19頁『志望動機を答えよ』
――アンデッド・ドラゴン襲来事件から1週間。
太陽の光が部屋の中まで照らす『星の館』にて。
テラスの物干し竿に洗濯物を干しているアスティの監視の下、俺はテーブルの上に積まれた魔導書をバリバリ翻訳していた。
現在取り掛かっているのは、日常会話レベルで使える英語の魔導書だ。この魔導書はいつも通り、魔法とは関係のない事ばかりが書かれている。
書名は『The History of the Kingdom of Carl』。
つまりカール王国の歴史を記した歴史書だ。
魔法について何か書かれていないか見てみたが、案の定マジックのMの字も書かれていなかった。
「それで、その魔導書には何が?」
「歴史のことだよ。カール王国の歴史だってさ」
「ほぉ、王国の歴史ですか。興味ありますね」
「……自国の歴史を知らないのか?」
「教わったことがないので知りません」
……そういや、まともに教育を受けたことがない、とか言ってたっけ。
自分の生まれ育った国の歴史を知らないのも可哀想な話だ。仕方ない。ここは佐藤先生が一肌脱いでやろう。
「めちゃめちゃ簡単に言うと、この地域には元々『春』って名前のデッカい国があったんだ。それを『ローマ帝国』が併呑したけど、大国になりすぎたローマ帝国は耐え切れずに次第に弱体化して自壊。分裂して出来た国を、渡り人が乗っ取って出来たのがカール王国ってわけだな」
この乗っ取ったという渡り人は、もちろんスウェーデン人のカール1世。風土や気候的文化の類似性も相まって、当時の民衆はすんなり受け入れたようだ。
まぁここまで話すと、話が複雑化して面倒くさくなるから話さないけど。カール王国に根付くスウェーデン文化は、恐らくここから来ているのだろうと思う。
「……ということは、この国の元々の名前はシュンと言うのですか?」
「解釈によるな。春かもしれないし、ローマかもしれない。もしかしたら本当に初めて名前がついたのは、カール王国になってからの可能性もある」
「国名とは、複雑なモノなのですね」
アスティの心底呆れ果てたような声を聞きながら、俺は「まったくだ」と首を縦に振った。
特に途中で出てきたローマ帝国とやらも、元になっているのは間違いなく地球に存在したローマだろう。
誰の悪ふざけでこんな歴史になっているのか知らないが、是非とも地球で使われていた名前を安易に持ってくるのはやめてほしい。
ローマ関係ないだろこの世界。
「シュンも中華文明っぽいしなぁ。それがローマを挟めば北欧風の国家になるんだから、メチャクチャすぎるよこの異世界史」
この世界のローマ帝国は、一度大陸を制覇しているのだという。
何十、何百年掛ったのかはこの魔道書には書かれていないが、数世代を跨いでの大事業であったのは間違いないだろう。
とはいえ春がローマになってカール王国になるって、文化のキメラ化もいいところだけどね。
「初代皇帝の時点で結構大きな領土持ってたんだな。渡り人か?」
「まず間違いなく渡り人でしょう。この世界では変革があると、その近くに必ず渡り人がいるものです」
「そういう認識なんだ。すごいな、渡り人崇拝」
「崇拝……否定は出来ませんね。かくいうケイも、貴族や騎士団の間では人気ですから」
「……あんま嬉しくないな」
それが元で過労ギリギリの生活を、王宮では強いられていたわけだからな。
俺は激怒した。必ず、かの邪智暴虐なサビ残代なし薄給ブラック王宮を許してはならぬと決意した。
相手の生活を担保にして、無限に思える労働を振ってくるとか。かの邪智暴虐な王様もびっくりだよ。
そんなことないか。
洗濯物を干し終わったらしいアスティが家の中へと入ってきて、息つく間もなくお茶の準備を始める。
お湯を沸騰させるために点けた火のボゥ、という着火音が優しく俺の鼓膜を撫でる。
「……こうして見覚えのある単語ばっか見てると、この世界の歴史って本当に地球からの貰い物なんだなって思うよ」
「渡り人ありきで成長してきた世界ですからね。だからこそ陛下やラグナル騎士団長も、ケイを信頼しているのだと思いますよ」
「過度な期待だよ、ホント。俺は一応、元の世界ではただの高校生なんだけどな」
この世界に来て1ヶ月とちょっとくらいか。
オタマジャクシがカエルに変態するくらいの短期間だとしても、魔法のひとつも使えないことが無力だと感じることは多かった。
戦闘に巻き込まれればまず役立たずになり、そのせいで1人での外出は許されず、プライベートな時間はトイレと就寝以外にはない。
「学生という身分は、この世界の者からしたらそれだけで高い身分であることが多いのですよ」
「……高い身分の人しか学校に通えないとか?」
「加えて、学校の数が極端に少ないです。王国にも魔法大学と騎士学校がある程度ですから」
「……え、2つだけ?」
「はい。2つだけです」
……忙殺されて情報収集不足が否めなかったとはいえ、これは今までの認識を改める必要がありそうだ。
「学校に入れるのは貴族だけ。加えて剣を使えなければ騎士学校には入れませんし、魔法に疎い者は魔法大学の敷居を跨ぐことすら出来ません」
「うっわぁ……」
アスティみたいな浮浪児にまで教育が行き届いてないのは、貴族階級が知識を独占しているからだと思っていた。
しかし問題はそれだけじゃなさそうだ。
どうやらそもそも教育に力を入れていないか、あるいは『技術や知識を広く伝える』という概念がない可能性もあるように思える。
魔法は使えて当たり前。
剣の心得はあって当たり前。
前提知識があってようやく学びの場に出られて、ついに応用法について学ぶことができる。
……加えて、だ。
この世界の職業制度は、俺が見た限りでは徒弟制で止まっている。
職人が幅を効かせるこんな世界じゃ、そりゃ機械技術が育たないし、生活水準は中世止まりになるはずだよ。産業革命万歳。
「……人材の不足が痛いな。最低でも10人は欲しい」
「人材ですか? なんのために?」
「そりゃ学校作りだよ。得意教科を持つ教師は、どんな学校でも欲しい人材だろ?」
俺の当面の目標は、学校を……アナザー・ノイホーフを設立することだ。
それ以外は全部蛇足でしかないし、やる気もあまり起きない。結局、就労ではモチベーションこそが正義。お金稼ぎもその副産物でしかないのだ。
俺の楽しげで浮ついた声を聞いたアスティは、眉を顰めながら不思議そうに問うてきた。
「なぜ、そこまでやる気になれるのです? ケイにとって、家族以外の者とは他人ではないのですか?」
「ん……まぁ。その認識の違いが俺たち渡り人と、アスティたち異世界人の決定的な違いなんじゃないかな」
世界だけではなく。文化、風習、感受性なんかの人間の根本的な部分が、備わっているのかいないのか。
世界の外から来た渡り人が、むやみやたらに技術や知識を渡した結果、長い期間をかけて築かれるはずの共同体が失われた。
この世界の本質なんだと、俺は思っている。
育つ環境や教える人が少しでも変われば、それだけで未来は大きく変わるのだ。
これを人はバタフライ効果と呼び、子供の少しの変化を大事にする文化の根底にある考え方なのである。
「だから俺は、俺のやり方で学校を作る。多分、作らなきゃこの世界は地球から自立できないからな。人間、どんな人生を送ったとしても、最後には保護者から自立しなきゃ生きられないんだよ」
「む……。たしかに、そうですね」
「だろ? ……まぁ、俺が言っても説得力はないけど」
俺は自立する前にこの世界に来たからね。
18年間育ててくれた親を置いて異世界に来た親不孝者である。そんな俺の言葉に説得力を見出されても、むしろ俺が困るんだよ。
こんなヤツが教師になるって、傍から聞いたらお笑い種でしかないな。
「……具体的には、何を教えるのですか?」
「カリキュラムの話か? そうだな。まず語彙力を付けるための国語はマストだろ。基本計算ができるようにするための算数、物理法則を感覚じゃなく言語化するための理科。歴史から教訓を得る社会なんかが……」
「いえそういう話ではなく。それらを基に、何を伝えたいのかという話です」
俺がウッキウキで話したカリキュラムの話を、アスティは無惨にもバッサリと切り捨てた。
これからが良いところなのになぁ。悲しい。
シュンと落ち込む俺の目の前に、コトリと紅茶が並々に注がれたカップが出される。いつの間にか、ティータイムを楽しんでいるアスティが椅子に座っていた。
「……魔法大学では魔法や魔術の応用を学び、国家の役に立つ人物を育てる。騎士学校も同様、騎士として役に立つ人材を育成する。つまり教え、学ぶことに意味があるのです」
それだけを聞くと専門大学みたいだな。
趣旨がかなりファンタジーなだけで、職業に対する即戦力を育てる意味合いはまったく同じだ。
……逆にいうと。応用技法を教える学校しか、この国には存在しないということでもある。
「ケイの世界で行われていた教育を、そのまま持ってくれば効果は確かにあるでしょう。ですが現状、意味があるかどうかを決めるのは、学校に入ったことのない者。つまり我々無知な者たちです。そこに意味を見出せない者は入りません」
息継ぎもなく捲し立てたアスティは、しかし息切れのひとつも起こすことなく、ゆったりと紅茶に再び口を付けてから言う。
「……もう一度聞きますが、ケイの学校で行われる授業に、意味はあるのですか?」
口調は柔らかく、しかし視線は厳しく。アスティは問い詰めるように問うてくる。
言葉を返そうと口を開き――閉じる。
いま出てくる言葉は、どう取り繕っても、その場凌ぎの言葉にしかならないと思ったからだ。
(……妄想が、漠然としすぎてたか)
妄想。……そう、妄想。今の俺は、妄想を漠然と思い浮かべてるだけなのだ。
異世界に召喚され、地球で教師になれなかった。
教師になる夢を諦めかけていたところ、この中世時代で文化の止まった世界を見た。
この世界は、なぜ中世で止まっているのか。
何が足りないのか。何が必要なのか。
浮浪児、貧富の格差、強権支配、貴族階級。
そんな箇条書きされたキーワードから、俺はこの世界には識字率――教育が必要なのだと考えている。
(正直な話、それは今も変わらない)
なんのために。
そんな一般的な、恒久普遍に問われ続ける質問にさえ、俺は答えられない。
「……」
声を発さない俺を前に、しかしアスティは微動だにすることなく待っている。
それがさらに俺の焦燥感を掻き立てる。
悩んだ末に出した答えは、声の主である俺さえ意図しないほどに低い声で出力された。
「……ちょっと、悩んでもいいか」
テーブルの上に置かれた紅茶を置いて、俺は席から立ち上がる。
ここで答えを出すことはできない。
そう考えての判断だ。焦りながら発する言葉に、俺自身が納得できないと感じたのだ。
「……ケイ、どこへ?」
「散歩。歩きながら考えようと思ってな」
「そうですか。では……」
席から立ちあがろうと椅子を引いたアスティに、一瞥もくれることなく俺は横を通り過ぎる。
「付いてこないでくれるか。すまん、1人で考え事がしたいんだ」
「危険です。有事のために近衛騎士であるわたしが」
「監視のためだろ」
言って、キュッと口を引き締める。
思わず溢れでた言葉に、背後のアスティの動きが止まったように感じた。
ガタン、と大きな音がした。椅子が倒れたのだろう。
「……頼むから、少し1人にしてくれないか」
振り返って見えたのは、机に手を着いて呆然としているらしいアスティの背中だった。




