救いなき救済
その戦いは絶望的だった。
「第二弓隊!位置を固めろ!放て!!」
雷撃魔法の乗った弓矢が、外壁に群がる魔獣を弾き飛ばすが、圧倒的に数が足りていない。
「カタパルト!砲撃開始!」
投石を持ってしても、魔獣の氾濫は治らない。
「隊長!弓が足りません!補充部隊がやられました!」
王都を守る防壁によってかろうじて地上の魔獣は抑えられているものの、いつまで持つか。
この状況は、この国だけではない。エルフの里——ティンタジェン聖域が襲われた。世界樹が弱り、瘴気が一気に押し寄せている。
各国の精鋭を勇者と共に送り出し、ティンタジェン聖域の確認に向かわせた。世界樹が枯れ始めたという理由を探し、出来る事ならば正常に戻すために。
ただ、エルフは人間を信用していない。彼らの魔法は確かに強力だが、排他的で人と共闘することを厭う。今更、救援を望むとは——虫がいい。とはいえ、全人類、いやこの世界の生物にとっても瀬戸際だ。
世界樹だけは、なんとしてでも守らなければならない。
「閣下!西の砦が崩壊!ワイバーンの襲撃です!」
「ワイバーンだと!?」
世界樹の危機に面して、精鋭を勇者と共に送り出したのは間違いだったか。
「か、閣下!知らせです!ただいま伝達の者が!勇者殿から、世界樹は救われた、と。ホーンボックを撃退、周囲の瘴気も一掃されたそうです!」
「ホーンボック……!?しかし、そうか!世界樹が救われたか」
「し、しかしながら、聖域結界は完全に崩壊、森はエルフの里と共に殲滅。急速に再構築されている模様。完全復活するにはもう少し時間がかかるようです。エルフの王はまだ生まれていない様子」
「エルフが全滅!?エルフなくしてどうやって世界樹を……」
「勇者殿曰く、『深淵の女神』が再び現れたとのことです」
「深淵の女神……その者との接触は可能か?力を借りることは出来ぬのか」
「女神が現れるときは決まって鈴の音がするのですが、お姿を確認したのは勇者殿と……辺境の村の兵士と子供だけで、いずれの場合もわれわれの言葉が通じない、あるいは聞こえないとのことです。勇者殿はあれは人が触れていい存在ではない、女神は我々の敵ではないが、味方でもないと。接触は不可能と思われます」
「失礼します、閣下。勇者殿と共に送り出した騎士隊が只今戻りました!」
「すぐに連れて来い!話を聞く」
ティンタジェン聖域を実際に見た騎士隊長は、あれは人の手によるものではなく、聖域ごと一掃されたのだと言った。さらに驚くべきことに、更地に還された大地に現れた聖竜——クリスタル・ドラゴンは、森を直ちに甦らせ、世界樹は再生を開始し、新たなエルフが森の木々の間から生まれるのも確認した。
「エルフの誕生をこの目で見られるとは思いもしませんでした。瘴気も何もかも浄化され、わずかな穢れも残っておらず、精霊までもが戻ってきたのです」
「その女神を確認したものは?」
「誰も。その姿は見えず、突然、世界から音が消えました。誰一人として身動きが取れなかったのです。動けばその場で消滅するのではないかという恐怖が、我々を襲いました。
直後、黄金の光の輪が激しい風圧となって現れ、我々は一人残らず聖域の外へ吐き出されました。その恐ろしいまでの力に愕然としていれば、聖竜が世界樹と聖域を襲い、気がつけば聖域は世界樹の幹を除いて全てが無となっていました。勇者パーティのエルフが、クリスタル・ドラゴンだと言っていたので、おそらくアレがそうなのだと。それから一刻も立たないうちに緑が生え、木々が生え、エルフが生まれ、林になり森になり。結界の中には誰一人として入ることができず、我々はただ遠目に世界樹が生い茂っていくのを見ていました」
「……なんと」
壮絶な語りに、軍師は息を呑んだ。
だが、それでは救いにならない。
現状を打破するには、その力こそが必要なのに。
ぐっと拳を握り締めたところで、大地が衝撃に揺れた。
「な、なんだ!?」
「閣下!退却を!防壁が崩れました!」
「何!」
魔獣がとうとう押し寄せてくるのか、と慌てて窓際に寄り、現状を確認しようとした軍師は目を見張った。赤く焼けた岩が、空から降り注ぐ。戦士たちが逃げ惑い、魔獣が押し潰されて辺りは血の色に染まった。ロックゴーレムが投げつけたのではと思われるようなその岩は、しかし、障害物に当たると光の屑となって消えていく。
「閣下!建物の中は危険です!早く!」
まるで蟻の巣の天井を開けたかのように、人が逃げ惑い、魔獣が潰されていく。命からがら外に出れば、そこは魔獣と人が入り乱れた戦場と化した。
「戦え!死にたくなければ、剣を持て!」
そんな中で、岩は降り注ぐ。
空を切り裂くような鋭い鳴き声が響き渡り、一瞬、全ての生き物が天を仰いだ。
人面竜。
城に影を落とすほどの大きな竜が、獲物を定めたかのように降り立とうとしていた。青銀に輝く鱗を持ち、その翼は風雲を呼ぶ。その爪に毒を持ち、切り裂けないものはないという。大海に住むはずの人面竜がこんな内陸部にまで来るとは。
「くっ……!これまでか!」
軍師は魔力を練り上げた巨大な弓を構え、最後の力を振り絞って弦を引く。せめて一矢を報いて、この命を終わらせる。
だがその矢が放たれる前に、劫火が空を染めた。あっという間にワイバーンどもは煤に変わり空中で霧散していく。呆然と空を見上げるのは魔獣も人も同じだった。
軍師の弓がその手の中で霧散する。集中力が切れた。まるで地獄絵図を見たかのように、身をすくめた。
ーー英雄と呼ばれたこの俺が、恐怖に負けるなど……!
空一面の真っ赤な炎が槍となり、人面竜に襲い掛かる。
空中で身を翻し、逃げようとする人面竜だったが、劫火はまるで生きた波のように奴を飲み込み、断末魔の声と共に白い灰となって地面に降り注いだ。
途端、その灰に触れた魔獣も人間も、悲鳴を上げて焼かれていく。我に返った兵たちは、建物へと雪崩れ込む。中には怪我人を抱え、仲間を助けながら。あるいは自分だけでも、と。
その白い灰は、全ての人間を灰に変えるーーことはなかった。
全ての魔獣と、一部の人間だけが焼かれ、灰になっていく。仲間を庇った兵士が生き残り、我先に逃げた戦士が灰になる。祈り、情けを乞うた騎士が顔を覆い、誰かを盾にした男が煤になる。
その状況に、軍師は狼狽えた。
「なぜ……。なぜ、同胞までも、消していくのだ!?」
『女神は我々の敵ではないが、味方でもない』
勇者の言葉を思い出し、怒りに、恐怖に体が震えた。
「我々は……魔獣と同じだとでも言うのか!」
触れれば、灰に帰すかもしれない恐怖は、全ての人間の心に刺さった。
『女神は、人間だけを救うのではない』
深淵の奥を覗く者
神の慈悲を乞い
畏怖するが良い
死は誰にも平等にやってくる
恐れを知らぬもの
穢れを纏うもの
その身は劫火に焼かれ
無に帰すと知るが良い
それは、古代神殿の石碑に刻まれた言葉である。
今一度。
その言葉を問う時が満ちた。




