死神のいる世界
閑話回。
ようやく大湫宿にたどり着いた時には、熱を出していた。
雨に濡れたのが良くなかったのか、乱れ坂で大いに乱れたのが悪かったのか。
「骸骨を見た地点でもう熱に浮かされていたのかも」
なんとなく、そんな気がしてきた。宿のご主人が心配してくださって、お粥を持ってきてくれたのに大感謝だ。薬を飲んで横になる。明日は歩けそうに無いかもしれない。
「まあ、急ぐ旅でも無いけど……ちょっと日菜子に連絡しておこうかな」
病気になると気が弱くなるというのは、本当らしい。昔、久志さんにひどく殴られて寝込んだ時も、渉が立ち塞がり、日菜子が泣きながら看病してくれた。
私もごめんね、と繰り返して子供たちに謝った。
「ほんと……何であんな男にいつまでも縋っていたのかしらね」
怖くて、離婚なんて言い出せなかった。そんなこと口にしたら、殺されるんじゃ無いかと思っていた。息を潜めて、影に潜るようにして生きてきた。
「呆気なく、手放してくれて……ほんとよかった」
二度と、関わり合いになりたくない。逃げるように、家を出た。
離婚当初は、理不尽な怒りに駆られていたけど、それも「こんなに我慢したのに」とか「あんなに殴られたのに」という気持ちが大きかった。
「……だからなんだっていう話よね」
我慢したから離婚するとは思わなかった、というわけじゃない。久志さんが他に家族を持ってたから、驚きはしたけど、怒ったというわけじゃなかった。ただ、恐れと安堵が混ざり合って不安が怒りに変換されただけだ。
離婚したから。もう怖がらなくても良くなったという安堵から、これからどうすればいいのかという不安から、感情が爆発しただけ。現実逃避をするように中山道の旅に出たけど、心がまだ怒っている。夜になると、蘇ってくるこの気持ちは、時間が経てば治るのだろうか。
「年とるとさ、新陳代謝が悪くなるっていうじゃない?心の傷の治りも遅いのかしらね……」
寝返りを打つ。独り言が多くなった。
それでも、心の中で悶々と秘めているよりマシだと思えるようになった。
「こうやって、発散させていけば。いつか……」
薬が効いたみたいで、私はいつの間にか夢の中にいた。これが夢だとわかっているのは、現実世界ではあり得ない光景だったから。「夢を見ている」と頭のどこかで理解していた。
「にゃあん」
黒猫が近くにいた。金色の丸い瞳が私を捉えて、踵を返して先導する。
「夢の中でまで、あんた私に何をさせる気?」
半ば呆れたように、それでも黒猫の後をついていく。
歩いているのに、足は地面についていないようで、フワフワとした足取りだ。これが中山道の坂道だったらいくらでも歩けるのに、と残念に思う。
目の前に広がる世界は、日本のものでも外国のものでもなかった。
まるで映画の中のような、世界終末を迎えたような世界。森が焼け、建物は壊滅状態だ。空はどんよりと暗く、遠くにも煙が立ち上っている。
大鎌を持った死神が空を飛んでいた。
「やだわ。死神?初めて見たわね」
黒猫の隣で周囲をぐるりと眺める。恐怖はない。映画を見ているような感覚に感動すらある。
「まだ見つからないのか!」
怒りに満ちた怒声にビクッと身体を揺らす。
立派な髭に唾を飛ばしながら叫ぶ若い男がいた。赤い毛皮のマントを纏って偉そうにしているが、でっぷりと腹が出ている割に足が細い。
あれだ。ハンプティ・ダンプティ。
卵に足が突き出てるみたいな。いかにも偉そうな、「俺は王様だ!」と威張っている様子が場に似合わない。膝を突き、頭を下げているのは、騎士とか兵士とか、そういった人達のようだ。
「女一人探すのに、何をそんなに時間をかけている!とっとと見つけて連れてこんか!」
「し、しかし相手は、神出鬼没の女性で、目撃情報も戦場や魔獣の多い森の中でして」
「だからなんだ!その女を見つけなければ、世界は終わるとわかっているのか!何としてでも見つけ出し、味方につけねばならんのだ!」
その会話から、誰かを探しているのだということはわかった。
「エルフの王すらも排除したと聞いたぞ。どのような力を持っているのか知らんが、そいつを味方にできれば、俺が世界の王になる。貴様らの王が、世界の王になるのだ!」
とかなんとか。
なんだか、聞き分けのない子供のようだ。中年男だけど。威厳もなく、ただ喚き散らしている。今にも地団駄を踏みそうな勢いでダンダンと手にした煌びやかな杖を床に打ち付けている。子供のお芝居みたいだわ。まあ、いい年した大人なんだけど。
あら、あの体から湧き出してくる黒い煙は何かしらね。なんか燻って不完全燃焼を起こしているような。
しかも臭いわ。
硫黄のような匂い。もしかして足を洗ってないんじゃないの。
「足くらい、毎日洗いなさいよ」
と呟いたところで、土砂降りの雨が、滝のように王様目がけて降り注いだ。
あらやだ。夢ってこういうところがあるわよね。思ったことがそのまま起きちゃうみたいな。見ているとそのまま洪水になって、皆揃って流されていった。あ、兵隊さんには申し訳ないけど。みんな臭いし。
あちこちから悲鳴が上がり、何かが天に昇っていく。白く尾を引いてキラキラエフェクト付き。
「なんか綺麗ね」
黒猫はしばらくそれを見つめると、私に先を促した。
「ねえ、今溜息つかなかった?」
猫は首を横に振る。あーあ、とでも言いそうな。でも何も言わないってことは、問題なしと見てもいいのよね。私は、その場を素通りして猫の後に続く。
しばらく歩くと、塚がみえてきた。その天辺には十字架にした板が刺さっている。どうやらお墓のようだけど、そこからも黒い異臭が滲み出していた。
「ああ、これは……あれだわ」
田舎のお墓によくある。
土葬のお墓は今でこそ見ないけど、子供の頃は人魂が出ると言われていた。科学的解明をすると、腐り始めた体からリンの自然発火やら何やら、ガスが出て人魂のように見えるのだとか。つまりここは土葬した死体があるということだろう。
そして空にはまた死神。蠅のようにブンブン飛び回っているのはちょっと不快。
「にゃあん」
「お前。これを私に掃除させる気?」
無茶言わないでよ。墓地じゃないの、ここ。
この世界の状況を見るからに、きっと死んだ人も多いのだろう。こんな大きな塚だから、もしかしたら複数の死体が埋まっているのかもしれないわ。
「せめて安らかに眠れますように」
とお祈りするほかない。パンパンと手を叩き、黙祷する。
途端に風が吹き荒れた。
驚いて目を開けると、塚の上に光の柱が立っていた。天を見上げれば、雲の切れ目から陽が差している。
薄明光線だ。
「なんとか現象っていうのよね。えーと、チンタラ現象……だったかしら」(※ 違います。チンダルです)
横文字はよくわからないから覚えていない。天使の梯子とか言われていたと思う。
光が収まると、塚から湧き出ていた異臭も収まったみたい。死神の姿も消えていた。
「さっきの風が全部吹き飛ばしたのかしらねえ。まあ、放っておくと地盤沈下とかもあるらしいからよかったわ。こんなのがいっぱいあるんなら、穴だらけになっちゃうもの。おちおち歩けやしないわ」
私はニコリと笑いかけると、さあ次はどこ?とジト目で見つめる黒猫を促した。
ふと目を覚ますと、朝になっていた。
「あら……もう朝……」
寝覚めは良い。熱もどうやら引いたみたいだ。体はまだすこしだるい。
「なんか変な夢を見たような気がするけど……」
んーと考えてみるが、ぼやけていた意識がはっきりしてくるうちに、夢の内容はすっかりなくなってしまった。まあ、夢は夢。覚えていないのなら、お告げとかでは無い。
一応、覚えている夢は夢辞典で確認するようにしているのよ。
あまり当てにならないけど。
この後本文、同時投稿します。




