二人旅
その日は少し遅くなったけど、奈良井宿に辿り着き、一之瀬さんと夕食もご一緒させてもらった。誰かと旅をするというのはなかなか楽しい。これまでずっと一人だったのが味気なく思えるほどで、もしかすると人恋しかったのかもしれない。
「だからおかしな空想してしまったのよ、きっと」
「なんの話です?」
「ああ、いえ。なんでもないの。ただ人間ってたまに一人になる分にはいいけど、ずっと一人だとおかしくなりそうって思っただけ」
「ははは。恵理子さんは楽しい人だから余計にそうなのかもしれないですね」
一之瀬さんは、62歳(見えない!やっぱり山歩きは重要ポイントだわ!)で、20年ほど前に奥さんを事故で亡くされて、それからお一人で山歩きを続けていたそう。一人では寂しくなって野鳥友の会に参加するようになってから、カメラを始めたのだとか。
「僕は明日、山ノ神自然園に行く予定なんです。この季節夏鳥が渡ってくるので、オオルリもそうですけどサンショウクイやキビタキを拝みたくてね。恵理子さんは?」
今、信州そばと、こしあぶらの天ぷらをいただいている。サクサクして美味しい。一之瀬さんはおしゃれに白ワイン。私は渋めの蕎麦茶。
今飲んだらすぐ寝ちゃいそうだもの。あのカモシカはちょっと夢に見そうで怖いのよ。
「一之瀬さんとご一緒できたらいいのだけど。中山道を続けて、明日は鳥居峠を越える予定なの。でも、ここ、ちょうど折り返し地点でしょ。私、下諏訪で三日滞在したんだけど、なんだかのんびりしすぎちゃって、怠けちゃいそうだもの」
「急ぎの旅でないのなら、ゆっくり歩くのもいいと思いますけどね。特に恵理子さんは断捨離の旅なのでしょ?」
「そうねえ。でも私お喋りだし、一之瀬さんのバードウォッチングの邪魔したら悪いわ」
「無理にとは言わないけど、恵理子さんの声は騒がしくないし、ご一緒してカモシカにもオオルリにも会えたからね。ご利益がありそう。それに二人ならおしゃべりしていれば熊や猪も逃げるだろうし」
「熊……」
「おや、熊に会ったことが?」
「……ええ。和田峠でね。超絶嫌な思い出なの」
「えっ、襲われたんですか?」
「ううん、あのね、変な話なんだけど、猫がね。熊の前に飛び出してきて、助けてくれたの」
「猫?」
「そう、黒猫。埼玉からずっとついて来てるみたいなの」
「ええ?飼ってた猫?」
「ううん。全然知らない猫よ。一度おにぎりをあげたら、それ以来ついて来て時々出てくるのよ。それで……、なんていうか、最初は可愛かったんだけど、だんだん不気味だなって思っちゃって」
「ははぁ。猫にストーキングされてるのかあ。そりゃちょっと執着がすごいねえ。おにぎりがよっぽど美味しかったのかな?」
「普通のコンビニのおにぎりよ。ただその後、猫缶とかあげたのが悪かったのかも……」
「ああ、こりゃあ、飼ってもらえると思ったのかもねえ。にしても中山道ずっとついてくる根性がすごいよね」
私は曖昧に頷く。
まさか、猫に磐座掃除しろとか、祠掃除しろとか言われたなんて、言うわけにはいかないわよねえ。
「それでね、熊に襲われそうになった時、外国人っぽい親子3人が遭難っていうか、迷子になってるのに遭遇して」
「え、和田峠で?」
「そう、和田峠で」
「それで、大丈夫だったの?」
「お父さんと子供が二人だったんだけど、私の前に熊に遭遇したみたいでね、酷い切り裂き傷が、こう、ベストにね……」
指3本を使って切り裂かれた様子を代弁する。
「でも、肌はちょっとした擦り傷だけで、消毒してワセリンを塗っていちおう包帯も巻いてあげたのよ。言葉が全然通じなくて大変だったの。男の子は足を挫いたみたいで、湿布とテーピングで固定してね。女の子の方が沢に落ちたみたいで、背中を強く打ったみたい。ちょっと辛そうだったけど、怪我は見たところひどくなかったから、これもワセリンで応急処置したの」
「うわぁ…それは大変だったね。それで?」
「それで……おにぎりとお水を分けてあげてね、街道に誘導したのよ。熊が戻ってくる前にと思って急いだんだけど……、そこでね、石橋を渡ってる途中で振り向いたらね。……後ろに誰もいなかったのよ」
「わーーーっ!?僕そういうのだめだ。幽霊話!あそこ、出るんだ!?そういうの!」
「怖いよね?怖かったのよ!私、もう、パニクっちゃって神速で峠越えしたのよ。ほんっとに、怖かったんだから!」
「ひーー。それは怖い。そうか、でも。ということは、その人たち成仏したんじゃないのかな」
「えっ?」
「だって、怪我の手当てして、おにぎりと水もあげたんでしょう?気づいてもらえた、とか助けてもらえたって安心して、って考えられないかい?」
「そ、……そう、なのかしら」
「ああ、それで下諏訪でゆっくりしてたの?」
「そう。神頼みとお祓いと、温泉巡り。諏訪湖の足湯はとても良かった」
そうか、と笑ってワインを飲み干した一之瀬さんを見て、私は首を傾げた。
「こんな話、信じてもらえないと思ったわ。いい歳して、妄想染みてて」
「いやぁ、日本ってそういう話多いじゃない?僕も写真を撮るとね、時々写ってるんだよ」
「やめて。この話はおしまい!聞きたくないったら聞きたくない」
「あはは。いやあ、恵理子さんもそういう話ができると聞いて安心したよ」
できないし、しないわと耳を塞いだけど、力が抜けた。良かった。信じる信じないは別にしても、聞いてもらえただけで、心が落ち着いた。
「それじゃあ、ここから京都まで一緒に旅する?」
「えっ?」
「あ、いや、僕は黒猫じゃないからね。ストーキングをするつもりはないですよ。ただ、一人だとこれからいくつも峠を越えなきゃいけないでしょう?精神的にきついんじゃない?」
一之瀬さんの言い分にも一理ある。
「僕は気ままに一人旅。恵理子さんも気ままに中山道歩き。まずは試しに、馬籠か妻籠のあたりまで一緒にっていうのはどう?」
「馬籠と言うと三日ぐらい?」
「のんびりいけば、そうだね。恵理子さんは一日20kmくらいなら大丈夫でしょう?」
「そうね。だいたいそのくらい、毎日歩いてる。峠がきつい時はもうちょっと短いけど」
「僕もだいたいそのくらいだ。ただ、写真を撮るからずっと歩いてるわけじゃないんだけど」
正直なところ、ご一緒したい。一之瀬さんとの会話は楽しいし、やっぱり精神的にきついのだ。おかしなことが起こっていると、自覚している。
「もしかして途中で食べたキノコ汁とかに何かおかしなキノコが混じってたんじゃ……」
「山でつまみ食いは良くないよ?」
「してません、いくら私でもキノコはないわ」
「でも山葡萄とか、野苺は摘んだとか?」
思わず視線を逸らしてしまった。ええ、つまみましたとも。野苺、赤くてツヤツヤしてて、美味しそうだったんだもの。山葡萄は流石に緑色をしていたから食べなかったわ。後で野葡萄には毒があるって聞いて、胸を撫で下ろしたのよね。山道での拾い食いは良くないと知ったわ。
喉で笑う一之瀬さんを見てふん、とそっぽを向く。
「じゃあ明日は8時ごろの出発でどうですか?急ぐ旅でもないので、山ノ神自然園におつきあいさせてもらってもいい?」
「ぜひ」
次の日は、のんびり山ノ神自然園で野鳥や若葉が出始めた山桜を見て、山ノ神様にご挨拶。祠の後ろの大きな磐座を見て、もしや黒猫が出てくるのでは、と思ったけれど一之瀬さんがいるおかげか、何もなかった。
一之瀬さんは植物にも詳しくて、いろいろ教えてくれたけど、よくそんなに覚えていられるわねぇ、とちょっと驚いてしまった。
たまらずの池に向かう途中で、野鳥もサンショウクイやオオルリ、あと、黄色い可愛い鳥はなんだったかしら。ピッピロピって鳴く。ああそう、キビタキね。それとカワセミがいて、一之瀬さんは静かに興奮気味だった。なんだか男の子みたいで可愛かったわ。
その後、再び中山道へ。目指すは鳥居峠です。
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