13頁『服は人を作らない』
「カール王国に渡り人が現れた?」
蝋燭の光が淡く照らす聖堂の中。
ステンドグラスのモザイク画を背にした若年の男声が響いた。
若年の男をはじめ、男の前に立つ数人もまた黒と白の修道服を羽織っている。
その中で若年の男の格好は一段と瀟洒であり、聖堂の中にいる者の中でも高位の聖職者であると目にした誰もに確信を起こさせた。
「はい。どうやら渡り人は『神と法の書』を読み解き、魔法の復活を成し遂げたそうです」
「『神と法の書』……なんだっけ。魔導書だったっけ? 何が書いてあったかわかる?」
「いえ。何せトラヤヌス大帝時代に消された言語で書かれており、当会堂でも解読が難航していた魔導書ですので、全容は掴めておりません」
「そっかそっか。ならその渡り人は欲しいなぁ。あ、でも渡り人って異端として火刑に処さなきゃいけないんだっけ? もったいないなぁ……!」
たった一言だけ呟いた若年の男――教皇ヨハネス12世は、ニマニマと何が楽しいのか笑みを顔に張り付けながら声を上擦らせる。
きっと何か謀略を考えているのだろう、そう考えた側近の1人はヨハネスに対して提案する。
「猊下。王国に対し、秘密裏に渡り人を引き渡すよう通達を出しましょうか?」
「ああ、それもいいね。けど確か王国って教皇領から魔導書を盗んだんでしょ? 威光がどうたらって理由で公表はしてないけどさ。そんな国が大人しく従うと思う?」
「……思いませんね。猊下。やはり渡り人は捕え次第、処すしか道がないのですよ」
「ぼくはそう思わないけどなぁ」
頭の硬い大人たちに呆れるヨハネスは、虚空で指をくるくると回しながら言う。
「何事も交渉次第でしょ。例えば、ぼくたちは他国の見えないところで渡り人を引き渡すように交渉する。これに応じない場合は――」
18歳と若くして貴族としての地位と金銭で教皇の座に就いた茶髪の青年は、心のうちに内包する野心と打算を稼働させて権謀をめぐらせる。
回していた指を止め、トンと頭を叩いたヨハネスは下卑た笑みでこう言った。
「――破門にでもしよっか」
「は?」
なんの脈絡もないヨハネスの一言に、周囲の修道士たちのざわめきは最高潮に達した。
「破門すれば王国周りの国が王国領に対して拡大する大義名分が生まれるでしょ? そしたらあの狸も焦るんじゃない?」
「で、ですがそもそも破門とは慎重に行うべきもの! そんな菓子を買う要領で行ってはならないのですぞ!」
「いいでしょ。渡り人の引き渡しを拒否した国だよ。アレッサンドロ様の教えを蔑ろにするから、っていう正当な理由があるじゃない」
ヨハネスの意見に対立する意見が出るのも仕方のないことだ。
破門とは読んで字の如く、教えに反する者を派閥から追放することを指す戒めの規律である。
追放された者は宗教というコミュニティから除外され、一気に周囲から冷めた目で見られることになる。
「王国は教えに反しているわけではありません」
しかし徒弟関係の制約上、師匠が弟子を容易に捨てる行為などあってはならない。
宗教上でも同じく人々に教えを説いて回る側。であるからこそ破門はそう易々としてはいけない。人々の規範にならなければならないのである。
「少々横柄な態度ではありますが、忌々しくも戒律の範疇で動いております。彼らを破門する大義はございません」
「ふーん、あっそぉ。じゃあ君は、ぼくに指を咥えて見てろと言いたいわけだ」
「そのようなことは……ですが順序が必要だ、という話を……」
側近の必死の忠告が届いたのか、ヨハネスはつまらなそうに「フン」と鼻息を荒くして口を噤んだ。
「破門は最後まで取っておきましょう。国を凌辱するのはそれからでも遅くはありますまい」
「……ま、そーだね。大義はぼくたちにあるわけだし。それまではじっくりと痛ぶることにしよう」
ニンマリと笑って嗜虐的な一面を見せるヨハネス12世に、側近たちは胸を撫で下ろす。
しかし教皇ヨハネス12世は1人、諦めた様子が一切ない爛々と輝く蒼穹色の瞳で、初代教皇のモザイク画が描かれたステンドグラスを見上げていた。
◆◇◆◇
「――なーアスティ。なんで俺はまた魔導書なんて翻訳してんの?」
「仕事ですので」
「いやでも俺2週間くらい働き詰め」
「仕事ですので」
何度も俺の問いにオウム返しをしてくるアスティに、俺は心の底から溜息を吐いた。
俺がこの家『星の館』に引っ越して3週間……まぁ、つまり俺が召喚されてから1ヶ月が経った。
「ぬー……」
最初の1週間ほどは自由のあった異世界生活も、時が過ぎるほどにアスティからの監視の目も強くなって今に至る。
さながら「仕事しろ!」とでも言いたげな厳しい視線は、俺の背筋に冷たい大ダメージを与えた。
俺が無言の圧を加えていると、根負けしたらしいアスティが「はぁ」と溜息を吐いた。
「休みは都度与えているでしょう……。何が不満なのですか」
「まずは遊びに行けないことだな。俺、この世界に来てから観光旅行に行ってないぞ」
「カンコーリョコーとは何処ですか。というか仕事が終わってないのに外出が許されると思っているのですか」
この有様である。
仕事が終われば次の仕事に取り掛かる賽の河原には、もしかしたら余暇なんて概念はないのかもしれない。
お陰で最初こそ書斎の窓から逃げ出す余地があったのに、今ではアスティの目の届くダイニングで作業させられている。
ぐすん。アスティ、おっかない。
「そも、アドルフ宰相から次の翻訳を急かされているのでしょう? また王宮に戻りたいなら兎も角、ここでの作業の方がマシではないのですか?」
「……ちくしょー……。本当にマシな分、何も言い返せねー……」
「なら、さっさと終わらせればいいだけの話でしょう。この前の【飛行魔法】のように翻訳できている魔法はないのですか?」
「簡単に言ってくれるよなぁ……」
そりゃ日本語の魔導書があるのだから、提出するだけなら簡単なんだよ。問題は提出した後なんだよ。
少なくとも【フライ】……そのままだと危ないという理由で改名された【飛行魔法】は、この世界の移動事情に大きな影響を与えることだろう。
しかし同時に軍事運用も考えられ始め、制空権という概念も考案されることになるはずだ。そしたら社会が余計に複雑化し、世界事情がもっとややこしくなるはず。
他の魔法も同様だ。魔法の効果を翻訳した後に、その影響力を推察しなければいけない。
(社会派な地球人がいたらなー……)
俺は基礎教育を世界に普及させたいだけの、翻訳が少し得意なだけの一般高校生だからな。
あまり期待されても困る。
あ、でも過激派だけはNG。この封建的社会に真っ赤な思想の人が来ても面倒だからね。しょーがないね。
「そもそも何を心配しているのですか。ヨハン3世陛下やアドルフ宰相閣下であれば、伝えても問題ないでしょう?」
「……。あー、そーだな」
「なんですか、その何か言いたげな物憂げな目は」
「いや。……うーん……」
正直、アスティをどこまで信用していいのかわからない、というのが一番大きいかもしれない。
アスティは信頼できる近衛騎士だが、逆に信用できない王国側の監査役でもある。
この忠義の士は事が起これば俺よりも王国を優先して動くだろう。そう考えると安易にアスティに相談できない俺がいる。
(そもそもあの魔法のこともあるしなー……)
……俺にとって最大の懸念は【マテリアス・コンバート】なのだ。
結局、陛下との会見では知っているかの真意を汲み取ることも出来なかったし、アスティが魔法の危険性を考慮して報告していない可能性も0じゃない。
(話してない場合って俺に言わない理由はあるか? 常識的に考えたら言うだろ、報告しててもしてなくても)
何故言わないのかがわからない。
もし言っている場合、何かしらの裏工作が起動している可能性もあるわけで。
こう考えると【マテリアス・コンバート】を俺は知っているのに話していない、という状況が完成してしまう。
「……胃が痛い」
すっごいキリキリする。なんで異世界のために胃痛を抱えなきゃいけないんだ。
「……まぁでも、定期的にお金は貰わなきゃいけないわけだしなー……」
「その通りです。わたしの収入もあるとはいえ、国家の食客たるケイが稼がない理由にはなりませんよ」
「喉にナイフを突きつけられて生きてる気分だな」
そう考えると家計簿が圧迫される前に、次の生存税の納付……もとい魔法の解読を終わらせなければいけないわけだ。
「何を気にしているのか知りませんが、そんなに難航しているなら手頃なところから手を付けては?」
「手頃な魔法なー……」
「そうですね……家事や炊事を豊かにする魔法はないのですか?」
魔法陣の描かれたコンロに火を付け、沸騰前の鍋をかき混ぜながらアスティが言う。
現在時刻は夕方の5時。
時間的に夕飯の支度をしているのだろう。鍋ということはシチューだろーか?
「……あー、もう。仕事が終わらねー!」
「まったく。発狂しないでください……。お茶は飲みますか?」
「飲む!」
「そうですか。では休憩しながら待っていてください」
アスティに言われ、俺は椅子の背もたれに体重を預ける。
すると風雅な発酵茶葉の香りが鼻腔を擽る。
……家事全般はアスティに任せきりなんだよなー。
「……アスティはどんな魔法が欲しい?」
「わたしですか? わたしは別に……」
「まーまー、なんでもいーから言ってみ。もしかしたら何か知ってるかもよ?」
「ケイは本当に魔術師ではないのですよね?」
「当たりめーだろ。異世界の服を着ていきなり最強チート主人公なんかになれっかよ」
そもそも俺は元は、何のしがらみも政治的権力も持たない普通の高校生だ。
異世界に来ていきなり魔法使いにも、社会学者にもなれるわけでもない。
いきなり渡り人という別称を付けられ、敬われたり警戒されたりしたところで、俺は俺でしかない。
「服は修道士を作らない、ってな。外見を取り繕っても中身は簡単に変わんねーんだよ」
「――粗茶ですが」
「人の話聞いてる? 俺いま良いこと言った――っていうか、これ俺の金で買ったものだからね? 結構いい値段する茶葉なんだよ?」
ぐすん。アスティ、きらい。
あ、でもお茶おいしい。片手間でおいしいお茶淹れられるんだよな、アスティ。
夕飯を作っているアスティの後ろで、ひとりティータイムを静かに楽しんでいると、何やら外から慌ただしい馬蹄の音が聞こえてきた。
どうせ魔導書の追加発注が届いたのだろう、とティーカップを煽ってから席を立つと――
「――騎士屯所より伝令!」
伝令兵の言葉に、俺とアスティの身体は凍った。
「王国北方に深緑の影が出現! 推定ドラゴンサイズ!」
王宮ではなく騎士団からの招聘。
――つまりこれは戦闘の予兆だ。
「――『アンデッド・ドラゴン』です! 至急、騎士屯所に来られたし!」




