18頁『いつか誰かの物語』
――かつて大陸を駆けた男がいた。
黒髪の上にターバンを巻いた若い男は、生まれ故郷である大陸南東から西へと渡り、皇帝の下に仕官した。
鼻が高く、歯も左右不揃い。見目麗しい、なんて言葉からはすこし遠い位置にいる男は、その容姿ゆえか皇帝に嫌われたという。
しかして男は武官として優秀だった。
最前線では単騎無双。指揮官としては機略縦横。
この世界に英雄がいるのなら、間違いなく彼のことを指すのだろうと、誰もが思った。
しかし彼が英雄であるなら、それは悲劇の英雄なのだろう。
民衆は彼を次期皇帝として畏れ敬った。そんな彼を皇帝は危惧した。
自分の息子を帝位に就かせたかったのだ。
溢れる民意に恐怖を抱いた皇帝は、元凶である彼を暗殺したという。
凶刃に倒れた彼を、それでも皇帝は許さなかった。
転生し、蘇った時に自分を再び害するのでは、と。
輪廻の輪に戻らんとする彼の魂を肉体に封印し、肉体も暗い霊廟の中へと封印した。
彼の死を悼んだ民衆は、建造された霊廟の前で膝を折って祈ったという。
そのうち霊廟は忘れられ、一部の人間を除いて訪れない秘境となったという。
◆◇◆◇
長く、そして冷たい時間だった。
それは1人の人生の話。
仕え、戦い、裏切られた男は独り。
暗く、固く閉ざされた霊廟に眠る。
なんのためにここにいるのか。
なんのために生きているのか。
そもそも自分は生きているのか。
それとも死んでしまっているのか。
わからない。わからない。わからない。
溢れ出るのは負の感情だ。
渦巻く義憤は氷づけにされ。
混乱は感情をないまぜにする。
心に内包されるこの感情の名は。
怒りか。呆れか。それとも諦念か。
――そして感情は欠落をはじめる。
何年。何十、何百年もの間。
わけもわからず、彼は孤独を耐え忍ぶ。
そんな孤独は、ひとつの心を生み出した。
正確には、もうひとつの心。
混乱に混ぜられ、義憤に湧き立った感情から、さながら錬金されるが如く魂が錬成された。
分霊。あるいは、御分霊。
いつか、どこかで、そう呼ばれる現象は、彼の心を2つに分けた。
会話もできない。接触もできない。
けれど心のどこかで、一緒にいる分霊に彼は好意を抱き始めていた。
依存と云えば、そうなのかもしれない。
依存をするのは、良くないことだ。
それは彼もわかっている。
だけども依存が、彼の心に安寧を齎しているのも事実。好意は愛へ変わり、会話を交わさないでも共にいられることが嬉しかった。
――光を見たのは、そんな時だった。
闇を照らす外界の光。
彼らは一目散に外へと向かった。
もう闇の中にはいたくない。
光の下で暮らしたい。
我武者羅になって闇の中から脱出した。
――わたしの記憶は、そこで途切れている。
もう1人がどこに行ったのか。
アストリッド・ヌーベルにはわからない。
◆◇◆◇
「――というのが、わたしの記憶の……あれっ」
「……」
「ケイ? 寝てます?」
「……ふぇ? ねて……寝てねーよ?」
くぁ、と口を開ける俺に、アスティはジトーっとした視線を送ってくる。
いやそんな目をされても困る。だって話がスピリチュアルすぎて理解が追いつかなかったんだもん。
「うん……まぁ話を総合すると、アスピィは前世の記憶を持ってるってことなー」
「誰がアスピィですか」
おっと間違い。軽く意識がトんでたせいで、全然頭が回ってないや。
仮眠もできたしさっさと頭を回さねーと。
「アスティが転生系主人公なのはわかったけど、それとあの魔術を王族に隠すのは、どーいう因果関係があんだ?」
「ケイ、本当に話を聞いていたのですか?」
「え。……うん、まぁ、いちおー?」
「……言いましたよね。わたしの前世は、皇帝に殺された、と」
そうだっけ。……まー、言ってたと仮定しよう。
前世で皇帝に殺されたことが、【マテリアス・コンバート】を王族に隠す理由になるのか。
ふむ……
「権力者に、力を持たせたくないってところか?」
「はい。王も皇帝も、所詮は力に溺れやすい人間です。力という名の錘をつければ、下降はさらに加速することでしょう」
「ふーん……」
納得はした。誰でも使えそうな力を持てば、俺もその存在を秘匿することだろう。
だけど、それでも疑念は拭えない。さながら首元がきつい服を着た時のような違和感が、今も俺を締め付けている。
――理由は、わかっている。
「なんかアスティらしくないな」
「……? らしくない?」
明確に言語化することは出来ないのだが……少し陰湿なのだ。
アスティは忠誠心や騎士道精神のような直情的な行動論理を持つ、まさに高潔といえるような性格をしている。
だから、なのだろうか。
「アスティが隠し事をしてるって事実が、なんて言うか、俺を……掛け違ったボタンをそのままにしてる気分にしてるんだよ」
そんな彼女が隠し事をするなんて、と思ってしまっている自分がいる。
無論、押し付けがましいのは自覚している。
けど俺の中のアスティ像と乖離しているからか、どうしても『らしくない』と思ってしまうのだ。
「そうですか。ケイがわたしに理想を抱いてくれているのは嬉しいですね」
そんなことを、声を少し高くして言うアスティは、微笑みながら俺と視線を交差させる。
けれどその笑顔とは裏腹に、透き通るような空色の瞳は動かず、まるで俺の内側を覗き見られているような薄寒さを覚える。
「でも。これもわたしです。たとえ忠誠を誓っている方であろうと、信用しきらないのがわたしなんです」
「それは、なんだ。俺も信用してないのか?」
「――はい。だからわたしは、ケイの近衛騎士なのですよ」
「……そっか」
わかってはいたことだけど。アスティは俺を信用していないという事実は、どうにも心にクる物がある。
一応、1ヶ月くらいの付き合いのはずなんだけどな。……まぁ、1ヶ月程度じゃあ信用するには値しないか。そりゃそうだな。
「ですが、ケイ……ケイ?」
「よっし、話は終わりだ。どうせこれ以上話をしても、水平線になるだけだかんな!」
「ケイ? いきなりどうしたのです?」
とつぜん話を切り上げた俺に、アスティは怪訝な顔をする。
仕方ないだろう。
信用していた人から遠回しに『貴方を信用してないから、理由を話すことはできない』なんて言われたら、誰だってこうなる。
「帰って夕飯食べよう、アスティ。ほら、シチューがあんだろ? 冷めてるだろうし、帰って温めないと食べ損ねるぞ」
「シチューは逃げませんよ、ケイ。まったく……」
呆れるアスティの声を背中に受けながら、俺はさっさと部屋から退出する。
部屋の中でアスティが何か言っていたが、聞く間もなく扉が閉まったせいで遮音されてしまった。
だが俺は聞きに戻ることはしない。
「…………はぁ」
寂しさに歪んでしまった顔を、信用しているアスティに見せたくなかったのだ。
「……帰りたい」
いっそ、この世界が壊れてしまえばいいのに。濡れる視界の中で、俺は郷愁感に駆られるのだった。
◆◇◆◇
「いったい、どうしたのですか?」
その疑問は、扉の閉まる音に掻き消された。
扉を閉める必要もないはずなのだが……どうしたというのだろう?
「……ケイ。確かにわたしは、貴方を信用していません」
「ですが」とアスティは呟いた。
「警戒と信用の情は紙一重なのです。キッカケがひとつあれば、すぐに裏返るものなのです」
噛み締めるように言うアスティの表情は花のように儚げで、今にも消え入りそうなほど泡沫の笑みを帯びている。
水面に浮かび上がる泡のように、ゆっくりと思い起こされるのは、あの時のケイの言葉だ。
脳裏に焼き付いた彼の横顔は、空気の冷たさゆえか、あるいは別の理由か青ざめている。
雪の一粒もないのに冷たい空気。魔法が大地を抉り取った荒地の上で、彼はひとり佇んでいた。
「――キッカケは、もう起こりました」
命のやり取りが行われるこの殺伐とした世界に住む者なら、ほぼ全員が『成功』『勝利』の文字を脳裏に過ぎらせる光景を見て、彼は『責任』の2文字を謳った。
根本的にこの世界の人間とは違う彼の思考は、アスティの興味を引くには十分で。この出来事は、アスティにとっての思考の分岐点になりつつあった。
◆◇◆◇
――世界が変わって、とある場所。
葦の葉が肌をチクチクと刺す竪穴式住居から、ひょっこりと少女が顔を出した。
外はすっかり雪景色。しかし年端もいかない彼女ら子供にとっては格好の遊び場だ。
駆けっこをするもよし、隠れん坊をするもよし。冬眠する熊のように家の中に篭ってもよし。
大人たちは大事を取って住居の中から出て来ない。あるいは冬でも活動する動物の狩猟に行っている。
きのみ集めもままならない冬の期間は、少女含め子供達にとっては自由時間に等しかった。
そんな時、少女は海に行って貝殻を集める。
コレクションのような物だ。
貝殻は服飾用としても使われていて、冬仕度が足りなかった時に、他の家と色々交換してもらえる。
だから少女は海に行く。
冷たい砂浜を裸足で歩きながら、少女は背後にいくつもの足跡を残しながら足を動かした。
[――停滞した世界に、進展を]
――音が、聞こえた。
明らかに波の音ではない。
獣が近くで唸っているのか。
そんな危機感が少女の肌を粟立たせる。
「――ッ!」
[魔法に苦しむ世界に、持続可能な文明を齎したまえ]
途中で途切れた大股の足跡は、満潮で押し寄せる波によって完全に掻き消えた。




