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71話 アクアマリンのダンジョン09

『貴方の幸福はぁ、何かしらぁ?』

 

 オーバルの落ちた幻術の世界。

 オーバルはアクアマリンのダンジョンに斬りかかろうとするが、ことごとく剣が防がれていた。

 幻術の世界にいるもう一人の影、幻術世界のラウンドによって。

 

 オーバルの幸福は、ラウンドに勝つことである。

 オーバルにとってラウンドは、突然自分の前に現れ、圧倒的な速度で自分を抜き去っていった存在である。

 紆余曲折あり、現在はギルドマスターと副マスターの関係に収まってはいるが、今でもオーバルにとっては倒すべき目標でもある。

 もちろんダンジョン討伐こそが一番の目標ではあるが、同じくらいにラウンドを超えることを考え、剣の腕を磨いてきた。

 その願望が形となった幻術の世界は、闘技場のように何もない空間だった。

 客の座っていない客席に、参加者のいない控室。

 そして、闘技場の中心――円形の地面には、オーバルとラウンドが向かい合うように剣を構えており、ラウンドの後方にアクアマリンのダンジョンが立っている。

 

「俺の夢は俺が叶える! だから、邪魔を、するな!」

 

 オーバルが踏み込み、一気にラウンドとの距離を詰める。

 横に構えた剣を、ラウンドの腰へ向かって一気に振りぬく。

 ラウンドは、目線で剣を負い、背負っている剣を引き抜き、そのままオーバルの剣へ叩きつけた。

 二本の剣が地面に叩きつけられる。

 間髪入れず、ラウンドはもう一本の大剣を掴み、そのまま体勢を崩したオーバルの背中へと叩きこむ。

 オーバルはラウンドに押さえつけられた剣を引き抜こうとしたが、押し付けられる力が強く、引き抜くことができなかった。

 現実の世界であれば、命と同等に大切な剣を何とか引き抜くことに思考を裂かれただろうが、ここが現実でなく幻術の世界であると思い出し、速やかに剣から手を放して後方へ跳んだ。

 ラウンドの大剣は、オーバルがいた場所へ叩きつけられる。

 闘技場の床がめり込み、僅かに闘技場全体が振動する。

 

「何が厄介かって、似てるのが見た目だけじゃねえことだな」

 

 動きが、癖が、正真正銘ラウンド自身である目の前のそれは、背筋を伸ばしてオーバルの方へと向き直る。

 オーバルの剣が地面に転がるが、気にも留めない。

 次の攻撃を繰り出すために、剣を構える。

 

「だが」

 

 ラウンドが地面を蹴り、オーバルへと接近する。

 左手の大剣を振り上げ、武器を持たないオーバルを射程にとらえる。

 そのまま、オーバルに向かって振り下ろされる。

 

 その瞬間、オーバルの右腕が伸びる。

 ラウンドの左ひじを捉え、腕の動きを根元から止める。

 ラウンドが目線を左に動かし、状況を把握すると、右手に持った剣をオーバルの右腕に向けて振る。

 その動きを予想していたオーバルは、そのままラウンドの左腕を押し出し、ラウンドの体制を崩す。

 ラウンド振った剣の軌道が上にぶれ、下にできた空白にオーバルがかがみ、突っ走る。

 

「本物には及ばねえな」

 

 突進し、ラウンドの胸を思いっきり突き飛ばす。

 苦しそうな表情をしたラウンドが、そのまま後方へと吹き飛び、仰向けに転倒する。

 ラウンドが顔をあげ、オーバルの姿を捉えた時は、オーバルが自身の剣を手に取り、ラウンドへと切りかかる瞬間だった。

 即座に剣を振り、オーバルの一撃を防ごうとするが、一瞬オーバルの剣が速かった。

 剣が左胸に突き立てられる。

 ラウンドが目を見開き、力なく腕を落とし、そのまま動かなくなった。

 

 なんてことはない。

 幻術の世界のラウンドは、オーバルには勝てない。

 オーバルの幸福――つまりラウンドに勝つために存在するこの世界の結末は、最初から決まっていた。

 

『今、貴方はぁ、幸せぇ?』

 

「なわけあるか!」

 

 突き立てた剣を抜き、そのままアクアマリンのダンジョンに向かって走る。

 渦巻く感情は、ただの怒り。

 未だ実力が届かない自身の夢を、強制的にかなえられたことによる、純粋な怒りである。

 

『ならぁ、次はぁ』

 

 過去にオーバルの戦った相手が次々と現れる。

 かつて、格下として挑んだ者たち。

 かつて、同じ場所を目指す仲間として戦った者たち。

 かつて、格上として挑まれた者たち。

 過去の、楽しかった戦いが、次々と再現される。

 

「ああくそ! むかつくけど、楽しいな畜生!」

 

 戦いの中で、オーバルの怒りは静かに消え、代わりに幸福感が生まれていった。

 オーバル自身もそれを感じていた。

 湧き上がる幸福感が、オーバルの手を動かす。

 

 頭の中ではアクアマリンのダンジョンを真っ先に倒すべきだと理解しつつ、二度と経験できないと思っていた楽しい過去が目の前にあるのだ。

 ついついよそ見をしてしまう。

 そのうえ、アクアマリンのダンジョンの表情が、あまりにも善意に満ちていたことも一つだ。

 心眼によって相手の表情が読み取れるようになったオーバルには、アクアマリンのダンジョンの言葉が、行動が、すべてが、現在オーバルを幸福にするためのものであると気づいてしまった。

 

『ねぇ、今はぁ、幸福ぅ?』

 

「ああ! ああ! 幸福だよちくしょう!」

 

『よかったわぁ』

 

 アクアマリンのダンジョンは、オーバルの言葉にニコリと微笑む。

 僅かな悪意も入り混じらない純粋な微笑み。

 

「ありがとよ!」

 

 が、それは討伐を辞める理由にはならない。

 手を緩める理由にはならない。

 目の前の全ての敵を倒し終えたオーバルは、感謝の言葉と共に、手に持っていた剣をアクアマリンのダンジョンに向かって投げる。

 剣は、微笑むアクアマリンのダンジョンの額に刺さり、動きを止める。

 

『貴方が幸福でぇ、私も嬉しいわぁ』

 

 

 

 

 アクアマリンのダンジョンは、オーバルの意識の外で、現実の世界で斧を振り上げる。

 落とす先には、幸福を感じたオーバルの姿があった。

 安らかな表情で眠るオーバルの姿が。

 

『幸福の中でぇ、おやすみなさぁい』

 

 穏やかな表情で、アクアマリンのダンジョンは斧を振り下ろした。

 

 その瞬間、斧ごと全身が吹き飛ばされ、壁にたたきつけられた。

 ドカンと大きな音とともに、ダンジョンの壁がへこむ。

 

『なあにぃ?』

 

 壁に背を預け、座り込んだアクアマリンのダンジョンは、自身を吹き飛ばしたものの方へと目線を向ける。

 巻きあがる煙の中から、二つの影が確認できる。

 小さな影と大きな影。

 マーキーズとそのゴーレム。

 頭を押さえ、溢れ出る涙を止められないままに、マーキーズが向かってくる。

 

「……っ。最悪の気分じゃ……」

 

 意識を取り戻し、頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような感情のマーキーズの目に入ったのは、今まさに斧によって殺されようとするオーバルの姿だった。

 誰がそれをやろうとしているのかを考える余裕はない。

 ここが現実か幻かを考える余裕もない。

 反射的にゴーレムを召喚し、目の前のそれを思いっきり殴りつけたのだ。

 

 未だに何を殴ったのか理解できないまま、判断力の鈍ったまま、それに向かって歩を進める。

 何ができるかも何をする気かもわからないまま、本能に従って歩く。

 

『苦しそうねぇ……可哀そうねぇ……。もう一度、幸福な世界にぃ』

 

 近づいてくるマーキーズに、アクアマリンのダンジョンは手を向ける。

 まるで聖女のように、この手を取れば救われると言わんばかりに、マーキーズに手を伸ばす。

 

 そしてその手は、ぼろぼろと崩れ始めた。

 

 

 

 

 

『あらぁ?』

 

 ダンジョンが、幻術の世界が、音を立てて崩れ始めた。

 ダンジョンの最終階層で発狂していたアクアマリンのダンジョンの精神が、ついに限界を迎えた。

 

『……残念ねぇ。まだ、皆を幸せにできてないのだけれどぉ』

 

 オーバルは、それを眺めていた。

 崩れていく幻術の世界を。

 崩れていくアクアマリンのダンジョンを。

 

「……俺たちは、人間は、自分で幸福をつかみ取ることができる。お前なんていなくても、最高の幸福を手に入れてみせるさ」

 

 オーバルは、ぶっきらぼうに言い放った。

 他者の幸福を勝手に決め、それを押し付ける行動は今でも納得していない。

 が、その行動も善意からであれば、多少の許しを与えられる程度に、オーバルは寛容であった。

 もっとも、相手がダンジョンである以上、討伐は絶対。

 与えられる許しは、せめて死に際に言葉をかける程度である。

 

 アクアマリンのダンジョンは崩壊する体をオーバルに向けて、笑みを浮かべる。

 

『人間……はねぇ』

 

 寂しさの混じった笑みを浮かべる。

 

『じゃあ、ダンジョンはどうなるのぉ?』

 

 オーバルの体が光に包まれ、ダンジョンから消えた。

 

 

 

 

 

 ダンジョンの最終階層。

 床へ仰向けに倒れたアクアマリンのダンジョンは、崩れていく天井を見上げている。

 

 アクアマリンのダンジョンの生は、常に幸福だったが、二度だけ不幸を感じたことがあった。

 一度目の不幸は、魔物化するよりも前。

 人間に幸福を与え続けていた時。

 何度も自身に訪れていた人間が、ダンジョンの外で自害したことを知った。

 村が名もなき盗賊に襲われ、家族を殺され、村を焼かれたと。

 生き残ったのはその人間ただ一人。

 その後、その人間は廃人のように生き、ある日突然首をつって死んでいたところを発見されたらしい。

 その顔は、絶望と悲痛に満ちていたと。

 アクアマリンのダンジョンは絶望した。

 幸福を謳歌していた人間でさえ、たった一度の不幸で、その生に絶望してしまうことを知って絶望した。

 人間を、幸福に包まれたまま死なせてやりたいと考えた。

 不幸など味わわせたくないと考えた。

 

 二度目の不幸は、いままさにこの瞬間。

 

 きっと彼女は、絶望するだろう。

 不幸を感じるだろう。

 ダンジョンが討伐されるたびに見せた表情を、再びさせてしまうだろう。

 

『ごめんねぇ、ガーネットォ』

 

 アクアマリンのダンジョンは消滅した。

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