22頁『誰もが他人の闖入者』
そこにいたのは、俺と同じモンゴロイドのような特徴を持った女だった。
黒絹のように滑らかな長髪と、星のように煌めく黒目の双眸を持つ、赤いガウンを羽織った女。
沈みかけた夕方の陽を背に受けた女は、敵意も殺意も感じさせることなく、焦りに駆られる俺を落ち着くように宥めた。
もちろん俺が鈍いだけなのかもしれないが、しかし俺を簡単に殺す気はないようで、見せつけるように鞘を帯びた剣を投げる。
それを見て俺は話し合いのできる相手だと判断し、けれど警戒心を解くことはなく視線は厳しいものから変化はない。
「……話、ってなんだ。俺に何のようだ。お前は何だ。というか、どこから家の中に入ってきた!?」
「待って、落ち着いて。一度冷静になってください。一気に聞かれても答えられません」
「警戒されてる自覚がないのか? 冷静な話し合いがしたいなら、せめて扉から入ってくるんだったな」
礼儀がなってないぞ、と付け加えて唾を飛ばす俺の言葉を受けて、赤いガウンの女は端正に整った顔をシュンとさせた。
……やめろよ、なんか俺が悪いみたいじゃんか……!
「……調子が狂うな。だがこれだけは聞いておくぞ、不法侵入者。お前の目的はなんだ。どうやって中に入った?」
「侵入経路については簡単な話です。テラスからそのまま。簡単に入れますよ」
「バカを言うな。外には俺以外にもう1人いるはずだ。そいつの目を掻い潜って、どうやって中に……」
「それこそもっと簡単な話です。監視の目を掻い潜るには、監視の目が付く前に侵入していればいい」
……ということはつまり、この女は俺たちに付いて来たわけではなく、元から家の場所を知っていた……?
「……目的が見えないな。今日より前から家の場所を知っていたのに、なんで今日接触して来たんだ?」
「すべてを伝えることはできませんが、私はアナタの――佐藤啓の敵ではないことだけは、ここで明確にしておきましょう」
……それだよ。俺が一番警戒していることは。
女の言葉が終わると同時に、さらに俺の目は鋭利に、俺のできる最大限の警戒心を剥き出しにする。
「なんで俺の名前を知ってんだ。俺はお前と会ったことはないぞ」
「ええ、そうでしょう。ですが肝心なのはそこではない。そうでしょう?」
「……なんか釈然としない言い回しだな。けどおおむねその通りだ。じゃあ変な遠回しはしないで、直接聞いてやろうか。
――お前はどこの勢力の人間だ?」
例えば俺……サトウ・ケイがカール王国に所属し、言語訳者として働いているように。
人間なら渡り人であろうとなかろうと、何かに属さなければ生きられないし、情報も簡単には得られない。
何も知らずに秘境で仙人のような暮らしをしているなら、この女は『星の館』に絶対に辿り着けるはずがない。
俺の名前を知れるはずがない。
ならこの女は、必ずどこかの国、ないしは組織に所属し、そこを経由して情報を得たとしか思えない。
「……。」
女は黙っている。答えたくないのだろうか。
答えないのであれば、こちらも挑発で応じる。
そして、思っていた通りの答えが返ってきた。
「言えません」
「はッ、それが人と話をする態度か? じゃあなんだ。俺に実体のない幽霊と心理戦をしろとでも言うのか? あんま舐めたことを言うなよ」
「答えを急ぎすぎている、という話です。方程式もなしに数式は解けないでしょう」
あくまで冷静に、女は俺を嗜めるように言う。
別に答えを急いでいるわけではなかったのだが、今の言葉で別の推測が確定した。
「……アンタ、やっぱり渡り人だな。この世界に、数学なんて概念はないぞ」
あの噴水公園で睨まれた時、立てられたひとつの推測がこれだった。
だがこれで確信に変わった。学問と呼べる知識が根付いていないこの異世界で、数学なんて言葉を知っているやつがいるわけがない。
「それはどうでしょうね。……ああ、そういえばこれを返却しておきましょうか」
……と、何やら首から下げた青いブレスレットに触れたかと思うと、突如として女の右側面に、空中に穴ができた。
驚愕している俺をよそに、その穴の中を漁り始める女は、「あっ」と何かを見つけたのか声を出すと、取り出した大きめの黒いボストンバッグを机の上に置いた。
「……それは……!」
見覚えがある。見覚えしかない。
黒いナイロン製の硬い布地に、中心のポケットに白く『K』と刺繍されたボストンバッグ。
1ヶ月以上前の地球での学生時代に何度も背負い、登下校時に使った覚えのあるカバン――佐藤啓の学生鞄だった。
「……俺の、学生鞄!?」
「やはりアナタの私物でしたか」
「ああ……! 中も無事だ!」
教科書、文房具、ハンカチ、英和辞典、メモ帳、スマートフォン、太陽光充電器、学校用iPad。
さすがにスマホもiPadも電池が切れているようだが、充電器があれば数時間後には再起動ができる。
……USBケーブルも無事だ。よかった。
「教皇領が保有していた聖匣、と呼ばれる聖遺物です。ドヤ騒ぎに紛れて盗んできたのですが、どうやら盗人は教皇領の方だったようですね」
「教皇領にあったのか! よく俺の手元に戻ってきたなー! ……ん。待て、教皇領? なんで王国の外に俺の鞄があるんだ?」
「私は事実を言っただけで、それ以上のことは知りません」
俺が召喚されたのは比較的カール王国に近い森道の中だった。
街の中以外での召喚もかなりイレギュラーだ、と言われているのだが、持っていた所有物が別の場所に飛ばされたことも加味すると、なかなかきな臭くなってきた。
……そもそも召喚者って誰なんだ?
「アンタは俺を召喚した奴を知ってるのか?」
「知識としては知っています」
「会えるのか?」
「わからない、と言っておきましょう」
……またそれか。先程からずっと、のらりくらりとはぐらかされてる。
まるで、未来から来たので全部知ってます、みたいな言い回しをしていることに腹が立つ。
……。
「じゃあこれに答えろ。お前は未来から来たのか?」
「……いいえ、違います」
「じゃあなんだ。お前の情報の出処はどこだ。なんで、お前はなんでも知っている?」
「私は人です。人に全知は似合いません。それは貴方も知っていることでしょう?」
「……あー、そうだな」
……はぐらかされたか。認知戦が上手いな。どうあっても自身の身元について話す気はないらしい。
ここは一旦、敗北を認めた方が良さそうだ。
「アンタやるな。名前を聞いてもいいか? あー、偽名でも構わん。どーせ言う気はねーんだろ?」
「偽名ですか。……そうですね。では、アワユキとでも呼んでもらいましょーか」
「アワユキな。りょーかい」
ちゃんと偽名じゃねーか、と言うとアワユキは「ふっ」と吹き出して笑った。
俺も吊られて笑いそうになったが、そういえば目の前のコイツは正体不明の敵だったと思い直す。
んんっ! と咳払いをし、俺は解かれそうになっていた警戒心を再度発現させる。
「で、アワユキの俺に対する望みはなんだ。俺に何をして欲しい? 答えによっては断るが、交渉次第では乗ってやらんでもねーぞ?」
「そうですか? なら、ひとつ、頼み事をしましょうか」
アワユキは考える素振りをするも、さながらサンタに頼む玩具が事前に決まっていた子供のように笑って言う。
「――アスティのことを、信じてあげてほしいです」
「……アスティのことまで知ってんのか」
「はい。貴方を知ってるのですから、もちろん」
「俺はアスティのことを信じてんぞ。信用もしてるし、信頼もしてっからな」
「……いいえ。貴方はその努力を怠っている。信じることを諦めている。そうではないですか?」
「……いや?」
信じることを諦める、なんて言われてもピンとこない。
信用・信頼とは過去の経験からくるものだ。努力を怠っているとは即ち、関係性を破却しようとすることに他ならない。
「事実、俺は騎士屯所に行こうとしてたしな」
「それは物理的な話でしょう。精神の面では違います。貴方は既にアスティを見放す理由を見つけ、その確証を得るための作業を開始しようとしていた。違いますか?」
「そう言われると……」
違う、と言いたい。けれど否定し切れない自分がいる。
無論、見捨てたい、見放したいわけではない。
けど彼女と俺がこの『星の館』で同居し、お互いに幸せになれるのかという疑問が湧いていた。
異世界人と地球人。
本来、交わらない世界で暮らす2人が、なんの因果かこの『星の館』で同居し、考え方の違いに四苦八苦して生きることに、理解という名の幸せがやって来るのか。
……幸せ。幸せか。
「一度冷静になってください。アナタはなんのためにアスティに会うのですか?」
「……幸せになるために。自分だけが幸せになる、自分勝手な願いのためだ」
「幸せになることを自分勝手だとは思いません。ですがアナタは少し、自分のことも省みられていませんでしたね」
「……」
まるで先生に叱られている気分だ。
すっかり絆されてしまった心は、アワユキの言葉が正しい物だと信じきってしまっている。
これが本当に良いことなのかはわからない。けど俺の中では、この人の助言は頼もしいと思い込んでしまった。
完敗だ。これは完全に俺の負けだ。
「アンタ、俺以上に教師向いてるよ」
「恐縮です。ですが知っていますか? 言葉はブーメランなのですよ」
「それを言うならナイフだろ。考えて投げれば帰ってこねーさ」
「いいえ。言葉とは案外、いつかは絶対に帰ってくるものなのですよ」
そういうものなのか。自覚してないところで帰ってきてたりするのかな。全然覚えてないからわからないや。
「ねぇ、お兄さーん? 大丈夫ー? 中で倒れてたりしなーい?」
「……チッ」
「あっ、賃金を渡さなきゃ。悪い、外の知り合いが呼んでるんだ。……にしても、露骨に舌打ちしたな」
噴水公園で睨んでたのって、もしかしなくても俺じゃなくてアイツなんじゃ……?
「佐藤啓。私はアイツに会うと剣に手をかけてしまうかもしれません。ですので、ここで失礼させていただきます」
「そうか。日も落ちてきてるし、気をつけろよ」
「っ……! はい!」
そう言って、向かった先はテラスの向こう側。
テラスから降りて家の外へと出ていくアワユキを見送り、俺は家の金庫のある部屋へと向かう。
外から切羽詰まった声は聞こえてこないし。恐らくアワユキはかち合わずに離れることに成功したのだろう。
金を持って外に出ると、そこにはご立腹といった様子の少年が、ふくれっ面で待っていた。
「……ねぇ、お兄さん遅くない?」
「悪い悪い。金の場所がわからなくてな」
「なんで自分のお金の場所がわからないのさ」
「管理してるのは俺じゃねぇんだよ」
袋に入った硬貨をジャラジャラ鳴らしながら渡すと、少年は小首を傾きながら聞いてくる。
「? なんかお兄さん、機嫌がいい?」
「良くはない。けど機嫌が戻った、って感じかな」
「この短時間に良いことあった?」
「まぁ、探し物が見つかったかな」
「……ふ〜ん。そっか」
俺はテラスの方へと視線を向けた。そこには誰もおらず、恐らくアワユキは気付かれずに帰宅したのだろうと推測する。
良かった。家の前で喧嘩なんて起きたら、俺の力じゃ止めることはできなかった。
安堵の念を表情に浮かべ、明らかに精神的に安定してる俺を訝しむ視線がひとつ。そんな視線も無視していると、少年は諦めたのか溜息を吐いた。
「……。じゃ、遅くなったら嫌だし、もう帰るね」
「そっか。じゃあ気を付けて帰れよ」
「うん。渡り人のお兄さんも気をつけてね」
「おう」
渡り人の、とわざわざ付けるあたり。俺が狙われてる理由をよくわかっているようだ。
頼もしいと思うべきか、あるいは恐ろしいと思うべきか判断に迷うところだが。
『星の館』から離れていく小さな背中を見届けると、俺は館の中へと入った。
「……さて。今日の夕飯はどうしようかな」
アスティのいない館の中で、俺は普段彼女に任せていた料理を開始するのだった。




