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夢見ていた世界

因果応報。

「久志!お前は何をしとんじゃ!」


 顔を見るなり、80歳を過ぎた母親に頭を殴られた。いつまで経っても矍鑠かくしゃくとして小さな畑仕事に精を出すお袋は、恵理子をたいそう気に入っていたのは確かだ。いい嫁をもらったと結婚当初からずっと言ってる。親父は無口だが、お袋のすることに何も言わないところを見ると同意らしい。


「お前の世話を、どんだけ恵理子さんがしてくれたと思っとんのじゃ!かわいい孫を二人も授けてくれた嫁に対して、なんという裏切り!そんな男に育てた覚えはないわ!」


 日中戦争の最中に生まれた母は、父親と兄四人を早くに亡くし、耐乏生活に身を置いていたため、清貧を好む。恵理子はそんな母によく従い、生活の中でいろいろな工夫をしていたらしい。嫁いびりみたいなこともあったようだが、恵理子は耐え、そして信頼を勝ち取った。


 お袋が腰が痛い、膝が痛いといえば、指圧やら整体やらを覚え、庭の雑草をなんとかしろと言われれば、なんとかした。


 子供ができてからは嫁いびりはなくなり、家庭の味だのなんだの、貧乏くさい料理を覚えさせていた。おかげで、俺の食卓も貧乏くさいものばかりで、外食が増えた。


「きららだって……!」


 と言いかけて、口を閉じる。


 三人の子供は俺の子じゃなかった。


 他に男が、いや、夫がいたなんて。


 思い出して、苦虫を噛み潰したような顔になる。


「あんな商売女にうつつを抜かして、身を持ち崩すなんて!ああ、情けなくてあたしゃ涙が出てくるよ!ご先祖様にも申し訳がたたん!」


 俺は、膝の上に乗せた両手を握り締め屈辱に耐えた。お袋は癇癪を起こすと、気が済むまで収まらないから黙って耐えるのが常だった。


 情けないと思うのは俺の方だ。


 これから常世の春を味わうはずだったのに。子育てに加われなかった時間を取り戻そうとした。美人で若い妻を持つことが俺のステータスだった。


 恵理子との子供が俺を親として見ていなかったのも、癪に触った。特に息子の方だ。恵理子の肩ばかりを持って、俺に弁明の余地も残さない生真面目な息子。あれでは、女に好かれるはずもない。そう思っていたのに、さっさと結婚して子供も二人。順風満帆な暮らしをしているらしい。


 娘は娘で、女の分際で弁護士だなんてものになって、すっかり生意気になった。


 俺に対する敬意すら示さない。俺が働いた金で贅沢ばかりしやがって。


「聞いとるんか!お前にはワシらの財産は一滴たりとも残さん。親子の縁も切る。勝手に晒せ」


 お袋の言葉で現実に引き戻される。


「……っ!?な、母さん!馬鹿なことを」


「バカはお前じゃ!」


「と、父さん!こんな不義理が通るわけがない!俺は一人息子だろう!」


「……不義理をしたのはお前だろうが」


 無口な親父の口から出た一言は、重い。お袋に同意ということだ。


 正直なところ、恵理子に退職金の半分を渡したのは、親の遺産が手に入ると思っていたからだ。戦争で生き延びた良いとこのボンボンの親父と手に職を持ったお袋は、ここぞという時には出費をしていたから貧乏くさいわけではないが、清貧生活をしていたために、かなり貯め込んでいたはずだ。


 一人息子の俺は当然それを享受する予定で、今後の生活も気楽に考えていたのだ。死ぬまで使いきれない金がある、と。


「ワシらの遺産は全部、孫たちに等分する。お前は好きなところへ去ね。親不孝もんが」


 その後、さんざん喚き散らかしたにも関わらず、俺は家を追い出された。


「……ふざけるな……っ」


 なんでこんな事に。


 俺は騙された。あの売女に誑かされたんだ。これまで生活を見てやったのに、恩を仇で返しやがった。


「目に物をみせてやる」


 俺の言うことを聞かないなら、聞かせるまで。


 夫がいる?


 帰ってこない男が夫だなどと、ふざけるな。


 子供だって、その男の子かどうか分かったもんじゃない。何人の男に股を開いてきたのか分かったもんじゃない。


 俺が。


 俺だけが、あいつの生活を見てきた。十八年間も。


 こんなところで、諦めてたまるかーー。









 目を覚ますと、俺は病院にいた。


 腹に巻かれた包帯と、点滴のチューブが目に入り、痛みに呻き声を上げた。


「ああ、田畑さん、気が付かれましたか」


 看護師が俺に気付き、検温を始めた。一体どう言うことだ。


「田畑久志。どうしてここにいるかわかるか?」


 硬い男の声が耳に入り、横を見ると警官が二人立っていた。


「あなたは傷害罪、脅迫罪、及び住居侵入罪で現行犯逮捕されたのを覚えていますか」


 並べられた罪名に息を呑む。


 そうだ。俺はあの後きららに会いに行って、それから――。


「ち、違う!俺は、あの女は俺の、」


「長くストーキングをされていたと通報が入っています」


「す、ストーキング!?」


「酔った勢いで松浦きららさん宅に押し入り、暴行を加え包丁を振り翳した末、長男の陽翔はるとくんと揉み合いになり、刺された事は覚えていますか」


 腹を刺された。十五のあのガキが、俺を刺したのか。


「そ、そのガキは。捕まえたのか?俺は刺された被害者だぞ」


「すでに正当防衛と認められています」


「あなたはこのまま病院での勾留となり、体調が落ち着き次第、事情聴取に入ります」


「バカな……俺は、こんなはずじゃ……」


 もう、おしまいだ。俺の目の前が真っ暗になった。


「恵理子……」


 なぜか、別れた妻の名前が口からこぼれた。




 その病室の窓の外。


 金色の瞳が、瞬いた。




読んでいただきありがとうございます。感想・ブクマもお待ちしています。

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