真実の愛の報い
暴力的・過激な描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。
――わかっている。
なぜ、世界が崩壊しつつあるのか。なぜ、瘴気が溢れ、魔獣が増えたのか。なぜ、世界が枯れ、死霊が蔓延るのか。
皆が知っていて、誰もそのことを口にしない。
「聖女を穢したからだ」
この俺が。帝国の王たる、この俺が。
聖女の愛を独り占めにした男の首を切った。腹を割き、獣の餌にした。それを聖女の目の前でやってのけたのだ。綺麗すっぱりと忘れられるようにと。ほんの欠片の恋情も残さないようにと、あの頃は本気で狂っていたのだ。
美しい聖女。突然この世に降って沸いた。闇色に輝く髪と瞳。まるで月からやってきたのかと思うほどの美しさに、何人もの男が虜になった。
当然、王族であったこの俺も。
なんでも差し出すつもりでいた。彼女に見合うものを全て。当時の婚約者を切り捨て、親も兄弟も皆殺しにした。
皆が、聖女を欲しがったせいだ。
俺は武軍を上げて大陸を制覇した。全ては彼女のために。聖女が喜ぶのなら、富も、宝石も、隣国の王の首ですら。
だが、聖女が欲したのは、しがない教会の騎士だった。
田舎臭い、ケツの青いの騎士が、聖女の心を横から奪い取った。
俺が、隣国を手にしていた時に、あいつは聖女の手を取った。
俺が、剣を振るっている最中に、あいつは聖女とダンスを踊った。
聖女は、神殿のものだった。
俺のそばには置いておけず、ならば神殿で管理をしろと強制した。
なのに、神殿は何をした。
「神の御心のままに。聖女様が欲するものを差し出したまででございます」
聖女が欲するもの。神に許されたと、あの男が。
「ふざけるな!」
聖女は俺のものだ。初めから、俺が目をつけたモノだ。誰の許可をもらって、他人に差し出したというのか。
愛など。
心など。
俺が、くれてやる。受け取れ、と強要した。
何度も何度も。受け取れないのなら、あの男の目をくりぬき、野獣の餌にくれてやると脅した。
だが、聖女は。
俺に見向きもしなかった。闇のような瞳で俺を見据えた。
そこにあるのは確固とした拒絶。
「私の心に寄り添うのは、彼の方だけ。彼の方以外は、何も受け取れません」
あの夜。俺は、狂っていたのだ。
騎士を殺し、腹を割き。泣き叫ぶ聖女の、体を暴いた。
「にゃあん」
黒猫がまとわりつく。甘い桃の香りがした。
思い出すのは、聖女の。
庭園の桃の木で、首を吊った聖女の白い顔だった。
城の外は、地獄のようだと報告が入る。誰それが死んだ。どこそこが崩壊した。
どこもかしこも、魔獣が蔓延り、虫ケラのように人が死んでいく。
俺が築いた帝国は、もはや見る影もない。
聖女が呪った通り、世界は崩れ、人々はウジムシのように地面を這いつくばる。
こんなことは願っていなかった。
神の名を騙り、聖女を傷つけた。
そうだ。俺は嘘をついたのだ。
神が望んでいるなどと。
だから神も、世界を見捨てた。
全てはこの俺のせいで。
それでも。そうしてでも。聖女が欲しかったのに。
彼女はもういない。
俺は死ねない。
俺だけが、死ねない。
俺の隣にいる黒猫は、聖女の呪いだろうか。ずっと俺と共にいて、時々金色の瞳でこちらを窺っている。俺を狙っている。俺の食い時を待っているかのように、顔を洗う。ゆっくり。丁寧に。そして最後に、舌なめずりをするのだ。
「俺を連れていけ。……もう、連れて行ってくれ」
猫は何も言わない。
「こんなのは、もうたくさんだ」
そう言って顔を手で覆った時。外が一瞬白く染まった。音が消え去り、色さえも無くなった。いよいよ、世界が終わったか、と思った。
だが、俺はまだここにいる。
なぜ。
俺だけが死ねない。
これが、俺に課せられた罰なのか。
外の静けさが気になって、俺は恐る恐る城の外に出た。辺りは静まり返っていて、きっと皆死んだのだろう、この世の終わりを迎えたのだろうと思った。
だが、目を見張る。
瘴気が、消え失せていた。
晴れていく雲の隙間から青空がのぞいていた。もう何年も晴れた空など見ていなかったというのに。
俺が、崩れかけた城の地下に隠れている間に、一体何があったのか。
誰もが天を仰ぎ、涙を流している。拝んでいる者もいれば、隣同士抱き合う者もいる。笑顔も、泣き顔も、歓喜の色に染まっていた。
「瘴気が晴れた!」
「女神が我らを助けてくださったのだ!」
静寂は一瞬にして歓喜に変わった。肩を抱き、拳を突き上げる人々。手を取り感謝の祈りを捧げる人々。
俺はその光景を、ただ茫然と見つめる。
「女神……?」
黒猫が横を通り過ぎた。金色の瞳が細められたが、言葉はなかった。
ただ振り返りもせず、光の中に消えていった。
そして、俺は改めて知る。
世界は救われた。人々は祝福され、希望を取り戻した。
だが、俺だけは——見捨てられたのだと。




