決別の時はいつも一緒
「これも……。あぁ、ここにも写ってる」
カメラの中に収まっていない怪奇現象は、プリントされた写真にははっきりと写っていた。
一之瀬は、恵理子と別れてすぐ自宅に戻り、写真を現像した。
夢の中の出来事は、数日経った今でもはっきりと思い出せる。白蛇と黒猫の対峙。そして、自分の選択。
一之瀬が選んだのは、死んだ妻ではなく生きている恵理子だった。
妻を愛していないわけじゃないし、忘れたわけでもない。今でも美咲がいればと思うし、毎日話しかけているのはもう癖になっていて、今更止めようがないし、止めるつもりもない。
だけど、死んだ妻が今もまだ痛々しい姿のままで現れたことによって、考えを改めた。
嘆いてばかりじゃダメなんだ。一之瀬の好きな美咲はいつも豪快に笑っていた。楽しいことが好きで、ゲームが好きで、映画はSFが好きだった妻。ワインより日本酒が好きで、ラーメンとお好み焼きが好物だった。蠅を平手で叩き潰すこともできる人で、武蔵もビックリと笑っていた。
嫌いというものがなくて、何にでも意味を見出そうとした亡き妻は、いまだに一之瀬の心に深く住み着いている。
「なのに僕は悲しんでばかりだった」
恋しい、寂しい、孤独だ、と嘆き、いい思い出も全て、梅雨の空のようにじめじめにしてしまっていた。これでは、美咲も浮かばれなかったに違いない。
「ごめんよ、美咲。僕もこれから毎日笑って暮らせるように頑張るから」
恵理子さんと歩いた4日間。
恵理子さんを被写体に撮った写真は50枚近くあった。どれだけ見ていたんだか、と呆れそうになる。
可愛らしい人だと思った。少し儚げで、浮世離れしてる印象があったのに、話をするとものすごく地に足をつけた人で、疲れない。会話があってもなくても、落ち着いた人なんだと感心した。けれど一之瀬と同じで、心に傷を持っている。孤独の影が隠しきれていなかったから。
ーー少しだけ……いや、かなり癒されてたんだろうな。
もっと一緒にいたいと、思えてしまうくらい。
手元の写真に視線を落とす。
黒猫がいた。どの写真にも必ず写っていた。
まず最初に思ったのは取り憑かれている、ということ。不幸の影を引きよせているのはこの猫か、それとも本人か。次に思ったのは、優しすぎる彼女に寄り添っている、守護霊的なものなのか、ということ。
写真の端々に、現実ではない風景が写っている。
全ての写真ではないけれど、どう見ても洋風な建築物が背後に写っていたり、鳥ではない何かが浮遊していたり。それから恵理子さん自身が淡く光っている。何かが肩の辺りに乗って光っていたり、時には顔全体が光って顔が見えなかったり。
「これは……守護されてると見たほうが、いいのかな?」
一番怖かったのは、下半身が消えかかっている写真だった。黒猫が恵理子さんの後方に座り、影を引っ張っているような写真が一枚。カモシカの写真のように、モザイクが掛かったかのような歪み。
「……諏訪大社が一番かな。恵理子さんと縁が深そうだ」
そうと決まれば、プリントした写真とカメラをカバンに入れて、軽い旅支度を済ませると家を出た。あの人は歩き始めると無理をしそうだから、急いだほうがいいような気がする。
「手遅れにならないうちに、お祓いをお願いしないと」
神社の鳥居や、祠はあの世と繋がりやすいと聞いたことがある。もしあの黒猫が成仏していないあの世のモノならお祓いの前に浄めも必要か。そういえば恵理子さんは粗塩を持ち歩いていたな。
あれは、そういうことだったのか。
相変わらず雨はしとしと降り続く。
蒸し暑いのに肌寒い、という訳のわからない天気の中、私の旅は、それでも止まらない。もうすぐこの度も終わるのだと思うと、降り続く雨もさほど気にならない。
今日はそろそろ逢坂山に辿り着く。
百人一首で有名な、「これやこの~」の名所である。
桜と紅葉の時期は避けるべし、と一人旅情報にある。
「おばさん通り越しておばあちゃんには、あんまり関係ないわね」
割と有名な散策デートスポットらしい。健康的で何より。いちいち若い子のデートにめくじらを立てたりはしない。けれど、梅雨に入った今となっては、ほぼ人はいないと思われる。
ポタリ、と葉に乗った雫が目の前に落ちてきた。
それがなぜかスローモーションのように過ぎて、足元に波紋を作る。
その音は聞こえてこなかった。
動きが鈍る。
風が、動かない。
さっきまで降っていた雨もぴたりとやみ、ぬるい湿り気が背中を伝った。
「……?」
足を止める。違和感が、じわじわと広がっていく。
鳥の声がしない。葉擦れの音も、遠くの車の音も。
——何も、聞こえない。
自分の呼吸音だけが、やけに大きく耳に響いていた。
「……何か変……?」
胸の奥がざわつく。嫌な感じ。あの時と似ている。
あの時?
何があったっけ?
覚えていない。思い出せない。
だけど、あれは。
振り向いちゃいけない、と思ったような、気がする。
いつ?何があったんだった?
「にゃあん」
「きゃっ……!」
飛び上がって振り返る。黒猫がいた。
いつものように、少しだけ先に立って、こちらを見上げている。金色の瞳が、じっと私を捉えていた。
「……そうだった。あなたがいたのよね、猫ちゃん」
胸を撫で下ろしながら、苦笑する。この子がいると、どうにも調子が狂う。
いつもすました顔で隣を歩いていた癖に、いざとなると……。
——いつも?
黒猫が私の隣を歩いていたことなんて、あったっけ?
「……あなた、いつからいたの?」
答えはない。
ただ、黒猫はゆっくりと踵を返した。
ついて来い、とでも言うように。
「……案内してくれるの?」
冗談めかして言う。
けれど、その背を追う足は、自然と動いていた。
身体が、ふわふわする。疲れもない。息も上がらない。
——まるで。




