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世界樹の危機

「世界の危機だ」


 エルフの王が苦味を噛み殺したように唸った。


 世界樹を守るように聖域の保護者として生きて来たエルフの里では、世界の存亡を賭けた危機に陥っていた。世界各地で魔獣が増え、瘴気が立ち上る中、エルフの里で守られた世界樹だけが瘴気を払える手立てだった。


 世界各国の王が集めた勇者たちと聖女を持ってしても状況は芳しくない状態だ。森は瘴気にやられ、エルフの力も急速に衰えていく中、辺境では深淵の女神だの、救国の聖女が現れただのと眉唾な噂ばかりが入ってくる。だが、その姿はどこを探しても見つからない。森にのみ現れるとの情報から、エルフも戦力を割いて世界各地へと散らばっていた。


 だがその聖なる人物が助けるのは、人間だけだ。


 どこかの国が隠しているのではと疑心暗鬼も強まっている中で、ホーンボックが世界樹に住み着いたと報告が入った。


 ホーンボック。世界の終わりになると現れ、世界樹を守る聖獣を倒し、世界樹を滅ぼすと言う神話級の魔獣。その体は聖獣の力を奪い、神聖魔法を蓄える。その毛皮は雪のように白く、そのツノは深淵の闇のように黒い。対抗できるものは天空に住むというクリスタル・ドラゴンのみ。だが、その姿を見たものはいない。


「……とうとうこの世界も終わりか」


「奴はまだ若い。今ならまだ……!」


「聖なるドラゴンは見つかっておらん。我らではせいぜい奴の尻の毛をむしる程度だろう。人間の勇者とやらはどうだ?」


「今こちらに向かっていると聞いていますが、人間ごときがどこまで戦えるか…」


 世界樹が健康で元気なうちはまだ対抗できた。世界樹自身が落とす枝葉に毒を送り込むからだ。それを食べたホーンボックは己の中の毒を浄化するために力を使う。だが世界樹の毒を食べ続けるから完全に毒素は抜けず、成長も遅くなる。


 だが、世界樹が敗れた時にその均衡は崩れる。


「北の辺境で、勇者の館に巣を構えたドレッドスパイダーが退治されたのは真か?」


「はっ。元々はただの冒険者が、女神の力で勇者になったとか」


「……女神……はっ。笑わせてくれるわ」


「同胞のエルフで魔道士のエレノアが数ヶ月前に報告にあがりました。帝国がクリスタル・ティアと世界樹の実を保管しているとのことですが、その時に非現実的な力を使った未知なる者がいたと」


「ふん。未知なる者、それが女神だと?どうせ浅はかな人間どもの召喚であろう」


「いえ、それが、その者は突如として現れ、ドレッドスパイダーの巣を埃をとるように片付けると、現れた時と同様に消えたとか」


 そのうちの一人が神聖力をまともに浴び、勇者として覚醒した、と。


「しかしながら、そのものは死の淵を見たといい、その未知なる者については口を固くつぐんでおるそうです」


「死神にでもおうたか」


「そのような力を持つ者であれば、かなりの神力を持っていたのでしょうな」


「微々たる魔力しか持たん矮小な人間にとっては、神の力など毒にしかならん。畏怖しても仕方あるまい」


 エルフの王は立ち上がり、「世界樹の元へ行く」とマントを翻した。





「わしの代で世界の終わりとなれば、しっかりと見届けねばなるまい。どうせ終わるのならば、エルフらしく戦って死に臨む」


 森の中は瘴気が届き始めていた。


 世界樹には、ホーンボックだけでなく、魔性でできた蟲も湧いていた。腐臭が漂い、戦士たちも顔色が悪い。


「悲しきかな、世界樹よ。我らも共に逝く。しばらくの辛抱だ」


 ホーンボックは、エルフの王をチラリと見ただけで、逃げるそぶりも見せなければ威嚇もしない。もはや落ちた枝葉には見向きもせず、生気なく垂れ下がった枝をむしり取る始末。


「勇気あるエルフの戦士よ!我らが森の誇りにかけて、厄災を決して許すな!時の流れの中で、この戦いもまた一つの記憶に過ぎぬ。されど、決して忘れはせん!行くぞ!」


 王が駆け出そうとしたその瞬間。


 ふと瘴気が薄まり、清涼な気があたりに充満する。世界樹がふるり、と震えた。


 ———ハラリ、と世界樹の葉が落ちる。そして訪れた一瞬の静寂。


 一拍を置いて。


 光の輪が浄化の刃となり、一気に流れ込んできた。世界樹に集っていた蟲がポロポロと落ちて煤に変わる。断末魔の悲鳴をあげる隙もなかった。


 ホーンボックが焦ったように顔を上げ、4つの目を大きく開き波動が寄せる方に口を開けた。エコーブライトを放出する気だ。善悪を併せ持つ人間ならば、それは毒にもなる。ほとんどのものは生きていられないほどの聖なる光。


「ギィィィィーーッ!」


 だが、その魔法が放たれる前に、ホーンボックが断末魔の悲鳴を上げた。その中に混じるのは確かな恐怖。大地が切り裂かれたかのような大音量に世界が揺れた。光の中を切り裂くように現れたそれは—— 。



 —— 遠のく意識の中で王は見る。


 水。


 世界を覆う、水。


 そして。


 クリスタル・ドラゴン ———


 太古、神々の時代に現れたという伝説の聖竜。


 巨大な半透明のドラゴンが、怒涛の勢いで世界樹を包み込み、うねりを上げ、エルフをも巻き込んで天地がひっくり返った。善も悪もまるで意味がないかのように。


 瘴気も、蟲も、森も、エルフも、そしてホーンボックも。


 全てが等しく淘汰された。





 水が引いた後には、丸裸になった世界樹の幹と黒々とした大地が残った。


 だが、それからぽこり、ぽこりと地面から若葉が飛び出し、あたりは次第に緑の絨毯で埋め尽くされていく。

 さらにそれが成長し、若木になり、そして大樹へと変わっていく。


 その大樹の節目からエルフが生まれた。次々と木々は育ち、エルフが生まれ、そして世界樹の枝にも、若葉が芽吹き始めた。生まれたばかりのエルフ達は、森の精霊らと協力して結界を作り上げていく。


 新たな聖域が生まれた。





 結界の張られた森の前に佇むのは、勇者とその仲間。


 勇者の館でクイーン・ドレッドスパイダーと戦った冒険者達だった。かの森もまた、浄化され正常に戻っている。人間のパラディン。魔道士のエルフ。獣人のアサシン。例の戦いの後で格が上がり、勇者の紋を受け継いだ。


 少し離れたところには各国から送られた騎士や戦士が起こったことに理解が及ばず、呆然として立ちすくんでいた。


「エルフの里が……こんなに簡単に」


「俺たちは間に合わなかった……。すまない」


「あなたのせいじゃないわ。間に合わなかったのは、私も同じだもの」


「なぁ。これ、どう言うことなんだ?」


「……エルフはね、森から生まれるの。健康な森から精霊達と共に生まれる。ゆっくり時間をかけて、エルフはエルフとして形を作っていくわ。若木と同じスピードで大人になっていく。その中でもエルフの王は、世界樹の幹から生まれるの。エルフは世界樹を守り王を育む。それが私たちエルフの役割」


 だから。


「こんなに簡単にエルフが生まれてくるなんて、信じられないのよ」


「すんごい勢いで森が育ってんな」


 時折地面が唸りを上げる。ゴゴゴゴ、と揺れる大地にしっかりと足をつける。


「どんな植物促進の魔法だって、こんなの無理よ」


「だからさあ。なあ、これ、どう言うことなんだ?」


「……深淵の女神、だろうな」


「やっぱりそう思う?」


「それしか、考えられないだろ?こんな、人外な破壊力」


「やっぱりかぁ。なーんか前よりパワーアップしてる気がするなぁ」


「気がするじゃなくて、実際に力をつけてるんだと思う」


「だよなぁ」


「また……来てくれるかな…?」


「その時は俺たちみんな、一掃されるような気がしないでも無いがな」


 勇者は、数ヶ月前に出会った深淵の女神を思い返す。


 体は自分よりも小さい、どこにでもいる冒険者の女に見えた。だが、未だに思い出すのは死の淵にあるような黒々とした瞳。ぞくりと体が震える。あれは、敵では無いが、味方でもない。


 思い出したくない。


 別次元の能力者。神、あるいは……厄災。


 世界の運命は、彼女に委ねられている。


「祈るしか、ないな」


 勇者の口からは乾いた笑いしか出てこなかった。


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