17頁『アストリッド・ヌーベル』
「世界を、救う……?」
「ええ、そうよ。お前を殺して世界を救うの」
端的にいって、彼女の言葉は意味がわからなかった。
命をねらわれる理由もなければ、世界に仇なす行動をしたわけでもない。
しかし目の前の彼女の瞳は憎悪に揺れている。
ユリア・オキデニシウス。
色の違う両目をキッと細める彼女に、アスティはしどろもどろになりながらもキッパリと反論する。
「そもそも、わたしは貴女を知りません……」
「ええ、そうよね。この『オキデニシウス』の家名に反応を示さなければ、眉をひそめるだけだった」
「なら貴女は、なんでわたしを知っているのです。何が理由でわたしをねらうのですか」
「さっきも言ったじゃない。憎いからよ」
愛憎の対義語は無関心だ。知らなければ意識のカケラも寄せられない。
嫌悪、厭悪、執念。
その感情がどんな物であれ、感情とは意識しなければ生まれるべくもない。
無論、アスティはユリアに対して、今この命をねらわれる瞬間まで関心などなかった。
それなのに相手の側から突然やってきたのだから、困惑するのも当然の話だ。
「何が、なぜ憎いのですか。わたし達はこれまでに、出会ったことがあると?」
「ええ、それはもう。お前のことは、魂の底から覚えてるわ」
「……わたしは、わたしを生んだ親の顔も、育ての親の顔も覚えている。この記憶の中に、貴女はいない」
「でしょうね」と宣うユリアに、アスティはそろそろ苛立ちを覚えてきた。
「実際、私もアストリッド・ヌーベルに会うのは、今日が初めてよ」
「……。」
「けど、お前という存在を知っているのよ。それも憎いくらいにね」
――人違いなんじゃないですか?
そんな安直な疑問が喉の奥へと引っ込んでしまうほどの気迫が、彼女の言葉の節々から感じられた。
けれどそんなことを言われても困る。
覚えがなければ謝罪の言葉も出てこず。出てこない言葉を口にすることは出来ない。
しかし彼女はアスティの喉奥に引っ込んだ疑問すら汲み取り、嘲笑するように溜息を吐いた。
「人違いだと思う? いいえ、そんなワケないわ。地平線に佇む太陽のような金髪、雲ひとつない空のような色の瞳……ええ、如何にもジャヌービーらしい」
「……たしかに、わたしの瞳の色は珍しいと聞きます。ですが、いないワケではないでしょう」
「いないわ。殺し尽くしたもの」
「…………は?」
そこでようやく気が付いた。
いくら負傷していたとはいえ、敵の分析が疎かになるなど実にアスティらしくない。
目の前の彼女は正気ではない。
「お前と同じ見た目の者は殺してる。私の家族が何代も……そう、何代もかけてね」
「そうですか。なら貴女は正気じゃない。狂っている」
「狂っているのはお前よ、ジャヌービー。……何で、なんで殺しても蘇ってくるの!?」
……? 輪廻転生か、或いは先祖帰りの話だろうか。そんな高尚な話を、教養のないアスティが知るわけがない。
少しだけ首を傾げて疑問を態度に露わにしたアスティを構わず、ユリアは口角が裂けんばかりの狂気的な笑みを浮かべながら叫んだ。
「でも、いいの。何度も蘇ってくるなら、何度でも殺してあげる。オキデニシウス家の名にかけて、お前をもう一度殺してあげるわ、ジャヌービー!」
「わたしはアストリッド・ヌーベルだ。ジャヌービーではない」
「何だっていいのよ、そんなこと! 貴女はジャヌービーで、我が家の敵! これだけは変えようのない事実なの!」
会話ができない。
アスティを存在しないジャヌービーとしか見ない狂乱女とは、人並みの会話が成立しない。
さながら腹を空かせた狼が、下手に大義を付けて襲いかかってきているよう。餓狼に言葉は通じない。
致し方なく鼻から小さく息を吐き出したアスティは、傷を負った拳を構える。
「……仕方ありませんね。やり合うと言うなら、ここで叩きのめしましょうか」
「いいわね、やる気。でも残念だけど、それはできないわ」
笑みをそのままにしたユリアは、しかし首を振って応えた。
予想とは違う反応が返ってきて、拍子抜けしたアスティは目を丸くする。
「では、何が目的なのです」
「喜びなさい、アストリッド・ヌーベル。もちろん最優先はお前よ。是非、家畜の餌になってほしいわ」
「そうですか。わたしは筋肉質なので、あまり美味しくないかもしれませんよ」
「……罵倒も通じなさそうね、貴女」
罵倒に意味を感じられるほど教養がないもので。そう返したアスティは、構えた拳を下げる。
どうやらユリアには、これ以上やり合うつもりは本当にないらしい。
もちろん、油断なんてしないが。
「誰かさんのせいで、ここらはどうやら変なことになってるようだし。戦えば勝っても共倒れになると思っただけ。――誰かさんのせいで、ね?」
「文句はアンデッド・ドラゴンを連れてきた人に言ってください。わたしは最善を尽くしました」
「あら。他人のせいにするの?」
「? わたしは騎士として、国と民を守っただけですが?」
そのアスティの言葉に、ユリアは心底イラッとしたらしい。
雪のように白くて綺麗な肌に血管が浮かび上がっている。
無理して上げた口角を見せつけるように、ユリアは顎を上げる。
「お前のそういうトコ、本当に嫌い」
「……嫌われる理由、あります?」
「ええ、もちろん。そもそも私はお前が嫌いなんだもの」
なるほど。機械的に相槌を打ったアスティに、ユリアは「ふん」と踵を返した。
「次に会う時までに、その魂をすり減らすことを願うわ」
「そうですか。ですがわたしは、そこまで柔ではありませんよ」
「ふぅん。残念ね」
興味なさげに背中を見せるユリアは、白い歯を見せ、下卑た笑いをしながら振り返る。
「早く死ねばいいのに、ね?」
◆◇◆◇
「――ただいま帰還しました」
残り少ない魔力を使い【フライ】で王都へと……文字通り飛んで帰ったアスティは、屯所で勤務する騎士が交代する時間帯に帰ってきた。
屯所に点いた灯りは少なく、どの部屋に人がいるのかが一目でわかる。
灯りを頼りに扉を開けると、そこにはソファの背もたれにぐったりと倒れる佐藤啓と、何らかの資料を読み込んでいるラグナル騎士団長の姿があった。
「む。帰ったか」
「おー……おかえりー……」
「どうしたのですか、ケイ。掛けられた布みたいになってますよ」
「誰がボロ雑巾だ」
「そこまで言ってませんが」
いつもと違って萎れた花のようにしょげているケイは、眉をひそめて難しそうに何かを考えている。
居間の空気は重苦しい……というよりは、まるで寒気の外のように凍りついている。
「何をやさぐれているのです。ラグナル騎士団長も、なぜこれを放置しているのです?」
「む。いや、まぁ、しばらく1人にしておいた方が良いと思ってな。アスティよ、男には1人で考える時間が必要なのだ」
「よくわかりませんが、悩んでいる時こそ他人を頼るべきでは? 三人寄れば文殊の知恵、と言いますし」
アスティの正論にぐうの音も出ないラグナルは、言葉を詰まらせ手に持つ資料に顔を埋めた。
「……それで、何を悩んでいるのですか」
「いや。別にそんな大した事じゃ」
「いいから話してください。その調子でいられて困るのは、何を隠そうわたしですので」
ソファの背に頭を乗せていたケイの頰に、微かに温もりのある吐息が掛かる。
いつの間にか近づいて来ていたアスティは、立てた人差し指でケイのでこを突いてきた。
「……んー」
「? ケイ?」
「なー、アスティ」
少しだけ体を起こしたケイは、アスティの耳元まで口を近づける。
そしてアスティだけにしか聞こえない声で――底冷えた声音を喉の奥から絞り出す。
「――お前、何を隠してんだ?」
その声が意図した物かは、当の彼にしかわからない。
しかし間違いないのは、彼がアスティを……アストリッド・ヌーベルに疑心を抱いているということだ。
その暗黒のように暗い瞳に狼狽えながらも、アスティは必死になって声を絞り出す。
「な、なんの話、ですか……?」
「……白い光を見た。あの魔法……魔術を使ったな」
あの魔法。言葉にされずともわかる。【マテリアス・コンバート】だ。
人を消失させ、世界を凍らせる魔法。サトウ・ケイが最も恐れて忌避し、『二度と使わせてはならない』とまで言った魔法である。
何の力も持たないはずのケイの声に、ドラゴンを倒して力を証明したはずのアスティは仰け反ってしまう。
「っ、……はい」
「そうか。まぁ。使うのは、いいんだ」
「俺も別に禁止令とか出してないしな」とだけ括り、ケイはしかし尚も瞳に光を宿さない。
たどたどしい言葉遣いながらも、慎重に言葉を選び取るようにケイは口を開く。
「その後、王子が来てな。『あの魔法はなんだ?』って聞いて来たんだ……お前、王族にも隠してんだな? もしかして、ラグナルさんにもか?」
「……」
「だんまりか」
何も言葉を思いつかないアスティに、ケイは痺れを切らしたように溜息を吐いた。
ビクリとアスティは肩を揺らすも、しかしケイの瞳に光が宿っていることに気が付いた。
「別にあれを使ったことを咎める気はないし、アスティ自身に非があるって問いただしたいわけでもない。何か切羽詰まった事情が、戦場にはあるのかもしれないしな」
「……そう、ですね」
「ただ、お前がやりたいと思っていることを知りたいんだ。差し支えなければ、教えてくれないか?」
座っているソファから立ち上がり、チラリとケイは視線をラグナルに向ける。
聞いて良い話はここまでだ、と圧を掛けるような眼力の強さだ。
ラグナルは観念したように椅子から立ち上がる。
「私も報告を聞いておきたかったのだがな。まぁ、今日は若い2人に時間を譲ろうか」
「すみませんね。ラグナルさん」
「いや。……だが、今日はもう時間も遅い。早めに帰って夕飯を食べて休むのだぞ」
そう言って部屋から出て行ったラグナルを見送り、ケイは借りて来た猫のように縮こまっているアスティに視線を戻す。
「……ケイ。もし、わたしが――」
「おー……なんだ?」
「――わたしが、男の記憶を持っていると言ったら、どう思いますか?」
「――は?」




