10頁『それでも世界は回っている』
今後俺たちの生活基盤となる場所……それは王都郊外の丘陵にあった。
建物の名前は『星の館』という。
見晴らしのいい丘の上に建築された、人気のないお屋敷だった。
「おおぉぉぉおお……!」
噴水のある池、大きな花壇、吹き抜けの中庭まで備えた邸宅だ。
日本の一般家庭に生まれた俺では、一生お目に掛かれないような、まさに豪邸だった。
「これは、すごい……」
さしものアスティも驚愕の表情である。
もしかしてBBQとかできるんじゃないか。この世界って食肉文化ってあるのかな。この世界に来て食べたの王宮で貰った果実くらいなんですけど。
あるなら是非ともテキサスBBQとかしてみたいんだけど……!?
「こんな立派な家をもらっていーのか……?」
「ケイ……いったい、いくら給金を貰っているのです?」
「し、知らねーよ。まだ受け取ってねーし……でも、まさかここまでとは思わなかった」
アドルフ宰相は勝手に『差し引く』って言ってたよな。つまり俺には差し引かれても金銭はまだ入ってくるわけで。
……俺がやってることって、本当に合法なんだよな。ちょっと怖くなってきた。
しかしお金。……お金かぁ。
「そもそも俺、この国の通貨とか知らねーんだよな」
「そうだったのですか?」
「あー、そんな時間がなかった」
この世界に来ておよそ1週間ほど経ったが、来て早々戦闘に巻き込まれ、倒れて起きてみれば王宮からの呼び出し。すぐに仕事を割り当てられて、王宮から外に出ることもなく疲労で倒れた。
こんな環境で通貨の概念を知る余裕なんてありはしない。
「この世界では鉱石を加工した通貨が主流です。形を整えればどこの国でも等しく使えますからね」
「ふーん。あー、金銀銅って感じか?」
「はい。渡り人の世界でも似たような基準が?」
「ある。まー、紙の金が普及してからは、ある程度調整されてるけどな」
とはいえ紙幣が誕生するより前は、鉱石を加工した貨幣が主軸だった。
この世界に紙幣という制度は導入されているのだろうか。
渡り人の一人や二人、銀行を設立して紙幣を誕生させていてもおかしくはないと思うのだが。異世界で金細工師の話をするのはお約束だろ。
「そうなのですか……この世界でも紙幣は1度作られました。けど偽の紙幣が出回ったことで……」
「紙幣の信用が無くなったか。なるほどな。その再発を過度に恐れていると」
俺は用意されていたソファに腰掛けながら溜息を吐いた。
恐らくその紙幣は、相当に雑な作りをしていたはずだ。
偽札かどうかを見抜ける機構を備えていない紙幣など、国内に詐欺師を量産するための物でしかなくなってしまう。
しかしそんな高度な造幣技術を地球からそっくりそのまま持ち込むのは、数人の地球人が集まったところで再現は不可能なはずだ。
そもそも造幣技術なんて国家機密だぞ。再現できてたまるか。
「……硬貨だけを使うのは危険なこと、なのでしょうか?」
「逆に聞くけど安全だと思うか?」
「わかりません。こうして話題に上がらなければ、気にも留めていなかったでしょう」
「じゃー、それが答えだろ」
テルマエがあることから推測できる話だ。
この世界は魔法が万能過ぎるが故に、文化的・技術的に発展しようとする気概が見られない。
それは文化や技術も、犯罪に対しても変わらない。
贋金作りなんていう犯罪も、渡り人が渡来させなければ話題にすら上がらないだろう。
「……偽札なー……」
恐らくだが、紙幣制度を作ったのも。偽札を作っていたのも渡り人だろうな。
しかも中途半端に知識を伝えたものだから、今の認識になってしまったと。その渡り人は、自分の利益を優先したのかもしれない。ジンバブエドルの悲劇を知らんのか。
……知らない時代から来た可能性。
紙幣を導入した人が19世紀あたりの経済学黎明期から来た渡り人なら、概念は知っていても対応策や予防策を知らない可能性はある。
そりゃ紙幣がトラウマになって硬貨ばかりが主流になる。けどこれでは世界の経済が……経済学が育たない。自立可能な文明は作れない。
「硬貨まで無くなればその先は現物交換……原始時代まで逆行か。本当に迷惑かけてんな……」
中途半端に伝えられ、それを制御する術を持たないこの世界の人たちが、伝えた自分が亡き後どうなるかを考えなかったのか。
本来なら教育機関を設置して子どものうちから基礎的な知識を身に付けさせたり、日常的にお金を使わせることで金銭感覚の成長を図るべきなのだろうが。この世界にはそれがない。
「……となると。学校の設立は急務か」
けどまぁ。一旦それは後回しだ。世界が今も回ってる以上、急進的な改革に手を付ける必要もないだろう。
それに俺が両手で抱えているタスクの量は、溢れるほどに超過してしまっている。
折角こんな良い家を貰ったんだ。
リフレッシュしながらでも着実に終わらせていくとしよう。
◆◇◆◇
「お〜〜〜っしゃぁぁあ!!」
書斎ミッケ!
この新居に来て今が一番嬉しいかもしれない。
「おお……これはなんだ。この世界の歴史研究本か? うわ、これ絶対に民族史関連だ。そんな雰囲気を感じる。……これは魔法関連か? ……うぅ。後学のために読んでおくべきか? でも外国語のポエムは苦手なんだよなぁ……」
だってこの世界の書物がたくさんあるのだから。参考資料とも云う。これで色々と捗る。魔導書の翻訳も、異世界社会の理解も……!
「ケイ。魔導書はこちらに運んでおきますか?」
「ああ。そうしてくれ!」
「では取りに行って参ります」
アスティが書斎から出て行ったのを背後に感じながら、俺は本棚を隙間なく埋めている書物の数々を手に取った。
「……本の状態は悪くない。誰かが管理してたのか?」
いや。もしかしたら『保存するための魔法』もあるのかも知れない。
色々と夢が広がるな!
「……お?」
手に取った本の題名は『Boogeyman』。
英語で『恐怖の男』を意味している。……英語?
「王国の公用語ってスウェーデン語だったよな」
王宮の書庫に蔵書されていたのはスウェーデン語ばかりだった。
スウェーデン語はゲルマン語に由来する言語だったはず。ラテン語由来の言葉は多いが、しかしラテンとゲルマンでは出自が違う。
「この本は王国由来のものじゃないってことか?」
パラリと表紙をめくってみる。
『ブギーマン-封建社会がもたらす問題と純利益-』。
最初の頁には、本の正式な名称が書かれていた。
「なんだこれ……誰かホッブズにでもなろうとしたのか?」
題名のセンスがもろホッブズなんだよな。
しかも察するに議題は権威主義……いや専制政治関連っぽいし。
著者名は書かれていない。
パタンと本を閉じて本棚に戻す。あとで読もう。面白そうだが今欲しい本はこれじゃない。
英語の本が置かれているということは、英語を読むための本……すなわち辞書が置かれている可能性が高い。今はそれが欲しい。できれば和訳辞書が欲しい。
「辞書辞書、と。……おっ」
『明朝書房の和英辞典』。今、ここで、何よりも探している書籍だった。
「あったぁぁあぁ……あ? 日本語?」
和英辞典……つまり日本語の書籍である。
先ほども説明した通り、王宮の書庫を占めるのはスウェーデン語の書籍ばかりだったのだ。
英語も日本語もその影はなく、和英辞典なんて必要ないと思うのだが。
「まー、いっか。使えるもんは使おう」
この家の前の持ち主の持ち物なのだろうが、今はもう俺の持ち家となったのだ。ラッキーと考えておこう。
「ケイ。何をしているのですか。ケイの持ち物なのですから手伝ってくださ――何をなさっているのです?」
ガサガサと本棚を漁って書斎を散らかしていた俺を見て、魔導書をいくつか運び込んできたアスティは呆れたように溜息を吐いた。
「おお。アスティ、これ見てくれ! 辞書あったぞ辞書! しかも日本で出版されたもんだ!」
「……ほぉ。それは良かったですね。喜ぶついでに荷物を運び入れるのを手伝ってほしいのですが」
「え? ……あ、すまん」
ニコリ、と圧のある笑顔のアスティに気圧され、俺は見つけた和英辞典を机の上に置いた。
◆◇◆◇
「……ふぅ。片付けは後でするとして、一旦休憩を挟みましょうか」
「そーだな……うー、疲れた」
書斎の中はアドルフ宰相から「引越し祝いだ」とばかりに渡された魔導書で埋め尽くされていた。
視界の半分以上は本、本、本。俺は今日……いや明日からすべて読破しなければならない。うん。明日から本気出す。
「夕刻ですが夜には早いですね……これからどうします?」
「そーだな……。夕飯でも食いに行っか?」
「食べに……外食ですか?」
「え。だって俺、料理とか出来ねーし。アスティは作れるのか?」
正確には、作れるには作れるけどこの世界の食材をあまり知らない、というのが実情だ。
まぁ作れるって言っても家庭科の授業で習ったもの程度なんだけど。
「お世話になっていた家で鍛えられましたので。……まぁ。食材を買い出しに行かなければならないですが」
「そっか。でも引越しの作業で疲れてるだろ。今日くらいは外食にしよーぜ」
どっちにしても1度、アドルフ宰相を集りに行かなければいけないんだけど。給料寄越せ給料。
「ケイの給料は、どういう形式で貰っているのですか?」
「え。知らない」
「……? 知らないとは、どういう?」
「確かに……そういえば俺の給料って、どうやって振り込まれるんだろ?」
「えっ」
王宮にいきなり呼び出された時は、それ以外に生きる道がなさそうだったから受け入れたけど。
振り返ってみれば給与形態の話し合いとか全然してないな。
「……まさか。出来高ではありませんよね?」
「翻訳で? まさか! ……まさかな」
さぁー……と顔から血の気が引いてくるのがわかった。
仮に出来高なのだとしたら。この家のこともあるし、もしかして俺って借金まみれの可能性……?
「自分のことに対しては本当に無関心なのですね……」
アスティの呆れた声が聞こえてくるが、いちいち返してはいられない。
「アスティ!」
「行き先は王宮ですね。わかりました」
「いや、その前にやることがある。庭に出てくれ」
「……庭に?」
「テラスと隣接して庭があったはずだ。先にそこに行っててくれ」
アスティに指示して俺は部屋の中に積んだ魔導書を漁り始める。
あれじゃない、これでもない。
「魔法の解読が王宮の第一優先って言ってたからな。それってつまり、魔法を再現して見せれば給料が確約されてるってことだろ?」
とりあえずアドルフ宰相に確認しなければわからないが、それよりも今日を生きるための金を得るためには魔法の解読が必須。
目的の魔導書を見つけると、未だに茫然としているアスティにバッと振り返る。……正直、これは切り札として残しておきたかったのだが。
「――なら俺は、今から魔法をひとつ復活させる!」
『「プラチナ☆ひまり」再現魔法開発日記』。
……A4サイズのスケッチブックに描かれた、日本語表記の魔導書だった。




