知るも知らぬも逢坂の関
本日二本目です。
火が、ぱちりと音を立てた。
白い半紙に包まれた写真が、ゆっくりと黒く焦げていく。
塩で清め、祈祷し、そして焚き上げる。
煙が、まっすぐに空へ昇っていった。
「……これで」
一之瀬は、小さく息を吐いた。
「終わってくれればいいんだけど」
手のひらに、じっとりと汗が滲んでいる。
——あれは、ただの猫じゃない。
写真に写り込んでいた黒い影。何度見ても、形が安定しなかった。
見るたびに、違って見える。目を逸らすと、そこにいる気がする。
「……やっぱり関わってはいけないものだった」
諏訪神社で写真はお焚き上げの供養をしてもらったけれど、カメラに残った映像をプリントすると、やはりまだ黒猫がいた。
最初の写真は恵理子さんを見ていたのに、二度目の写真はこちらを睨んでいた。
まるで、邪魔をするなとでも言わんばかりに。
もったいないとは思ったけれど、カメラに残した映像は全て消し、カメラごと奉納した。
カメラはまた買える。でも恵理子さんは、買えない。
残った写真は、一枚ずつ、現場に戻って清めながらお祓いをした。
少し骨が折れたけど、宮司さんから祓詞をしっかり聞いて実践したから、大丈夫なはずだ。
僕にできる限りのことをして。
諏訪大社の神様にもお願いした。
恵理子さんは、特に龍神様の話をよくしていたから、鰻とお酒を持ってお参りした。
「どうか、どうか恵理子さんを守ってください」
それでも、もし手遅れだったら——。
ぞくり、と背筋が冷える。
何度ケータイに連絡しても繋がらない。
恵理子さんの実家に行って話もしてみた。お兄さんの豊さんから、恵理子さんのお子さんたちに連絡を取ってもらったけれど、誰の電話も恵理子さんに繋がらなかった。
だめだ。会いに行かないと。手遅れになる前に。
「僕、会いに行ってきます」
意を決して、車に乗る。恵理子さんの足で、今どの辺にいるのか推測を立てる。
「逢坂の関……」
多分、今ならあのあたりにいるはずだ。
間に合え。
そう願いながら、足を速めた。
偶然か皮肉か、知るも知らぬも逢坂の関と歌われた場所だ。
——逢うべき者には逢い、
逢ってはならぬものには、もう逢わない。
逢いたい人に会わせてくれるのか。
逢いに行くのは許さない、と拒否されるのか。
雨脚は弱い。反して僕の足は、先へと急いだ。
こんな山道を走ったのは何年振りか。
行き違いにならないといい。
いや、行き違いならまだ良い。
二度と会えなくなるのは絶対に嫌だ。
「……恵理子さん」
後ろ姿で、すぐにわかった。
前を歩く赤い雨ガッパを着た小柄な人がゆっくりと振り返る。
細い。
今にも、消えてしまいそうな線の細さに、思わず息を呑む。
ほんの一週間ほど前に比べて、ひどく輪郭が、薄い。
存在が、光に溶けていく。
今にも、風に流されてしまいそうなほど。
だけど。
「……よかった」
声が震える。ついでに膝も震えて限界のようだ。
かくりと膝をつく。パンツが濡れようがお構いなしだ。
できることなら仰向けに寝転んでしまいたい。
「間に合った……」
はーっと息を吐く。
ずっと息を詰めていたのだと気がついた。
逢えた。
ほぼ奇跡に等しい。
生まれてから、これほど神に感謝したことはないだろう。
「え? やだ、一之瀬さん?」
いつもの調子の声。
ああ、恵理子さんだ。
「ちょっと、大丈夫ですか?そんなに急いで、どうしたの?」
慌てて近づいてくる彼女を見上げるような形で、あたりを探る。
見えなければいい。
どうか綺麗に成仏しててくれ。
ああ、でも。
——いた。




