易だ」
「ですがその発想も、超人的な動作も、練習を積んでいなければ不可能です。さては相当、訓練しましたね」
「はっ! 貴様が戦闘で人を誉めるとは珍しい。早熟の天才に、早くも焼きが回ったか?」
褒められてるのに素直に出来ないのは、どうしてなんだろう? アスティは訝しんだ。
しかしあの、夏に見かけるトンボのような変態機動は、今のアスティでは実現不可能だ。
どうにかして見切らないと、この試合に勝つことは無理だと断言していい。
何かしら体勢を崩す、ないしは機動を難化する方法はないものか。
アスティが思考を巡らせていると、ヒュンと風を切る音が耳に入る。
目の前の隊長は動いていない。ということは……
刹那の間をおき、アスティは【フライ】を切って自由落下を開始する。
「【風魔法】で体勢を崩してやろうと思ったのだが……ふむ、敢えて自ら落ちることで回避したか」
「当たらなければ、何も問題はないですからね!」
「なるほどな。【飛行魔術】は即座展開が可能な魔術だから、それも可能か」
「【フライ】」
地面に着地する前に、アスティは再度【フライ】を展開する。これで振り出しだ。
【フライ】の精度だけを見れば、もはや隊長の方が圧倒的に上回っている。
『いいか、アスティ。この世には制空権という言葉がある。空を征するヤツは、自動的に地上も征するんだよ。だから――
――この魔術は、世界を変える魔術だと思って使えよ』
(至言ですね、ケイ。ですが……)
それと同時に、この世界には魔力消費量という言葉もある。
魔術や魔法は無制限に使いたい放題というわけではなく、使うたびに魔力を消費して、最終的には空っぽになる。
魔力欠乏の肉体への影響は尋常ではなく、【マテリアス・コンバート】を使った後のアスティですら足元が覚束ないほどだ。
そして隊長はアスティよりも魔力保有量が少ない。つまり……
「む……」
くらり。
調子に乗って【フライ】以外の魔法を使った隊長が、立ちくらみを患ったかのように体勢を崩した。
(仕掛けるなら、ここ……!)
きゅいん。アスティの足裏に発生した反重力の力場が、より一層大きい力を放ち出す。
するとアスティの体は、磁石が同じ極に押し出されるように、凄まじい初速の加速を伴って空へと弾き出される。
「……っ! 来たか!」
「当然!」
剣は未だ掲げず下向き。突きの姿勢ではなく、斬り上げの姿勢を維持。
一本取るだけなら一突きが早い突きの姿勢が最良だが、アスティは斬り上げを選択した。
突如、アスティの鼓膜を揺らす風の音。先程、アスティの姿勢崩しを狙った風の魔法だろう。
「……甘いッ!」
「っ……!? 風を斬った!?」
満を辞して振り上げた木剣は、アスティを狙った風を切り裂いた。当たるはずだった風は服を揺らすだけに留まる。
「魔力を剣に乗せて放出しただけです。……あと、隊長の魔力はそろそろ尽き掛けですよね。無理をしない方がいいのでは?」
「……チッ、さすがにバレているか」
顰め面になる隊長を見て、これ以上の魔法使用は限界なのだろうと悟る。
攻勢を仕掛けるなら、間違いなく今だ。
――決着は今。ここで決める!
「『止めよ、調和の風。荒れろ、断罪の嵐』」
「……! ここで貴様が魔術を使うか!」
当然。相手が弱った時が、自身にとって最大の好機なのだから。
未知ある敵の相手をするなら、弱るまで待つのが最高の戦略なのである。
――大気が、動き出す。
「『平和を此処に、次なる戦の火を焚べよ』」
風が渦巻き、嵐となって、その中心にアスティはいた。
その様は、さながら台風の目。
視界を潰すほどの強風が、アスティの周囲に吹き荒れる。
頭上の隊長は、風に呑まれたアスティを見て、もはや打つ手なしと悟ったのか、自由落下に身を落とす。
(受け身に移ったか……)
狙いは恐らく地上戦。魔力をギリギリ残して、気合いで魔力欠乏寸前の身体を持ち堪えながら戦うつもりなのだろう。
どこまでもしつこい……粘り強い性格だ。
しかしそれを許すアスティではない。詠唱を中断し、吹き荒れる嵐の中へと突っ込む。
「……ッ!?」
すると隊長は目を剥いてアスティを注視する。圧倒的優位に立っていたアスティが、自ら嵐の中へと突っ込んだのだから、それも当然の反応と言えるだろう。
とはいえ自身が使った魔法は、自身の魔力で作られているため、直接的な肉体損傷を引き起こさない。故に、相手の判断を遅らせるという意味では、アスティの行動も理解できなくはない。
その注視された本人は風に乗り、まるで自由に空を舞う妖精の如く――少しずつ、隊長へと近づいている。
時間が経つごとに風が弱くなっていく中。
少しずつ、少しずつ、少しずつ……そして、後少しのところまで肉薄した。
「さて隊長、どうしますか。ここで降参しないなら、地面へ叩きつける準備ができていますが」
「……ここまで、計算通りか?」
「はい。隊長が魔法を使い始めたあたりからは、思い描いていた通りでした」
「そうか……」
落ち始める身体の感覚を骨身に染み込ませながら、隊長は小さく息を吐き出した。
この後、間違いなく地面へと叩きつけられるだろう。それはいい。その程度で怪我をするほど、王国騎士は柔ではない。
だが体力は別問題だ。魔力も欠乏している。その状態で戦闘を続行することは不可能だと言っていい。
(……潮時か)
殺傷禁止の模擬試合で、これ以上の健闘は互いに無益だ。ルールにも抵触するし、戦う理由がない。
「――今回は貴様の勝ちだ、アストリッド・ヌーベル」
「……はい。では、下へと戻りましょうか」
風が止み、残り少ない魔力を使って【フライ】を展開する。
地上で待っていた他の騎士たちに労わられ、介護され、それぞれ病室と自室に着いた後、泥のように眠るのだった。
◆◇◆◇
「……げ」
「げ、とはなんだ、アストリッド・ヌーベル」
翌日、朝餉の時間。
食堂で黒パンにジャムを塗っていたアスティの元に、昨日激闘を繰り広げた隊長が現れた。
これから朝食を採るのだろう。彼の手の上には朝食が乗ったお盆が見えた。
「なんですか。わざわざ……」
「なに、互いに昨日のフィードバックをしておこうと思ってな」
「ふぃーど……?」
聞いたことのない単語に疑問を覚え、首を傾げるアスティに隊長は息を吐いてこめかみを押さえる。
「……感想戦、というやつだ。昨日の率直な感想を聞かせて欲しい。私との戦闘をどう思った?」
ああ、なるほど、とパンを頬張りながら頷いたアスティは、飲み込んで口角についたジャムを拭きながら口を開く。
「【飛行魔術】の技量に関しては、わたしの方が劣っていると思いました。仮に、魔力の保有量が同じだったなら、勝負はわからなかったでしょう」
「貴様もそう思うか。逆に言うと、やはり貴様は魔力の保有量が桁違いだな。宮廷魔導士を目指したらどうだ?」
「魔導士は一度誘われましたよ。騎士団長が断固拒否したお陰で、今もこうして騎士屯所にいられますが」
「……時折、騎士団長のお考えはわからぬな。素養がある者は、才能を発揮できる場所に置くべきだろうに」
溜息を吐く隊長に、アスティは苦笑いで応える。
宮廷魔導士に誘われた時に『政治闘争の舞台に娘を行かせるものか!』と憤慨してるラグナルを目の当たりにしたアスティは、どう返していいのかわからなかった。
とはいえ浮浪児出身の自分からしてみれば、騎士団の気風の方が合っているので、現状維持のままでいいと思っているさ、後悔もしていないのだが。
「隊長はいつ【飛行魔術】の訓練をしたんですか? 一番最初に会得したわたしより上手いのは、さすがに驚きましたよ」
「寝る前にコツコツとな。最近は宙返りを出来るようになったぞ」
「なるほど。激しい動きでなければ、訓練自体は簡単ですからね。寝る前なら魔力欠乏の問題も関係ない、というわけですか。さすが隊長」
適当に持ち上げつつ、自分なりの訓練方法を考えるアスティに、隊長はアスティを睨みつけ……いや、ジト目を向けてきていた。
「なんですか」
「その隊長、という呼び方はやめろ。他の隊長格と区別が付かなくなるだろう。普通は名前と役職名で呼ぶものだぞ」
「……ソウデスネ」
……どうしよう。貴方の名前を聞いたことがありません、とか言えない。
いや、正確には何処かで聞いたことがあるのだろう。けれど人は忘れる生き物。誰だって物忘れはするのだ。
目を逸らしてパンを貪るアスティに、隊長は起きて早々はや何度目かの溜息を溢した。
「アル=ファマルだ。ファマル隊長と呼べ」
「珍しい名前ですね」
「それはそうだろう。この名の由来は――」
「――アスティ、ここにいたのか!」
のぶとい大声が食堂の中に響き渡る。久方ぶりに聞く、聞き覚えのある声だ。
「ラグナル騎士団長!?」
「ああ、私の知らないところで近衛騎士職を免職され、ヴィスビーに移動したと聞いてな。飛んできたのだよ」
「騎士団長がご存知ない人事……?」
騎士団内部の人事権は、騎士団の上層部が全権を握っている事柄のはずだ。
それなのに、ここにいるアストリッド・ヌーベルは、騎士団長に知られることなく免職されていることになる。
はっきり言って、意味がわからない。
「わたしは王命で、フォルケ王子殿下に連れてこられたのですが……殿下の独断であったと?」
「少なくとも私と、陛下やアドルフ宰相も知らない人事だと伝えておく。……何を考えている?」
「殿下は戦争が始まる、と言っておられましたが……戦争が起こることはない、ということですか?」
「……状況が掴めてきた。厄介なことを……」
目を強く瞑り、億劫そうに天を仰いだラグナル。明らかに何かを知っているような動作だが、その真意に辿り着けるほどアスティたちは情報を持っていない。
「すまん。今のやり取りは無かったことにしてくれ。ファマル隊長もだ。いいな」
「……この前の、魔導書強奪と関係が?」
「――いいな?」
義父から初めて向けられた強い圧を感じ、アスティは口を閉ざした押し黙る。
ファマルもまた、騎士団長の厳しい視線にやられて声を出せなくなっていた。
「それではな。アスティの人事については、追って連絡する。近いうちにケイの元へ戻ることになるだろう」
「は、はい!」
「……なんだったのだ……?」
結局何もわからず……いや、アスティがここにいることが、異常な事態だということ以外はわからなかった。
当のアスティはといえば、手元の黒パンをフニフニ触り、明らかにソワソワと落ち着かない様子でいる。
「……サトウ・ケイの元に戻れて良かったな。嬉しいか?」
「ええ、もちろん!」
年相応の笑顔を浮かべるアスティを見て、ファマルはどこか嬉しそうに口角を上げた。
自身が笑われてることに気がつき、途端に恥ずかしさを感じたアスティは、焦って話題を変える。
「あ、そ、そういえば話が途中でしたね。結局、隊長の名前の由来って、なんですか?」
「話題を変えて羞恥心を隠すやつは、揃って交渉の駆け引きが苦手なものだぞ」
「そういうのはケイに任せるのでいいのです」
哀れ、サトウ・ケイ。無自覚な信頼と理不尽に襲われることが、知らないところで勝手に確定した瞬間である。
つくづくコイツの興味が別に向いてくれて良かった、と思うファマルなのであった。
「……それで、私の名の由来だったか。私の名は元々、南方の国の英雄から貰った名だ」
「へー、英雄ですか。そういえば、わたしの名も古い時代の人物の名前でしたから、そういうのは多いのかもしれませんね」
「ああ、よくある話だな」
パンを食べ終えたアスティは、席を立ってお盆を持つ。そして返却口へとつま先を向けながら、ファマルへ踵を返した。
「それではまた、稽古の時間に。ただ模擬試合は勘弁願いますよ」
「貴様との試合なぞ、当分はやらんわ馬鹿者」
当分は、と言ってるあたり、またやる予定はあるんだな。そう思いつつ、戦ってスッキリした気持ちを新たに、アスティは食器を返却口へ戻した。




