第1章 | 夜明けへ、私は夢から目覚める (第四幕)
第四幕:太陽と月
(――しーっ! 誰にも言っちゃ駄目だよ)
月は、その秘密を私に囁いた後、妖しく微笑んだ。地上に夜の祝福を注いでいた神聖なる天体は、太陽が昇るとともに、ゆっくりとその姿を消していく。彼の遊び時間はもう終わりだ。
夜明けが訪れ、私は眼前に転がる死体を見下ろした。長引く大干ばつのせいで干からびた大地を、溢れ出た血が黒く染めていく。肺に逆流した血のせいで、その喉からは喘ぐような呼吸が漏れていた。かつて美しかったその顔は今や泥と血に汚れ、憎悪に満ちた目で私を睨みつけている。だが、彼女にできることなど、もう何もなかった。
私は深く溜め息をつき、彼女の胸に突き刺さっていた剣を――かつて私の心臓を貫くはずだったその剣を、冷酷に引き抜いた。
「……可哀想に。あなたの物語は、ここで終わりよ。ヒロイン(主人公)」
✼✼✼
コン、コン、コン!
扉を叩く音で、私は奇妙な夢から引きずり起こされた。夢にしては、あまりにもリアルすぎる感覚。生々しく流れる血、息苦しい肺の圧迫感、そして光を失っていく美しい少女の顔――そのすべてを、五感ではっきりと覚えていた。夢というよりは、まるで『未来の予兆』を見せられたかのようだ。
「お、お嬢様、朝食のご用意ができました」
パスハル叔父様が部屋を出て行った後、私はソファに座ったまま、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。本当はこの部屋でディアナに関する情報を探すつもりだったのに、ベラが気持ちよさそうに眠る姿を見ていたら、抗えないほどの睡魔に襲われてしまったのだ。そして、あの奇妙な夢を見た。
(ヒロイン? なんで私が、あの子を殺したの……?)
考えても切りがない。それよりも、まずは朝食を摂ろう。思考を巡らせるにはエネルギーが必要だし、この体はまだ何も受け付けていない。朝食を食べて、まずは一日を始めることにした。
「入っていいわよ」
私の返事を聞いて、メイドが料理の乗った手押し車を押して部屋に入ってきた。彼女はうつむいたまま、足元だけを見つめてゆっくりと歩いてくる。前を見ないで歩いていたら何かにぶつかるんじゃないかとハラハラしたが、そんな心配は杞憂だった。料理は完璧な手際で、私の目の前へと運ばれた。
「ベラを起こしてちょうだい。料理をテーブルに移すのは私がやるから」
私は、朝日がその顔を照らしているというのに、いまだにベッドで爆睡しているベラを指差しながら言った。
「ベ、ベラ……様、ですか?」
メイドは戸惑ったように聞き返し、一瞬だけベラに視線を向けた。そして、何かに疑問を抱くような目を私に向ける。彼女はごくりと唾を飲み込み、再び深くうつむいた。「……かしこまりました、お嬢様」
料理をテーブルに並べ終え、私はメイドの方へ視線を戻した。彼女は、なかなか起きようとしないベラを必死に宥めすかして起こそうとしている。子供の朝寝坊というのは、本当に手がかかるものだ。まあ、私もベラの年齢だったら同じように駄々をこねていたに違いない。
何度かの粘り強い説得の末、ベラようやく目を覚まし、私の隣に座って朝食を食べ始めた。
今日のメニューは、鶏肉のほぐし身と香ばしい揚げ赤ネギが添えられた、温かいお粥だった。メイドの言葉によれば、私の体調を気遣ったパスハル叔父様とアディナ叔母様が提案してくれたメニューらしい。もし他に食べたいものがあれば、日の出前にメイドに伝えておく必要があるとのことだった。
「パスハル叔父様とアディナ叔母様はどこ?」
「パスハル様は、他の一族の方々と共に、夜明け前にすでに屋敷を発たれました」メイドは相変わらずうつむいたまま答える。「皆様、王都へと戻られました」
私は少しの間沈黙し、窓の外の景色に目をやった。
「ねぇ、一つ聞いてもいいかしら?」
「は、はい、お嬢様。私にお答えできることでしたら、何なりと」
「……私に、婚約者はいる?」
メイドは驚いたように目を見開き、たどたどしく答えた。
「えっ……? は、はい。お嬢様には婚約者様がいらっしゃいます。ガブリエル様が、お嬢様の婚約者様です」
「そう、ガブリエル……」
ディアナには婚約者がいるらしい。ガブリエル――響きの美しい名前だ。私の脳内では、すでに恋愛ファンタジー小説に登場するような美青年の姿が勝手に出来上がっていた。一体どんな容姿をしているのか、少し純粋な興味が湧く。
こんな質問をしたのは、私がディアナについて何も知らないからだ。朝食が終わったら彼女の日記帳でも探すつもりだったが、せっかくメイドがいるのだから、今のうちに情報を探っておきたかった。何より、他人の目から見たディアナがどんな人間だったのかを知りたかった。先ほどからのメイドの怯えようを見る限り、ディアナは相当に冷酷な令嬢だったのだろう。
「じゃあ、北の方の公爵とか、皇太子はいる?」多くの恋愛小説のテンプレを思い浮かべながら尋ねてみる。
「そ、その方々はみな、ガブリエル様のご友人たちですが……」メイドは頭の中に無数の疑問符を浮かべながらも、真面目に答えてくれた。
「聖女とか、魔王は?」
「こ、この世界に、そのようなお伽話の生き物は存在しません、お嬢様」
聖女という役割が存在しないのなら、あの夢の中の「ヒロイン」は一体どんな立ち位置なのだろう。恋愛ファンタジーのヒロインである以上、彼女の持つ役割は大きいはずだ。あるいは、少なくとも多くの人々に愛される存在なのだろう。
そして私――正確にはディアナは、そのヒロインの行く手を阻む「悪役令嬢」だ。物語の結末で、ディアナは何らかの理由でヒロインを殺害する。私は、そんな未来を絶対に迎えたくはなかった。誰の人生も壊さず、ただ平穏に生きたいだけなのだ。ディアナとしての破滅の運命なんて絶対に実現させない。私は全力でそのフラグを叩き割る。
朝食を済ませると、ベラは外へと遊びに行き、部屋には私一人だけが残された。私はすぐに、日記帳が隠されていそうな場所を片っ端から漁り始めた。クローゼット、勉強机、化粧台、挙句の果てにはベッドの下まで調べたが、それらしきものは見当たらない。
ディアナは日々の出来事を日記に書き留めるような殊勝なタイプではなかったのだろうか――そう諦めかけた時、クローゼットの裏に隠された秘密の扉を見つけた。クローゼットの下の床を見ると、頻繁に引きずられたような擦り跡が残っている。この裏に、何かが隠されているのは確実だった。
「クラシックな隠し部屋ね……」
私は額の汗を拭いながら、ぽつりと呟いた。
そこで私は、自分の体に再び「温もり」が戻っていることに気づいた。最初は自分がゾンビか何かの不死者になったのかと思っていたが、この体温は紛れもない本物だ。汗もかくし、呼吸もしている。――ただし、私の心臓は、相変わらず一度も脈打っていないけれど。
ディアナが一体何を隠していたのか、この隠し部屋の奥で明らかになるはずだ。
扉を開けると、そこは机と椅子、そして数冊の本と部屋を照らすための蝋燭だけが置かれた、こぢんまりとした空間だった。その机の上に置かれた一冊の本。これこそがディアナの日記帳に違いない、私は確信した。
「……『太陽と月の前に』?」
表紙に書かれたタイトルを見て、私は首を傾げた。
しかし、その第一ページを開いた瞬間、私の指先が唐突に凍りついた。
それは、普通の日記帳なんかではなかった。
美しい筆跡で1ページずつ丁寧に綴られていたのは――彼女自身の『死の年代記』。ディアナ自身の破滅の物語だった。
そこに書かれていたのは、ルナ・レヴァンナという名のヒロインが、ディアナ・ライラという名の悪女と戦う物語。事の始まりは、ガブリエルがディアナではなくルナを選んだことだった。それに激怒したディアナは、ルナに対して執拗な嫌がらせ(いじめ)を始める。やがてディアナの行動は人道的な一線を越え、ルナとガブリエルは力を合わせて彼女の暴挙を阻止するために立ち上がる。そして最終的に、ディアナは聖なる剣で心臓を貫かれて死亡し、二度と転生すらできない呪いを受ける――という結末だった。
「ディアナ……あなた、一体何を書いているの……?」
本を読み進めるほどに、無数の疑問が溢れ出してきた。その物語はあまりにも緻密に、整然と書かれており、単なる作り話のフィクションには到底思えなかった。だが、これを現実の出来事と呼ぶには、あまりにも悲劇的すぎる。自分自身を「悪女」として描き出すなんて、ディアナがそんな歪んだ趣味の少女だったとは到底思えない。
だとしたら、もしかして……。
これは、ディアナの身に『これから起こるはずの物語』なのだろうか?




