終幕は斯くも容易く
新幹線がすぐ横を通過して、我に返った。
多分車に乗っている人は、雨の中ご苦労さんなこったね、とか思っているに違いない。雨が降っててよかった。大泣きしながら一里塚を睨んでいる変な女とか思われそう。
タオルを出して軽く顔を拭く。
少し遠くに、人の影が見えたので何気なくそちらを見る。
「……嘘」
少し晴れ間の覗いた空を見上げている人は、王様だった。薄明光線がまるで舞台のスポットライトのように王様を射していた。
王様は、ゆっくりと視線を下げて、そして私と視線があった。幻覚で見た王様に比べて、草臥れてガリガリに痩せていたけれど、王冠が重そうに頭の上に乗っている。
あれ、いつも乗っけてるものなのか。頭痛くなりそうだな、なんて思いながらも、見せられた内容を思い出して、眉を顰めた。
そうだ、この男。
人の尊厳を踏みにじった男。愛が有ろうが無かろうが、王様だろうが神様だろうが、人権を無視したこの男に、慈悲の心は持たない。全身で拒絶反応を起こしたのに気がついたのか、王様はがくりと膝をついて頭を下げた。
私は、この人が幻だと知ってる。
あの女の人の見せた亡霊なのか、また黒猫が連れてきたのかはわからないけれど。
とても、悲壮な顔をしている。
泣いているのかもしれない。その顔を見れば、あの後が幸せだったとはとても思えない。きっと後悔していたのだろう。どんなに欲しても、あの人は手に入らなかったに違いない。後から悔いても遅いのだけど。
でも、それでも。
悔いて、悔いて。
こうやって亡霊になってまで悔いているのなら。
……ね。もういいんじゃないかしら。
あの人は、あなたを選ばなかった。それでもなお縛り続けるのは、愛じゃないと思うのよ。
いつまでも嫌われた女性にしがみついているのは、きっとスズにとっても迷惑よ。だって、彼女はきっと今頃愛する騎士様に出会ってる。それで、幸せになってるはずなんだから。
「ねえ。もう、解放してあげて」
自分の心をね。執着って、結構疲れるでしょう。後悔してるのなら、もう同じことは繰り返さないように、肝に銘じなさい。潔く諦めて、新しい人生を歩きましょうよ。
「だからね、成仏しちゃいなさい」
王様は顔を上げて、驚いたような顔をして。
それから、光に溶けていった。
あぁ。薄明光線って天使の梯子とか呼ばれてるんだっけ。
……え、まさか、ほんとに昇天しちゃった……?
「ええと……。この場合は南無阿弥陀仏よりアーメンの方がいいのかしら。ははは、ハーレルーヤァ」
私は踵を返して、足早にその場を離れた。
だって怖いじゃないのよ!いくら亡霊だからって、私お祓いしちゃったんだもん!
光の中に、彼女がいた。
輪郭がぼやけてわからない。けれど、わずかな桃の香りがする。
俺が欲した聖女。
――いや。
もう、違う、のか。聖女は死んだ。
はるか昔に、俺が殺した。
その隣に、黒い影が寄り添っている。
金の瞳でこちらを見ていた。顔を洗い、舌なめずりをしている。
「……」
喉が鳴る。言葉が出ない。足が震える。死の淵から、戻って来てくれたのか。
ーー違う。あれは、聖女じゃない。
なら。どうして今、ここにいる。
あれは、誰だ。
俺は一歩、前に出た。
だが、その足はすぐに止まる。動けない。恐怖か、畏怖か。
彼女の目。
――見ているのに、見ていない。
底のない闇。
あれはもう、俺を見ていない。
「……すまなかった」
声はかすれていた。何を謝っているのか、自分でもわからない。ただ、頭を下げるしかなかった。地面に額をつける。これ以上、何もできない。
俺にはもう、何もない。
誇りも。
矜持も。
祈りも。
捧げるものが何も無い。
殺してくれ、そう願った。命をくれてやるから、楽にさせてくれ、と。
ふと、身体が軽くなった気がした。
「え?」
顔を上げるが、彼女はもういない。
どこへ。俺を殺してはくれないのか。
その価値すらも無いと言うのか。
――違う。
何かが、崩れている。
「……俺、は」
指が、砂になる。
崩れていく。
壊れていく。
消えていく。
「……許された、のか……?」
答えはない。ただ、光だけがある。背を向けている。
待ってくれ。
俺はまだ――
手を伸ばそうとしたその瞬間。
「にゃあん」
黒い影が忍び寄る。
ゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえた。
開かれた口の中に、つるりと吸い込まれていく。
――ああ。そうか。これで、いいのか。
静寂が、俺を支配した。
息を呑む音があちこちで漏れた。
膝をついていた王が、砂になって崩れていく。
その光景を、誰もが黙って見つめていた。
瘴気が消え、光が戻った。王は空を仰ぎ、祈り。
――そして消えた。
「……消えてしまった」
「陛下が、祈りを捧げたのだ」
「王が、瘴気を晴らした」
「我らが王の祈りが天に届いたのだ!」
「我らのために!王が命を呈して守ってくださったぞ!」
瘴気が晴れた喜びにも勝る歓喜が、空気を揺らした。
「帝国、万歳!王様、万歳!」
乾いた風が吹き抜けた。
砂と化した王の肉体は、簡単に宙に舞い上がり、何処かへと運ばれていく。風に煽られて転がるのは、王冠のみ。
カラン、カランと空っぽな音を立てて、黒猫の足元にまで転がり止まった。
悲しむ者はどこにもいない。
皆、喜びを分かち合い、今生きていることを讃え合う。
黒猫が丹念に顔を洗う。金色の瞳を細めて、舞い上がる砂を目で追う。
――まずは、一つ。
その声を聞くものは、存在しなかった。
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