12頁『ラーゴム』
『騒ぎは聞いている。では今後の給与形態は歩合制に変えるとしよう。固定給にするには職場がだいぶ遠いしな。その分給与……この場合は報奨か? 報奨は弾むと考えていい。何、これも一つの楔だ。アストリッド近衛騎士はラグナルに聞け』
……元々固定給だったんかい!
早口でそんなことを言われ、大量の金貨を渡され王宮を追い出された俺とアスティは、食事処を探して王都の街中を散策していた。
夜だというのに明るい。日本が誇るネオンの輝きほどではないが、眠らない繁華街として呑兵衛や商売人たちで街路が賑わっている。
「この国の名産品ってなんだ?」
「名産品と言いますと、魚の燻製や酢漬けなどが食べられていますね。この地域は寒冷期であることの方が多いので、保存のきく食べ物がよく作られるのです」
「あー。地球の北欧でも似たような食文化だったな」
「カール王国では特に漁業が盛んで、特にニシンやサーモン、エビなど甲殻類も美味しいですよ」
「へー、ニシンかー……」
そういえば地球の北欧でもヴァイキングが盛んだったからか、牧畜とか農耕よりも漁業が盛んだったみたいな話を聞いたな。
このカール王国のモチーフとして、様々な文化の礎になっているスウェーデンなんかでも、ニシンの酢漬けや燻製は定番料理だったはずだ。特にニシンの塩漬け……
スウェーデン……ニシン……塩漬け……
「……アスティ。この国ではニシンの塩漬けなんか作ってないよな?」
「ニシンの塩漬けですか? 作っていませんね。確かに塩漬けにすれば保存も効きますし、塩焼きも美味しいですから良いアイデアですね。渡り人の世界にもあったのですか?」
「あー、あった。そして試すのはやめてくれよな」
酢漬けや燻製なら兎も角、塩漬けだけはダメだ。
大量に塩が用意できるならいい。けどこの地方は寒いから海が凍って塩があまり採れないだろう。
物資的にも、バイオ的にもそれじゃあダメだ。
「そうですか……ではこの話は騎士団に持ち帰るとしましょう」
「やめとけ。騎士団を壊滅させる気か?」
「ケイの中のニシンの塩漬けとは兵器か何かなのですか!?」
ニシンの塩漬け……別名、シュールストレミング。
『世界一臭い』で有名な食べ物である缶詰は、その激臭が人に害を為す物だとして屋内での開封を禁止にされている地域もあるとか。
そんなもんを作ってみろ。この世界に手軽に作れる生物兵器が生まれてしまう。
……しかし魚。魚かー。
「なー、アスティ。この国で酒を飲める年齢って何歳からだ?」
「15歳からですね。成人は18なのですが」
「15か。なら俺も飲めるな。飲み屋にでも行くか」
「飲み屋ですか? ケイはお酒を飲めるのですか?」
「やー全然。けど魚料理は日本……俺の国でも主食だったかんなー。さっきの話から察するに、焼き魚があるんだろ?」
『塩焼きでも美味しいですから』とアスティがさっき言ってたし、味覚に馴染みのある料理から楽しもう。
「飲み屋ですか……では、わたしがラグナル騎士団長に連れて行って貰った飲み屋にでも行きましょうか」
「酒飲んだ事あんだ?」
「いえ。その後に色々ありまして、機会を逃してしまいました。ただ飲み屋に自分1人で行けるようにとラグナル騎士団長が連れて行ってくださったのです」
「へー」
大人の階段とかいうやつか。
俺は大人じゃないからわからないが、そういう儀式みたいなものがあるのだろう。
「じゃー、そこ行ってみるか。ラグナルさん御用達の店なら味の保証はできそうだ」
「はい。……ニシンの塩漬けの知識を卸してみましょうか」
「ぜってーやめろよ?」
市街地でシュールストレミングはただのバイオテロだからな?
◆◇◆◇
――で、だ。
案内された店でニシンの塩焼きや牛肉のミートボールなどを楽しむことになったのだが……
「ふへへ〜。ケイ〜?」
「……おー。なんだー」
「父上からわたしとの婚姻を申し込まれたそ〜だね〜? もちろん〜、受けたよね〜?」
「あー、そーだなー」
対面に座っていたはずなのに、なぜか俺が座る長椅子に腰掛け、俺の肩に頭を預けている顔が真っ赤のアスティ。
……なんでえ?
ビールとかアクアビットとか、明らかにアルコールが入ってそうな飲み物は外したはずなのに。なんでアスティさんは酔ってるのかしら?
「……リンゴのサイダー、だよな……?」
メニュー表を見ながら頼んだドリンクを確認する。
シュワシュワと音を立てて机の上に置かれた炭酸飲料は、一口付けたアスティを一撃でダウンさせた。
試しに俺も一口だけ飲んでみたのだが、俺は酔うことがなかったしアルコール分もそこまで感じなかった。
「へへ〜、さいだ〜! だよ〜!」
「あーうるっさい。耳元で叫ぶな!」
……というか仮にこれがアルコール飲料だったとして。コイツ酒に弱すぎないか?
アルコールが解禁されてない俺でさえ酔うことがなかったリンゴのサイダーでダウンって。
「はー……めんど……」
ミートボールにフォークを刺す。ジュワッと肉の表面に汁が浮き出て、牛肉の旨みがどっぷりと湧き出てきた。
「ね〜ケイ〜? 婚姻したってことはさ〜? わたしたちは〜夫婦! なんだよね〜?」
「違うししてない。あと膝に乗ってくんな食べにくいだろーが。肉汁ぶっかけられたいのか」
……まぁそんなことよりも。今日これどうやって家に帰ろう。
俺をここまで連れてきたアスティはこれだし、歩いて家に帰るしかないのだが。……これを背負って?
「うーん……」
パクリと一口でミートボールを一個平らげる。
口の中のミートボールで膨らんだ頰が面白かったのか、アスティは俺の頰をぷにぷにと触ってきた。
なんでジュース1つでこんなに酔っ払ってんだコイツは……。
「……ふにゃ」
「寝てるし……」
人は酔うと眠気に襲われやすくなる、とは何処かで聞いた話だが。
ちょっと無防備すぎやしないだろーか。仮にも俺の護衛のくせにこんな寝こけて……
「……おい、あのテーブルの金髪女……」
「ああ、間違いない。騎士だな」
「絡まれると厄介だからな。絶対に近づくんじゃねえぞ」
「正義を振りかざして何されるかわかったもんじゃねえ」
……騎士の評判ってそんなに悪いのだろーか。
今まで出会ってきた騎士たちの印象もあって、俺からの心証はそこまで悪いものじゃないんだが。
「……すぴ〜」
……これが怖い? その両目は腐っているのか?
戦闘に長けてはいるが、寝ているだけならただの女の子だろう。
……まぁでも確かに。生真面目すぎて冗談が通じにくそうってのはわかるけどね。
「……、……」
「……?」
何やら視線を感じる。アスティに向いた畏怖の視線かと思い、先ほどアスティを怖がっていた人たちを見る。
すでに別の話に華を咲かせて、俺たちのことなどなかったように笑い合っている。
「……そろそろですかね」
そんな折、肩口から声が聞こえた。
「ん。起きてたのか、アスティ」
「さいだ〜、も〜いっぱ〜い!」
「……おいアスティ? 酔ってるのはわかるが自重しろよ。誰がおぶって帰ると思ってるんだ?」
「わたしが抱えて帰る〜!」
「ふざっけんな、そんなの落とされる未来しか見えねーだろ」
誰が酔っ払い運転の飛行機に乗りたがるんだ。不時着どころか墜落する未来しか見えねーわ。
「サイダーをお持ちしました」
俺たちの会話を聞いていたのか、ここぞとばかりに逞しい商魂を見せた給仕の娘がグラスを置いた。
あの適当なオーダーが通るのかよ。どこの世界でも接客業の人間は逞しいな。
「おいアスティやめろって――」
「――ケイ。このグラスに口をつけてはいけませんよ」
と。アスティが素面の口調で俺を諭す。
見ると顔の赤さはどこへやら、発熱の治ったいつも通りの表情のアスティが、俺の腹部を優しく押さえている。
「口をつけるなって、どういう――」
「ぐびっ」
「あ。お前、それ一気飲み……!」
カップ一杯サイズのグラスの中身を一気飲みしたアスティは、ぐでーんとテーブルの上に伸びるように倒れ伏した。
「あーあ、もー言わんこっちゃな――」
「はぁ……っ、はァ……」
「――アスティ? どうした?」
発汗がすごい。息が荒い。酒が気管にでも入ったか? いや、それにしてはやけに苦しそうだ。
異物が気管に入ったら普通は咽せるはず。その反応もないあたり、また別の要素がアスティを苦しめてる可能性が高い。
「アスティ? アスティ!?」
「『―― 来たれ、神の息吹。聖域のざん、こう』」
ガタッ! と大きな物音がした。
カウンターの方から先ほどグラスを運んできた給仕の娘が、ナイフを一本持って突進してくる。
――襲撃!?
「『修復せよ、修復せよ、修復せよ』」
もう1人。別のテーブルに座っていた男が、腰に帯びた剣を抜剣して俺を睨んでいる。
直感で断じる――狙いは俺か!
「『神なる力を必要と、する者らに――』」
ダァン!
襟元を掴まれ、テーブルに頰から顔面を叩きつけられる。
「い痛ッ!?」
一瞬肝を冷やしたが、掴んだのはアスティだということに気がついて安堵する。
それと同時に逆側の頰に切り傷があることに気がついた。何かしら刃物が投擲されたのだろう。
ヒュ、と背筋が凍った。
「『――慈悲の光を、与えたまえ』」
口伝で紡がれる詠唱文が結句する。
すると同時にテーブルに倒れ伏した体を起こし、アスティはギロリと背後に睨みをきかせた。
「【クーレ】」
アスティの視線の先には、先ほどの給仕の娘が鬼のような形相で駆け寄ってくる姿があった。
走り出しから少し時間があったからか、かなり近い距離まで肉薄されている。
「――シィ!」
しかし戦闘が本職のアスティからしてみれば関係のないことのようだった。
テーブル上のフォークを掴み、突き出されるナイフに合わせて掬い上げるようにナイフを弾く。
さながら十手で刀を搦め捕るようにナイフに跳ね上げられ、肉薄していた娘の体は無防備に晒される。
無防備になった脇腹に蹴りを入れる。
ガッシャーン!
蹴り飛ばされた給仕の格好をした娘は、他のテーブルにぶつかって気を失った。
「麻痺毒ですか。ケイが飲めば心臓麻痺を起こして危険でしたが。残念、ケイが呆れて飲んでしまうより先に飲み干す騎士がいたようです」
「チッ。異端を庇護する悪魔め!」
次の刺客が来た。アスティは手をグーパーして感覚を確かめている。
すかさず俺はテーブル上のナイフを手に取った。
「おらっ!」
「――ッ、チィ!」
俺からナイフが投擲されるとは思っていなかったのか、イラついたように顔を歪めた男は、どうやら俺に狙いを変えたようだ。
しかし――
「おんどりゃあああ!」
背後からの奇襲。他のテーブルで飲んでいた名前も知らない客の加勢だ。俺に気を取られた刺客の隙を突いて背後から頭にお盆を叩きつけた!
「なんだかよくわからんが、どうせ他国からの刺客だろう騎士サマ!」
「「加勢するぜ!」」
わお強い。普通こういう時の民衆って逃げ出すもんじゃないのか。
「人サマの国で好き勝手してんじゃねえ! おら、ふん縛っちまえ卑怯者が!」
「誰か騎士屯所に連絡入れろ! ラグナルさんならすぐに動いてくれるだろ!」
「では、わたしは周囲にこの者らの味方がいないか探ってきます」
「いや騎士サマはそこのテーブル上で倒れてる旦那さんを介抱してやれよ。すげえ勢いで頭ぶつけてたぞ」
「旦那……? あ、ケイ!」
俺の顔面をテーブルに叩きつけたアスティは、焦ったような顔で駆け寄ってきた。
どうやら制圧し終わったようだ。
襲ってきた奴の一人が「異端」とか口走っていたから、恐らく宗教的に俺を敵視していた輩なのだろう。
……俺はこれからこんな奴らに絡まれなきゃいけないのか。
「無事ですかケイ! すいません、先程はあれしか……!」
「あー、無事。無事だー……」
手をひらひらと振って無事をアピールする。長椅子に座り直した俺に、ガタイのいいおっさんが泡をたっぷり乗せた黄金色の飲み物を差し出してきた。
「大変だったな、兄ちゃん。これは奢りだ、飲んでいきな」
「ビール? いや悪いですよ」
「遠慮すんな。こんなご時世じゃ珍しいことでもねえが、こういう輩は国のどこにでもいるからな。気をつけろよ」
「どこにでもいんのか……」
話しかけてきたのはこの店のオーナーだ。完全に善意でビールを渡してきたのだろうが申し訳ない。俺は酒を飲めないんだ。
「最近はどこにでもいるぜ。王国と教皇領の仲が悪くなってきたからな。兄ちゃん、渡り人だろ? 気をつけろよ、過激派の奴らは何をするのかわからねえからな」
「あー……そーだな……」
何回も襲撃なんか受けてらんない。かといって相手側……教皇領だっけ。そこが俺の始末を諦めてくれるかはわからない以上、あっちから来そうなんだよなー。
宗教勢力とか本当に関わりたくないんだけどなー……
チビチビ渡されたビールを飲んでみる。舌に染み入る麦の苦味が喉の奥に溜まった息を吐き出させようとしてくる。……美味しくない。
「ケイ。酒は呑んでもいいですが、ラーゴムの精神を忘れてはいけませんよ」
「さっきジュースで死ぬほど酔ってたアスティに言われたくないなー」
「酔っていません。あれは敵を油断させて襲撃者の数を炙り出すための腹芸です。あと飲んでいたのはシードルという歴としたお酒です。……忘れてください」
そう言って俺から顔を逸らすアスティの耳は、少しだけ紅潮していた。
……さては少し酔ってるな?




