20頁『出会いはいつも突然に』
『星の館』を出てなだらかな坂道を5分ほど掛けて下り、10分ほど小麦畑の畦道を歩けば街の景色が見えてくる。
地域の気候もあってか薄寒い風が肌をよく冷やす。吐き出す息こそ白くならないが、鼻と耳は氷のように冷たくなっている。
「うわ……人、多……わぷ」
街に入ると早速、人の賑わいに押され始めた。
通路がまるで一方通行であるかのように、右と左に分かれて歩いている。基本は右側通行だ。逆走する者もしばしばいるが、通行人は気にすることなく道を譲っている。
しかしやはり人通りは多い。昼食の時間が近く、夕食の準備もしなければいけない主婦層の客が、露店の肉屋八百屋にごった返している。
お陰で歩けるエリアが細くなり、肩や頭に人の腕が頻繁に当たる。都会ってどの世界でも人が多いのな。
「ろじ、路地……はー……」
人1人がギリギリ入れそうな細い路地に入ると、幅が広く人が多い大通りより遥かに安心して一息がつけられた。
「あんだけ人が多いと、考え事もままならんからな……」
見渡す限りの人、人、人。あまりにも情報量が多すぎる空間から離脱し、俺は入った路地の奥へと歩みを進める。
特段、買おうと思ってる物もないのだ。今日はあくまでもただの散歩。静かに歩ける場所ならどこでもいい……
「――お兄さん。そっちは危ないよ」
……光の当たらない路地裏へ歩みを進めようとした俺に、背後から幼い声の待ったが掛かる。
振り向くと、そこには所々にほつれがある薄茶色のコートを着た、浮浪児みたいな格好をした子供が立っていた。
年は俺より下だろうか。フードを目深に被っていて正しく判別できないが、恐らく少年だと思う。
「その先はスラム街だから、お兄さんみたいな弱そうな人が入ると、すぐに殺されて身ぐるみ剥がされるよ」
「……きみは、この先に住む子供か?」
「ううん。でも知ってるんだ」
そう言いながらテクテクと近づいてた少年が、俺の服の袖を引っぱって大通りへ戻るように促す。
「……わかったよ。だから服を引っ張らないでくれ。袖が伸びちゃう」
「そう、なら早いとこ戻ろう」
袖を引っ張るのをやめた少年は、今度は服の裾をつまんで引っ張り始める。
うん。もう何も言うまい。
人通りの多い大通りを抜け、俺と少年は日中の子供が多い公園にやってきた。
公園といっても遊具が沢山置いてあって遊び回れるというわけではなく、どちらかというと文化施設的な側面が大きい。
公園の至るところには、石造りのベンチが設置されている。
火傷しない程度に熱くなったベンチの熱を腰と背中に感じながら、俺はゆったりと腰掛けた。
散歩でパンパンになった脚部をほぐしながら、隣に座った少年に顔だけ向ける。
「助かったよ。俺は佐藤啓。なんとなくわかるだろうけど、渡り人って呼ばれてる奴らの1人だ。キミは?」
「ユリウスって呼んで。そう呼ばれてるから」
淡々と言いながらフードを外すと、中から100円玉のような鈍い輝きを放つ銀色の髪が現れる。
赤と黄色のオッドアイ。寒色な髪と対比するような暖色の瞳が、低い背から上目で見上げてきた。
「お兄さんはこの世界に来て長いの?」
「ん。まぁな。1ヶ月とちょっとくらいか? この国で保護されて、翻訳家として働いてるよ」
「ほんやくか?」
「記号を誰でもわかるように工夫する職業、ってことだ。他国で書かれた本を、この国で使われてる文字に書き換えて、お金をもらってんだよ」
「へー、そういう役職があるんだ」
俺の場合はちょっと特殊例だ。
元の世界で見て覚えた文字を、記憶の底なし沼から引っ張りあげて出力する。
それを王宮の魔法使い……俗に、宮廷魔法使いと呼ばれる人たちに託し、その引き渡し先であるアドルフ宰相から収入を得ている。
つまり国家の膨大な財産なくしてなり得ない、まさに公務員と呼ぶに相応しい職業である。
……ちなみに、今のところ俺はここでしか活躍していない。
異世界って無双できる場所じゃないんですか。
「地味だね」
一通り俺の話を聞いて頷いた少年は、バッサリと切って捨てやがった。
「そうだよ、どうせ地味だよ……他の渡り人が活躍をしてんのを本の中で見て、いつも思ってるよ俺だって……」
「気にしてるんだ」
「気にしてないし? 別に気にしてないが? 異世界チート無双を俺もしたかったな、なんて気持ちは微塵もないが?」
「未練すごそう」
魔法や剣は使えない、ステータスやスキルもない。
戦闘なんてからっきし。そんな俺がここまで生き残ってること自体が、一番の奇跡だとは俺も自覚している。その事実に感謝もしている。
その奇跡の立役者となっている騎士にも、また……
「……俺を守ってくれてる騎士がいてな。危ないことは、そっちに丸投げしてるんだよ。だからまぁ、戦ってみたいなんて、狂った思考にはならないんだろうな」
「…………その割には、今日のお兄さんはひとりぼっちみたいだけど?」
「ちょっと喧嘩してな」
俺の言葉に目を丸くした少年は、興味津々といった感じに身を乗り出し、俺の膝を手を置いて聞いてくる。
「ふぅん。なんで?」
「なんで会ったばっかのやつに言わなきゃいけないんだよ」
「いいじゃん。言えば楽になるかもよ? お兄さんの顔、ずっと暗いもん」
「……そうか?」
「うん。そうだよ」
そうかな。……そうかも。
けれど人に話せるほど高尚な話でもない。
簡単な話、俺のことを信用していない人物に対して、無償の信用を与えられるほど俺は強くないってだけなのだ。
所詮、俺は子供なのだ。学生なのだ。
中途半端に学びを放り投げ、大学にも行かずに異世界にやってきた。拉致同然とはいえ、学生の本分を投げたことに変わりはない。
そんなやつが異世界人とかいう、自分と同じホモ・サピエンスかも怪しい人類を信用しきれるか、と問われたら無理というだけなのである。
なんせ魔法を使うのだ。俺たち地球人が使えない技術を持って、俺を害そうとすれば簡単なのだ。
魔法使いたちが跋扈する世界で、俺は味方のいない疑心暗鬼を抱きながら生きなければいけない。これ以上に怖いことを、俺は経験したことがない。
「じゃあ、これ怖い?」
少年は俺の首に手を翳した。
至近距離。魔法を使えば一発である。
しかし恐怖感はない、と俺は鼻を鳴らした。
「やったら騎士やら衛兵やらが飛んでくるぞ」
「怖くないんだ?」
「こんな至近距離を許してたら、それはもう俺にとっての致命傷だからな。怖いよりも諦めの方が強い」
「お兄さんって、結構ドライなんだね」
パッと手を離した少年は、おどけるように両手を上げた。まるで敵意はない、と俺に伝えているようだ。
もちろん、わかっている。
敵意があるなら、とっくに俺は死んでいるはずだ。むしろスラム街に足を入れようとする前に止めてくれた事に、俺は恩を感じるべきだろう。
「それで? お兄さんを守ってる騎士っていうのは、噴水の前からコッチを見てるあの人のこと?」
「……え……?」
そんな身に覚えのない問いに釣られて、俺は噴水の方へと視線を向ける。
王笏を持った人の像がびしょ濡れになっている噴水の近くには、白いシャツの上に赤いガウンを羽織った妙齢の女性が立っていた。
女性は睨むような厳しい目を此方に向け、その視線に俺は肩を震わせる。
「いや、違うな」
「じゃあ誰なの。知り合い?」
「それも違う。あんな人は、俺は知らん」
心当たりはある。
渡り人を付け狙う魔法原理主義、とかいう教皇領の宗教徒。
酒屋で襲ってきたやつらなら、どこに現れて、いつ襲ってきてもおかしくはない。
「お兄さんは気付いてなかったみたいだけど、あれ、ずっと後ろを付いてきてたよ」
「まじか。……殺しにくるかな」
「敵意はありそう、だね。けど戦う気はないみたいだ……ね。うん。多分、あれ渡り人だもの」
渡り人……渡り人か。なら魔法は使えないな。
少し安心できたところで、改めて外見を分析してみよう……と思ったところで、顔を見る前に後ろを向いて歩いていってしまった。
絹糸のようにサラリとした黒髪を靡かせて、公園の門の方へと向かう彼女は、もう一度チラリと此方を睨んでいた。
「ああいうのを相手しないといけないなんて、お兄さんも大変だね」
「あれ、本当に俺なのか? きみだったりしない?」
「あの人に恨まれる事したことないもん」
そっぽを向いて立ち上がる少年は、ベンチに座って溜息を吐き出す俺の前に立つ。
「で、護衛がいないのに狙われてるお兄さん。ここにちょうど、少しは戦える日雇い護衛がいるんだけど。どう?」
「どう、って……年下の子供に頼るほど、俺も弱くはないよ」
「お兄さんは弱いよ。だって人を殺せないじゃない。人を殺す覚悟もないのに、人の顔を殴れるの?」
「む……」
まぁ、それは確かに。
対してこの子は、俺よりも幾分か逞しそうだ。……そうだな。頼れる人には頼っておくか。
「今は手持ちがなくてな。後払いでいいか?」
「いいよ。じゃあ頭までの護衛だね」
「あぁ。ちょっと遠いが頼む」
また襲撃されるのも怖い。俺と日雇い労働者は、俺の案内で『星の館』へとつま先を向けた。
◆◇◆◇
一方、『星の館』にて。
ケイが発って静かになった館は、数分の間、無音の時間が続いていた。
中にはアスティただ独り。
コースターの上に置かれたティーカップを手に取り、冷えてしまった紅茶を啜る。
「……」
倒れた椅子を起こして座り直し、紅茶を啜ったアスティは、自分の手が震えていることに気づいた。
揺れる紅茶の水面を眺めながら、アスティは先程のケイの言葉を思い出す。
『監視のためだろ』
確かに監視のために、アストリッド近衛騎士はこの館に住んでいる。
だけどそれだけがすべてではない。
護衛任務のこともあるし……何より、アスティ自身がケイのことを「知りたい」と思ったからこそ、自ら志願してここにいるのだ。
赤い水面に映る、沈んだ気持ちをどうにか表情に出さないように堪えている女の顔は、哀れとも無様とも取れない真顔で紅茶を見つめている。
「……何が、いけなかったのでしょうか」
事実は伝えた。思いも伝えた。
ケイはそれを突き放した。
何が悪かったのか、アスティにはわからない。
「はぁ……落ち込んでいても、何も変わりませんね」
言うは易し。けれど気持ちをいきなり切り替えるのは難しい。
少し休んでから、いつか帰ってくる家主のために、いつものようにご飯を作って待っているとしようか。
思い立ったが吉日だ。すぐさま行動を移すために椅子から立ち――
「サトウ・ケイ! そしてアストリッド・ヌーベルはいるか!」
そんな折、家の中に大声が響いた。
知らない声だ。ケイとアスティの名前を知っているということは、どこかの貴族の使いだろうか。
ならば待たせるわけにはいかない、と目的地を変更して玄関へと向かう。
「はい。アストリッド・ヌーベルならここに……えっ」
玄関先には、一台の豪華な馬車が停まっていた。
黒塗りの巨大な馬車。それは王族が秘密裏に外出する際に使われる車体である。
つまり、ここにいるのは……
と。馬車の前に立つ茶髪の執事が、馬車の荷台の扉を開いた。
荷台から出てきたのは、紫色のロイヤルコートを纏った金髪の青年だった。
この青年を……この御方を、アストリッド・ヌーベル近衛騎士は知っている。
すぐさま膝をついて敬意を示す。
それが騎士としての、最低限のマナーなのだ。
「フォルケ王子の御成である。面を下げよ」
アスティが敬意を向ける彼は、ゆったりとした馬車から降りた。そして優雅な動作で手を挙げる。
「面を上げよ」
言われるがままアスティは顔を上げ、金髪の青年の目を見上げる。
「突然の来訪で悪いな、アストリッド・ヌーベル。サトウ・ケイはいないのか?」
「申し訳ございません。彼は今、散歩に出ております」
「ふむ。護衛対象が1人でか。込み入った事情がありそうだな」
「だがまぁ、都合がいい」と、フォルケ王子は表情を一つも変えずに言った。
「アストリッド・ヌーベル。私はキミに話がある」




